Ep④ 暴かれる秘密
帰ろうと言われて連れて行かれた場所は、頑丈な幕壁で囲われた優美な造りの城だった。
「ようこそ、ファリファン。今日からここがあなたの住まいだ」
ファリファンの腰へ腕を回し、歩調を合わせてエスコートするマルティネスが秀麗な顔に笑みを浮かべる。
「住まい――今日から――そうですか」
平坦な声色で同じ言葉を繰り返す。
偶人を装いながら、兵士に両脇を挟まれているラムドへと注意を払った。
「兄上のことが気になりますか? 大人しくしてくださるのであれば、拘束を解きますが――」
「はい。兄は……大人しいです……だから……」
「ファリファン、もう装う必要はありませんよ。氷心症でないことはわかっています」
マルティネスが足を止めた。
視線を外の景色へと向ける。
石造りの渡り廊下から見える中庭には、青々と葉を茂らせている木々、そして花壇には花が咲き誇っていた。
「ごらんなさい。美しいでしょう?」
「はい……」
「ここは、特別な場所。魔法によって守られている」
ファリファンの手を引き、廊下の端へと移動する。
「ここにいれば安全です。共に幸せに暮らしましょう」
「何が安全だ――そんなの子供騙しだろ」
ラムドが呆れているかのような目を外の景色へと向けている。
マルティネスは鋭い視線を向けると、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「どこまでも愚かな男だ」
下腹から絞り出すようにして声を唸らせる。
だが、すぐに隣にいるファリファンへと視線を向けると、貴族らしい落ち着いた表情を浮かべた。
「食事にしましょう。あなたは、もっとしっかり食べないといけない」
マルティネスに導かれた先に用意されていた食事は、今まで見たことも食べたこともないようなものばかりだった。
白いクロスがかけられたテーブルには、グラスや銀製のナイフとフォークがセッティングされている。
上座の席についたマルティネスの両脇に向かい合うようにして、ファリファンとラムドは腰かけた。
「配給されているものだけでは、健康を維持するのは難しい。かといって、自給自足もできない」
「一般市民は死ぬのを待つしかないってか?」
「力のある者のみが生き残る。この星は、篩いにかけているのだよ」
「動物も植物も死滅しかけているのに、まだそんなことを言っているのか」
「海が干上がってくれたおかげであの天空の向こう側にあるという大地へ進出できる。悪いことばかりではない」
「どうなっているかもわからない場所を当てにするなんぞ正気の沙汰じゃないぞ」
ラムドの言葉など聞こえないといった様子でフロート型のグラスの液体を飲む。
「すべては、変わる。何もかも――」
ファリファンに視線を注いだ。
ふかふかの柔らかなパンを千切って口の中へ入れようとしていた手を止め、マルティネスをチラリと横目で見てから、正面にいるラムドへと移す。
ラムドの目は、「無視していろ」と言っていた。
「兄としての役目は、忘れてはいない」
「マルティネス――」
「だが、今はわたしが婚約者だ」
ファリファンにはその言わんとしていることがわからなかった。
「ファリファン、ラムドの本来の身体は今どこにあるか、聞いていますか?」
どうして彼がラムドの秘密を知っているのか。
ファリファンは、マルティネスから目を離すことができなかった。
「マルティネス・ドゥライド、この身体がそうです」
(嘘――まさか、そんな――)
考えもしていなかったことだった。
ファリファンの手からパンの欠片が皿の上に落ちる。
「驚くのも無理はありません。婚約者の身体の中にいるのが兄と聞けば、戸惑うのも当然ですからね」
「でも……でも……」
「まぁ、兄といっても血の繋がりはありませんから何の問題もありませんが」
ファリファンが顔を赤らめた。
何の問題もない――その言葉の意味をちゃんと理解していた。
「あなたは、わたしの妻となる。それは、変わらない」
「では、その身体を返してもらおうか」
ラムドが鋭い声でマルティネスとファリファンの間の空気を裂いた。
「できるものか。方法すらわからないのに」
「ファリファンの伴侶となるべき相手は俺だ。貴様じゃない」
「真実を告げることもできない臆病者が伴侶などと軽々しく言うな」
「嘘で塗り固めた偽りの場所を安全だと言い張る貴様にファリファンは渡せない」
「ならば、話してやれ。前世で彼女を殺した男がだれなのかを」
ラムドが顔を歪めて言葉を噛み殺す。
「どうして、そのことを知っているのですか? わたしは、彼にしか、ラムドにしか話していないのに――」
「ファリファン、<星が啼く>その理由を知っていますか?」
唐突に言われて、言葉を失った。
マルティネスが両目をわずかに細めて、困ったかのような顔をする。
本当は話したくはない――とでも言っているかのようだった。
「星獣を求めて星々は啼いているのですよ」
「星獣?」
「えぇ、そうです。この星を守護している聖なる獣――」
「その星獣は、今どこにいるのですか?」
「どこでしょうか……わかりません……だれも居所を知りません。死んだのかも生きているのかも――今のこの世界の現状が星獣の安否を表しているともいえるかもしれませんが」
「マルティネスさん、答えてください。わたしが前世の記憶を持っていることをあなたがなぜ知っているのか――」
「簡単なことです。わたしも前世の記憶を持っているから」
一呼吸おいてから言葉を続けた。
「身体の持ち主の入れ替わりは一見単純そうに見えますが、実はそうではない。マルティネスとラムドが入れ替わったのには理由がある。彼に過去の記憶がないのもそうだ。そして、前世であなたを殺した男は、今だれなのか――と問われれば、簡単だ。この身体、マルティネスだ」
ファリファンの肘が当たり、グラスが倒れた。
零れた液体がクロスにシミを広げていく。
「やめろ、マルティネス!」
怒鳴るラムドをマルティネスが無視する。
「言葉にしてしまえばわかりやすいが誤解を招くことになる。わたしは、一向にかまわないが、ラムドはイヤなのだろう。だから、言えなかった」
「あなたが前世でわたしを殺したんですね」
「だれが殺したかなど問題ではないと思うが?」
ファリファンは、椅子を後ろへ引いて立ち上がった。
「そのような方とは、結婚できません」
「わたしを否定することは、即ちラムドを否定することにもなる」
ファリファンが背中を向けて大きな足幅で出入り口へと向かう。
「あなたがどう思おうが関係ない。その心にわたしを刻み付けよう」
マルティネスの言っていることなど気にするつもりはなかった。
ぱっくりと口を開いた両開きの扉から渡り廊下へと出る。
待機していた女性がファリファンの前で頭を垂れて、軽く腰を下げた。
シンプルなデザインの裾の長いワンピース、頭にはボンネットを着けている。
「お部屋へご案内いたします」
「部屋――?」
「はい。ファリファン様のお部屋は、ご婚約成立以前から用意されております」
「どういうことですか?」
「ファリファン様がお誕生なされたその日から――と申した方がよろしいでしょうね。そのときも盛大な祝い事が催されましたわ」
16年前、すでにファリファンの存在を知っていた。
マルティネス・ドゥライドの存在に恐怖を感じたのは、前世で彼に殺されたからだろうが、彼はなぜ、かつて愛した者を再び求めるのだろう。
ファリファンは、ルダリと名乗る彼女の案内に従うことにした。
通された部屋は調度品も整えられており、掃除が行き届いてきれいだった。
「ファリファン様、あちらのドアの向こうが浴室となっております。新しい下着、そして着替えなどはタンスの中にございます」
ファリファンは、生まれて初めて見る分厚いマットを重ねた豪華な天蓋付きのベッドをポカンと口を開けて眺めていた。
「まだ、お食事を済まされておりませんでしょう? すぐに用意してまいります」
ルダリがいそいそと部屋を出ていく。
お腹は空いていなかったが、あえてそれを否定はしなかった。
(食べ物をゲットしたら、ここを出ていかなくちゃ!)
ラムドと合流する方法を考える。
――だが、思いついた様々な方法は、ルダリによって封じられてしまった。
まずは、運ばれた食事。
肉や野菜、果物、ありとあらゆる食材が使われており、絶妙な味付けで調理されていた。
そのすべての料理一皿一皿がタイミングを計って運ばれてくる。
そばにはルダリがかしずいており、何一つとしてくすねることなどできなかった。
そして、食後のあとは入浴が控えており、一人で大丈夫だと拒否するファリファンを無視して二人がかりで身体の隅から隅まで洗われ、用意された裾の長いドレスに着替えさせられたのである。
もう逃げ出すことなどできない状態だった。
「ラムド……」
外は、日が暮れ始めていた。
バルコニーへと出る。
見渡せる緑に包まれた大草原を力なく眺めた。
(こんな場所があるなんて、知らなかった……)
どうして、ここだけが魔法で守られているのか。
この状態を広げることは不可能なのか。
ファリファンは、両親と生まれてくる赤ん坊に想いを馳せた。
「せめて、お母さんと赤ちゃんだけでも――」
「気にする必要はない。ファリファン、お前は利用されたんだぞ」
声の先には、ラムドがいた。
バルコニーの端の壁に腕を組んで寄りかかっている。
「ラムド、よかった……」
「まだ、ここにいるつもりなのか?」
顎を引いて下から視軸を上げて、怒っているかのようにファリファンを見ている。
引き締まった頬に目鼻立ちがくっきりとしたその顔に、今さらのことのように胸を跳ね踊らせた。
(すごく……カッコイイ……)
「ファリファン、ここを出よう」
真正面に立ったラムドが見下ろしている。
しっとりとしていて、それでいて熱量のある視線がこそばゆくて、ファリファンは俯いた。
(どうしよう……恥ずかしい……逃げ出したい……)
顔がどんどん火照っていく。
身体全体が熱いと感じてしまうほどだった。
「ファリファン?」
ラムドの声を耳にしたすぐそのあと、ファリファンは気を失った。