6章の8 スシの声色を使える役員はいない
「まだ詰め切れていない部分はありますが、スシくんとあたしの間なら、あたしを副会長に選んでもらうのは、そう大きな問題ではないと思います。あたしの願いに耳を傾けようという気持ちがおありの方は、ぜひスシくんに投票してください。あたしが選んだスシくんに、あたしを選ばせるためにも、ぜひご協力をお願いします」
キラの演説は終わったが、会場のざわめきは収まらなかった。
わざわざ慣わしに言及し、スシに自分を副会長に選んでほしいと明言。これでは、キラがスシから告白されるのを待っていると言っているようなものではないか。
そこへ、クロハ会長(中身スシ)が入ってきた。
キラは演説を終えてステージを降りるところだった。入れ替わりにステージに登って来たクロハ会長(中身スシ)を見て、キラはいきなりハイタッチを仕掛けた。つられてクロハ会長(中身スシ)はキラとハイタッチをした。
会場は熱狂と興奮に包まれた。
(クロハ会長(中身スシ)だけど、何? キラさん、どうしたの?)
キラは去り際に、クロハ会長(中身スシ)にウインクを投げていった。
(いけない、演説に集中しなくちゃ!)
クロハ候補(中身スシ)は演台に立った。クロハ会長(中身スシ)に化身して体育館ステージに立つのは、生徒総会以来で2回目だ。2回目でもそう慣れた振る舞いはできなかった。
「わたしが、後期生徒会長に立候補したク、クロハ会長(中身スシ)です」
いきなり声も裏返ってしまった。生徒から失笑がもれた。
(あ、やっちゃった。声裏返った。あれ? 裏返ったというより、この声、マヤさんの声だ)
クロハ候補(中身スシ)の化身は間に合ったが、肝心の話す内容を準備していない。スシは話すのと並行して中身を考えながら、泥縄式で演説を続けた。
「えー、わたしクロハ会長(中身スシ)は前期生徒会でも会長を務めていたわけですが、その際に気になったことが二、三、ありました。まずそのことについてお話ししたいと思います」
スシは世間話で時間を稼ぎ、会場を見渡して息を吸い直した。
(・・・。今からオレがするのはクロハ会長(中身スシ)の演説なんだけど、ここは、マヤさんに成り切ってやる方がうまくいく気がする)
どういう話をするか、普段なら相当迷いそうなところだが、道は示されたような気がしていた。クロハ会長(中身マヤ)もクロハ本人も、ぶれない人間だからだろう。
「公約といたしましては、前期に引き続いて、無理な学校統合で生徒が不利益を被らないように対応していくことが挙げられます。また、すでに学校新聞にて報道されましたが、校歌のCD有償配布の収益で、生徒会赤字予算正常化の見通しが立ったことをご報告します」
レサから持ち時間終了が近付いた合図を受け、クロハ会長(中身スシ)は演説をまとめた。会場からひとしきり大きな拍手をもらい、ステージを降りた。
オロネは、生徒会室別区画に制服がなかったので体操服を着て音楽準備室兼用に移動し、制服に着替えて会場に戻って来ていた。クロハ会長(中身スシ)はオロネの方へ歩いているさなか、ふと気付いた。
(あれ? スシ本人の演説をどうするか、考えてる余裕がなかったぞ)
スシの演説はクロハ会長(中身スシ)の直後なので、化身解除しようとするとどうしても4分はかかるし、その時間をどうやって確保するか定かでない。誰かにシークレットエージェント・スシに化身して演説してもらおうにも、一般生徒に向かって話せるレベルでスシの声色を使える役員はいない。
(オロネさんに言って、レサさんに休憩を入れてもらって化身解除の時間を稼ぐか。そうすると自分で演説することになるけど、まあそれも当然か)
クロハ会長(中身スシ)は、スシ本人の演説が始まる前に、張り詰めていた気を使い果たした、そんな感じだった。もう一度同じステージに立っても、さっきと同じ演説にしかならなそうだ。しかしそれではクロハ会長(中身マヤ)の公約をまるまる真似ることになってしまう。
こりゃあかん。
クロハ会長(中身スシ)は、スシ本人の番でちゃんとした演説をするのはあきらめた。それほど体が重かった。しかし、とてもすがすがしい気持ちだった。クロハ会長(中身マヤ)、ひいてはマヤのために、自分ができるすべてを出し尽くせたのがうれしかった。
スシの方がクロハ会長(中身スシ)より演説の順番が後で、恥をかくのが自分だけで済んだのも良かった。
「さて、と」
クロハ会長(中身スシ)は、休憩を頼んでもらおうと、オロネに近寄った。
猛然と、シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)が体育館に入ってきた。
クロハ会長(中身スシ)は、あっけに取られた。シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)がハイタッチをしてきたので、つられて手を上げハイタッチをした。キラに続いてシークレットエージェント・スシ(中身マヤ)ともハイタッチ、クロハ会長(中身スシ)は「いいのかな」と戸惑った。
「ひそひそ、シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)、どうやってこんなに早く出られたの?」
「ひそひそ、ワキさんとキヤさんがすぐ出してくれた! あとの時間は化身に充てられた!」
マヤからシークレットエージェント・スシ(中身マヤ)への化身はかなり時間を必要とする。その時間が確保でき、うまく化身できたことで、マヤは相当燃え上がっていた。
シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)が演台に立った。
クロハ会長(中身スシ)は会場の隅まで戻りながら、重要なことに気付いた。
(あ! マヤさん! 声色どうするの!)
会場の視線がシークレットエージェント・スシ(中身マヤ)に集まった。
シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)はひと呼吸置くと、マヤの地声のまま話し始めた。クロハ会長(中身スシ)は、息をのんだ。
「どうも皆さん、スシ候補(中身マヤ)です。オレの特技は女子の声色です。クロハさんの声が一番得意ですが、今日は副会長のマヤさんの声で演説をやってみます。演説会でモノマネとはふざけてると言われるかもしれませんが、そういう意図はありませんし、なにぶん短時間ですので、よろしくお付き合いいただけるとうれしいです」
クロハ会長(中身スシ)の心配とは逆に、会場はやんやの歓声だった。クロハ会長(中身スシ)は胸をなでおろした。
「選挙に当たってのオレの公約をあらためて説明します。まず第一に、これはクロハ会長(中身マヤ)の公約とも重なる部分ですが、無理な学校統合で生徒に不利益が及ぶ事態を招かないよう行動するというのが一つ。もう一つ、こちらはスシ候補(中身マヤ)として独自の公約になりますが、男子の会長が女子の副会長に就任してもらうと、副会長が告白を受け入れたとみなされるという、この学校の慣わしをなんとかしたいのです」
会場はざわついた。
「もちろん、本人同士が好き合っているんだったらヤボは申しません。でも、別に好きでもない会長から副会長に指名された女子であっても、非常に断りにくい状況に追い込まれるそうなのです。副会長を断るなら執行部発足が遅れる責任を取れと迫られたり、そのほか有形無形の圧力を受けるのです。しかしこれでは会長が非常に優位で、副会長を強引に指名して自分に振り向かせようとする人間が出て来ても不思議はありません。実際、過去に不幸な事態もありました。ここで皆さんに考えていただきたいのは、役員選任は、そういうことを超えた次元で行われるべきだということです。有能な会長と有能な副会長、2人の間に恋愛感情があろうがなかろうが、生徒会のために働いてもらえる。こうあるべきではないかと。オレが生徒会長にもし当選させてもらったなら、慣わしを過去のものにするよう、意識啓発を進めます」
会場はさらにざわついた。
「最後に校歌を歌います。実はオレも作るのに少し関わったので、思い入れがある曲なんです。♪ガラス越しの君の瞳・・・」
クロハ会長(中身スシ)は「オレが校歌に関わったのは、『少し』じゃなくて『全部』じゃないかなあ?」とは思った。でもそれ以上に、スシと校歌のかかわりをはっきり一般生徒には言えないのに話題にしてくれた、マヤの心がうれしかった。
シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)は、校歌1番をアカペラで歌い終えると、ぺこりとお辞儀をしてステージを降りた。生徒のざわめきは大きかったが、そのあとの拍手も大きかった。
マヤがすぐに出してもらえて救出が空振りに終わったカニが、ハシゴを生徒会室に置いて体育館に戻ってきた。
レサが仕切って演説会は終わった。投票は同じ場所で行われるが、インターバルが40分あるので生徒はいったん退場した。会場でそのまま待っている物好きは十数人だった。
シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)は歩きながら大きく息を吐き、クロハ会長(中身スシ)が待っているところまで来た。
「ひそひそ、スシくん、クロハ会長(中身スシ)の演説してくれて、ありがとう!」
「ひそひそ、こっちこそ! 実物より上手なシークレットエージェント・スシ(中身マヤ)の演説ありがとう! 校歌まで歌ってくれて!」
クロハ会長(中身スシ)とシークレットエージェント・スシ(中身マヤ)は、ともに自分の演説はしなかった。一般生徒から「自分で自分の演説をせずに投票させる気か」と責められると弱いだろう。しかし外見と中身が入れ替わってはいるものの、「立候補したら演説する」という責務は、きちんと果たしたわけだ。
それぞれの演説は「自分でやったのでは、ここまでできなかった」というところまで昇華していた。入れ替わって、かえって良かったと言える。
シークレットエージェント・スシ(中身マヤ)とクロハ会長(中身スシ)は、人目をはばからずに喜び合った。二人が表している感情は完全に、化身でなく中身のスシ・マヤのそれだった。十数人いた一般生徒は「選挙のライバル同士なのに?」と不思議なものを見る目だった。
カニとオロネは「あついねー」と言って体育館の壁の下の方にある小さな窓を開けたりしつつ、会長選挙の投票箱の準備をした。
40分たち、生徒がぞろぞろ体育館に戻って来て投票受け付けが始まった。候補4人は先陣を切って、事前の抽選によってシークレットエージェント・スシ(中身マヤ)、タキ、キラ、クロハ会長(中身スシ)の順で投票した。
一般生徒の投票は、順調に進んだ。順調すぎて拍子抜けするくらいだった。しかし。
クロハ会長(中身スシ)は、カニが青くなっているのに気付いた。




