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両切断面をぎゅっと押しつけ、琴子は指先から自らの血を一気に藤の体内に流し込んだ。拒否反応を起こす前に、細胞に彼女の血液を飲み込ませ、血液型の差異を中和させる。
藤が苦しげに呻いた。顔には脂汗が滲み、噛み合わせを違えてしまうのではないかというほど歯を食いしばっている。
琴子の顔からも、ぽたりと汗が滴り落ちた。
極限まで高まった集中力の中、最後に残った神経の接合を続ける。
ズレのないように皮膚を繋ぎ、ようやく全ての行程を終えた琴子は、役目を果たした不思議な力がそれまであった熱とともに体の奥底へと消えていくのを感じた。
消えた、と思った瞬間、ずんっ、とまるで琴子の周りだけ重力が何倍にも増したかのように身体が重くなった。
崩折れそうになる上半身を震える両腕で懸命に支え、琴子は恩師の顔を覗く。
彼の顔色は正常に戻り、呼吸もずっと安定していた。瞼がぴくりと動き、藤が目を開く。
「白井……?」
「先生!気づいた、よかった……!」
ほっとして気が抜けた途端、琴子の身体はがくんと体育館の床に沈んだ。
藤は即座に身を起こし、両腕で彼女の上半身を抱きかかえる。
つい先程まで死にかけていたとは思えぬほどの身のこなしに、彼自身も驚きを隠せずにいた。
「白井! おまえっ…!」
「うで……」
琴子は、自分の体を支えている恩師の左腕に嬉しそうに触れた。
「腕……動きますね……」
そう微笑んで、目を閉じる。
助けられた。
大切な存在を、失わずに済んだ。
どこか心地の良いあたたかさに包まれながら、彼女の意識はぷつん、と途切れた。
「琴っ!」
「琴子っ!!」
「琴ちゃんっ!」
響を始めとする4人はいても立ってもいられず、琴子のそばへと駆け寄り膝をついた。
それぞれが彼女の手や肩を握り、不安げに顔を覗き込む。
「大丈夫、眠っているだけだ……」
藤が琴子のすー、すー、という呼吸に気がつき、ほっとしたように言った。
遠くの方からサイレンが聞こえる。その音は、次第に近づいてくるようだった。
「ったく、今来たのかよ。相変わらず遅えなこの国は」
永谷が呆れ気味に溜息をつく。
「先生、琴を救急車に乗せましょう!俺たちが運びますから……」
「響、待ってくれ」
急くように言った彼の言葉を藤が静かに遮った。
自らの左手を見つめ、動かす。
もう2度と戻ってこないと思っていたものが、そこには存在していた。きちんと、元どおりに。
「わたしに運ばせてくれ」
その言葉に、翔がでも、と心配そうな顔をするが、藤は安心させるように自在に動く左腕を見せて微笑んだ。
「この腕は、白井が戻してくれたものなんだ。白井のために使いたい」
そして彼女を抱え上げる。
体育教諭らしい、しっかりと鍛え上げられたその体躯と比べると、琴子の身体はひどく華奢に映った。
(ありがとう、白井)
藤は思いを眼差しに込め、琴子を見つめた。
それを声に出すことはしたくなかった。
死の淵から生還した後の、最初の感謝の言葉。
彼女にきちんと聞いてもらえるまで、大切に取っておくために。




