メグルハ死ノヲト
ーー終わりの刻が、来る前に。
いそげ、いそげ。刻はない……死への坂道へと転がり落ちていく少女……。彼女の為に……。心は急いていた。
紺碧の空に、鈍色の雲が迫っている。トキを惜しむように、階段を駆け上がる少年。不快に絡み付く空気に、汗ばむ肌。葉桜がくれた木陰だけが唯一の救い。
朱塗りの門をくぐり抜け、たどり着いたその先に、果たして……その人はいた。
唐紅の水干に墨色の袴。そして……顔には狐面。噂に違わぬ姿。少年の眼差しに浮かぶは希望の光。
「助けて欲しい、女の子がいるんだ」
震える少年の唇に添えられた黒子が一つ。
「願いには……対価を。その覚悟……アリヤナシヤ?」
初めから答えは決まっていた。下唇をきゅっ、と、噛み。躊躇う事もなく翔る少年の身は、唐紅の衣の元へ。手を伸ばした先には……狐面。
「……契約成立」
少年の視界が赤く染まる。意識を手放す間際……脳裏に過るのは愛する少女のかんばせ。
ーー自己犠牲なんて美しいイロはない。エゴと傲慢にまみれた願いの果ては……。
「桜が咲く頃には、僕はこの世にはいないね」
去年の冬、そう彼は言った。今見上げる桜の葉は血の様に赤い紅。まだ彼は生きている。生きながらえている……今この時は……まだ。
夏の頃、彼は血を吐いて苦しんだ。
「もう……いいだろう? 死なせてくれ……」
それは彼の切なる願い。苦しむくらいならいっその事……。それでも生きてと願うは、己の醜い欲でしかない。
木枯らしが体に染みる季節。少女は襟足の見える程、短い髪を撫で、体を震わせる。彼が絹糸のようだと褒めた長髪はもうない。
それでいい、それがいい。少女は重く片足を引きずる様に階段を上っていく。片足に走る鈍い痛み。過去の傷痕。この程度ですんだのは幸いだ。
私はまだ生きている。生きているからこそできる事がある。
朱塗りの門をくぐり抜け、その先にいるのは……唐紅の水干に墨色の袴。そして……顔には狐面。
再び巡り会うは因縁。
「また来たのかい?」
面の向こうで嘲笑っているような声。少女の形の良い眉が僅かに歪んだ。業が深い。そう想うけれど、譲れぬ物の為に……。
「また……助けてほしいの」
濡羽色の瞳が鋭く射抜くは狐面。視線が交差したのは一瞬。
「次は……髪程度ではすまないよ。今度は君の命でも捧げるつもりかい?」
諭す狐面の声にわずかに滲む憐憫の情。
「髪を捧げて余命を半年。彼の病を治すには……もっと大きな対価が必要だよ」
ーー願いには……対価を。その覚悟……アリヤナシヤ?
頭を巡るは、かの言葉。命を捧げる? 否。自分でも業が深い……そう想う。
「私が死んでも、彼が死んでも、意味はないの。二人が生きる世界でなければ……そんな世界滅べばいい……私の命の半分を彼に。人生が短くなっても、同じ日に死ねるなら……」
思い浮かべるは愛しき青年との日々。もう少しだけ……あの日々が続くなら、短い春も惜しくはない。
命短し恋せよ乙女。
少女の朱に染まる頬を眺め、首を傾げて思案する狐面。
「……昔話をしよう……」
狐面からこぼれ落ちた言葉の欠片。そこに少女は不安の気配を感じ取った。
「ある少年が君と同じ様に『助けて』と願った事があった。……そういえば、あの少年の口元に黒子があったね」
少女の体に雷鳴が轟いた。自然と指が伸びる先は重い片足。この程度ですんでサイワイ? それが幸運ではなく必然だとするなら……。
「彼が死ぬのは……私の為?」
ーー彼は言った『もう……いいだろう? 死なせてくれ……』と。あれはこれ以上身を削るなという事か。
嗚呼……嗚呼……なんたる傲慢。その身を削って私を生きながらえさせながら、私には身を削って死ぬなと願うのか。
「すでに君達の命は互いにすり減らせている。もう二人を生きながらえさせる程残されていないのさ。君が死んだら彼は気づくよ。君の死の真実に」
選べ……そう、狐面が迫る。
「生き残るのは、君か彼か」
残酷な決断。迷い、揺らぎ、悩んだのは数刻……。桜色の唇を開いて、少女は決然と言った。
「私が生き残る」
狐面がからからとオトをたてて笑った。
「業が深いね……。自分の命がそんなに惜しいのかい?」
「違う! そうじゃないの……だって……死んで消えるより、愛する人に先立たれて生きる人生の方が酷だから……」
どちらが死んでも、残された物が苦しむ。愛する人の命を犠牲に生きながらえた命。その重い十字架。ならば自分が命の重荷を背負おう。彼が生かしたこの命。燃え尽きるその日まで……。例え彼を失って、心が死に絶えても……それでも生きねばならぬが宿命。
めぐる、めぐるは命のやりとり。彼から彼女へ、彼女から彼へ。その連鎖を断ち切るは少女の決断。
「君の心根は……強くて脆くて儚い、そして……とても美しい。願わくば君の美しい心が、歪んでしまわぬように」
鈴の様な囁きを残して……狐面は消えた。
「……さようなら」
少女の別れの言葉は、誰が為のもの?
最近どっぷりはまってる文章から抜け出せなくなったので、1本書いてすっきりしようと思って、文章練習のつもりで書きました。
話の筋は1時間も時間をかけてないので、荒い所も多いかと思いますが、楽しんでいただければ幸いです