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「えっ、ちょっ! 肩かしてもらえれば歩けますって!」
担任の突然の行為に琴子は手で彼の胸あたりを叩くが、さらにしっかりと身体を抱えられる。
「あれだけのことをしたんだ……疲れて当然だろう。甘えとけ」
さらりと言われた言葉に琴子はささやかな抵抗の手を止めるが、顔は気まずそうに下へと向けた。
片腕だけだとずり落ちそうになるため、もう片方も永谷の首に回し、自然としがみつくような形になる。
本であるならばなんでも読む、というほど本好きな琴子だったが、特に好きなジャンルは恋愛系のファンタジー小説だった。
そこにはお姫様抱っこの描写が必ずと言っていいほどあり、それを読みながら彼女も御多分に漏れず、自分もされてみたい、してくれる相手がいればと夢想することがあった。
(まさか、初めてお姫様抱っこされた相手が先生だなんてなあ……)
失望とは違うが、なんとも微妙な思いを抱きながら琴子は永谷の顔をちらりと見る。
するとタイミング悪くぱちっと目が合い、彼女はすぐさま目を逸らそうとした。
しかし、その時の永谷の瞳が今まで見たことがないほどの悲痛さに染まっていて、琴子は思わずじっと瞳を覗き込んだ。数秒後に彼の方から視線を外し、琴子も我に返ったように顔を伏せる。
下を向いた彼女に、永谷はもう一度目を向けた。
幾度となく聞かされた話を反芻し、ぐっと目尻を歪ませる。
ふわふわとした幻像のような手応えしか感じていなかったものが、今日、時間にすると30分にも満たない短い間にぐんと現実味を増し、再び彼の記憶に深く刻み込んで行った。
自分の生徒に待ち受ける未来を知る永谷は悔しそうに唇を噛む。
「まさかお前に行くなんて……」
「え?」
思わずぼそりと漏れた彼の声に、琴子が不思議そうに顔を上げた。
永谷は瞬時に普段と同じ表情に戻し、首を振る。
生徒の前では不安を見せない。これを信条として教員生活を送ってきた永谷の、努力の賜物と言えよう。
幸い琴子には何も聞き取れなかったようで、何か言いました?と純粋な目で問いかける。
「なんでもない。それにしてもお前割と重いのな」
「なっ……! 失礼ですよ女子に向かって!」
「時々お前が女子だってこと忘れるんだよなあ」
「先生!」
「お前の周り男ばかりだからわかんなくなんだよ」
むきになって怒る彼女を、悪戯っぽく目を煌めかせて笑う永谷。
琴子はこっそり彼の瞳を観察したが、先ほどのような悲しい光は見当たらず、気のせいだったのだろうかとそのまま意識の隅に追いやった。




