思い出のライラック
思い出のライラック
「はい、これをマニュアル見ながらやってみて」
「は、はい。えと、最初からですか?」
「うん、そうです。あと、メモも取った方がいいかな。後で自分で確認出来るし、メモはこれから先も必要だからオススメかな」
「あ、ありがとうございます。お名前は、えっと……」
「俺は、春輔って言います。よろしく、なずなさん」
初めてアルバイトをすることにした私は初日に、接客についてのマニュアルを見ながらベテランで先輩の春輔さんに付いてもらって教わることになった。
彼はお店で働いてもう3年くらいになるらしく、新人が入って来た時には彼が指導することが決まっているくらい仕事を任されているみたいだった。彼は25歳くらい。私よりも2つくらい年上。だけど、しっかりしていて、すごく頼りがいのある感じがしてどうしてか胸の動悸が止まらなかった。
ここでの仕事は映像ソフトを販売すること。もちろん、中古も扱っていて、買取りをした後はきちんと清掃をして中古品として販売している。ゲームとか音楽CDとか扱う品は沢山あって、メモを取りながら教えてもらっていた。そして挨拶の練習をレジ裏ですることになり、つきっきりで教わることに。
「い、いらっしゃいませ~」
「それだと声が小さいよ。もっとお腹から出してみてくれる? 慌てなくていいからね」
「あっ、はい。いらっしゃいませ!」
なんてことを繰り返しながら、お店のルールや接客対応などなどを春輔さんは丁寧に、優しく教えてくれた。新人に対してはたぶん、同じように丁寧に教えてくれているんだろうな。別に、私だけに優しく教えてくれているわけでもないだろうけど、初めてのアルバイトでしかも男性の春輔さんの言葉は私の心を温かくしてくれている。
「うん、なずなさんは覚えがいいね。これならすぐに実戦投入出来るかな」
「あ、ありがとうございます」
春輔さんの言葉通り、私は店頭に立ちすぐに接客に慣れた。教えてくれた彼の言葉がしっかりと私の胸に、心に刻まれたからこその対応だったと気付かされた。
そうして慣れて来た私に彼は、時々気遣って声をかけてくれることがあって、彼に言葉をかけられるたびに、私は緊張と嬉しさが交差して動悸を止めることが出来ずにいた。もしかしたら、これが”恋の芽生え”なのかな。
「お疲れ様でしたー」
「なずなさん、お疲れ。だいぶ慣れて来たでしょ? 見てて安心出来るくらい、いい対応してるよ」
「い、いえ、私なんてまだまだ……」
「これからも一緒に頑張っていこう。よろしく!」
「は、はい」
「なずなさん、どこ方向? 駅まで一緒に歩こうか」
「私は桜木町の方です」
「俺と逆なんだ。じゃあ、ホームまで一緒に行けるね」
いつもはバイトを終えて一人で帰っていたけど、今日は春輔さんが声をかけて来てくれた。どうしよう……私の胸の動悸、収まって欲しい。
「なずなさんが入ってくれて助かったよ。何というかさ、今ってあまりCDとか売れないでしょ? お客さんも少ないけど、店員もあまり入らないんだよね。だから負担が半端ない感じでね」
「そうなんですね。春輔さんはもう長いんですよね?」
「長いって言っても3年だしね。大したことは無いよ」
「そんなこと、ないですよ。だって春輔さんは――」
「あ、ごめんね電話……」
少し離れて話をしている彼。微かに聞こえてくるのは、彼女らしき人との会話みたいだった。まぁ、そうだよね……彼女、いるよね。
電話をしている彼を待ちながら、ふと駅近のお花屋さんに目がいった。私の目に飛び込んできたのは、鮮やかな紫色の、ハートのような形に見えるお花だった。彼はまだ電話を終えていないみたく、私に気付いて片目を瞑って「ごめんね」と言っていた。
せっかくなのでお花屋さんに近付いて、さっきのお花を近くで眺めた。初めてのアルバイトで、”恋の芽生え”を感じたものの、これも思い出の一つとして私は胸の内にしまい込んだ。
恋の思い出をライラックと共に――




