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プロローグ 世紀末、かつて天を覆っていたもの


 ファリファンはチュニックの裾を踏まないようにたくし上げ、岩場の凹んだ部分に足先を引っ掛けた。


「おーい、無理すんな」


 兄・ラムドが岩場の端から身を乗り出すようにして、見下ろしている。

 危ないのは自分ではなく、彼の方ではないのか――。


「マジで、落ちるから! そこにいろよ!」


 執拗く中断を促すラムドから顔をそむける。

 喜怒哀楽といった感情が生まれつき欠落している氷心症ひょうしんしょうの診断を受けているファリファンは、それが間違いであることがバレないように、無表情でいるよう努めていた。


「おい、集中しろ!」


 身体を支える両手足の先に力を入れて、登っていく。

 上からさらにその上の様子を眺めたい一心だった。 


「すげーな。登れたじゃねぇか」


 差し出された手を掴んで引っ張り上げてもらう。

 ファリファンを見つめるその顔は緩み、割れた口元からは白い歯が覗いている。


「ほら、見ろよ。あれが最後の海だ」


 ラムドが指さす遥か彼方の天上には、薄っすらと闇色に染まる水面が小さくうねっていた。


「夜になれば、あの海の向こうにある星が透けて見える」

「うん」


 天空を覆っていなければならない海は干上がり、燦々と照らす太陽の熱で大地から緑は失われつつあった。

 世界の終わり――だれもが予感していた。


「ねぇ、どうして海はなくなってしまうの?」

「年寄りになったからさ」

「えっ?」


 目を瞬かせるファリファンの頭の上に手をのせてクシャクシャッと髪を混ぜ返す。


「人が年を取るように、この世界を支えている大地も年を取る。それは、自然界の崩壊へも繋がるんだ」

「そう……なんだ……」

「俺達が住んでいるここも星だって知ってたか?」

「夜になると天空に浮かぶアレ?」


 ラムドが腰ベルトにぶら下げたなめし革の袋の中から飴玉を一つ取り出した。

 差し出されたそれを受け取ったファリファンが口の中に放り込む。


「宇宙と呼ばれるそこには、沢山の星々が至る所にあって輝いているんだ」


 ファリファンは口の中に広がる薄っすらと甘い塊を指先でつまんで取り出した。

 次は、ラムドの番だ。

 無言で差し出した。

 ラムドが腰を下げて目線をファリファンに合せると、ひな鳥のようにかぱっと口を大きく開ける。


「甘くなくなっちゃったね」


 歯でカラカラと音を立てて飴玉を転がすラムドが再び指でそれを取り出した。


「糖蜜が手に入り難くなったからな」


 唾液でてらてらと濡れ光る固まりをファリファンの口の中へと押し込み、飴玉の名残りが絡みつく指先をペロッと舐める。

 16になったばかりのファリファンより4つも年上で、その大人な仕草から目が離せずにいた。


「なぁ、ファリファン。お前、心がないなんて、ウソだよな? 氷心症になんか当てはまらないだろ――なんで何も言わないんだ?」


 口の中で転がしていた飴玉を呑み込みそうになってしまう。

 慌てて吐き出したそれを掌で受けとめた。


偶人ぐうじん認定なんて、取り消してもらえよ」


 国からその指定を受けると、認定者の食べ物の配給が引かれてしまう。

 しかし、薬の配給は優先的に受け取ることができた。


「お母さん、もうすぐ赤ちゃんを産むから。それに……」

「――それに? 何?」


 確かに、氷心症とは違う。

 感情を表に出せない理由は他にあった。

 けれども、それを話したところで信じてなどもらえない。

 それどころか、怖がらせてしまうことになる可能性の方が高かった。

 掌にのっかっている飴玉を差し出した。


「ファリファン、氷心症は心がない人形のような状態の人のことを指すんだ。お前は明らかに違うだろ? いったいだれが言い始めたんだ?」


 ラムドが指先でつまんだ飴玉を口の中へ放り入れる。


「もういらないから、それ」


 ファリファンは岩場の端に腰を下ろした。

 天空を覆っている水面を見上げる。

 ラムドの父・モルワと再婚した己の母親の姿を揺らぐ波間に探す。

 身重の母・リーアムは疎開地にいた。


「俺達が生まれるよりもずぅっと前に、今のこの文明と同じような文明があの空の向こうにある大地に存在していたらしいぞ」 

「空の向こうにある大地?」

「技術的にも発展した文明だったらしいが、国と国とが争い合ったせいで大地が汚染されて最終的には滅んだんだと」    

「そうなんだ……」

「そんな文明でも、イジメはあったみたいだぞ」


 ファリファンの隣にラムドがどかっと乱暴に尻を落とした。


「学校でなんか言われたんだろ」


 何も答えられない。

 確かに、その通りだった。


「もう、学校なんてないから」


 子供を学校へ通わせる余裕などどの家庭にもないほど、世界は困窮していた。


「それにね、先生が最初に言ったことなの」


 教員はバスチュラ人と呼ばれる灰色に大きな卵型の目を持つ手足が異様に長い小柄な人外種で、知能は非常に高かった。


「あいつらが言うことが絶対とは限らないだろ」

「その先生達だって、もういないんだよ」


 気候変動に耐え切れずに、バスチュラ人は死滅してしまっていた。


「わかってる。でもさ――」


 日が暮れて次第に闇が濃くなっていく景色を飾るがごとく、波が微かに音を立てている。

 ファリファンは、遠く離れた場所の天空にキラキラとしたいくつかの輝きを見咎め、指さした。


「啼いてる……星が――」


 そう口にした後から後悔していた。

 輝く星々を指さして「啼いてる」と言うと、リーアムは嫌そうに眉間を寄せたからだ。

 ラムドもきっとそうに違いない。


「あぁ、本当だ」


 ファリファンは極力顔の表情は変えないようにしていたが、それでも目を瞬かせてしまっていた。

 ラムドが口の中で砕いた飴玉の破片を取り出し、ファリファンの口の中へ押し込む。


「啼いてるんだよな。俺にもそのようにしか見えない」


 ファリファンは、視線を下げた。

 膝を覆っているチュニックの模様を見つめる。

 舌裏の付け根に挟んだ小さな破片は、唾液と絡み合ってすぐに溶けていく。

 ほとんど味のない液体をコクッと飲み下した。 


「あのね……わたし、前世の記憶があるの……」


 氷心症ではないと言えないのは、そのせいでもあった。

 感情を押し殺さなければ自分を見失ってしまうからだ。

 前世で愛する男に殺された恨みと哀しみは、あまりにも大きかった。

 感情を殺していくうちにそれが自然体となっていた。

 今では氷心症だと自身ですら思ってしまうほどだ。


「ファリファン……」


 その声の調子からラムドが戸惑っているのは、明らかだった。


「だから、このままでいいの。それに、感情がどういうものなのかも忘れちゃったから」


 ラムドがファリファンの膝の上にある手に自らの手を重ねる。


「自覚できてないだけだ」

「心は、もうなくなったのよ」

「なくならない。ファリファンは本当の氷心症を知らない。偶人と呼ばれる人達は、そんな風にしゃべったりはしない」


 視線を上げると、ラムドが覗き込んでいた。


「彼らは、感じることができない。星が啼くなんて思わない」


 ファリファンは、包み込むように重ねられた手の厚みと温もりを感じて身体の緊張を解いた。

 強張る胸の内も和らいでいく。 


「俺が自覚させてやるから」


 ラムドの深緑色の瞳が踊るように輝いている。

 突如として不自然なほど早く鼓動を打ち始める心臓に、ファリファンは戸惑っていた。 


(息苦しい――のは、なぜ?)


 その疑問がすべての始まりを意味しているなどとは、想像すらつかなかった。



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