4章の1 やる気あんのか! スシ!
7月初めの放課後、スシは、生徒会室から10メートル程度離れた廊下にひっそり立って、あたりの様子をうかがっていた。
役員の誰にも化身していない、スシ本人としての姿。生徒会室に入るところを一般生徒に見つかると「無関係なやつが生徒会室に出入りしている」と思われかねない。周囲に誰もいないのを注意深く確認して、スーッとドアに近づき入室した。
部屋には、クロハ会長(中身マヤ)、カニ、オロネがいた。
クロハ会長(中身マヤ)は、頭を抱えていた。
「スシだけど、遅くなってごめん」
「クロハ会長(中身マヤ)だけど、それはいいよ」
「それで、なんの話?」
「スシくん、また困ったことになったわけよ」
「まあ、それはいつものことだろうけど」
「明日、2年1組・2組女子の合同体育授業は水泳実技テストなのね。これをクロハ会長(中身は誰でもいい)に受けさせてほしいと、教職員側から要請があったの」
「なんでまた。クロハさんの泥縄第一での成績を、そのまま当てはめてくれればいいのに」
「もちろん、成績は当てはめるんだけど、クロハが実技テストを受けないのに成績が付くと、一般生徒に説明できないんだって。だから化身でいいから、受けた形を作ってほしいって」
「すごく大人の事情みたいな話だね。本人に泥縄第一の授業を抜けてもらって、こっちに来てもらえないの?」
「それも考えたけど、日程がクロハの向こうの実技テストと、ばっちり重なっているって」
「じゃあ明日はクロハさん欠席で、追試にしてもらって、改めて本人に来てもらえば?」
「体育実技は、いちいち追試はしないって」
「えー。でも、当日体調が悪いとかで、実技テストを休む人はいるでしょうに。じゃあ世の中、そういう人の成績は、どうやって付けられてるんだろうか?」
「そういう場合は仕方ないから、先生がそれまでに見た当人の水泳授業の様子から、成績を付けるって。ところが・・・」
「ところが?」
「うちら、その仕組みを知らなかったもんだから、これまでマヤもオロネちゃんも、ずっと自分の姿で水泳の授業受けてたのよ。クロハもクロハ会長(中身誰か)も、今年1回も水泳授業に出ていないわけ」
「はあ。マヤさんは、クロハさんの他の授業は、出席バランスをちゃんと考えていたのにねえ。でもなんで、水泳ばっかり授業全休にしちゃったの?」
「それは・・・」
「はあい。オロネが説明します。スシくん、水泳授業だと、どうしても水着にならないといけないでしょ?」
「当たり前だ」
「時間が限られる中、女子更衣室の一般生徒の目を完全に防ぎながらバストサイズの細工をするのは、とても難しいのね」
「ええっ? じゃあバストサイズ調整が簡単だったら、マヤさんかオロネさんが1回くらいはクロハ会長化身で水泳授業を受けていて、問題はなかったと?」
クロハ会長(中身マヤ)が不機嫌そうにほっぺを膨らませた。
「水着だとオロネさんやマヤさんからクロハ会長への化身が難しいのはわかったけど、それなら逆はどうなの? クロハさんが、水着のマヤ副会長やオロネ書記次長に化身するとしたら、そっちのほうがやりやすいの?」
「それはクロハちゃんに聞いてみないとわからない」
とオロネが言い終わらぬうちに、クロハ会長(中身マヤ)がスシの腹部に肘を入れた。
「グヘッ! クロハ会長(中身マヤ)、何、いきなり? 実物のクロハさんより凶暴だ!」
「ふん、実物のクロハの何たるかを、完全には知らないくせに。まあ今のが実物より凶暴なのは、その通りだけど。でも、スシくんがあまりにも『ドキドキの衝動が抑えられない思春期の少年』みたいな質問するから!」
「だって、ドキドキの衝動が抑えられない思春期の少年じゃんか」
クロハ会長(中身マヤ)がもう1発、肘を入れた。
「グヘッ!」
「あんたがそんなだと、これからする話がしにくくなる!」
「?」
スシは、クロハ会長(中身マヤ)からにらまれて、びびった。自分が責められていると感じたので、とりあえず隣のカニに声をかけて、クロハ会長(中身マヤ)の目先を変えようとした。
「カニくん、どうして何も言わないの?」
「いや、ボクはこの件では、女子の決定に従うから・・・」
「?」
「それではクロハ会長(中身マヤ)が説明します。今日の議題は、前期生徒会執行部として明日の女子水泳実技テストをどう乗り切るか。各役員の役割の割り振りなどを、もっとも勝算が高くなるよう設定することを考えます」
「はあ」
「水泳実技テストはマヤもオロネちゃんも受けないといけないので、両名ともクロハ会長には化身できません」
「はあ」
「そのため、男子に助けてもらわないといけません。男子は同じ時間に別な授業なので、適当な理由を付けて、そっちをエスケープしてもらう必要があります」
「はあ」
「前期生徒会執行部には、男子が2人。正規役員のカニくんと、非合法工作員のスシくん」
「クロハ会長(中身マヤ)、何、その呼び方。オレはシークレットエージェントでしょ?」
「では2人のうち、この作戦のクロハ会長(中身スシ)の化身担当に、立候補する人はいるかしら?」
スシもカニも手を上げなかった。2人とも、上げようか上げまいか的な戸惑いすら、微塵もなかった。
「クロハ会長(中身マヤ)だけど。・・・。やる気あんのか! スシ!」
「ちょっと待って! なんで、どやしつけられるのオレだけなの? なんでセリフの『クロハ会長(中身スシ)に立候補する人』に、すでに(中身スシ)って入ってるの?」
「オロネだけど、まあまあスシくん。カニをこのミッションで使うとすると、声色の関係で、オロネ書記次長(中身カニ)に化身させることになるでしょ?」
「うん、まあ、そうだ」
「そうなると、あたしが玉突きでクロハ会長(中身オロネ)化身をすることになるでしょ? でもあたしが更衣室で一般女子の視線をかいくぐってクロハ会長化身をしたり、終わってから化身解除をするのは難しい、という話を、さっきしたでしょ?」
「じゃあ今回は緊急事態だし、カニくんが直接クロハ会長(中身カニ)に化身したら? 声色の問題の方を、なんとかするにして」
「クロハ会長(中身マヤ)です。わたしが考えたところ、水泳実技テストだと順番が来て先生に名前を呼ばれた時、返事をしないわけにいかない。声色の問題は棚上げできない。決定的にカニくんには向かないミッションなの」
「返事すればいいだけなら、オレも一緒に授業エスケープして、物陰に潜んでいればいいよ。クロハ会長(中身カニ)が呼ばれたら、代わりに『はーい』って返事だけする」
「真面目に考えろ! スシ!」
「えー、真面目に考えてるよ」
「オロネも、今回はスシくんがクロハ会長(中身スシ)化身をやればいいと思うよ」
「えー。役割分担を考えると見せかけて、実は最初からオレにやらせることになっている! なんとか言ってよカニくん!」
「う、ん・・・。今回はボクも、スシくんを起用するのが妥当だと思う」
「そうかいそうかい」
「クロハ会長(中身マヤ)から。いい? スシくん、これは任務! あなたは明日の女子水泳実技テストを、クロハ会長(中身スシ)として受けるのよ!」
「それならそうと、オレにやれと最初から言ってよ」
「いや、スシくんがこのミッションを担当すると決まるまでに、どんなリアクションをするか観察したいというのもあって・・・」
「?」
「い、いえ、なんでもない。こっちの話」
「クロハ会長(中身マヤ)、オレも非正規とはいえ役員の端くれになって長いんだから、そろそろ『こっちの話』はやめてもらいたい」
「わかった、説明する。スシくんが、このミッションを引き受けるに当たって、ウヒヒとか、ドキドキとか、楽しみだとか、そういう反応されると、やりにくいなあと思って」
「?」
「いや、だからね。水泳実技テストの前の着替えは、最初から制服の下に水着を着てて上を脱げば、まあ大丈夫だろうけど、」
「慣れない水着のクロハ会長(中身スシ)化身で、なおかつ自力で胸の偽装をするのは、制服で化身するときより自信ないなあ。盛る分量とか、フォルムの微調整とか」
「じゃあそれは、オロネちゃんかマヤが手伝うとして。問題は、実技テストが終わって制服に戻る時ね。どうしてもスシくんを、女子更衣室に入れないといけないのよ、これが」
「むちゃぶりの多いクロハ会長(中身マヤ)とはいえ、さすがにそれは無謀だろう。女子更衣室に入れないといけないなんて、そんなわけないじゃんか。どこかの秘密化身室を使えばいいだけの話」
「校内に6カ所の秘密化身室のうち、プールから一番近いのは、屋外の体育準備室兼用でしょ? 水泳実技テストが終わって、そこまでタオルにくるまって水着で行くとなると、どうしてもグラウンドの隅を歩かないといけない。生徒というものは教室で全員授業に集中しているわけでもなく、窓の外を見ていることも多い。水着にタオルというような目立つ恰好で移動して、全校生徒のただのひとりにも目撃されないで済ますのは、ほぼ不可能」
「じゃあ、プール脇の男子の方の更衣室を使おう」
「明日は男子のプール授業がないから、男子更衣室は1日中施錠されたままで、入れない。生徒会執行部特権で職員室から鍵を持ち出したとしても、スシくんが女子に化身してそんなところに入るなんて、中身が男と言っているようなもの。自殺行為」
「じゃあしょうがないから、クロハ会長(中身スシ)がプールから出たら、水着を外からよーくタオルで拭いて、水着をカラカラになるまで絞って、その上から服着ちゃえば?」
「家から水着を着て、上にパーカーはおって、軽自動車に乗り込んで、地元の海に行って、帰るときは運転席にタオル敷いて座っちゃうお姉さんじゃないんだから」
「やけにディテール細かいな」
「まあ、仮にスシくんが化身するのがマヤ副会長なら、乾き切っていない水着の上から、制服着るくらいはいい。でも、クロハ会長に化身するなら、クロハ本人の名誉のために、そんなでたらめなことさせられない」
(じいいん)
スシは、クロハを守るために努力を惜しまない、親友としてのマヤの心情に心を打たれた。同時に、マヤは自分自身に関する部分がややおざなりになっているから、もう少し自分を大事にしてほしいと思った。
「でもオレを、一般女子生徒と同時に女子更衣室に入れるのは、だめだよ」
「どうして?」
「どうして、じゃないでしょ! 男子が女子更衣室に入ったら、だめなんだから」
「でも任務だし。女子に化身している間は、女子として行動してもらうし。なんなら目隠ししてもらうし」
「それでも。オレは、マヤさんにもオロネさんにも、女子を裏切る人になってほしくないもの」
クロハ会長(中身マヤ)とオロネが、きょとんとして顔を見合わせた。2人して、スシとニッコリ見つめ合ってから、オロネがスシを後ろから抱きしめて「このこの~」とばかりに、スシの顔を肘でぐりぐりこねくり回した。
「わお」
「クロハ会長(中身マヤ)だけど、わかったよスシくん、一般女子生徒が誰もいなくなってから、クロハ会長(中身スシ)を女子更衣室に入れて、オロネちゃんとわたしの2人がかりで制服に戻す。そのあと秘密化身室に行って、ゆっくりスシくんへ化身解除しよ?」
「それならいいか」
「ほんとにスシくん、ほんとに重大なミッションなんだから、ほんと、お願いね」
「『ほんと』が多いな。で、クロハ会長(中身マヤ)、声色の問題を除いたら、この任務はオレとカニくんの、どっちが成功確率が高いと思った?」
「カニくんにやらせようとか、思ったこともないわ」
「声だけ担当しようかというオレの提案を退けたのは、正規役員と非正規の差別? 格差社会の現実?」
「失敗した時、前期生徒会執行部への影響を最小限に抑えられる・・・って、そんなこと考えてるわけないでしょ!」
「くそー、やっぱりそんな腹黒い理由が」
クロハ会長(中身マヤ)は、生徒会執行部を守ることを常に考えてはいるが、スシを犠牲にしようなどとは思っていない。スシに「腹黒」と責められるのはかわいそうだった。
「オロネも、スシくんを推したんだよ」
「え」
「いいかげんな気持ちで推したんじゃない」
「いいかげんな気持ちでないというのは・・・」
「もし作戦が失敗して、スシくんとあたしが学校にいられなくなったら、ふたりで遠い国で暮らしてもいい・・・くらい」
クロハ会長(中身マヤ)が、びっくりしてオロネを見た。オロネの彼氏のカニは淡々としていた。
「スシだけど、オロネさん、それはやっぱり失敗覚悟なの? 遠い国ってどこ?」
「クロハ会長(中身マヤ)だけど、2人とも、いい? 失敗しなければいいの! 成功の確率を最大にするために、前期執行部の持てる能力を全て注ごう!」
「そうですね。スシわかりました。女子体育水泳実技テストで、クロハ会長(中身スシ)化身を担当する方向で検討します」
「検討でなくてやりますと、なぜすぐ言えない!」
「こっちからハイハイ言うと、いつものやつをしてもらえなさそうでヤだから」
「そんなこと言うヤツには、いつものやつをしたくないなあ!」
「ねえクロハ会長(中身マヤ)、そう言わずに、お願いしたいんだけど」
「・・・」
いつの間にかカニが生徒会室からいなくなっていた。
クロハ会長(中身マヤ)は、生徒会室別区画の秘密化身室に入った。15秒ほどで化身解除してマヤに戻って出てきたので、バスト調整がブラ引き抜きだけ、デオドラントやリップはそのまま、髪の分け目を直して黒縁メガネを取っただけの、短縮バージョンだ。
「スシくん」
「はいっ!」
「マヤからスシくんへ。クロハ会長(中身マヤ)から聞いたと思いますが、今回は非常に困難なミッションです。それでも引き受けてくれますか?」
「はいっ、もちろん!」
スシは、さっきまでの姿勢はどこへやら、ころっと態度を変えて引き受けた。
頼みごとを引き受けてもらえて一安心、のはずなのに、マヤはムスッとしていた。
(いつもながら、なんでしょうコレ。クロハ会長(中身マヤ)でもマヤでも、頼んでるのは同じヤツでしょう? スシくんは、いちいちマヤに言われなくても、やってくれたっていいのではないでしょうか! あと、女子にブラ外させてまた戻す手間をかけさせるのがいいことか、考える人になってくれても、いいのではないでしょうか!)
「ひそひそ、オロネだけど、マヤちゃん、言いたいことがあったら、スシくんにちゃんと言いなよ。クロハ会長(中身マヤ)に化身してない時でも」
「え?」
「ひそひそ、あと、上着がない夏服でブラを引き抜いて、シャツの下にインナーなしは、スシくんの前以外ではやめときなね」
オロネは、自分のシャツのバストトップの位置に指をやった。マヤは顔から火を噴いた。




