STORY1:終わりと始まりの物語
何かを積み上げるといのはとても難しい。
例えば信頼。誰かに信頼されるために一生懸命に、少しずつ関係を築いて信頼関係を構築していく。
例えば努力。目標に向かってただ直向きに向き合うことでその目標に一歩ずつ近づいて行く。
例えば人生。生まれてきてから何年、何十年という膨大な時間をかけて積み上げて来る。
いずれも積み上げるのは長い時間が必要だ。だが、それらはいとも簡単に崩れ去る。それはある日突然に崩れ去る。何の前触れもなく突然に。そして1度崩れたら最後。もう元には戻らないのだ。それはある意味理不尽ではないか。なぜ、壊れるのか。誰が決めたかも分らぬ運命と言うやつだとしたら、それはあまりにも理不尽だ。
そしてもう1つ。簡単に出来ることがある。裏切りだ。人は自分に都合の悪いことが起きればどんなに卑怯だと分かっていても簡単に裏切り、切り捨てる。尤もそんなことをしてくる人は卑怯と言う感覚すらないのかも知れない。出なければ、私は今、こうしてないだろう。
私は静かにペンを置き、書くことを止める。そして、そっと、大量の文字が掛かれたノートを閉じた。
もう何度もこの行為を止めようとしたが、何かある度にこうしてしまう。
「もう、こんな時間」
私は時計を見た。時刻は7時40分。私が学校へ行く時間が迫っていた。
私は制服に着替え支度をする。今日から中学2年生になった私は、重い足取りで学校へと向かった。
2018年4月9日。既に桜が散りかけてるこの季節。ここ数年はそんな感じが続いてる。今や桜の季節は完全に卒業の花になりつつあるような気がした。そのためか、私は桜が別れの花みたいで悲しく思えた。
「行ってきます」
私はそう告げ家を後にする。ただ、誰も私の声に反応はしてくれない。2年前からそうだ。
私は自宅であるアパートを出て学校に向かう。徐々に私と同じ制服の生徒が増え始める。普段、この時間に登校する生徒はいないのだが、今日は日が日なだけに人が多い。それが私に圧迫感を与えた。
学年の変わり目と言うのは、多くの生徒の関心を一気に惹きつける。クラス替えだ。中の良い子と一緒になれればそれで良し。駄目でもそこまで大きな問題はない。私も、別にどのクラスに配置されても別に構わなかった。
「2組」
私は自分のクラスを確認すると、さっさと教室に向かい自分の席を探す。教室は3階。2階は主に先生たちの教務階となっている。
「席どこだろう・・・」
私は自分の名前を探す。1つ1つ丁寧に探し自分の席を見つける。場所は教室の後ろ。私にとっては悪くない席と言える。
私は席を確認すると、そこに荷物を置いてとある場所に向かう。廊下に出て真っすぐ右に行ったところに目的地である図書室がある。今日は貸出は無いが利用するだけなら問題はない。だが、私の目的は本ではない。
「誰か居ますか?」
返事はない。私はそれを確認すると、図書室の中に入り、奥へと進む。この図書室の奥には緊急避難用の通路が備わっており、私はそこに出る。通路に出て階段を昇る。ここは木で覆われているため他からの死角になるのもあって、私がここを通っても誰かに気付かれる恐れはない。
私は建物の屋上に着くと辺りを見渡す。そして誰も居ないのを確認すると私は屋上の中でも最も人目につかない場所で横になる。こうしていることが私にとって一番の安らぎなのだ。
始業式まではあと20分程の時間がある。それまでのこの安らかな時間を過ごしたい。その後待ってるのは恐らく・・・
「はぁ」
時間か。許されるのなら私はここから動きたくない。学校をさぼりたいというような、怠惰な考えではない。もっと、精神的な物だ。
私は元来た道筋を誰にも見つからない様にそっと戻り、教室に戻る。教室に戻った私はそこで絶望することになった。
「――結局これか」
机には既に大量の落書きがあった。
人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し。
教室に入って来た私をみんなが一気に見て来た。それは私に対する疑念の目。分かっていた。いずれこうなることくらい。だから私はあえて周りと距離を置いた。だが、
「意味なかったか」
周りからはひそひそと囁く声が聞こえる。2年前のことだろう。2,3か月前からそのことが噂され始めていたのは気付いていた。それが今日確信にでもなったのだろう。
かさ。
私に誰かが紙を投げつけた。何か書いてあった。
「読まねーのかよ」
誰かの声が聞こえた。誰かは分からない。ただ、私は読みたくはなかった。だが、以前の恐怖が私の体を動かした。
今すぐ消えろ
それが紙に書かれていた言葉。雑にでも強い意思がそこにはあった。周りを見ても誰も何も言わない。もう、私にこの場所に居場所がないことなど容易に知り得た。
何で私が。そう思ったのは一体何度目だろうか。
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2年前。私は初めて物事がいかに簡単に崩れ去るかを知った。事件が起きたのは2016年7月13日水曜日。私の12歳の誕生日の日だった。その日私は学校から走って家に帰った。今日は私にとって一番うれしい日。それだけで胸が弾んだ。
「雫ちゃんお帰り」
「おじさんただいまー」
近所の人と挨拶を交わしながら私は家に向かって走った。家ではお母さんが待ってる。
けど、待っていたのは地獄と絶望だった。
「ただい、ま・・・」
家の扉を開けた私の目に飛び込んできた物を私はすぐに理解できなかった。まるで自分の家ではないような気さえした。
「あ、ああ」
目に着くのは倒れてる人、人、人。玄関だけで3人。それと刃物を持った人物。顔は見えない。
倒れてる人の中にお母さんが居た。背中から大量の血を流して倒れている。他に倒れてる2人にも見覚えがあった。近所の人たちだ。
「あ、おかあ」
言葉が出ない。目の前に立つその人物は私に気付くと、私目掛けて刃物の振り下ろした。私は咄嗟に家から逃げ出した。悲鳴を上げることも、誰かに助けを求めることも忘れただただ走った。夢だと思った。これは悪い夢だと。何かの間違いであって欲しい。
「きゃああああーーーー!」
誰かの悲鳴が聞こえる。私は怖くて振り返れなかった。後で知った。偶然通りがかった人が犯人と出くわし、そのまま殺されたことを。
私は怖くて怖くて走った。私の家の周りは少し入り組んでいてちょっとした迷路だ。私は目を瞑って走った。そして、
ピピーッ!
車の警笛が聞こえ私はその場に倒れ込んだ。
「おい、大丈夫か?」
「危ないじゃないかいきなり飛び出したら」
出てきたのはスーツ姿の男の人が2人。
「君、どうしたんだその血?」
「へ?」
私の服には大量の血が付いていた。きっとさっき玄関で座り込んだ時にでも着いたのだろう。
「あ、ああ」
「君、しっかりして。おい、すぐに本部に連絡!」
「は、はい」
私が出会ったのはたまたま巡回でこの近所を回っていた警察の機動捜査隊の人。私の様子を見てただごとじゃないと思い連絡を入れた様だ。
「君、名前言える?」
名前、名前を言わなきゃ。ただ、今までのことが頭から離れない。
「岩槻、現場に女性刑事を数名寄越すように要請してくれ」
「了解しました」
私の為にその人は女性を呼んでくれた。
「あ、あのう」
「ん?」
「わ、私は宮原雫です」
「雫だね。何があったか話してもらえる?」
話す。話す。さっきのあれを話す。
「うっ」
さっきの光景がフラッシュバックして私は頭を抱えた。恐怖が私を襲う。あいつが私を狙う。きっと私も殺される。
「う、わあああああああ」
私は恐怖に耐えられず悲鳴を上げる。あまりのことに2人も困惑する。
「お、落ち着いて。深呼吸出来る?」
私は言われるように深呼吸を試みる。ゆっくりと息を吸い吐く。それを何回か繰り返す。
すぐには落ち着かなかったがその間ずっと、男の刑事さんが背中をさすってくれていた。
「川口さん」
「どうした?」
私に親身になってくれた人は川口と言うみたいだ。
「今本部より連絡がありました」
「それで、なんと?」
「すぐ近くの家で大量に人が血を流して倒れてると通報が」
「何!?まさか?」
岩槻さんの話を聞いた私は硬直した。間違いなくそれは私の家に違いない。そんな事件がこの近所で2件も発生するものか。
川口さんは私に目線を併せ、話しかけた。
「君の家の住所を教えてくれ」
「私の家の住所は・・・」
「さっきのここからの連絡でこちらに向かってるものの行先を、通報の現場に変更。我々も向かう」
私は川口さんと岩槻さんの乗る車両に乗せられた。
サイレンを鳴らしながら進む車はあっという間に私の家に到着した。当然まだ他の人は来ていない。
「おい、何だこれ」
家の入口の前で倒れる女性とその先の玄関で倒れる人を見て岩槻さんは言葉を失った。私は外に出たくないと言いその場に残った。
その後は続々とパトカーが集まって来て一気にこの一帯は規制された。事件の大きさだけにテレビのカメラも多く来ていた。
すべての捜査が終わったのは夜8時を超えた時。
これで私の地獄は終わらなかった。
2日後、お父さんが逮捕された。あの事件の犯人として。初めは何かの間違いかと思った。そう思ったのに、お父さんはあっさりと認めた。
「なんで・・・」
私の目の前をお父さんは通ったが私に目を併せずにその場を後にした。動機も何も語らずにいるその姿に私は怒りを覚えた。
私がどうしたらよいのか分からずその場で塞ぎ込んでいると川口さんがやって来た。
「何て言葉を掛けたら良いのか分からないけど、少しでも良い。前を見てくれ」
その言葉は私には届かなかった。こんな状況下で前など向ける訳がない。
連日この事件は様々なニュースで取り上げられた。当然と言えば当然だ。白昼の住宅街で大量の人が殺されたのだ。私のことを警察の人は伏せてくれていた。だから私は一切事件に関わっていないことになっていた。
けれど、どこで誰が見ているのか分からないこの世の中。それは時としてあまりにも理不尽で残酷だ。
すぐに私のことは特定された。私が逃げた時に殺された女の人のこともニュースになっていた。SNSなどでは私が逃げたからその人は死んだ。私は犯人の娘だから生かされた。など、様々ことが行きかった。
私は、大量殺人を逃れた少女から一転、大量殺人を犯した男の娘となった。こうなると、周りは簡単に私を切り捨てた。
「犯罪者の子供」
「人殺しの子供」
「血塗られた子」
近所では私はそう言われ続けた。私はその環境に耐えられなかった。さらに拍車をかけるように学校でもこの現状は続いた。
「来るな、人殺しが」
私が登校して真っ先に掛けられたのがその言葉だった。
皆誰1人として私と目を併せようとはしなかった。そして、
「どうして」
机にはただ、赤いペンで
人殺しの娘 今すぐ死ね 消えろ 来るな 近づくな お前も同罪だ
言われない言葉で机が埋まっていた。
その日私はすぐに家に戻った。家と言っても施設だ。身寄りのない私は施設に行くことになった。
誰にも気づかれぬよう私は静かに戻った。
私はこの場所には感謝している。何も言わずに私を置いてくれた。それだけで十分だった。暫しの安寧を得られた。そう思ってもそれは決して長続きしなかった。
すぐに私のことが感づかれ施設に影響が出始めた。施設の人は私のことを守ってくれたが、私はこれ以上周りに迷惑を掛けたくはなかった。だから私は小学校を卒業するのと同時に、施設を出ると告げた。勿論止められた。
「雫ちゃん、馬鹿なことは言わないで」
「でも、良いんです。これ以上迷惑は」
「そんなことないわよ」
そう言ってもらえるだけで私は十分だった。だけど、私のせいでこれ以上はここに居られない。
せめてと言うことで最後に、私の次の生活の準備をしてくれた。ここから離れたところにあるアパートと新しい中学校への入学の準備だった。
「雫ちゃん、もし辛かったらいつでも戻って来てね」
「ありがとうございます。でも多分戻りません」
戻ってはいけない。私は既にそう決めていた。これ以上ここに私が居ることで迷惑を掛けたくはない。
新天地での生活は割とましだったと思う。私のことを知る人が無かった。ただ、不用意に人と関わることは控えた。出ないともし私のことが露見した時きっと後悔するから。
ただ、私に声を掛けて来る子は何人かいたと思う。その子たちとは少しばかり交流を持った。それ以上は無い。
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1年間何事も無く過ごせたのがおかしかったのだ。
「何とか言えよ」
また、声が聞こえた。ここで私に何を語れと言うのだろうか。例え何か言ったところで意味を成さないことくらい既に知っている。
「――っ」
出そうで出ない言葉。私はここから逃げ出すことを選びたい。でも動けない。周りが私をここから逃がそうとしない。
結局何もなかったようにしても無意味なのだ。この1年で私が築いたものなど張りぼてにさえならなかった。
崩れるのは本当にあっという間だ。
ガシャ
床を見つめる私の足元に刃の出たカッターナイフが飛んできた。誰かが私の足元に投げたんだろう。
「そいつで自殺しろよ」
誰が言ったかは分からない。周りは止めるどころかそれに同調する。誰1人私に味方はいない。それが私のしてきたこと。誰とも関わろうとしなかったから誰も私を守らない。それだけだ。
私は教室を飛び出した。そこではない、どこかへ行きたかった。私が教室から飛び出した後、笑い声が教室から聞こえた。
「はあ、はあ、はあ」
私は思わず家に戻っていた。私の家は学校のすぐ側に位置している。だからかもしれない。自然と私の足が家に向いたのも。
「なん・・・で・・・・」
何で私がこうならなければならないのか。私は何もしていない。なのにどうして私が。
少しの希望さえ許されないのか。私にはもう生きる場所さえ与えられないのだろうか。
私だって殺されかけた。なのに、そんなことより父親が殺人を犯した。そのことが圧倒的に上位に立った。何で。答えは簡単だった。
「そんなに自分より下が欲しい?」
守られる弱者より、守られない弱者の方を選ぶ。そんなことなど2年前から分かっていた。
今はもう私には犯罪者の名前しか残っていない。私は何の罪も犯していない。身内がそうだからと言うだけの理由だけで十分だと言うのだ。
「もう、私には何もないのに」
私は感情を封じた。笑うこと、泣くことを禁じられた私は感情を心の奥に封じ込んだ。私はこの学校で表情の変化に乏しい子でいられた。それだけで私に一時の安らぎが訪れた。そう思ったのが間違いだったのかも知れない。
その日は私は部屋の隅で蹲っていた。
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「消えろ」
「死ね」
「近寄るな」
全てを失った少女に誰かも分からぬ声が少女を襲う。目に見える物だけでなく、目に見えぬ物まで捨てた少女に声は止むことくなり続ける。
「人殺し」「人殺し」「人殺し」「人殺し」「人殺し」「人殺し」「人殺し」「人殺し」「人殺し」「人殺し」「人殺し」「人殺し」「人殺し」「人殺し」
違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。
私は誰も殺してなんかない。なのに、何で私が。
少女の心が限界を迎える。
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「はっ!」
少女は勢いよく顔を上げた。
「はあ、はあ、はあ」
――夢。また、あの夢。もう、何度見たか分からない。あれを見るたびに私の心と体はすり減っていく。現実でも、夢でも私は追い詰められていく。
時間は夜7時。帰ってからずっ眠っていたのだろう。
その日、私は寝ることができなかった。
次回.絶望と微かな光の物語