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このままでは、響は永谷を殺してしまう。
琴子は必死でどうすべきかを考えた。
激怒に瞳孔は開き、おそらく何も見えていないし聞こえてもいない。言葉で止めようとしても無駄だろう。
焦った彼女は、少々手荒い行動をとった。
掴まれていた右腕を振りほどき、響の目の前に回り込む。
そして、彼の頬に渾身の平手打ちを食らわせた。
激怒している彼の姿を目にしたのは初めてだったが、不思議と琴子は恐怖を感じなかった。
響の溺れている感覚が、彼女には痛いほどわかったからだ。
能力を使っている時のあの高揚感。それにより込み上がる、危険な欲求。
朝のバスの中で感じた感覚を、琴子はまだ鮮明に覚えていた。あの時翔がいなければ、自分だって力を抑えられなかったかもしれない。
それほどに鮮烈な欲求だった。
しかも、今の彼には強い怒りもある。
二つの激しい感情に揉まれ、本来の人格が流されてしまっているのだと彼女は思った。
引き戻さなければ。多少強引なやり方をしたとしても。
パァンッ!という乾いた音が、小さな教室に響き渡った。
彼女は力がある方ではない。むしろ非力な部類である。
それでも、琴子が体重をのせ必死で放った一撃は彼にそれなりのダメージを与えたようだった。
よろめき、思わず近くの机に手をついた響。
それと共に力を送られなくなったポトスたちは、我に返ったかのようにしゅるしゅると元の姿へ戻っていく。
ぼやける視界をなんとかしようと響は頭を振った。
誰かにぐいと顔を掴まれたのを感じる。
また殴られるのだろうか、と思った。
当たり前だ。あまりにも酷いことをしでかしてしまったのだから。
「響! 聞こえる? 私っ、琴子だよ! きょうっ!!」
聞き慣れた、愛おしい声がすぐ近くで響き、彼は焦点の合わぬ目を見開いた。
今にも泣き出しそうな琴子の顔が、眼前を埋め尽くしている。
自分の頬を挟む両手の優しいことに、今更ながらに気がついた。
彼女の髪の毛と同じ濡羽色の瞳は涙に潤み、きらきらと輝いている。それはまるで満天の星空のように美しく、彼は一時全てを忘れ見惚れていた。
「響!? ねえ!」
「あ……わ、わかるよ……」
彼女の憂慮に塗れた声にはっと我に返り、もごもごと返事をする響。
自分を認識してくれたことと、彼の元の色に戻った瞳に、琴子は全身の毛穴から疲労が浸み出すような安堵を覚えた。
不意に声を放って泣きたい衝動に駆られるが、ぐっとこらえる。
そしてくるりと響に背を向け、激しく咳き込んでいる翔の元にしゃがみ込んだ。




