2章の5 化身交代
カニ書記長(中身スシ)は、ゆっくり話し始めた。
「同窓会の拠出金が昨年度の水準に届かず、今年度の生徒会予算案は、現状で各部の希望額の総計が収入を8万6500円ほど上回っており、帳尻が合っていません。生徒総会前日の部長会議でも要求総額を調整することはできず、生徒会執行部は、このまま今日この場で予算案を採決成立させることは難しいと判断しました」
会場は「じゃあどうするのさ?」というムードになり、ざわついた。
「そこで、予算案は潔く赤字のまま生徒の皆さんにお示ししますが、採決については各部の要求総額の調整が済むまで先送りすることを提案します。その場合、予算案は未成立となりますが、暫定的に各部の活動費は、領収証が添えられているものについてはお渡ししていきます。予算執行凍結の事態は避けなくてはいけません」
会場は「予算が足りないのに、部に活動費を渡していって平気なの?」というムードになり、ざわついた。
「生徒会活動費が実際に底を突くまでには、時間的猶予があります。今後も部長会議で引き続き協議していき、予算要求総額の調整がなされたところで、もう一度あらためて臨時生徒総会を開催して、予算を成立させたいと思います」
会場は「生徒会規約では年度当初に予算を成立させるとなっているから、それは規約違反なんじゃないの?」というムードになり、ざわついた。
「年度当初に予算を成立させるという生徒会規約との整合性を図る必要から、今日の総会でこのあと、生徒会執行部から予算案の採決を先送りするための議案を出す予定です。その上で予算案採決先送りの採決をする予定です」
会場は「ほう」という空気に包まれた。カニ書記長(中身スシ)は、ほぼ昨日のクロハ会長(中身マヤ)の説明に準じて、破綻なくその場を切り抜けた。交代して再びステージ上に上がったクロハ会長(中身オロネ)とすれ違うとき、唇が「あ」「り」「が」「と」「う」と動くのが見えた。席に戻ったカニ書記長(中身スシ)は汗だくだったが、気持ちいい汗に変わったように、本人には思えた。
ここでファーストターン終了の2時半が近づいた。マヤはクロハ会長(中身オロネ)との化身交代に備えてステージ脇の机をそっと離れ、人知れずステージ袖から秘密通路に入り、ステージ下の空洞にある秘密化身更衣室へ、執行部占有の鍵を使って潜り込んだ。
カニ書記長(中身スシ)はポケッとして、ステージ上のクロハ会長(中身オロネ)が話すのを聞いていた。
交代時刻になった。
演台のクロハ会長(中身オロネ)は予定通り、資料冊子を机から床に落とした。
前日のリハーサルがばっちりだったので、カニ書記長(中身スシ)は漫然とその様子を見ていた。緊張のかけらもなく、正直ゆるんでいた。
(ここからクロハ会長(中身オロネ)がかがんで・・・、かがまない。かがんで・・・、かがまない。あれ?)
クロハ会長(中身オロネ)の様子がおかしい。
予定では、クロハ会長(中身オロネ)は資料を落とした後、すぐかがんで演台に隠れ、クロハ会長(中身マヤ)と交代なのだが、クロハ会長(中身オロネ)は下を向いただけで、かがまない。それどころか、資料を拾って再び生徒に向き直ってしまった。
(おかしいぞ!)
カニ書記長(中身スシ)が時計を見ると、2時半を1分以上過ぎていた。クロハ会長(中身オロネ)は青い顔をしている。
カニ書記長(中身スシ)は、ふたりがトラブルに見舞われたと直感した。
(マヤさん、どうかしちゃったんだ!)
オロネはクロハ会長化身をマヤに引き継ぎ、自身はマヤ副会長(中身オロネ)として、ステージ下のマイクで進行を担当しなくてはならない。それまで4分弱しかない。それまでに交代が完了しないと進行に穴があく。無策でいれば全校生徒が不審の目を向けることになる。他の役員を代理で化身させる手当てが必要なのか。しかしそれを一元的に決定し各個に通達する立場のクロハ会長(中身マヤ)は、ステージ下の秘密化身室から動けないでいる。
カニ書記長(中身スシ)に緊迫が走った。
(マヤさん!)
カニ書記長(中身スシ)は祈るようにステージを見直した。
クロハ会長(中身オロネ)は、ぽつりぽつりと話し始めた。場つなぎだ。
「えー、今日の総会ですが、エスケープの生徒・・・ エスケープの生徒・・・ もいるようです。公園のあずまや・・・ まや・・・ にでも行ったのでしょうか。金魚を、すくって・・・ すくって・・・ いるのでしょうか」
カニ書記長(中身スシ)はクロハ会長(中身オロネ)の口ぶりから、彼女が疲労のあまり意味不明の内容をしゃべったかと思い、青くなった。
(いったい何を言ったんだ、クロハ会長(中身オロネ)は? ふしぎ系の世間話か? 『エスケープの生徒』って、オレもエスケープ設定だけど。 ・・・。 ・・・。 !)
カニ書記長(中身スシ)は「おお」と声をもらすと、そっと席を離れてステージ袖に急いだ。袖のカーテンを、一般生徒に関心を抱かれないように気をつけてくぐり、秘密通路を駆け抜け、ステージ下秘密化身室のドアを音をさせないようにノックした。
「ひそひそ、『花』」
「ひそひそ、『花』、入室どうぞ」
カニ書記長(中身スシ)はステージ下の秘密化身室に入った。
あちこちから光が漏れてはいるが暗い部屋に、マヤはいた。クロハ会長(中身マヤ)への化身途中で、スカートは着けているものの上半身はブラだけ、それも背中のホックが外れてはだけていた。
「マヤさん、うわっ、ごめんなさい」
「静かに。スシくん、いいからもっとこっちに」
マヤは自らの衣服の状態に構わず、カニ書記長(中身スシ)を呼び寄せた。一般生徒のいない秘密化身室とあって、マヤが呼ぶ名前は中身のスシとなっていた。
「スシくん、よく来てくれました。オロネちゃんの暗号、すぐわかりましたか?」
「2回繰り返して言ったところを、つなぐんですよね? 『エスケープの生徒』は、総会エスケープ設定のオレのこと。あと『まや』と『すくって』。それで『スシ、マヤ、救って』」
「よくできました!」
マヤは左手で自分のブラが外れないよう支えながら、右手でカニ書記長(中身スシ)の頭をなでた。
「さて、ここからが本題です。スシくんは今から、わたしの代わりにクロハ会長(中身スシ)に化身してステージに立ちましょう」
「えーっ!」
「えーっ、じゃないんです」
「えーっ、カニ書記長(中身スシ)の化身だけで一杯一杯なのに、女子へ化身?」
マヤは、ブラのホックを手に取り、カニ書記長(中身スシ)に見せた。ホックは、相当な力が加わったと見えて金属が少し変形してしまい、引っかからなくなっていた。
「わたしとオロネちゃんが、無理して何回も着けたり外したりしたからでしょうか。ブラのホックの金属が伸びて、はまらなくなってしまいました」
カニ書記長(中身スシ)は「役員女子は、キャラクターのバストサイズ再現に、自分より小さなサイズのブラを使うと言ってたっけ」と納得した。
ブラのホックを手に取って相手に見せるとどうなるか、マヤの次の出番まで残り時間が少なすぎて、ふたりとも気にしている余裕はなかった。
これだとビジュアル的には、ちょっとまずい。読者のかたは、深夜アニメでいうところの「アノ光」をマヤに重ねるか、カニ書記長(中身スシ)の腕なんかをマヤに重ねるかしてイメージしてもらいますよう、お願いします。
「スシくん! 次のマヤ副会長(中身オロネ)の出番まで2分を切ってます! オロネちゃんをステージから降ろさないと!」
マヤに迫られ、カニ書記長(中身スシ)は真顔になった。
「わかりました、やります」
マヤはカニ書記長(中身スシ)を見つめて、大きくうなずいた。
もう時間はかけられない。スシは急いで制服上下とワイシャツ、下着のシャツを脱いだ。
「スシくん、ソックスはそのままでいいです!」
クロハ会長(中身スシ)は、わずか1分30秒で化身を完了する。ではそのプロセスをもう一度見てみよう。
スシの後ろに回ったマヤが手際よく、スシの両胸にパッドを数枚ずつ当てがいテープで固定。マヤのブラが床に落ちた音が聞こえるも、スシはドキドキしている余裕なし。マヤは自分が着ていたクロハ私物のシャツ、スカート、ソックス、ブレザーのジャケットを次々とスシに着せ、黒い大きなメガネもかけさせ、ウィッグをかぶせてヘアブラシで整え、ブラウスの首元からデオドラントを2回吹き、ネクタイを締め、唇にリップを塗った。スシをクロハ会長(中身スシ)へと化身させる手順でありながら、リップだけはマヤの一存で、クロハの物ではなく自分の物を使った。
スシがマヤにリップを塗ってもらう間、マヤの顔はスシの顔すれすれにあった。スシはずっと目を開けていたが、マヤの顔が近すぎて、ブラを落としたマヤの上半身までは視界に入らなかった。スシにはそれを残念と思う余裕もなかった。このリップは誰のだろうとか、自分が塗ってもらっちゃったけどいいのかなとか、一切考えられなかった。
最後に会長化身専用のネックレスを装着し、クロハ会長(中身スシ)への化身が完了した。
「でもオレ、クロハさんだけ本物に会ったことないんですけど、キャラ把握はどうしたら?」
「わたしやオロネちゃんが化身したのを参考にやってください。スシくんはクロハの声色が使える。クロハモデルのメガネと本物制服も、スシくんを助けてくれる。きっとうまくいきます」
スシは、マヤの熱心な励ましを受け、感じ入った。
定時から遅れること3分あまり。演台の床の隠し扉から秘密化身室をのぞいていたクロハ会長(中身オロネ)に、マヤがOKサインを出した。それまで無駄話で時間稼ぎをしたクロハ会長(中身オロネ)は、あらためて資料冊子を床に落とし、拾うふりをして隠し扉から秘密化身室に降りた。
「ひそひそ、スシくん、頑張って!」
クロハ会長(中身オロネ)の激励を受け、クロハ会長(中身スシ)が代わってステージに立った。スシのクロハ会長(中身スシ)化身デビューだ。進行が滞ったせいで会場の雰囲気がささくれ立っており、いきなり逆風を突いての船出であった。
ステージ下秘密化身室では、全裸に近かったマヤの復旧が大急ぎで行われた。
スシが予定外にクロハ会長(中身スシ)化身を担当したので、オロネとマヤはセカンドターンの化身担当を、当初計画の「マヤ副会長(中身オロネ)とクロハ会長(中身マヤ)」から「カニ書記長(中身オロネ)とマヤの化身解除」に変更して、ともに秘密化身室を抜け出した。
ステージ上、演台の前に立ったクロハ会長(中身スシ)は「この場を、自分がなんとかしてやろう」とまでは思わなかった。人生で初めてスカートを穿くなど、女子への化身で一杯一杯だったというのもある。
クロハ会長(中身スシ)は一つ深呼吸してから、マイクに向かった。
「えー、あらためまして、クロハ会長(中身スシ)です。議事を続けたいと思います」
会場のざわつきが収まった。クロハ会長(中身スシ)の声色はその威力を発揮した。
「前期生徒会執行部が主要に取り組むべきこととして、今後の生徒会予算成立ももちろんですが、生徒の総意でもある、安易な学校統合反対があります」
クロハ会長(中身スシ)は、クロハ会長(中身オロネ)が途中で中断していた生徒会執行部施策の説明を引き継ぎ、無難にこなした。
会場の一般生徒の目がクロハ会長(中身スシ)に集中した。そんな中クロハ会長(中身スシ)は、思いにとらわれた。
(あれ? ・・・。初めてクロハ会長(中身スシ)に化身したのに、なんていうか、カニ書記長(中身スシ)よりやりやすいかも)
もちろんスシとクロハ会長(中身スシ)は、ある出来事への反応は必ずしも同じでないどころか、全然違うはずだ。それなのにやりやすいというのは、物の考え方に共通点があるということなのか。
(おっと、いけない。生徒総会をうまくやるのが最優先!)
クロハ会長(中身スシ)は、あれこれ考えるのをやめ、議事に集中することにした。
オロネからの会長化身交代に、生徒は誰一人気づかなかった。議事が長くて会場がダレ切っていたのにも救われた。
もっとも、素人のスシが議事をすんなり進められたのは、カニが演台に仕込んだ進行用の原稿が素晴らしかったからに尽きる。
スシはクロハ会長(中身スシ)に化身して演台に立ってから1分、2分、と時間が経過し、実績を積んでいった。心なしか自信のようなものを感じさせるに至った。
あくまでカニの原稿が優秀だったお陰なのだが、何から何まで初めて尽くしのクロハ会長(中身スシ)に、自分を客観的に見つめろとまで求めるのは難しかった。
クロハ会長(中身スシ)が「どや顔」みたいになっていくのをステージ下で見ていたマヤ、カニ書記長(中身オロネ)、オロネ書記次長(中身カニ)はそろって「スシくん、大丈夫かなあ?」と、不安げになっていた。
議事進行は、当初計画より30分以上遅れていた。
危険を感じたマヤが、役員席近くのスタンドマイクを使って、強引にクロハ会長(中身スシ)の話に割り込んだ。
「副会長のマヤです。総会も長くなってまいりましたが、議案も大詰めですので、皆さんもう少しお付き合いください。ここでクロハ会長(中身スシ)から、今年度予算案の扱いについて説明があります」
いよいよクロハ会長(中身スシ)が赤字予算案の採決先送りを提案する段取りになった。
会場の視線がクロハ会長(中身スシ)に突き刺さったが、クロハ会長(中身スシ)はひるまなかった。ひるまないのはいいことだが、ひょっとしたら、この時点でクロハ会長(中身スシ)は「ここで本物のクロハならどうするか、マヤたちならどうするか」という冷静な考えでなく「自力でなんとかしてやる。オレがオレが」という考えに支配されていたかもしれない。
「クロハ会長(中身スシ)です。生徒の皆さん、ここまで説明した通り、生徒会予算はこれまでになく逼迫しています。とても各部の要求を全て満たすことはできません」
生徒は、待ち構えたようにクロハ会長(中身スシ)にブーイングを浴びせた。
「ま、ま、ま。もちろん各部の活動費を少しずつ減らすのも、聖域のように減らさない部を作ってそれ以外を減らすのも、どっちも良くないと思っています」
スシくん、どっちの方法も良くないなら、どうやって減らすの?
「各部の要求項目を丁寧に精査し、理解を得ながら削減を進めていきたいと思います」
スシくん、それは「事業仕分け」というやつか。それはそれですごく大変だと思うよ?
会場の生徒からは「おー、」という、やや評価できるという反応が返った。
(クロハ会長(中身スシ)として、よし! ここで押し切る!)




