3-8
シャンプーを取ろうと手を伸ばし、琴子はふと目の前にある鏡に目を向けた。
曇り止めの仕様が施してあるそれに、自分の裸体が写っている。
シャワーを止め、全身を眺めた。
満腹なせいか胃の辺りがすこしぽっこりとしている。
(ちょっと太ったかな……)
お腹をなでながら目線を上げていき、彼女はあることに気がついた。
胸の辺りに、小さな痣のようなものができている。
ぶつけたのだろうかと試しに指でそこを押してみるが、青痣ができたときの痛みは感じなかった。
鏡に近寄り、琴子は目を凝らした。
ほんのりと赤く色づいたそこの中心に、小さな十字のマークが窺える。
痣ではなく描いてあるものかとも思いタオルで強くこすったが、擦った範囲が赤くなるばかりで十字が消える様子はなかった。
(こんなもの、今までなかったのに)
琴子の心に、あの時とよく似た嫌な予感が広がっていく。
(ただの痣、ぶつけただけ、ぶつけた拍子にこんな傷ができただけ……!)
予感を打ち消そうと鏡から目をそらし壁に手をついたが、身体の奥底から湧き上がってくる恐怖心を押さえきれない。
口元を手で覆い、彼女は湯船の中でしゃがみこんだ。
そうしないと悲鳴を上げてしまいそうだった。
夕食に食べたものが一気に鉛に変わってしまったかのように、胃の辺りが重い。
吐き気がこみ上げてきた。
ふーっ、ふーっ、と呼吸を繰り返す。
あたたかい湯船に浸かっているはずなのに、体の震えは止まらない。
琴子は自らを抱きしめ、それを抑えようとした。
「姉ちゃん、まだあがらないのー?」
浴室の外で、大和の声がする。
彼女ははっと我に返り、必死で平静を装い返事を返した。
「はやくあがってゲームしようよ!明日から休みだしたくさんできるよ!」
無邪気な声でそう言い、準備してるね、と去っていく軽い足音。
いつの間にか震えが止まっていたことに気がついた琴子は、立ち上がってきゅっとシャワーのノズルをひねった。
顔でシャワーを受け止めていると、次第に動悸も治まっていくのを感じる。
(一週間……一週間待てば……)
早く、この不安を誰かにぶちまけたかった。
宿題もない、生徒にとっては天国のようなこの休暇が早く終わってくれるようにと願っているのは、きっと私くらいのものだろうと琴子は陰鬱な気持ちで思った。
暗い気持ちを押し流すように、いつもよりも強くわしゃわしゃと髪を洗い流し彼女は浴槽を出る。
濡れた髪をまとめ浴室から出ると、まってましたとばかりに大和が顔をのぞかせた。
「姉ちゃん、はやく!」
その素直な笑顔に、少し心が和んだ。
彼女は にっと笑い、腕まくりをしながらゲーム用のテレビの前に座る。
「よーし、今日は負けないからね!」
「姉ちゃんゲームはからっきしだからなあ」
「なにを!」
わいわいと騒ぎながらゲームをしていると、まるで今までのことが夢のように感じ、琴子はいつも以上にはしゃいだ様子を見せていた。
二時間後、母親の怒号が家中に響き渡ったのは、言うまでもない。




