6-10
「今日皆さんに会っていただいたご老人は、物理学の権威と謳われた学者です。齢はすでに109を迎えていましたし、ここのところずっと体調を崩されていて覚悟はしていたのですが……。まさか今日逝ってしまわれるとは……」
工藤が言葉を詰まらせる。
それに心を痛めると同時に、琴子の胸を刺すような痛みが貫いた。
その稲妻のような衝撃とあまりの痛みに声もだせず、彼女は身体をびくりと痙攣させる。
ちょうどあの刻印のある位置だ。
彼女が正常に思考できたのはそこまでだった。
視界に不安げな顔をした響が映る。何かを叫んでいるのか、口が大きく動いていた。
しかし鼓膜は激痛に塞がれ、その内容は全く聞こえない。
苦痛に悶えながら床に頽れる。刻印の浮かび上がった皮膚に、彼女は強く爪を立てた。
もういっそ、死んでしまった方がましだ。
そう思った刹那、ふっと体が浮かび上がるような感覚と共に痛みが薄れていくのを感じた。
引き潮のようにあっけない幕切れだった。
背中に、手の形をした温もりを感じる。
誰の手だろうと、胎児のように体を丸めながらぼんやり思った。
慎重に息を吐きながら琴子は顔を上げる。憂色を浮かべ顔を覗き込む永谷を、言葉もなく見つめた。
「白井……?大丈夫か……?」
微かに頷き身を起こす。そして忙しなく指を動かし、一番上まで留めてあったブラウスのボタンを二つほど外した。
服を開き、胸元に視線を落とす。その先にある十字の刻印は、どくん、どくんと脈打ち内側から全身の皮膚を振動させていた。
血のように赤く刻み込まれたそれを、白い仄かな光がなぞる様に縁取っている。
「い、いつからそれが……!」
狼狽を隠しきれず、工藤がつんのめるようにして琴子のそばに膝をついた。
「一週間くらい前……退院した日に気づいたんです……それから何度か見てるけど、こんな状態になったのは初めて……」
疲労に満ちた、息の混ざる声で琴子は言った。
伏し目がちの視界の端で、赤い刻印が嘲笑うように鈍く光った。
「なんで……」
透明な水滴が瞬きと共にはじき出される。
限界だった。




