1章の3 この難局をきみはどう切り抜ける?
(オレだって好きで転校してるんじゃないよ。何むちゃなこと言うんだ、こいつら)
スシはしかし、思うところを表情に出さず、じっとクラスメイトの言い分を聞いていた。いつの間にかクロハ会長は着席していた。
スシはクラス内を見回した。クロハ会長、カニ書記長、オロネ書記次長は確認できたが、マヤは本人が言うように、この時間帯にはクラスにいないように見えた。
(とほほ。誰かオレの味方はいないのかね)
スシがすがるようにクロハ会長を見てみると、別段スシを責めてはいない様子だった。彼女が言ったことを振り返っても、単に事実を述べただけと思えた。
続いてカニ書記長を見てみると、こちらもスシを責めていないようだった。逆に「この難局をきみはどう切り抜ける?」という、わくわくした目で見られている気がした。
オロネ書記次長は机の上で左右の掌を握り合わせて、しどけなく動かしている。スシはオロネ書記次長が「困ったことになっちゃったね。そういうのあるよね」という暖かい目でメッセージを送って来ている気がしてきた。オロネの仕草に、スシの胸は少しときめいた。
この逆境の中、スシの内部で3人は「味方」としてカウントされた。ここには姿が見えないマヤも、きっと自分に味方してくれると信じた。
クラス内になおも飛び交う怒号を遮るように、キラが発言した。
「スシくん。クロハさんも言うように、この学校は統合の危機を迎えています。我々生徒はこの危機を、できることなら回避したい。それも早いとこ。そこで、あなたの事情もわかりますが、向こうからの転校を考え直してもらえませんか?」
キラが言い終わらないうちに、クラス内は「そうだ、そうだ」の声に包まれた。
(考え直せるわけねえじゃん。もう転入して来てるじゃん)
スシは内心、憮然とした。
転校のベテランといえるスシだが、初日に、まったく初対面のクラスメイトからここまで拒絶されたのは初めてだった。
スシは、なぜ自分がここまでの窮地に立たされるのかと困惑した。新たな学校でバラ色の新生活どころではなかった。しかしスシは同時に、興奮したクラスメイトたちをいたずらに刺激するのは得策ではないとも思っていた。転校のベテランとしての直感である。
(ううう、学級内にこれだけ人数がいて、オレの味方は4人だけなのか?)
ここでスシが言う4人には、スシが勝手に味方としたマヤが含まれる。
数分ののち、怒号は収まり、逆に学級内を静寂が包んだ。
全クラスメイトの注目がスシに集中する中、スシは話し始めた。
「あらためまして、スシです。皆さま初めまして。この度わたくしは、諸事情により隣の県の泥縄第一高校から、この泥縄第二高校へとやむなく転校して参りました。転校しない選択肢がなかったにせよ、この結果は自分の力の至らなさであり、申し開きをすることもできません。混乱を招いたことに関しては陳謝いたします。しかしながら、わたくしスシをこの学級の一員として受け入れていただくことは、わたくしにとっても学級の皆さまにとっても運命的なものであり、長い目で見て実りを生むことでもあると言えます。わたくしを受け入れていただくことで、わたくし自身も皆さまも、ともに階段を一つずつ昇り、成長していけるかもしれないと確信いたしております」
ほぼ口からでまかせに近い内容だった。
「成長していけるかもしれない」としながら「確信している」。自信があるのかないのかわからないが、スシとしては自分でも上手にまとめられたと思った。誰か間違って拍手してくれないかと学級内を見回した。しかしそうはならず、キラも射抜くような目でスシを見続けている。
スシの淡い期待は裏切られた。
「スシくん」
棒立ちのスシに、クロハ会長が声を掛けた。
「はい」
「そんな国会答弁のような言い方じゃ、わたしたちの心にメッセージは届かないわ」
「へ? じゃあ、どういうふうに言えば・・・」
スシは、言い方さえ変えれば、キラはともかくクロハ会長には認めてもらえそうな目が出てきたと感じた。
「そうね、女性歌手みたいに歌を歌って聞かせてほしい」
「へ?」
クロハ会長の意味がわからない申し出に、スシは戸惑った。それを見たオロネ書記次長が、席を立って言った。
「スシくん、ほら、何の曲でもいいよ。女性歌手の持ち歌でなくても、女性歌手が歌っているように聞こえれば。スシくんが作った曲でもいいから」
続いて席を立ったのはカニ書記長だ。
「スシくん、そういうの上手そうに見えるんだよね。曲とか作ってたりしない?」
3人からそう言われて、スシは少しの間考えた。
(クロハさんたち、オレが作ったオリジナル曲があるのを知ってるのかな?)
スシは若干腑に落ちないものを感じつつも、すっと深呼吸をして、ファルセットボイス(裏声)を使って歌い始めた。
「♪キャンパスの外れの・・・」
聞く人が目を閉じれば本当に女性が歌っているように聞こえる、スシの数少ない特技だった。そしてその声は、クロハ会長の声と区別できなかった。
スシがアカペラで1曲フルコーラス歌い切っても拍手はなかったが、空気は微妙になった。「すごい、クラスメイトとして認めようじゃないか」という層と、「いやいや、こんなことでごまかされない」という層がせめぎ合っていた。
その時、校内放送が入った。
「本日予定されていました1学期始業式は、事情により中止いたします」
クラス内は再び緊張に包まれた。行事や自習で授業が中止というのはあるが、始業式が中止なんて誰も聞いたことがない。何か驚天動地の前触れかと、不安が広がった。
「みんな落ち着いて! 放送の続きを聞いて!」
副担任のキクハではなく、クロハ会長が場を鎮めた。スシはクロハ会長の人間的なスケールを見た思いがした。
校内放送は、30秒近く沈黙したあと、再開した。
「・・・なお、始業式の時間帯を使いまして、緊急の全校集会を行います。全校生徒は体育館に集合してください」
(全校集会があるのか。でもひょっとして、クロハさんは始業式中止を知っていたのかな? さっきオレに「全校集会の前に会えてよかった」と言ってたし)
生徒たちは「始業式が中止なのに、結局、体育館には行くのか。それだったら始業式をやって、その中に別な話や用事を混ぜればいいのに」と思いながら、ぞろぞろと教室を出て廊下に整列した。全クラスが闇雲に体育館に向かってしまうと狭い廊下が混雑して危険なため、キクハが他クラスと間隔をとって引率した。
スシは、教室での席が近いクロハ会長、カニ書記長、オロネ書記次長の近くを歩くことになった。少し行列が進んでから、スシはクロハ会長に聞いてみた。
「ねえクロハさん。オレ、転校してきて、まずかったかなあ?」
「う・・・ん。人には事情があるから仕方ないけど、スシくんの転校がなければ、こっちも平和に済んだのかなあ、とは思う。あなたが人間として仲間として、いいとか悪いとかではなくて」
「・・・」
スシは肩を落として、クロハ会長から少し距離を置いた。すると隣に来たのはオロネ書記次長だった。
「ねえ、オロネさん」
「え? あ、はい。あたしオロネ書記次長です。オロネ書記次長だってば」
虚を突かれてしどろもどろになったオロネ書記次長の二の腕を、なぜかカニ書記長がつねった。スシはびっくりして少し引いた。
(はあ? オロネ書記長の受け答えが少し動転気味だったくらいで、男子が女子の腕をつねるとは。カニ書記次長というのは、どういう男なのだ)
スシくん、2人の役職は、正しくはオロネ書記次長とカニ書記長だ。
緊急全校集会が何事だろうかと2年1組の連中がせききって歩いた分、クロハ会長やスシたちは列の最後尾まで下がった。
(あれ?)
列がもみくちゃになり、スシはなかなか気づかなかったが、カニ書記長とはぐれた。
2年1組は体育館から離れたところに位置しているので、体育館に着いたのは全クラスで最後だった。全校の列は、ステージ側から見て右側から左側へ、1年1組から3組、2年1組から4組、3年1組から4組というように並んでいた。
「あれ? ねえオロネさん、クロハさんはどこ?」
オロネ書記次長がスシに耳打ちした。
「クロハ会長は全校集会だと、たいてい生徒の前で何かしら話をするので、ステージ脇のマイクスタンドがある場所に行って待機してる。出番になったらステージに上がって話すわけ」
「ふうん」
言われた方にスシが目をやると、クロハ会長とマヤ副会長が並んで立っているのが見えた。
(をを、マヤさん・・・)
スシはふたりを同時に見るのが初めてで、やたらと胸が熱くなった。
全校生徒がそろうと、間髪入れず緊急全校集会が始まった。ステージ上の演台の前に校長が立った。
演台の天板は、演者の周囲が半円形に引っ込んでおり、そこへ体を入れると下半身が生徒側から見えなくなる。正面だけでなく左右180度の視線を遮ることができた。
校長はゆっくり話し始めた。
「全校生徒の皆さん、こうして皆さんに集まってもらったのはほかでもありません。かねてより検討されていた我が校・泥縄第二高校と、隣の県にある系列校・泥縄第一高校に関する、学校法人理事会の決定をお伝えします」
体育館を硬質な空気と静寂が包んだ。
学校は統合されるのか。
統合されるとしたら、どちらの校舎を使うのか。
両校の生徒はうまく融和できるのか。
統合後の生徒数に設備が追いつかない問題をどうするのか。
さまざまな不安が生徒の胸に去来していた。
しばらく間を取ったあと、校長は言葉を続けた。
「・・・。本年度当初において我が校と泥縄第一高校、ともに定員通りの入学者を迎え、前年度末までの中退者もなし。生徒数は我が校が転入1人で1人増、第一高校は転出1人と転入1人で増減なし。ともに統合基準生徒数を下回ることはありませんでした」
生徒たちは瞳を輝かせ、校長の次の言葉を待った。
「よって、この新学期の、両校の統合はありません」
願いがかなった。生徒たちは体育館を歓喜で埋め尽くした。
「イヤッホーイ!」
「統合はなくなったんだ! もうおびえなくていいんだ!」
生徒たちは喜びのあまり、野球場の観客のようなウエーブを始めた。
クラスごとの列はぐちゃぐちゃに乱れた。
なぜかあちこちで胴上げが始まった。
あちこちでクラッカーや爆竹が打ち鳴らされた。
このどさくさに乗じて多くの告白が行われ、10組を下らないカップルが誕生した。
そんな混乱の中、新聞部長キラが大声で校長に質問した。
「校長! 念のために聞きますが! この新学期に統合しないというのは、少なくとも統合があるのは来年度以降、つまり来年4月以降ということですよね?」
校長は、一瞬苦虫を噛み潰したような顔をしてから、答えた。
「いえ、あくまで新学期についてです。2学期の前にまた統合の有無を判断する、というのが理事会の決定です」
生徒の群れは、刻が止まったかのように動作を中断した。
体育館の空気はどうしようもなく暗転した。
統合はなくなったのではなく、2学期に判断が先送りになっただけとわかり、生徒に失望が広がった。
喜びが大きすぎて反動も大きく、広い範囲でフーリガン|(欧州などでサッカーの試合に乗じて問題行動をする暴徒)化した生徒の騒乱が始まった。
スシは恐れおののいた。
「わあ、何この学校! どうなっちゃうんだ!」
スシがハラハラしながらステージを見ると、校長が演台を離れてさっさと降りていくところだった。
「え?」
校長の「私は関係ない」とでも言いたげな歩き方に、スシは拍子抜けした。
ここでクロハ会長がステージ上に向かった。
混乱を招くだけ招いた校長でなく、どうしてクロハ会長がこの場を収めないといけないのか、スシは納得できなかった。
クロハ会長は、演台の上の低いマイクスタンドの角度を直して話し始めた。
「生徒の皆さん、前期生徒会長のクロハ会長です」
(あれ、クロハさんってば、また「会長」カブッてるよ? もはやそういうものなの?)
「系列校の統合検討に関する今回の決定は、統合がまったくなくなったわけではないので、必ずしも皆さんが満足できるものでないかもしれません。しかし新学期の統合回避は、両校生徒がともに一人の中退者も出さず、学業と課外活動に総力を見せた結果です。これを今後につなげなければいけません。情勢は予断を許しませんが、引き続きわたしたちは、学校理事会に統合を思い留まってもらうために、生徒の立場でできることをしなくてはいけません。暴れている場合ではありません。・・・。こら、暴れんなって言ってんの!」
あれほど荒れていた会場だったが、クロハ会長の話で見事に収まった。
盛大な拍手が起こった。
スシは、クロハ会長の並々ならぬカリスマ性を見た思いだった。スシは隣にいたオロネ書記次長にひそひそ声で話しかけた。
「ねえねえオロネさん」
「なあに、スシくん」
「理事会のひどい決定を、校長がそのまま伝えて、言いにくい部分は質問されるまで言わなくて、場が荒れて、あとの処理はクロハさんに丸投げって。どうかしてるよ。校長はいつもあんななの?」
「そうだよ」
「クロハ会長は、体を張った結果が、学校側が大助かりなことになっている。言葉は悪いけど、学校側の手先のように見えなくもない」
「その指摘はどうなのかな。今のは、まず騒ぎを止めることが先決だったし。スシくんも、自分がやってみればわかるよ」
「いや、こんな状況の時にオレがステージで全校生徒に話すとか、そんな機会がすぐ来るとは思えないけど」
「そうかな?」
「でもオレ思うんだ。理事会は生徒数の下限割れを、中退者やオレのような転出者に責任転嫁しているけど、生徒が少ない本当の理由は入学定員そのものが少ないからだ。泥縄第二にしたって、2年までは4組まであるのに、1年は3組までしかなくしている。もっといっぱい1年生を入れればいいだけの話じゃないか」
「入試を簡単にしろってこと? それはそれで、いろいろありそう」
「でもオレひとり転校するかどうかで学校統合が左右されるなんて、そんなの重すぎるって」
「・・・。そうかもね」
オロネ書記次長はスシの頭をわしっとつかんで、強引にステージの方にねじ曲げた。
(ううっ! 何、オロネさん、すごい力! 女子とは思えない)
スシはオロネ書記次長のパワフルな行動に「黙ってステージのクロハ会長を見なさい」というメッセージを感じ取り、途中からは自力でステージに向き直った。