6章の9 じゃあオレが棄権したことにしようよ
「ひそひそ、カニくん、どうしたの?」
「ひそひそ、スシくん。今日の学校、欠席ゼロだった! 病欠もサボリも、ゼロだった!」
「ひそひそ、それがどうかしたの?」
「ひそひそ、投票総数は公表しないといけないんだ。欠席ゼロで1票少ないと、クロハちゃんが学校にいないのがわかっちゃう!」
「ひそひそ、じゃあオレが棄権したことにしようよ。数が合えばいいんでしょ?」
「ひそひそ、さっきシークレットエージェント・スシ(中身マヤ)が全体の1番で投票したのを、一般生徒に目撃されている。スシくんの棄権はムリ!」
「ひそひそ、じゃあマヤさんが、本人の票とクロハ会長(中身マヤ)の票で、2票投票すれば?」
「ひそひそ、ひとりで複数投票はかなりの不正! 現実の選挙では逮捕されるレベル!」
そこまで聞いて、クロハ会長(中身スシ)も青くなった。
離れたところでカニの唇を読んでいたオロネとシークレットエージェント・スシ(中身マヤ)も、一緒に青くなった。
1分経過。誰からも妙案は出なかった。
2分経過。誰からも妙案は出なかった。
クロハ会長(中身スシ)は脂汗を流した。
(最後の最後、投票まで来てこれかー!)
3分経過。
キラが「どうしたのかな?」という目で役員たちを見た。
クロハ会長(中身スシ)の背中をポン、とたたく人がいた。
クロハ会長(中身スシ)が振り向くと、マヤ副会長だった。
(え?)
この場にはシークレットエージェント・スシ(中身マヤ)がいる。カニ、オロネもいる。マヤ副会長は「この場にいるのはあり得ない人」だ。
(ええええええーーっ!)
クロハ会長(中身スシ)に、1章の4(クロハ会長が二人)以来の恐怖体験が刻まれそうになったとき、マヤ副会長がひそひそ声で話しかけてきた。
「ひそひそ、スシくん、甲子園以来ね」
「ひそひそ、あーっ! クロハさん!」
「ひそひそ、いまマヤ副会長(中身クロハ)です」
マヤ副会長(中身クロハ)はカニに、封筒に入った記入済みの投票用紙を渡した。
「ひそひそ、不在者投票を届けに来ました」
これで投票総数は生徒数と同じになる。役員は、人目をしのんで小さく喜び合った。
投票締め切り時刻が近付いた。
「選挙管理委員長のカニです! 生徒の皆さん、投票を終えられましたかー?」
レサが投票数をチェックしていたので、有権者全員の投票が済んだのはわかっていたが、きちんとした手順を踏んで終了時刻ちょうどに締め切った。
「カニです! 引き続き開票に入ります!」
投開票会場が体育館なので、票数の記録には、カニが特別教室から持って来ておいたホワイトボードを使った。
開票立会いの生徒の最前列にタキが陣取って、血走った目で作業を見つめた。ワキとキヤも一緒だった。自分に投票されても喜べない複雑な状況のキラも、少し離れて開票を見守った。
シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)の発案で、まずマヤ副会長(中身クロハ)だけでも化身解除させてあげようということになった。マヤ副会長(中身クロハ)とクロハ会長(中身スシ)は、目立たないように体育館ステージ下の秘密化身室に行き、マヤ副会長(中身スシ)とクロハ本人となって戻って来た。
その場に教師サイドは、生徒会担当のキクハだけがいた。
カニとレサが開票を続けた。シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)、マヤ副会長(中身スシ)、クロハ、オロネは、キラやタキもいる開票現場から距離を置き、一般生徒に聞かせられない話を続けた。
体育館に、泥縄第二高校の制服ではない制服姿の中学生女子が入って来て、クロハの隣に寄り添った。
「ただ今、泥縄第二高校生徒会長選挙の開票現場に到着しました」
「? マヤ副会長(中身スシ)ですけど、クロハさん、そちらは?」
「スシくんが元いて今わたしが通っている泥縄第一は、第二と違って中学校併設でしょ? 彼女はその泥縄第一中学の3年生、生徒会長のスハちゃん」
「そうですか」
マヤ副会長(中身スシ)は「なんでそんな人を、しかも中学校も授業がある平日に連れてくるんだろう」と思った。しかしスハがもの珍しそうにこっちを見てくる視線に負けて、切り出せなかった。
「実はね、この子は成績優秀なので、春を待たずにこの秋から飛び級で高校に入ることになったの」
「それはそれは。 ?」
「それで泥縄第一高校の生徒数は、わたしがいなくなっても下限を割らなくなったの。わたしは来週から泥縄第二に戻れることになったの!」
シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)とマヤ副会長(中身スシ)は顔を見合わせた。
「・・・」
シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)がマヤ副会長(中身スシ)のほっぺたをつねった。
「いてっ!」
「・・・。夢じゃない! 夢じゃないですよ!」
こういうときに自分のではなく人のほっぺたをつねる。マヤ副会長(中身スシ)は「マヤさん(本人)はどこかで芸人教育を受けたのだろうか」と思った。
一般生徒が多くいるところから距離はあるが、シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)とマヤ副会長(中身スシ)は念のため、背中に文字を書き合って喜びを表現した。
(なになに? よかったですね、スシくん、ですね。はいはい、よかったです、マヤさん! と)
思わず涙したシークレットエージェント・スシ(中身マヤ)を、クロハがそっと抱き寄せた。
「マヤ、ほんと苦労かけたね。ありがとう・・・」
「クロハだって大変だったでしょう? こっちは仲間がいたけど、そっちは一人きりで・・・」
「マヤ副会長(中身スシ)ですけど、よかった・・・。でもコレ、ビジュアル的にはスシがクロハさんと抱きあってるみたいで、まずくないですかね?」
「クロハだけど、そうだったね。スシくん、あとで対外的にフォローしておいてね」
「それから、中学・高校の合計人数は変わらないのに、それで戻れるんですか、クロハさん」
「そういうことみたいね」
「スハですけど。クモハお姉さま、いえ、こちらではクロハお姉さま。このスシという人は、お姉さまの何に当たる人なんですか? まさか恋人ですか?」
シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)が、スハをにらみつけた。
「わたしクロハの、大切な人というのは合ってる」
シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)とマヤ副会長(中身スシ)とスハが「えーっ」という目でクロハを見た。
「恩人よ」
クロハのセリフに、マヤ副会長(中身スシ)は相好を崩した。
「いやー、恩人だなんて、そんなことないですよ」
デレデレしているマヤ副会長(中身スシ)の尻を、シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)が、誰にも見えないようにして思い切りつねった。
「いっ!」
「シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)ですが、スハさん」
「なんでしょう?」
「今日は平日ですけど、隣の県からこの時間にこっちに来るなんて、授業はどうしたんですか?」
「系列の上位校、泥縄第二高校の生徒会行事への参加という用事を作って、3時間目が終わってから公休で抜けてきました。新幹線で1時間」
「う・・・」
そつのないスハの行動ぶりに、シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)は押し黙るしかなかった。マヤ副会長(中身スシ)は、そんなシークレットエージェント・スシ(中身マヤ)を見てあたふたした後、ふと気付いた。
いまのシークレットエージェント・スシ(中身マヤ)の口調は、スシ本人のキャラのものではない。どちらかというとマヤ本人のものに近い。マヤを思わせる丁寧な口調でありながら、言っている内容は、相手の至らないところをあぶりだしてやろうかという、ギラギラした感情を含んだものになっている。心のダークサイドを隠さないクロハ会長(中身マヤ)と同じようなものになっている。
誰かに化身しているとき、あるいはマヤ本人の姿のとき、マヤがこんなふうに心の裏を見せるような話し方をするのは、ついぞなかったことではないか。
マヤ副会長(中身スシ)はうれしくなった、マヤ本人にとって、これがいい方に転ぶきっかけになればと思った。
開票作業をしているカニは、当然忙しそうだ。マヤ副会長(中身スシ)はカニに耳打ちできるほどには近付けない。そこで、マヤ副会長(中身スシ)はシークレットエージェント・スシ(中身マヤ)、クロハ、スハ、オロネと一緒に「クロハが来週、泥縄第二高校に戻ってくる」という30秒ほどの無言劇を演じてみた。向こうの開票現場でそれを見たカニがニコニコしだしたので、スシは「伝わった」と実感して、うれしくなった。
そうこうしているうちに、カニとレサの手によって開票は進んだ。
タキの票は伸びなかった。
キラが敢然と公約の嘘を報道し、生徒も惑わされることなく正当な判断を下したのだ。シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)とマヤ副会長(中身スシ)はそれがうれしかった。キラも胸をなでおろしていた。
開票も中盤を過ぎ、未開票の票数ではどうやってもタキが逆転できないところとなり、タキの敗退が確定した。シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)はマヤ副会長(中身スシ)とハイタッチを交わした。
自分で選挙戦撤退とスシ支援を宣言したキラだったが、少なくない票が入った。しかしキラ派が緊急集会で行った組織決定が、タキを利する票の分散を防いだのは間違いなかった。
マヤ副会長(中身スシ)は、クロハが戻って来るならマヤ本人は自然と解放されるし、選挙でタキが勝つこともなくなったし、あとはどうでもいいやと安心し切って、ニコニコしていた。
「マヤさん」
「なんでしょう? スシくん」
「クロハさんが帰ってくるから、もう化身しなくてよくなりますね」
「そうですね。でもちょっと・・・」
「?」
「シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)に化身するの、今日で最後かと思うと、ちょっと残念かも」
マヤ副会長(中身スシ)は目を丸くした。マヤ本人が、身を削るほど打ち込んだクロハ会長(中身マヤ)への化身ではなく、シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)化身へのこだわりを口にしたのだ。これは、自分に対するマヤ本人の思いを、別の形で表現してもらったということなのでは。
「スシくん。今のはマヤのスシくんに対する思いを別の形で表現したとか、そういうのではないですよ?」
「がくっ」




