4章の5 ただ予定がちょっと早まっただけなのね
カニは校内をかけずり回って、女子更衣室の鍵を持っているシキを必死に探した。
「おかしい、こんなに探してもいないなんて! 校内にいないのか?」
カニは立ち止まり、息を弾ませながら、自分が持っている情報を整理した。
「女子更衣室はなぜ施錠されたか。それは3組・4組の水泳実技テストが、5時間目から6時間目にずれたので、使用のインターバルが長くなったせいだ。なぜ実技テストは6時間目になったか。それは・・・」
カニは、キクハが音楽準備室兼用で授業日程変更の話をしたとき、その場にいなかった。そのためプールの塩素濃度調整作業のことは知らなかった。
カニは再び、闇雲に走りだした。
「どこだよう・・・」
カニはプールのそばに来た。
「! そういえばまだプールは探してなかった! 灯台もと暗しじゃないのか?」
カニはプールサイドまでたどり着いた。
「!」
シキも、誰もいなかった。カニは膝から崩れた。
「あとどこを探せばいいんだよ・・・」
女子更衣室の中では、クロハ会長(中身マヤ)が調子を取り戻していた。
オロネ、マヤ副会長(中身スシ)ともども、さばさばとした顔をしていた。
「オロネは思うけど」
「マヤ副会長(中身スシ)だけど、オロネさん、なに?」
「今はこんなことになっちゃってるけど、今日のクロハ会長(中身スシ)の化身自体は、とても良かったと思う」
「オレは、いつだって、クロハ会長(中身スシ)の化身をきちんと務められた実感はないんだけど」
「クロハ会長(中身マヤ)だけど、今日のクロハ会長(中身スシ)は、なんの疑いも持たずに50メートル泳いじゃうとか、スシくんのキャラが色濃かったかもね。でもいいんじゃない? もともとクロハ会長(中身スシ)のキャラは、スシくんに寄せて作ってあるから」
「? ? どういうこと?」
「あ、ないしょだったっけ、これ?」
「? ?」
「話してなかったっけ?」
「オロネはスシくんに話してない」
「マヤ副会長(中身スシ)だけど、スシが仲間になってもう長いんだから、そういうのなしにして!」
「わかったわかった。その、ほれ、生徒総会のとき、スシくんにクロハ会長の化身してもらったでしょ? あれね、スシくんがいきなりでも化身をやりやすいように、事前にスシくんのキャラを少し研究した上で、クロハ会長(中身マヤほか)のキャラをスシくんに寄せておいたのね」
「でも! 生徒総会のときは緊急事態で! オレはとっさにクロハ会長化身をやるはめになったんじゃないの?」
「生徒総会のときが緊急事態なのはそうだけど、最初のクロハ会長化身が生徒総会になったこと自体は、なんというか、ただ予定がちょっと早まっただけなのね」
「で、でも、いきなり転校してきた馬の骨に合わせて生徒会長のキャラを作るなんて・・・」
「化身がうまくいけば、任務がうまくいけば、多少のことはいいの。その方がクロハも喜ぶ」
知らない人なのにある種やりやすい――。スシは、生徒総会の時の感覚を思い出した。
「だから、あんなに急だったのに、なんとか化身できたんだ・・・」
「ま、うまくいったのは大部分、スシくんの特技の女性声色のおかげだけど」
「でも、クロハさんの化身キャラなら、ちゃんとクロハさんの実物に合わせて設定しないと問題ありそう。本人の名誉にも関わるんじゃ?」
「生徒会長のポストに就いたらどんな風になるか、奢ったりしないか。そういった、人間としての根本は、男とか女とかを超えて普遍的なものだわ。確かに、コイツにクロハ会長のキャラを寄せるわけにいかないというヤツは、世の中に少なからずいるよ。でもスシくんなら、寄せてもそう問題はないと感じたよ」
「えーっ!」
「どっちにしろ前期はクロハはこっちにいないし、クロハ会長のキャラなんて、本人が戻ってきて普通に行動するだけで復旧できる。周囲に意識もさせずに」
「・・・」
「ただ身長169センチで両眼球間距離とかが似ているだけで、スシくんに仲間になってもらったわけじゃないんだよ? 調べたよ?」
「名前も?」
「そう。ほんとは、スシくんが自分で名乗る前から知ってたよ・・・」
カニがシキを探して必死に校内を走り回っている時、泥縄第二高校の敷地の外、校門の前からの道が大きい道と交わる所で、そのシキが業者の車を待っていた。
業者はプールの塩素濃度調整のために向かって来ていたのだが、高校の前の道は一方通行で、学校側からでないと車は通れない。「通れる道がわかりにくい」という電話を受けたシキは、案内のため近くまで出ていたのだ。6時間目にはプールを使えるようにしないといけないので、時間を無駄にしたくないがためだった。
シキの腰には、女子更衣室の鍵やプールの機械室の鍵が通された直径5センチほどの金属の輪が付きっぱなしだった。
キクハの校内放送は、グラウンドのスピーカーには流れない校舎内限定モードだったため、シキの耳に届かなかった。
女子更衣室の中でマヤ副会長(中身スシ)は、普段聞きにくいことをこの際聞いちゃえ、という「ゾーン」に入ってきた。
「クロハ会長(中身マヤ)、1年生の3月にあった前期生徒会長選挙について聞かせてください」
「なぜかスシ口調からマヤ副会長(中身スシ)口調に戻ったね。選挙のこと? うん、なんでも聞いて」
「本物のクロハさん以外で、その時出たのは誰ですか?」
「いま2年2組のタキという男と、新聞部長のキラちゃん。多分この2人は、そのまま後期選挙にも出てくるね。あきらめ悪いから」
「本物のクロハさんは、自分で立候補しようとしたんですか?」
「違う。マヤがクロハに出るよう勧めた。クロハが出れば絶対勝つと思ったから」
「負ける選挙には出ないと」
「そう」
「マヤさんは、自分が立候補しようとは思わなかったんですか?」
「思わない。マヤは地味で、そんなに人気がないから、勝てない」
「そんな自虐言わなくても」
「いまわたしはクロハ会長(中身マヤ)化身だから、どんなにマヤについて言っても自虐にはならない」
「マヤさんは、クロハ会長(中身マヤ)化身だと、話の腰を折りますね」
「マヤ本人だと、そうじゃないんだけどね。どこまでだっけ? クロハ立候補のいきさつだね。クロハは『マヤが副会長やってくれるなら』と言って立候補した」
「タキ氏とキラさんの一騎打ちムードに、クロハさんを割って入らせたのはなぜ?」
「キラちゃんが当選してくれるなら、それでいいと思ってた。でもキラちゃんは、作っている新聞には熱狂的な読者も多いんだけど、厳しい論調のせいか、生徒に支持が広がっていなかった。もしタキが当選してしまったら、役員選任でクロハかマヤのどちらかが副会長に指名される恐れがあったので、全力でなんとかしなくてはいけなかった」
「? タキ氏がもし当選したら、クロハさんかマヤさんが副会長に指名される恐れがあったですって? それはなぜですか?」
「マヤもクロハも、ヤツからの告白を断ったことがあるから」
「!」
「ヤツはきっと、副会長指名の慣わしを悪用して、マヤかクロハを強引にモノにしようとする。『副会長受けなよ。いつまでも執行部がスタートできないと困るじゃん』という周囲の圧力を利用する。これを防ぐには、自分らで選挙に勝つのが早道と思った。わたしは受けに回ることなく、クロハを押し立てて正面から制圧に行って、まあ勝つことができたと。その時は」
「そうなんですか」
「オロネだけど、スシくんわかった? 今の話」
「? マヤ副会長(中身スシ)ですよ?」
「この際スシくんでいいでしょ。でもねスシくん、クロハちゃんとマヤちゃんには、余力がそう残っていない」
「は?」
「だから後期はスシくんが会長をやって、タキが2人を役員選任するのを阻止しないといけない。今度はスシくんが、クロハちゃんかマヤちゃんのどっちかを、副会長に指名してほしいな」
「えーっ!」
「クロハ会長(中身マヤ)だけど、ちょっとオロネちゃんたら!」
「えーっ・・・。でもスシ思うに、それはここから無事に出られたらの話だよね?」
校内ではカニと、授業を一時的に自習にしたキクハも走り回っていた。職員室前廊下を2人が通り過ぎて10秒ほど後、シキがプール塩素濃度調整の業者を案内して通りかかった。
シキにはキクハが通ったのが見えたのだが、彼女も用事を抱えていたこともあって、すれ違いに終わった。シキは女子更衣室の鍵が通された金属の輪を腰に下げたまま、業者と一緒にプールへ向かって歩いた。
女子更衣室の中は、思い出話が多くなっていた。
「クロハ会長(中身マヤ)です。スシくんが泥縄第二に入る前の春休み、クロハ、マヤ、カニくん、オロネちゃんでカラオケ行ったのね。さあ前期頑張るぞと言ってたら、キクハ先生から泥縄第一が1人減るという連絡が来て。もうどうしていいか、わからなかったなあ」
「へえ。それで、クロハさんの出向はどうやって決まったの?」
マヤ副会長(中身スシ)も、マヤの口調で話すのはやめていた。
「泥縄第二と第一の管理職を除く教職員全員が、それぞれ秘密協議して、」
「秘密化身室とか、秘密協議とか、うちらの関係者はやることなすこと秘密だらけだな」
「その結果、誰か一人でいいから、生徒を向こうへ出向させてくれって言ってきたの。管理職層以外の教職員にとっても、統合となれば大規模リストラ案件となりかねない。急すぎるし、時期も再就職に不利だしで、先生たちも必死だったわよ」
「『生徒会長は執行部の舵取りに必要だから、他の人を』とはならなかったの?」
「クロハは、誰かが人柱にならなければならないとき、それを人にやらせる人ではない」
「男気あふれる人なんだ」
「女気ね」
「化身はそうやって始まったんだね・・・」
「代わりに来てくれたスシくんが、いい人で助かったけどね」
「えー、ほめても何も出ないよ」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
3人の言葉が途切れた。
「・・・」
「・・・」
「・・・。オロネです。もうすぐ5時間目が終わる。そうなってすべてが終わったら、スシくん。・・・あたしとどこか遠い島で暮らそうか、約束だし」
「えー、別に約束じゃないでしょ? オロネさんてば、オレにマヤさんとクロハさんを守れと言ったり、遠い島で暮らそうと言ったり。それに昨日の話では、遠い島でなくて遠い国だったような」
「スシくん、そういうとこ細かい。男のくせに女子更衣室に入っちゃうヤツとは思えない」
「えー、任務だし、それに少しは抵抗したし」
「ほんとはうれしかったくせに」
「こんなことにならなければ、うん、まあ、うれしくないことはなかったかな」
「クロハ会長(中身マヤ)、いえ、マヤです。スシくん、オロネちゃんと遠くの島に行っちゃだめです」
「えーっ、だめですか?」
「だって、スシくんはわたしの・・・」
「わたしの?」
「わたしの・・・」
「・・・」
「・・・。・・・。マヤから。これが最後になるかもしれませんが、作戦指令です」
「マヤさん?」
「さっき検討した脱出作戦は、クロハ会長の中身をスシくんにしてあったので、成功確率が高いとは言えませんでした。でも今のシフトならスシくんはマヤ副会長(中身スシ)。レサちゃんのターゲットでないマヤ副会長(中身スシ)なら、わたしとオロネちゃんが囮になっている間に逃げられるのではないでしょうか」
「!」
「オロネ了解」
「スシです。でもクロハ会長(中身マヤ)の中身がマヤさんであることは知られるかも・・・」
「女の中身が女なくらい、なんとでもなります」
「スシ・・・、了解」
その時、ドアノブの鍵穴に乱暴に鍵を差し込む音がした。
(来た)
(来た)
(来た)
クロハ会長(中身マヤ)とオロネはスカートのホックに手を掛けた。マヤ副会長(中身スシ)はふたりを楯にするようにして、脱出の機に備えた。
ドアが開いた。
「みんな! 大丈夫?」
「え?」
ドアを開け、息せき切って入ってきたのはキクハだった。
「あ、あ、あ、マヤ副会長(中身スシ)ですけど、先生!」
「ほら、早く出よう! 荷物持って! 3組・4組が来ちゃうわよ!」
クロハ会長(中身マヤ)、マヤ副会長(中身スシ)、オロネが更衣室から脱出すると、キクハは再び施錠し、何くわぬ顔で鍵を体育教官室に戻しに行った。クロハ会長(中身マヤ)、マヤ副会長(中身スシ)、オロネが安全なところまで離れると、1分とたたずに、鍵を手にしたシキに連れられた3組・4組女子の一団がやってきて、更衣室に吸い込まれていった。
マヤ副会長(中身スシ)、クロハ会長(中身マヤ)、オロネは物陰からそれを見届けると、へなへなと力が抜けた。
すべては終わらずに済んだのだ。
脱出できた3人はお互い顔を見合わせ、周囲に生徒がいないのを確かめてから、輪になって喜び合った。
カニが遠くから猛然と走ってきて、オロネに抱きついた。大きな声では言えないが、カニとオロネは喜びのあまりキスとかもしていた。ちょっとディープキス気味だったかもしれない。
クロハ会長(中身マヤ)の方から、マヤ副会長(中身スシ)に抱きついた。
「スシくん!」
「マヤさん!」
「マヤ思うに、ふふっ! このままクロハ会長(中身マヤ)がマヤ副会長(中身スシ)にキスしちゃったら、マヤがマヤとするみたい。変ですね!」
クロハ会長(中身マヤ)もマヤ副会長(中身スシ)も、うれしさのあまり泣けてきた。
監禁がいいことではないのは当然だ。けれどスシには、マヤが普段見せない表情を見せてくれたことで、少しだけ監禁に感謝する気持ちも生まれていた。
いつの間にかキクハが戻ってきていた。カニとオロネのキス現場に「う、ううん」と咳払いをした。抱き合っていた男女ふた組は、パッと離れた。
「マヤ副会長(中身スシ)ですが、カニくんとキクハ先生、よくぞ助けてくれました!」
「キクハです。あなたたちの作戦と、3組・4組の5、6時間目の入れ替えは、最初は全然別の話と思っていたけど、すんでのところでつながったの。カニくんが戻って来て、2人で話してみてシキ先生が校外と気づいて、プールで待ちぶせしたの。3組・4組女子が女子更衣室になだれ込んでいたら、きっとスシくんは、ひん剥かれて男子とバレていた。間一髪だったわね」
「ほんと、ありがとうございます!」
「聞いたわよ、スシくん。女子が25メートル泳ぐ間に50メートル泳いだって」
「えへへ・・・。って、それはクロハ会長(中身スシ)がやったことです」
キクハは、背後に視線を感じた。
振り返ると、クロハ会長(中身マヤ)がにらみつけていた。
クロハ会長(中身マヤ)は、マヤ副会長(中身スシ)の両肩に自分の両手を載せて、圧をかけた。
「マヤさん?」
周囲からしたら、クロハ会長(中身マヤ)が「これ、わたしの。勝手にちやほやしないで」と言っているようにしか見えなかった。キクハは笑った。




