6章の7 どうしたの? その手
「あっ、オロネさん、キラ派が緊急集会をしたんだって」
「知ってる。スシくん、タキ落選に向けて、キラ派に何か期待されてるみたいだね」
オロネはスシの肩をポンとたたいた。
「あれ? オロネさん・・・?」
スシはオロネの手が腫れぼったくなっているのに気付いた。
「どうしたの? その手」
「いや、なんでもないよ? ほんと」
「腫れてない?」
「スシくんの気のせい、気のせい(汗)」
オロネはそそくさと去っていった。
「?」
スシは、体育準備室兼用の秘密化身室で再びオロネ書記次長に化身し、持ち場に戻った。
オロネも、音楽準備室兼用の秘密化身室で再びシークレットエージェント・スシに化身し、カニが待っていた校舎外の机に戻った。そこへは部活が終わったり途中で抜け出したりした一般生徒(男子中心)が列をなしており、シークレットエージェント・スシ(中身オロネ)は握手会を再開した。
「いやー、ほんと、オロネさんと握手しているとしか思えない!」
「男子なのに、オロネさんとの握手をここまで再現できる人がいるとは!」
「クロハさんばりの歌声もさることながら、この白魚のような手! スシくん、あんたすげえよ!」
シークレットエージェント・スシ(中身オロネ)の右手は少し痛むようになってきていたが、嫌な顔一つせずに握手に応じ続けた。
明くる日、選挙活動6日目。日曜なので、部活以外の生徒が学校に来ないのは前日と同様。特に目立った動きはなかった。
選挙活動最終日、立会演説会と投開票の日を迎えた。
4時間目の授業と昼食休憩が終わり、クロハ会長(中身マヤ)、カニ、オロネ、スシは生徒会室に集合した。
円陣の中心で、クロハ会長(中身マヤ)が声を張り上げた。
「クロハ再選のその日までと言い続けて、今日がその総決算の日! 悔いを残さないようにやろう! 行くよ! 前期生徒会執行部、オー!」
円陣は解けた。カニは、クロハ会長(中身マヤ)もスシも、いい表情をしていると思った。
立会演説会までは15分ほど間がある。カニ、オロネ、スシは会場の体育館に向かったが、クロハ会長(中身マヤ)は少し中庭に出た。
「・・・」
クロハ会長(中身マヤ)はふと、もの想いにふけった。
(4月からここまで、いろいろあったな・・・)
クロハ会長(中身マヤ)が時計を見て校舎内に戻ると、タキが待ち構えていた。
「ようクロハ。ちょっといいか」
クロハ会長(中身マヤ)は、不穏なものを感じ取った。
(何コイツ。・・・。演説会の順番はタキ、キラちゃん、クロハ会長(中身マヤ)、スシくん。もしわたしを会場に行けないように妨害しようとしたら、コイツのほうが出番が早いから、共倒れに持ち込めばいいか。何より、コイツの言うことに取り合わないとか、逃げたとか、現職としてそういう事実を作りたくない・・・)
「なあに、タキくん」
クロハ会長(中身マヤ)は、努めて冷静に対応した。
「手間は取らせないさ。放送準備室で話をしよう」
「(放送準備室って、怪しいなあ!)演説会は、あなたが最初でしょ。時間ないわよ」
「いいからいいから」
放送準備室は、二人がいる場所から演説会場の体育館までの間にあるが、2階だ。クロハ会長(中身マヤ)は、緊張した面持ちでタキについていった。
放送準備室に着くと、タキはいきなりクロハ会長(中身マヤ)の右手をつかんで強く引っ張った。
「きゃっ!」
タキはドアを開けてクロハ会長(中身マヤ)を中に放り込むと、施錠してしまった。
「演説会が終わるまでここにいてもらおうか。悪く思うなよ」
「何言ってるのよ! こんなんで悪く思わないわけないでしょ!」
タキは、キヤといっしょに迎えにやって来たワキに鍵を渡し、自分はのうのうと体育館に向かった。
クロハ会長(中身マヤ)は、演説そっちのけでライバルの足止めを謀るタキのやり口に、激しい怒りを燃やした。
「もう! 監禁なんて、全6章を通じて1回あれば十分でしょうが!」
立会演説会は定刻通りに、選挙管理委員会の副委員長レサ(女子バレーボール部新キャプテン)の仕切りで始まった。
一番手のタキが演説をした。大勢の生徒を前にしても相変わらずで、家が金持ちだとか、生徒を率いて全国のヤンキー総長にのし上がる勢いだとか、聞くに堪えない主張をした。
出番は次の次だというのに、クロハ会長(中身マヤ)が現れない。会場の隅でスシとカニがやきもきしていた。
「ひそひそ、スシだけど、タキとキラさんの演説が終わったら、クロハ会長(中身マヤ)の番だよ? どうしたのさ、まだ来ないの?」
演説が続く体育館に、オロネがそっと入ってきた。
「ひそひそ、スシくん! 大変!」
「ひそひそ、どうしたの? オロネさん」
「ひそひそ、クロハ会長(中身マヤ)から電話があって、タキに放送準備室に閉じ込められたって!」
「ひそひそ、えーっ!」
「クロハ会長(中身マヤ)、窓から脱出するって!」
「何言ってるの! 放送準備室は2階でしょ! 危ないって! 生徒会室からハシゴ持って行って助け出そう!」
「スシくん、ここはもちろんボク、カニがクロハ会長(中身マヤ)を助けに行って来るけど、演説の出番まであまり時間がない。演説会に遅刻というのは、投票してもらう立場としては結構なダメージだ」
「わかったよ、カニくん! 一時的にクロハ会長(中身マヤ、スシ)が複数になってしまうけど、閉じ込め犯のタキはここにいるから、重なりを指摘される恐れはない、と」
カニもスシも口には出さないが、ここでスシがどうするべきか、思いは一致していた。
スシは生徒会室別区画秘密化身室へ走った。
それでこそスシくんだ。
生徒会室別区画秘密化身室に着いたスシは愕然とした。別区画に、いつもなら何着か掛かっている女子制服が、1着もない。
「しまった! オレが流出させた女子制服が、最後の1着だったんだ!」
会長選挙の立候補届け出の日、スシは音楽準備室兼用の秘密化身室で化身解除したが、その時着ていた女子制服は生徒会室別区画にあった物だ。その結果、女子制服が移動して数のアンバランスが生じた。スシは頭では、別区画に残る女子制服の枚数をチェックしようと思っていたが、忙しさにかまけて実行していなかった。
スシは自分を呪った。
「音楽準備室兼用に行き直すにしても、時間的に厳しい! あああーっ! オレのバカ! 女子制服戻しておけよおおおお!」
バーン!
別区画のドアが開いて、オロネが飛び込んで来た。
「あっ、オロネさん!」
「スシくん、ここには女子制服が1着もないでしょうが! 今あたしが着てるの使いなよ!」
「あ、ありがとう!」
2人は力を合わせてクロハ会長(中身スシ)化身を実行した。
胸の偽装を伴う、男子から女子への化身だ。演説会場への行き来を含めた時間の厳しさから、限界に近いスピードが求められた。
オロネは、男子から女子への化身の、時間がかかる標準手順を完全無視。いきなり自分のブラを外してスシに着けさせ、パンストを詰め、リアルなクロハ候補(中身スシ)のボディラインを数秒で作り出した。スシも一生懸命化身していて、パンイチの姿で激しく動き回るオロネを見ている余裕はなかった。
演説会はタキの次、キラの番となっていた。
会場は静まり返った。タキの張り紙のせいだった。生徒のほうにも、興味本位となるわけにいかないが無関心でもいられない、という思いがあった。
キラは、そんな生徒たちを前にして、ゆっくり話し始めた。
「先日、あたしの出生の事情にまつわる、残念な張り紙が校内に掲示されました。短時間で撤去されましたが、目にした生徒の皆さんも多いかと思います。それについてあれこれ詮索されるのも本意でないので、この場で説明します。あの張り紙の内容は事実です」
会場はざわめいた。
「あたしは、『あたしはあたしだ』と言いたい。でも生徒の皆さんがどのように受け止められるか、ひと通りではないと思います。あたしの選挙活動に必ずしもプラスではないでしょう。容易に挽回できるものでもないでしょう。そこであたしは方針転換をすることにしました。あの張り紙を張った人間への抗議の意味を込めて、あたしは選挙戦から撤退します・・・」
キラの衝撃の宣言に、会場は再び静まり返った。
キラはうつむいて、声を震わせた。
無念を押し殺し健気にふるまった演説に、支援者だけでない多くの生徒が涙した。
「・・・。選挙戦から撤退はします。でもそれはあたしの残された力を、張り紙を張った人間の当選を阻止することに注ぐためです。あたしの次の目標は、次期生徒会長の執行部に参加して、副会長に選んでもらうことになりました。もちろん、張り紙を張った人間以外が会長になった場合に限ります」
会場は、またざわめいた。
「会長候補の残り二人は、クロハ会長とスシくんです。しかしクロハ会長は、現・副会長のマヤさんを引き続き副会長に指名すると明言しています。あたしはクロハ会長には副会長に選んでもらえません。とすると、あたしは自動的に、スシくんの当選を願うこととなります」
会場のざわめきは激しくなった。
「あたしは、スシくんが生徒会長になることを支持します。もしも、あの張り紙を見てもなお、キラに投票してくれるお気持ちのかたがおられたら、その票は迷うことなくスシくんに投票してください。スシくんとキラとに票を分散させるのは、張り紙を張った人間の思うツボです。すべてスシくんに投票してください。お願いします」
会場のざわめきは、さらに激しくなった。
「なお、この学校に『会長が異性の副会長を選ぶと告白受け入れとみなされる』という慣わしがあるのは言うまでもないですが、」
会場は静まった。慣わしをキラがどう考えているか気にしていた生徒たちに先手を打って、キラは自らその話題に触れた。生徒たちは固唾をのんで、キラの一挙一動足を見守った。




