死神さんと大学生
「おはようございます。確認電話をします大宮支社の斎藤です。今から出発します」
「お疲れさま。斎藤くん現場ついたら粕壁くんがいるからまた連絡してね」
しがない大学生の僕、斎藤一は握りこぶしが入るくらいのあくびをした。眠気覚ましにつけたテレビの星座占いを見て今日、一番運勢がいいのは天秤座だと知って小さくガッツポーズ。
朝の六時僕は警備服を身にまといアパートをでた。
こんなに早く出勤するアルバイトは一体なんだというとずばり警備員のアルバイトだ。日給は交通費込みで九千円ほど今日が初出勤だから少し緊張していた。
土曜日の朝からアルバイトとは他に遊ぶ女の子はいないのか、いないのである。花の大学三回生の休日は泣くも無残に始まるわけで現実を逃避するように携帯の音楽アプリを開きイヤホンを通してイケイケの洋楽を体に流す。部活だろうか?運動服をきた二人組の女子高校生が猛スピードで通り過ぎた。まだ七時前だというのにあの急ぎかたからしておそらく一年生だ。僕も経験がなかったわけではないからよくわかる。
そういえばなんとか大学のなんとか教授がテレビで言っていたことを思い出した。
人間という生き物は年を取るたびに体感する時間の感覚が変わるという。うまく説明できないが遠足のバスで行きは長く感じるのに帰りはあっという間についてしまうあの感じによく似てるらしい。
埼玉県の草加市に住む僕は六時十三分発の電車に乗り込んだ一ノ割駅近くの現場まで一本でつくのでラッキーだと思う。
スマートフォンの地図アプリで駅から三百メートルほどの現場だ。五分も歩けば着いてしまう。
「おはようございます。大宮支社の斎藤です今日はよろしくお願いします」
現場監督に挨拶して説明を受けた。
仕事内容は通行止めだった。トラックが機材を運んでくる間その周囲を閉鎖する。
「相方さんまだきてないね。来たら配置いうから教えて」
千住支社の粕壁さんは若くて優しいと聞いていたから安心していたが時間にルーズらしくいつも勤務ぎりぎりに姿をあらわすという。
「お待たせしました。粕壁です」
本当にぎりぎりにやって来た彼は悪びれる様子もなくあくびをかいた。
「よろしくお願いします」
「はい、よろしく」
無愛想な挨拶に面食らったが初出勤の僕は右も左も分からない素人、この人に頼る他ない。見たところ歳は僕より少し上。
支社への報告を済まして勤務についた。二時間ごとに十五分ほどの休憩があり、僕は粕壁さんに缶コーヒーを渡した。
わるいねと言って粕壁さんは嬉しそうに缶コーヒーを受け取った。
「学生さん?」
「はい。△△大学に通ってます」
「名門、名門」
そう言うと粕壁さんは缶コーヒーを口に含み小さく息を吐いた。
「私もね〜ちょっと前までは出世街道まっしぐらのエリート社員だったのよ〜それがさぁたった一回のミスで首切られてさ。いまじゃ日払いのバイト暮らしだよ。なんかさもう頑張っても頑張らなくても貰えるお金同じだから極力頑張らないようにしてるんだ」
「そこは頑張りましょ」
「私が頑張ったってみんなが笑顔になるわけでもないし」
「そんなことないですよ」
作業場にある鉄の匂いが風にのって鼻をかすめた。組んだばかりの足場をさっそうと登りトビの職人さんたちは持ち場につく。
「警備員さん。作業開始しますよ」
現場監督の呼びかけに僕は返事をして持ち場に戻った。粕壁さんも残ったコーヒーを一気に飲み干しまた元の位置に戻る。
それからは何事もなくスムーズに進み午後に行うはずの作業が予定より早く終わった。今日は、本当にラッキーだ。
支社に勤務終了の報告を入れ帰り支度をして粕壁さんと別れた。
「あ、斎藤くん」
別れ際そう声をかけられ立ち止まる。彼は内ポケットからとりだした手帳を確認し、なにやらペンで書き込んでいるように見えた。
「なんですか」
「寄り道せずに帰りなさい」
「ハハ、子供じゃないんですから。寄り道くらいしますよ」
「そうだな。すまない」
粕壁さんはそう言って笑って僕に手を振った。
僕は頭を下げて手を振り返した。
仕事が昼前に終わったのだ。残りの半日をどう使おうか悩んでいた。
仲の良い友達も午前とも午後ともいえない中途半端な時間に遊べるやつも都合よく現れずとりあえず近くに本屋さんがないかと探して広い通りに出た。
最近変えたばかりであろうLED仕様の信号機が青色を点滅させている。道を挟んで向かいに大きな書店があることに気づいた僕は一目散に歩道を走った。
それがいけなかったのだ。
しかし、交通事故に遭うことを本気で考えて道を歩くやつがいるだろうか、いやいない。本当に事故にあって、まして死んでしまう未来なんて誰が予想する?そんな将来を覚悟して生きてるやつなんているはずないのだ。
だって僕は本来ならあそこの書店で新刊を読み漁っていたはずだから。それが僕の未来のはずだから。
ブォーンという警笛音が鳴り響いたときには僕の体は宙に浮いていた。
走馬灯とはよくできたもので宙に浮いている刹那全てを理解した。
おそらくあのトラックは制限速度をはるかに上回る速度で走行していて、ブレーキをかけるそぶりがなかったことと運転手の片手に携帯が握られていたことから完全なわき見運転だと断定できた。空と地面が二、三度逆転してアスファルトが迫って来た。
今日は運勢がいい日なんだけどなぁ
それからはもう何も分からなかった。
ただべちゃという自分の頭が割れる音がはっきりと聞こえた。
……はずだった。
僕を吹き飛ばすはずのトラックは鼻の先が当たる寸前の距離で止まっている。
いや、トラックだけではない全てのものが止まっていた。自分の体も空も太陽でさえも
「寄り道せずに帰りなさいといったろう」
かろうじて動いた首から上を動かして見ると粕壁さんが眠そうな顔をして立っていた。
「僕は死んだんですかね?」
そう言うと粕壁さんは一歩ずつ近づいてきて僕に触れた。そのときなにかから解き放たれたように体が動いた。僕が落ち着くのを待って少し歩こうと言った粕壁さんは陽気に話しだした。
「本来なら君は死んでいた。だが君は徳を積んだ。運命が少し変わったのだよ。だから生きている」
「あなたは神様なんですか?」
僕の質問に高笑いした粕壁さんは困惑した僕を楽しそうに眺めて言った。
「神様か。そう言った類のものだと良かったね。私はね、神は神でも死神だ」
「しにがみ……」
「怯えることはないよ。いまから斎藤くんの魂を狩るわけじゃない。もし狩ったとしても貰えるお金は同じだし、手続きめんどくさいし、私はそんなに頑張り屋じゃないからね〜」
書店の前まで歩くと急に足を止めた粕壁さんは後ろを向くとじゃあと手を上げて、どこかに行ってしまいそうになる。もう会うことはないだろう、そう強く思った。
「あの、ありがとうございました。最後に教えてください。なぜ助けてくれたんですか?」
粕壁さんは立ち止まり顔を少し僕がいる方へ向けた。
「コーヒー奢ってくれたからかな」
時計の針が動きだした。
目の前にはもう彼の姿はなかった。