3章の3 世の中そんなに甘くない
試合当日の朝になった。
「クロハを会長に再選させるその日まで! いきましょう! 前期生徒会、オー!」
マヤの発声で、4人の円陣が解けた。生徒総会のときの円陣はクロハ会長(中身オロネ)が発声したので、今回は内容が同じだが言い回しが異なる。
スシは、生徒会室別区画からチアリーダーのミニスカコスチュームと女子制服を複数組持ち出し、大きなバッグに入れて、バイクにくくり付けた。向かう会場が一緒なので、備品ヘルメットを手にしたマヤと2人で、バイクで試合会場へ向かった。
「うー、今日のオレの化身スケジュール、いきなりクロハ会長ですか。2回化身しただけで、もう当たり前のようになったんでしょうか。その次はカニ書記長だからいいですけど、そのまた次は、やったことないオロネ書記次長。これ、かなりアグレッシブな作戦立てられちゃったんじゃないですかねえ?」
「そんなことないですよ。スシくんが実際にオロネ書記次長に化身したことはなくても、あなたの化身が通用するか、こっちでちゃんと検討していますから、大丈夫」
マヤの人格、あるいはマヤの中に潜むクロハ会長(中身マヤ)としての人格が、化身の必要に迫られるあまり「スシの化身は通用する」と浅はかな判断をしているのでは。スシはふと心配になった。
「・・・。まあ、オレは、化身のキャリアもそんなにないわけで、オロネ書記次長化身であんまり無茶しないよう心がけますけど」
「スシくん、でも、本物のオロネちゃんなら明らかに無茶をするという場面では、スシくんも、きちんと無茶してください」
「えー」
会話が終わるか終わらないかのうちに、バイクは試合会場の総合体育館に着いた。本日最初にスシが応援を担当するのは、アリーナで行われるバレーボール女子。クロハ会長に化身する。
マヤは、同じ建物にある格技場の空手男女を担当する。
スシはバイクから大荷物を下ろし、マヤの分も持って会場内へ移動した。
「運動部の人は真面目に試合をしていて、オレの方は見ないだろうからまだいいですけど、オレは女子に化身するだけで精一杯。クロハ会長とオロネ書記次長の演じ分けは、まったく自信ないです」
「なんとかなりますよ。はい、これ」
「あ」
スシはマヤから紙袋を受け取った。やたらと軽いそれは、開封しなくても、自分に託された新しい備品とわかった。
「いや、その、なんと言ったらいいか」
「や、そこはスッと受け流してほしいのですけど」
「わざわざ買ってきてくれたんですか?」
「そこも受け流してほしいのですけど・・・。昨日、家に帰ってだいぶ時間がたってから、約束のことを思い出して、もうお店はあらかた閉まるような時間帯で、これは、その・・・」
「・・・」
マヤは、スシの手をやんわり振りほどいて、荷物を持って空手の会場へ駆けて行った。真っ赤な顔を、スシに見られたくないようだった。
スシはバレーボール会場の廊下を歩きながら、化身の基本のキ、同時刻に複数で同じ役員に化身しないという鉄の掟を思い返した。
オロネが一度、指令の受け止め方の行き違いから、この戒律を破ったことがある。その時はスシが仲間になったので、秘密は漏れずに済んだ。しかし、どうにもならず化身の秘密が白日にさらされることがあれば、それは執行部の破滅を意味する。スシは身震いした。
スシにとって化身がやりやすいカニ書記長(中身スシ)ではなく、ハードルの高い女子、クロハ会長(中身スシ)からのスタート。さらに、部活の人たちが望むならチアリーダーのミニスカコスチュームを着用せよという、むちゃぶりにも思える作戦だ。
クロハ会長(中身マヤ)は、そういう依頼を「やって」とずけずけ言う。マヤであれば優しく「してもらえますか?」と言うが、実は頼む内容がむちゃぶりなのは同じだ。同じなのだが、スシの受け止め方は違うようだ。
スシは人目を避けるべく、会場1階の自動販売機の裏の、暗くて狭いスペースで、クロハ会長(中身スシ)制服バージョンに化身した。生徒総会と運動部アンケートのときに経験はあるが、全部自力で化身するのは初めてだったので、4分ほどかかった。
クロハ化身のときだけ使うネックレスは、正統を主張する証しのようであり、お守りのようでもあり、スシにはありがたかった。スシが聞いた話だと、このネックレスは、歴代生徒会長に受け継がれている物という。
クロハ会長(中身スシ)は廊下を歩きながら、手鏡で入念に髪や何かをチェックした。いつも近くにいるマヤやオロネと違い、クロハの実物は見たことがない。スシはクロハ会長化身を務めるにあたって、力みがちになった。
そこへ泥縄第二高校女子バレーボール部の一団が現れた。
「あ、クロハさん」
「あ、どうも、クロハ会長(中身スシ)です。女子バレーボール部さんですね?」
スシのクロハ会長声色は、相変わらず冴えていた。
「2年、次期キャプテンのレサです。今日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします。あの、ちなみに、女子バレーボール部さんは、応援希望アンケートに、役員の誰でもいいと書かれていたようですけど・・・」
「ああ、あたしは個人的に、カニくん希望と書こうと思ったんですけど。でもアンケートにそう書くと、妻のオロネちゃんに悪いと思って。あたしが個人的に」
(妻? なるほど、そういう遠慮もあるのか。でもそういうことだったら、オレ、クロハ会長(中身スシ)よりカニ書記長(中身スシ)に化身した方が、この人の希望が叶えられたんでないの? オレの都合的にも、そっちのほうがよかったんでないの?)
「あ、クロハさん、あの衣装、あるんですよね?」
「え、衣装? チアリーダー?」
「去年も生徒会執行部がやってくれた、チアリーダー姿。うちら女子部ですけど、ぜひお願いします。オロネちゃんのは見たけど、会長のはまだ見たことないから、お宝的なものもあるし」
クロハ会長(中身スシ)は「世の中甘くないな」と思った。
(お宝だって。実際は男が着るから、違う意味でのお宝映像なんだけど。とほほ)
「あと、クロハさん、あたしのこと、何かと理由を付けて更衣室で女の子を脱がせるのが趣味の、あぶない女と思ってませんか? 言わせてもらうと、脱がせるのは趣味ではなくて、コミュニケーションの一環、レクリエーションなんですよ? 脱がすときは、あたしも一緒に脱いでるから、いじめでもないんですよ?」
「?? レサさん、クロハ会長(中身スシ)は、レサさんの趣味が更衣室で女の子を脱がせることだなんて知らなかったし、ましてや、いじめじゃないかとか、微塵も思ってなかったですよ? オレ、いや、わたし、女子の事情とか全然詳しくないし。でも、2人で一緒に脱ぐって、ただ脱がせるよりも、あぶなくないですか?」
「それはそうかもしれませんよね」
(おいおい)
「あとあたし、本当はクロハさんなんて生徒会長でもあるし、絶対脱がせちゃいたくて。クラス違うからチャンス少ないけど、何かの理由で、クロハさんが更衣室に前の時間から残っているのに出くわしたら『何してるの? あたしに脱がされるの待っててくれたの?』とか言って、脱がしちゃいたくて」
クロハ会長(中身スシ)は、かなり引いた。
「あたし、『前の時間からクロハさんが更衣室に残ってないかなあ?』とか思って、いつも先頭切って更衣室に入ってるんです」
クロハ会長(中身スシ)は「何言ってるのこのヒト」という顔をした。レサはそれを見て、我に返った。
「あ、うそうそ。今話したことは全部嘘なので、忘れてください」
(「うそうそ」と言うけど、レサさんはウソをつくのがヘタだ。ウソと言っているほうがウソに違いない。オレ男だから、脱がされるわけにいかないから、今後レサさんの前で女子、特に生徒会長のクロハ会長(中身スシ)には化身しない方がいいだろう)
クロハ会長(中身スシ)はレサたちと別れて、再び自動販売機の裏に戻り、チアリーダーのコスチュームに着替え始めた。マヤから渡された紙袋から新たな備品を出して身に着け、パンストをはき、アンダースコートをはき、チアリーダーのコスチューム上下を着用。スシにとって全部が全部、生まれて初めて着る種類のものだった。
(普通なら、マヤさんからこんなプレゼントもらえば、興奮ものなんだろうけど・・・)
オロネが着ると小さいコスチュームは、身長が同じクロハ会長(中身スシ)にも合わなかったが、そこまでパツパツにはならなかった。
試合会場が、どんなに設備が整っていても、競技の部外者のスシには、もちろん更衣室の割り当てなどない。男子から女子への化身では、男子トイレは出る時に性別が変わって見えるので使えない。いきおい化身スペースは今回のように、自販機の裏など薄暗い場所が選ばれがちだ。そういう所で、こそこそ着替えるクロハ会長(中身スシ)は、自分が何か反社会的活動に手を染めているような気がしていた。
試合が始まり、クロハ会長(中身スシ)は女子バレーボール部のベンチ外の部員と一緒に、2階の観客席から懸命に応援した。そのかいあって、試合は泥縄第二が圧勝。クロハ会長(中身スシ)は女子バレーボール部員へのあいさつもそこそこに、次の会場へ向かうべく、自動販売機の裏に戻って化身解除を始めた。
(自分に戻る時は、さほど念入りでなくていいし、時間もかからなくていいな)
クロハ会長(中身スシ)からスシへの化身解除の途中、両方の衣服が混ざる中間形態になったところでスシは、キラと、欧州出身とおぼしき中年男性が、一緒に近寄ってくるのに気づいた。
(げげっ! あれはキラさんと、保護者? それとも年の離れた彼氏?)
スシは身を潜めて息を殺した。
「パパちゃん、ジュース買っとくれ」
「ウイ。はい、お金」
キラと男性は、スシが身を隠す楯となっている自販機に、真っ直ぐ向かってくる。
スシの動悸は早まり、脂汗が流れた。スシはなんとかやりすごそうとした。
「あっ! 500円玉落としちゃった! 転がっちゃった! 自販機の下に入っちゃった!」
(えーっ!)
スシは激しく動揺した。
(ぎゃー! キラさん何してんの! ドジキャラの真似事は、今するもんじゃない!)
キラが硬貨を追って、スシがいる、自販機の背後の暗い部分まで近づいてきた。
スシはその場で硬直した。
「本校生徒、試合会場で女装 生徒会長に成り済ます」という未来の学校新聞が、スシの脳裏をよぎった。
(うおお!)
スシは何かに突き動かされるように、自分の財布から500円硬貨を出し、自販機の下を通してキラに届くように転がした。
キラは、床にパシッと手を当てて硬貨を捕まえた。
「・・・」
「どしたの? キラ」
「・・・。なんでもない。500円玉、戻ってきたよ。はね返ってきた」
キラはそのまま缶飲料を買って、男性と一緒に去っていった。
静寂が戻った。
(硬貨が転がって戻ってきても不自然に思わず、物が買えればそれでよく、それ以上追及しない、キラさんがそんな人でよかった・・・。彼女のこれまでの印象とは、だいぶ違うけど)
スシくん、キラはこのとき義理の父と一緒だったので、あまり待たせたくなかったのかもしれないよ?
化身の中間形態のままだったスシは、大きくため息をつき、急いでスシ本人への化身解除を完了させた。
スシにとっては500円でも失うのは痛い。周囲に人がいないのを見計らって、自販機の前に回ってはいつくばり、機械と床の間の狭い隙間に手を入れた。そこまでしても、キラが落とした硬貨まで、指先がわずかに届かなかった。
(ぐぬぬ・・・)
スシは10秒ほど考えこんだあと、「ひらめいた!」という顔をして、化身道具の荷物からクロハのネックレスを取り出した。再び自販機の下の隙間に手を入れて、ネックレスの鎖でふんわり投げ縄をするようにして、500円硬貨を回収した。
(キラさん、この500円はもらうけど、オレもきみにあげたから、等価交換ってことでいいよね?)
さすがスシ。困っている人を全員助ける方法を常に考え続けたいと思っているだけある。500円硬貨も、知恵を絞って救ってみせた。
でも、クロハの私物のネックレスを、機械の下の埃だらけの床でそんなふうに使ったことは、クロハちゃんにはないしょにした方がいいかもね。
スシは作戦行動に復帰した。マヤに電話して、クロハ会長の化身を解除したと連絡を入れた。このあとマヤが、スシと入れ替わりに、クロハ会長(中身マヤ)に化身する手はずとなっていた。
スシが次の会場へ回るべくバイクへと急いでいると、スマホが鳴動した。
「もしもし『花(スシ)』? 『花』には直接関係ないけど変更連絡。『月(オロネ)』と『雪(カニ)』入れ替え。開始10時2分、終了は試合の成り行きにより今後連絡」
「ねえクロハ会長(中身マヤ)、なんでいきなり配置変更するの?」
「『花』、電話を生徒に聞かれないとも限らないから、暗号を使うように」
「はい。『宙(クロハ会長(中身マヤ))』、なんで入れ替えるの?」
「『雪』がさっき男子テニスの応援に行ったら『アンケートにカニと書けば、オロネちゃんも付いて来ると思ったのに、期待外れ』と言われたんだって。シャクだから試合が終わる前に1回だけ『月(オロネ書記次長(中身カニ))』に化身して、見せつけてやりたいんだって」
スシはそれを聞いて、アンケートでカニが2位だったことに合点がいった。少なくない男子部が、アンケートにカニと書いてきたのは、カップルの片割れのオロネの同行を期待してのことだったのか。真正面からオロネと書くとあさましいと感じつつ、本音ではオロネに来てほしいという、男子部のアンケート回答者たちの悩ましい思いを見た気がした。
と同時にスシは「そんな理由でカニくんが化身のシフト変更を頼むなんて、これは今日は予定変更が多そうだ、自分もクロハ会長(中身スシ)、オロネ書記次長(中身スシ)以外にも化身させられたり、持ち場以外へも行かされたりするだろう」と悟った。




