死神さんと恋人
彼と付き合ってもう五年になる。
彼と知り合ったのはつい昨日のように感じられる学生時代のこと。
お節介なスマートフォンは丁寧に今日の日付と年数まで教えてくれる。ああ。もうこんなに時が経ったのか大学を卒業して三年。会社での自分の位置や仕事の要領がなんとなくわかってきた気がする。
彼は都内の会社が借り上げている賃貸マンションに住んでいた。いわゆる独身寮というやつで何度か部屋に入ったことがあるが彼はなんとなく罪悪感があるようでいつも顔をしかめる。
彼はどう思っているかはわからないがそろそろ結婚という文字がちらつき始めた頃である。
私はすぐにでも結婚したいわけでなく気楽に彼と楽しくやりたい気持ちが強いから自分から結婚を催促したことはなかった。
彼の名前は佐原魁斗という。
佐原くんとも、魁斗くんともどちらで呼んでもきっと怒らないだろうがなんとなく恥ずかしいから心のなかで彼と呼んで他人行儀に落ち着いてしまう。そんなことを思っているからか日常生活でも名前を呼ぶ機会などそうはないことに気づかされる。
「ねぇおなかすかない?」
読んでいた雑誌を読み終わりパソコンをいじっていた彼に言った。外に食べに行ってもいいが窓から容赦ない太陽の光が降り注いでいるのがわかり、気力をなくす。
「なんか作ってくれたら嬉しいな」
「材料があるならいいよ」
彼の声は耳に届くと透き通るように淡く、血液にそのまま溶けて流れてしまうそんな感じだ。
「たしかそうめんがあったかな、そこの戸棚の奥に」
「見てくる」
そう言って戸棚の奥を手で探ると束になったそうめんを見つけた。
「あったよ〜」
「よろしくお願いしやす」
彼はあまり喜怒哀楽の表現を出さないから、彼の気持ちを読み取るのは至難の技だけれど時折見せる笑顔や不器用なくせに笑っちゃうくらいのまっすぐな性格にキュンとしてしまう。
「ぐうたらさん、茹で上がったぞー」
私はそうめんが入った鍋を中央のテーブルにめんつゆと置いた。
彼がちゅるちゅるとそうめんを口にすする。
テーブルの四方にめんつゆの粒が飛びちるのをお構いなく。
「休みにぐうたらして彼女に作ってもらったそうめんは贅沢だな」
「それはどういたしまして」
私もそうめんをちゅるちゅると口に運ぶ。順調に箸を進めていた彼の動きが止まる。
「どうしたの」
「いや、少し昔を思い出していてさぁ」
「どんな?」
「初めてのデートのこととか、食事にいったときなに食べたかとか、あと結婚のこととか」
言ってから彼がしまったという表情になる。あまり顔を変えない彼としては珍しく動揺している。
「過去と将来がごちゃまぜになってない」
「どちらかというと将来を主に考えていて過去はそのおまけなんだけどね」
不意に目があって笑う。
先のことを考えると不安ばかりだけど彼とならなんとかなる気がする。
私が始めて心の底から好きになった人。
中学高校と私は嫌われていた。
殴られたり、蹴られたり、仲間外れにされたわけではないけど、私は嫌われていたのだ。
その時は、理由などわからず、成績も悪くなく性格も普通よりいい方だと思っていたのに。
自分が嫌われている理由を知ったのは大学二年の春だった。目覚まし時計をセットし忘れて危うく講義に遅れかけ、早足で教室に入ろうとした時だ。
「菜穂子のこと?」
「そうよ。男に色目使って媚び媚びの。ほんとイヤな女」
仲の良かった友達が自分の悪口で盛り上がっているのを知った時はショックだった。しかし誤解しないで欲しいのは私はこれまで彼氏など一度もできたことなく、全くもって清らかな身体だったのだが、周りの女の子たちからはとにかく手当たり次第に男に愛嬌を振りまくぶりっ子と思われていた。
そんなに意識したわけでもないが思い当たる節はある。
頼んでもないのにブランド物のバッグをもらったり高級なレストランに連れてってもらったり。もちろん最初は遠慮していたが、貰えるものはもらっておかないと相手にも失礼と開き直っていた。そんな状況を楽しんでいたのかもしれない。
彼としっかり話をしたのは季節変わって秋のことだった。
教科書を忘れた私にスッと自分の教科書を貸してくれた人。その人こそ佐原魁斗だった。
彼とは一年生の時にゼミが同じでお互いなんとなく顔は覚えていたが今年度始めての顔合わせでなんとも言えず見つめう。沈黙が生まれ、無理に会話することもないかと笑ってから前を向いてノートをとる。
彼が私をデートに誘ったのはそれから一ヶ月後のことだった。きっかけは些細なことだったが以降彼とはよく一緒になることが多くなっていった。
デートと言ってもどこに行くわけでもなくお金がない彼とのデートは近くの公園をぶらぶら歩いてその公園で見かけた犬がメスなのかオスなのかをあてっこする程度のものだった。
しかし私はどんな豪華な場所に連れてってもらうより楽しかった。いままで何人もの男性が告白してその度に高価なものをもらったけれど、彼と仲良くくだらない話をしていた方が楽しかった。
今でも休みの日に彼に抱かれているだけで私は幸せになれる。
「もうこんな時間か」
仕事が立て込んでいたため定時に帰ることはできそうにない。今日は彼が私のアパートに来てオムライスを作ってくれる日だ。猛スピードで仕事を片付けて時計を見ると七時をまわっていた。タイムカードを押し少し急いで家路を目指す。
北千住の駅から歩いて五分。
閑静な住宅街から一本外れた道を通ればすぐそこに彼が待っているアパートが見える。
「!?」
激痛が走った。お腹を抑えた手は真っ赤に染まっている。
あれ。
どうなってるの。
目が点になり、頭皮から汗が噴き出す。
膝から崩れ落ち意識が霞む。
彼が待ってる。帰らないと。
起き上がろうにも力が入らない。
痛い、痛い。
彼に会いたい。
彼が待ってる。私の大好きな彼が、死にたくない。怖い、悔しい
いろんな感情がごちゃまぜになって涙に変わって流れる。
後ろからナイフで刺された傷より彼に抱かれることができない絶望感の方が大きかった。こんなことならもっと大好きと言えば良かった。愛してると照れずにしっかり言えば良かった。
私は彼と過ごすはずだった未来を思い描いて
いる。
「魁斗くん、魁斗くん……」
私はゆっくり目を閉じた。
「おはようございます……って時間関係ないか」
私が目を開けるとそこには眠そうな顔をした黒ずくめの男が立っていた。それ以外はなにもなくただ白い空間があるだけだ。
「ここはどこなの?あなたは一体」
ああ私ですかとうんざりした様子で男は言った。そして気だるそうに口を開く。
「まずあなたは死にました。あなたを刺した通りすがりの男は、あなたが昔ふった男だそうです。逆恨みですね。よくある話です。そして私は死神。あなたの魂を回収しに来た。ここは生と死のちょうど境目の場所。以上、他に質問は?」
私はいきなりのことでよく理解できなかったがこの男の口調には腹が立った。
「まぁでもあなたは運がいいですよ。俺は運を使い果たせずに死んだあなたの手続きに追われてもうついてない」
「どういうことですか?さっきから」
死神と名乗る男によると人間は生まれつき運という目に見えない不思議な力があってその大きさは人それぞれであるらしいがほとんどの人が運が尽きると同時に寿命が尽きるという。
「つまりあなたの死は想定外の死で、天寿をまっとうされたわけではないのです。あと少し早く気がついていればどうにかなったかもしれませんがどうにもアナログでね。間に合いませんでした。でも悪いことばかりではありません。特典があります」
男はキョトンとする私を見て続ける。
「あなたはおそらく天国行きです。次に生まれ変わるとき今の運を引き継ぐことができます。あれ、理解してないですね、例えばお金持ちの家に生まれるとか、優れた才能を持っているとかそんな感じです」
説明を終えると誇らしげにしている男に私は言った
「そんな特典いりません」男は目を丸くしていた。
「私は彼に佐原魁斗にもう一度会いたい会って愛してるといいたい、できますか?」
男はうーんと唸って固まった、ずいぶんと悩みようやく重い口を開く。
「珍しいタイプの人だ……。わかりました。では一晩だけ時間をあげます。ただあなたが死んだ過去は変わりませんからあしからず」
私は急激な眠気に襲われまぶたが自分の意思とは裏腹に下がってくるのを感じた。
気がついた私は彼が待つアパートの玄関の前にいた。さっきのは夢だったのか?そう思いかけてみるが、死神を名乗る男が私の隣に立っていたので淡い期待は捨てた。
「俺も野暮じゃない。恋人と過ごす最後の夜に干渉なんてしない。明日の朝あなたを迎えにくる。それまでに彼に伝えろよ。自分の気持ちを……」
死神に背中を押されるのも変な話だが私はドアノブに手をかけた。
「おかえり」
そこには彼がいた。
「ちょうどできたんだ座って」
テーブルにはすこし崩れたオムライスがふたつあった。黙々と食べる。こんなに美味しいと感じたことなんてなかったのに、
「どうしたの?」
彼が心配したように言った。
私は涙をぽろぽろ流しそれでも夢中になってオムライスを口に入れた。
「泣くか食べるかどっちかにしろよ、忙しいやつだな」
「うるさい」
彼はなにも聞かなかったただ私の食べっぷりをじっと見ていた。そんな私の心を受信したように彼が唐突に言う。
「今夜、泊めてくんない?」
私の答えを待たずに勝手に布団を押入れから出して床に敷いた。キッチンの流し台にはふたりぶんのお皿があったが彼は明日洗えばいいと言って私を隣に呼んだ。
私は彼の腕に抱かれた。
ごめんね、ごめんね。
なんどもなんどもそう言って泣いた。
彼は私の身体を割れ物を扱うようにやさしく包み込んだ。そして私はそのまま彼に抱かれた。
人生で一番短くて儚い夜を彼と一緒に過ごすことができる。彼とつながったとき私の身体に彼の優しさが入ってきて血液に溶け心臓を通して全身に行き渡る。私の身体が彼を強く求めて暴れ出す。
ああ、そうかいま私幸せなんだ。
私は彼の耳元でつぶやく。身体が熱くなっていくのを感じて、余韻が冷めぬままお互いの唇を重ね合わせて深い眠りに落ちた。
ばしゃばしゃという水の音で私は目覚めた。彼はまだ起きる気配がなくすやすやと寝息を立てている。
「おはようございます」
「死神って洗い物できるのね」
「神様だって家事はしますよ」
死神は、そう言って最後のお皿を食器棚に戻す。
「ねぇ私、また彼に会えるかな?」
死神はゆっくり近づいて私に触れた。体の力が徐々に抜けて、うっすら透明になり始めた。
「さぁ。でもあなたが強く望めばきっと奇跡は起きますよ」
「それでその女の人はどうなったの?粕壁さん」
粕壁と呼ばれた死神はあくびをしながらだるそうに頭をかいた。
「それからのことなんて私は知らないし、さして興味もない」
「えぇ〜ここからがいいとこなのに」
メモを取りながら少女は顔を膨らませた。
「なんでもいいから、荷物持ってくれよ。買い物に付き合わされる死神の身にもなって」
「私は将来のために執筆中なの。だから今日はオムライス作って」
「きみはオムライス好きだね」
「粕壁さんは料理からっきしだけど、オムライスは美味しいからね。誰かに教わったの?」
「さぁな」
少女と死神の間を二人の幼い兄妹が通りすぎる。仲の良さそうな双子の兄妹だった。
少女は何かひらめいたように目を輝かせて言った。
「ねぇこういうのはどうかな、現世で結ばれなかった恋人は来世で双子として生まれるの。ロマンチックでしょ」
男は通り過ぎた兄妹の背中を見て笑った。
「お兄ちゃんずっと一緒にいてね」
「大丈夫。ずっと一緒にいるよ」
死神はまたあくびをしながら歩き出した。




