3章の1 なぜカニくんが2位
生徒総会の翌日の放課後、生徒会室に役員3人とスシが顔をそろえていた。
スシ、カニ、オロネは各自の姿そのままだが、マヤだけクロハ会長(中身マヤ)に化身していた。会長不在を避けるためだが、その代わり、マヤ副会長がずっといないことになっていた。
「あのー、ほんと、ごめんねえ」
スシが情けない声を出した。生徒総会での自らの不始末を、わびていた。
「クロハ会長(中身マヤ)思うに、スシくんは良くやってくれたよ。いきなりの化身、ほんと感謝してる。ただ最後、ちょっとだけ段取りが違ったのが惜しかっただけで」
ノートPCで書類を作成していたクロハ会長(中身マヤ)の受け答えは、やや事務的だった。
スシは、マヤにいろいろ言わせてしまうのは申し訳なくて耐えられないが、クロハ会長(中身マヤ)にだったら何を言われても大丈夫だった。
とはいえ、スシを甘やかさないでいてくれる存在のクロハ会長(中身マヤ)、執行部の先輩としてスシに指導鞭撻してくれるはずのクロハ会長(中身マヤ)が、スシを擁護するだけというのは、ありがたくもあり歯痒くもあった。
このときスシが気にしていたのは、クロハ会長(中身マヤ)の本心というより、中身のマヤのほうの本心だった。
マヤに限らず、化身している人間というのは、そのキャラクターの行動原理で動くことになっている。スシに対してクロハ会長(中身マヤ)が話す内容というのは、その場に化身でなく本物がいたらこう話すだろうとマヤが考える内容であって、マヤ本人の思いとは無関係だ。
スシは、化身のクロハ会長(中身マヤ)に対して何をしようが、マヤ本人から嫌われることはないはずなのだ、原則上は。
それで嫌われるとしたら、むしろクロハ本人から嫌われるのだ、マヤではないから安心していいのだ、原則上は。クロハ本人から嫌われるのが、いいかどうかは別にして。
スシくん、クロハ会長(中身マヤ)の前なら、マヤ本人を気にして、おどおどする必要はないだろう?
まあ、オロネとカニのペアに目を転じると、一般生徒がいないところで化身交換したとき、それぞれの言動が中身に近いというか、中身そのもののことが、よくあるのは確かだ。
スシは、オロネとカニは化身レベルが熟達したあまり、そういうことになっているのだと考え、化身に慣れないうちは見習わないようにしようと考えた。
少なくとも校内ではマヤのように、化身の対象人物を最大限尊重して、やり遂げようと思っていた。しかし、いかんせん化身ビギナーなので、実力が伴っていなかった。
書類作成で忙しそうにしているクロハ会長(中身マヤ)、カニ、オロネにチロっと目をやってから、スシはもう1回情けない声を出してみた。
「あのー、ほんと、ごめんねえ」
「カニはほんと感謝してる。スシくんは良くやってくれたよ。予算案の採決先送りに関しては、スシくんは部長会議にも出て、生徒総会ではボクに化身して段取りの説明もしてくれただけに、ちゃんとやってくれたら、もっとうれしかったけど」
「オロネもほんと感謝してる。スシくんは良くやってくれたもの。化身交代時のトラブルでクロハ会長(中身オロネ)が追い込まれて、とっさに発した暗号をスシくんは理解してくれて、ちゃんと助けてくれたし。総会の進行を間違えなければ、もっと良かったというだけで」
ふたりとも一部棒読みの部分があったように、スシには感じられた。
「クロハ会長(中身マヤ)は、まだ年度が始まったばかりなのに、各部が予算を使いまくっているのが気にはなるけど。優先順位が低い物品まで、急いで購入に走っているように思えるけど。年度末に部活全体で予算を使い尽くす前に、自分の部だけは満額使い切るつもりなのかな、とは思うけど。でもそれをスシくんにとやかく言うつもりはない」
「いやいやいや、クロハ会長(中身マヤ)。そこまで並べられると、とやかく言ってるも同然だよ。そういうのは、面と向かって言ってもらったほうが、ありがたいって。でも、新年度になってまだ日が浅いのに、各部が予算を使い急ぐというのはサイテーだとも思う」
スシは、自分がもっとも言ってほしい「スシくんは良くやってくれたよ」というセリフは全員から言ってもらえたものの、全体として悔しい思いをした。
「なんとか挽回できる機会はないものか」
スシの心の内が声に漏れた。
クロハ会長(中身マヤ)が、作成していた文書をプリントアウトした。それから机の下の自分の鞄から何やら紙を取り出しつつ、メンバーの方を向いた。
「これ、学校新聞の最新号」
学校新聞(全4ページ)の1面トップは、生徒総会の記事だった。
「スシはまだ見てない。なになに『赤字予算そのまま採決成立、手違いか』。ぐぬぬ」
演台の前で話すクロハ会長(中身スシ)の写真と、自らの不始末を取り上げた記事を見て、スシは立腹した。
「生徒総会は昨日だというのに、もう新聞が出ている。キラさんはよっぽどヒマなんだな」
「クロハ会長(中身マヤ)は、キラちゃんは別にヒマなわけじゃないと思うけど。他に部員がいなくて大変みたいだし」
「へえ、ひとりで作っているの。大したもんだ・・・って、感心している場合じゃない」
「でも、書いてあることは嘘偽りないことだしねえ。それよりスシくん、ここ見てよ」
クロハ会長(中身マヤ)が次のページの記事を指差した。
「『世論調査結果』。何? 世論調査って」
「生徒会執行部がやることについて、生徒がどう思っているかの調査」
「そんな調査をするとは、キラさんはますますヒマだ。なになに『問1 前期生徒会執行部を支持するか』だって? えーっ、たかが高校生徒会なのに、こんなの本気で調査したらカドが立たないかなあ?」
クロハ会長(中身マヤ)、カニ、オロネは、調査の設問と結果については慣れっこなのか、淡々としていた。
「スシが見たところ、執行部の支持率が昨年度後期よりかなり下がってる」
「そうなのよ、スシくん」
「でもキラさんって、なぜこんなに執拗に、執行部にケチ付けようと見張ってるの?」
「いえ、別にキラさんは普通に報道しているだけで、執拗にケチ付けようというわけではないと思うけど?」
「へえ」
「カニは思うけど、ケチ付けるでないにせよ、キラさんが執行部を熱心に追い続けているのは確か。それはキラさんが前期生徒会長選挙で敗れたことと、無関係でないかもね」
「ふうん。そんなことがあったの。で、カニくん、執行部の支持率が悪いとどうなる?」
「そうだね。我々の仕事そのものに特に影響はないけど。一生懸命やっても生徒に理解されないんだと思うと、やる気が低下するかな」
「ふうん」
スシがクロハ会長(中身マヤ)を見ると、机に頬杖をついて、じっとしていた。目が笑っていないので、スシはびびった。
「クロハ会長(中身マヤ)は思うけど、生徒の支持率は、うちらの仕事には響かなくても後期会長選挙には響く。クロハは、まだはっきりしないけど、今年の前期か後期かに出向を終えて戻ってくる。その時絶対に、元のポジションに戻さないといけない。わたしたちの努力が足りずに、会長の座をみすみす明け渡すわけにはいかない」
珍しくクロハ会長(中身マヤ)化身のまま、マヤの本音が漏れた。
「スシだけど、ねえクロハ会長(中身マヤ)、生徒会長って普通、前期と後期の通しでやるものなの?」
「カニが説明するよ。これまで前期の会長が後期も再選して、1年通して務めた例は多い。生徒会規約では、役員は連続でも通算でも2期まで。だから、1年生の後期と2年生の前期に役員をやったボクとオロネは、後期は会長に立候補できないし、会長による役員選任も受けられない。でもクロハちゃんとマヤちゃんは前期が1回目だから、後期も務めることに問題はない」
スシはふーん、と納得した。
(でも、もしこういう状況でなくて、クロハさん本人がこっちでそのまま前期会長を務めていたら、あるいはマヤさんが昇格して会長を務めていたとしたら、マヤさんたちは、ここまで頑張って会長再選を目指しただろうか?)
「そこで、わたしクロハ会長(中身マヤ)は、支持率向上の作戦を考えたの!」
元気がなさそうに見えたクロハ会長(中身マヤ)が、いきなりポジティブな発言をしたので、スシは面食らった。
「次の土日は各運動部が、のきなみ春季市内大会じゃない? そこへ役員のめいめいで応援に行って、勝利に貢献する。言わば恩を売って支持率を上げようという」
「そんなにうまくいくかなあ?」
後ろ向きなスシを見て、クロハ会長(中身マヤ)は口をとんがらかした。
「なんとか挽回できる機会はないかと思っている人は、そんなふうに言わない!」
「うっ!」
スシは、クロハ会長(中身マヤ)を感心した目で見た。
(クロハ会長(中身マヤ)は、人を細かいところまで見ているし、言ったこともよく把握しているよなあ。これはクロハさんに化身しているから本人に合わせてそうやっているのか? それともマヤさん自身がそういう人だからなのか?)
クロハ会長(中身マヤ)に感心したスシではあったが、疑問は疑問として口に出した。
「でもさあクロハ会長(中身マヤ)、市内大会って一口に言うけど、運動部はいっぱいあるし、試合もめちゃくちゃあちこちであるでしょ? でもオレたちは4人だから、全部は無理でしょ? 応援に行けない運動部から文句が出ないかな?」
「試合を最初から最後まで見てなくても、もう勝ちそうだとなれば次に回れば? そうすれば4カ所以上、回れるじゃない」
「『試合は生き物』とか言うのに、そんな都合よくいくかなあ? もう勝っただろうと会場を離れた途端に逆転負けだと、恩を売るどころか恨みを買いそう」
「まあ、それはしょうがない。その時はその時」
「そうですか」
「スシくんも当然、協力してくれるよね?」
「それはオレが『オレたちは4人だから、全部は無理』と言った時点で、わかってもらえると思う」
クロハ会長(中身マヤ)にすごまれると、断れないスシだった。しかしマヤに頼まれれば、なんでも断らない。それどころか、マヤが頼もうとする素振りを見せただけで、引き受ける準備を始める。この違いがどこからくるのか、スシにまだ自覚はなかった。
「まあ、スシくんが言うのも確かで、運動部の数も試合会場もかなり多い。でも試合が次の週以降に組まれた部もあるから、今度の土日は手分けすれば、各会場ちょっとずつなら、なんとか回りきれると思うのね。各部の試合スケジュールの把握と綿密なスケジュール立案が重要になる」
スシは、いくら綿密に移動スケジュールを立てても、試合展開次第でめちゃくちゃになるだろうと思ったが口には出さず、クロハ会長(中身マヤ)の話をじっと聞いていた。
スシの横からツンツンと肘を突いてきたオロネが、小声で言った。
「ひそひそ、部活の応援はねえ。服が小さくなければいいんだけどな・・・」
「?」
オロネは、それ以上何も言わなかった。スシは、クロハ会長(中身マヤ)の話に意識を戻した。
「クロハ会長(中身マヤ)が、今日の行動を説明します。4人全員で各運動部を回って、わたしがさっき作った『役員の誰に応援に来てほしいかのアンケート』を書いてもらってくると」
「えー」
「スシくん、えー、じゃない」
「はあ」
「スシくんは、そのまま運動部に行くと『役員でもないのに何しに来た』となるから、誰かに化身して行って」
「じゃあカニ書記長(中身スシ)に・・・」
軽く「カニ書記長」と口にしたスシを、カニとオロネが、じとっと見た。
「え?」
「スシくん、化身でボクらを動かさなくても、空いている役員があるよ」
「そうよ、あたしたちを動かさなくても、空いている役員がある」
「え?」
カニとオロネは、はっきりとは言わないが、スシが化身することで自分らも化身させられるのを、面倒がっている様子だった。
「クロハ会長(中身マヤ)も、そう思う。カニ書記長に化身しなくても、マヤ副会長が空いている」
「スシ思うに、えー、女子への化身はハードル高いでしょ」
「どうせ次の土日にはやってもらうんだし、練習だと思えば」
「次の土日に女子化身というのは、オレ初耳。じゃあ今日はこうしようよ、クロハ会長(中身マヤ)が化身解除してマヤさんに戻る、オレは多少経験のあるクロハ会長(中身スシ)に化身」
今度はクロハ会長(中身マヤ)、カニ、オロネの3人して、スシをじとっと見た。
「何みんな、その目は」
「クロハ会長(中身マヤ)としては、スシくんが目前の課題から逃げているようで感心しないけど、まあいいわ。わたしが化身解除してあげる」
「恩着せがましく言われてないかな?」
「まあまあスシくん、時間も惜しいし、ちゃちゃっと化身しよう?」
(スシはほんとはね、いきなりマヤさんに化身しろと言われても、そう簡単に心の準備ができないんだよ)
マヤ副会長化身に気が進まないスシだったが、それでもクロハ会長(中身マヤ)と一緒に、生徒会室別区画の秘密化身室に入った。ふたりは2分ほどで、マヤとクロハ会長(中身スシ)となって出てきた。
男子に女子バスト偽装を施す場合、マヤ副会長(中身スシ)化身やオロネ書記次長(中身スシ)化身より、スレンダーなクロハ会長(中身スシ)化身の方が、早くできるようだった。
4人はアンケート用紙を持って校内に散った。と言っても、運動部は練習中で忙しい。アンケートは練習の合間にキャプテンや一般部員が書いたり、球拾いをしていた1年生が勝手に書いたり、マネージャーが書いたり、イケメン選手の見学に来ていただけの、そこの部員でもない女子が書いたりした。
2時間ほどでアンケートの回収は終わり、4人は生徒会室に戻った。戻るやいなや、マヤがクロハ会長(中身スシ)の袖を引っ張った。
「スシくん、ちょっと・・・」
「なんでしょう? マヤさん」
二人は生徒会室別区画の秘密化身室にまた入って、今度は4分かかってクロハ会長(中身マヤ)とマヤ副会長(中身スシ)になって出てきた。
「マヤ副会長(中身スシ)ですけど、マヤさん、この化身の理由は?」
「クロハ会長(中身マヤ)としては、わたしがこっちのほうが慣れているというか、話がしやすいというか。まあ、そんなに気にしないでよ」
カニとオロネが、そんなふたりをフフフ・・・という目で見た。
「オロネ思うに、スシくん。無難にマヤ副会長(中身スシ)化身デビューしたね」
「これ、練習ですから、練習」
「やっぱり、マヤちゃんの声色も上手だね。次の土日はオロネ書記次長(中身スシ)化身デビューも控えているから。頑張ってね」
4人は各部から集めたアンケートを集計した。書いた人が書いた人なので、データの信憑性は高くないのだが、4人にとって、そんなことはこの際どうでもよかった。
「カニですけど、取り急ぎまとめたアンケートの結果、応援に来てほしい役員は1位オロネ、2位ボク、3位クロハ会長、4位マヤちゃん・・・、となりました」
クロハ会長(中身マヤ)が少々むすっとしているように見えたので、マヤ副会長(中身スシ)は「マヤさんの順位がオロネさんとクロハ会長(中身マヤ)より下なのはまだしも、カニくんにまで遅れをとるのは、なんとかしてあげたかった」と思った。
何気なくマヤ副会長(中身スシ)とクロハ会長(中身マヤ)の目が合った。
「スシくん、いえマヤ副会長(中身スシ)、クロハ会長(中身マヤ)もマヤも別に、アンケート結果でへこんでないからね?」
マヤ副会長(中身スシ)は、目を見ただけで自分の考えていることがクロハ会長(中身マヤ)に伝わったのかと思って、びびった。それとは別に、クロハ会長(中身マヤ)がわざわざそう言うということは、本当は傷ついているのかと思えて、心配になった。
スシは、マヤのいちファンとしてマヤを真に理解する人になりたいと、常々思っていた。この場面でも「マヤさんは、自分のことを後回しにしがちな人。自分が4位なことより、クロハ会長が3位なことのほうを、残念に思っているんですよね」と、心理を分析した。
マヤ副会長(中身スシ)は、クロハ会長(中身マヤ)を、暖かい目でじっと見てみた。クロハ会長(中身マヤ)に、自分の思いが伝わるといいと思った。
「スシくん? どうした?」
伝わっていない様子だった。
マヤ副会長(中身スシ)は、各部アンケートで、なぜカニが2位なのかわからなかった。
男子部活の票がオロネ、クロハ会長、マヤに分散するのに対して、女子部活の票は分散しないからだろうか? などと思ってみたが、カニの2位の説明として決定力に欠ける気がした。




