大正浪漫恋慕:『蓮と撫子』
大正浪漫恋慕
「美味しい! こ、こんな美味しい物、初めて食べました」
黄色い卵で炒めたご飯を包んでいるだけなのに、こんなにも美味しいなんて。
「そうなのですね。このお店は小生が稽古の合間に利用していまして、中でもこのオムレツライスは一、二を争う程の人気メニューなのですよ」
「蓮様はいつもお召し上がりになっているのですか?」
「いえ、1人では味気ないというもの。やはり、ご一緒に食べて頂いて素敵な笑顔を間近で見たい。という願望がありましてね、こうして撫子さんとご一緒出来たのは無類の極みと言うものですよ」
「そ、そんな……勿体無いお言葉」
「小生は嘘偽りなど申しません。あなたが、撫子さんが愛しい方だからこそ、ですよ」
蓮様との出会いは観劇に行った時のことだった。劇場へ出向くことはわたしにとって贅沢の嗜み。滅多に来られない劇場を歩いていた時、どこから入ればいいのか迷ってしまい恐らくは一般の人間が立ち入ってはいけない処にまで、足を運んでしまっていた。
「御嬢さん、これからどちらへ行かれるのです?」
「お芝居を観に行きたいのですけど……こちらではないのでしょうか?」
「申し訳ない。ここより先には楽屋しかありません。迷われてしまったのですね。お詫びとして、席までお連れしましょう」
「あ、ありがとう御座います。あの、役者さまですか?」
「申し遅れました。小生は、演者の蓮と申します。以後、お見知りおきを……」
「わたしは撫子……」
彼との出会いはここから始まり、滅多に観劇に来られないわたしではあったけど、芝居を観に行くと必ず出会い、話をした。いつしか彼は夢を語りだし、それを彼の傍らで頷きながら聞く。そのひとときが互いの恋慕を上げていったに違いなかった。
「小生は、いつか座長になるのが夢なのです。そうして、その芝居を観に来て頂いている大勢のお客様から、万感の拍手を貰えたら……至極、幸せな時を送るに違いありません。そしてその時、傍に撫子さんがいてくれたら、小生は幸せの渦に飛び込んでしまうでしょう」
「蓮様……」
「その時が来るまで、約束を取り交わしませんか? その方法をあなたにお教え願いたく思います」
「で、では……ゆびきりでいかがでしょうか」
「いいですね、では小指を」
わたしと蓮様は互いの小指を絡ませて、約束を交わし来るべき祝賀の時を待ち望んだ。そして、幾月を経た日、彼はわたしを洋食店へと誘ってくれた。
「撫子さん、あなたがずっと小生を見守り、応援をしていただいたからこその夢叶いだと思っていますよ」
「そんなこと、ないです。で、でも、本当にわたしも私事として嬉しく感じています。おめでとう御座います、蓮様」
「何か褒美を頂いてもよろしいでしょうか?」
「えっ? ですけど、わたしには何も手持ちの物がありません……」
「では、小生が撫子さん……撫子に褒美を」
洋食店の中、わたしと蓮様の時が止まったように感じた。彼の清い心はわたしの緊張をほぐしてくれている。一瞬、目を閉じたわたしに彼がしてくれたこと……それは――
「撫子……愛しい方ですね。撫でたくなるほど可愛らしい……」
優しい彼の手がわたしの頭を撫でている……これだけのことなのに、何だかとても――
「惜しいことですが、ここまでで我慢を致しましょう。仮ではありませんが、座長ですからね……」
「そ、そうですね」
洋食店の視線は殊の外、わたしたちに集まっていた。いけない、いけない……迷惑をかけてしまう所だった。店から外へ出た処で、蓮様はわたしを真っ直ぐに見つめ、声を発した。
「続きはいずれまた、次の時が刻まれるまであなたを、撫子を慕い続けることを約束しましょう」
「わたしも、蓮様をお慕い続けます」
互いの小指をするりと抜かすも、見えない糸で繋がれた想いは馳せることなく続いていく――




