教育と洗脳
昨今、国定教科書問題など教育の現場へと政治思想を持ち込むような事柄や、教師自身の主張や価値観を子ども達に押しつけるような教育方法が問題になりメディアを沸かせる事がある。悲しいことだがメディアに出ている事柄は何事であれ、概して氷山の一角に過ぎない。
元々人間「氏より育ち」であり周囲の環境いかんで何色にも色を変えられる。そして、人間が己の色を変える大切な時期が子どものときであり、子どもたちは幼ければ幼いほど環境へと順応するために人の話を鵜呑みにするものである。そのため主張の偏った事ばかりを見聞きし続ければ、自ずと偏った考えを持って大人になっていく。その子どもたちには全く罪はないが日本国外ではそうした教育によって目的のためには手段を選ばない大人が量産されている事実がある。
そのため教師となる人間はしがらみや自己の理想のために難しいことではあるが、俯瞰して物事を観て子どもたちの真に物事の事実、またその向こうにある真実(事件などの発端・経緯における心情などを含む)を精査する能力を育むことが大事であると私は考える。
難しく考えずまずは、親や教師が悪い事をした時だけ正してあげれば、子どもは自らの力ですくすくと育ってくれるものである。変な押しつけはせず人間性を誉めたり叱ったりでなく、結果に繋がった行動・行程を不器用にでも評価してあげれば、子どもの自信を傷つけずに考えて動ける人間になれるであろう。
あなたの考えや主張を1つの天秤に例えるなら誰かの置いた重りではなく、人から受け取った重りを自分で考え置いていったほうが良いのではないかと私は思う。
人間日々精進。教育と洗脳は紙一重であるという危機感を持って子どもと共に成熟していってほしい。