2-7
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「姉ちゃんっ!!」
物陰から飛び出す大和。
その後ろから、永谷も走って琴子の元へと向かう。
切羽詰まった表情で、大和は姉の側に膝をついた。彼女はひどく疲れた顔をしていたが怪我をした様子もなく、とにかく無事でいることを確認しほっと緊張の糸を緩ませる。
図らずも大和は、自分の姉を抱きしめたい衝動に駆られた。
どこかしら抜けている姉にいつも呆れ、生意気な態度ばかりを見せていた大和だったが、やはり彼にとっては大好きなお姉ちゃん。
いつもあたたかく寄り添ってくれる姉の存在は、大和の心の拠り所となっていた。
彼女が自分たちを逃がし、その後大男と対峙していた数分間は、大和の十数年間の人生の中で最も恐ろしく感じられた時間だった。
かけがえのない姉を失うかもしれないという恐怖。自分が助けられるのなら助けたかった。
それなのに、自分の脚は最後まで畏怖に固まり、動かすことができなかった。
尾をひく恐怖心と安堵、不甲斐なさとが絡み合い、大和は心の底から姉に抱きしめてもらいたいと願った。そのあたたかい手で、頭を撫でて欲しいと思った。
しかし、つまらないプライドが邪魔をしてなかなか腕を伸ばすことができない。
彼はとうとう乾いた砂地に手をつき、声を上げて泣き出した。
11歳の男の子には、せめぎあい溢れんばかりに膨れあがった気持ちをこれ以上内に抱えていることは、少し難しすぎた。
***
肩を震わせ嗚咽を漏らす大和を、琴子は目を丸くして見つめていた。
弟の涙を見たのは、久しぶりだった。
ふわふわと柔らかい遊びのある弟の髪に手を伸ばし、そっと撫でる。
「ぼくっ……ぼ、くっ…………ねえちゃんが、死んじゃっ……ないかってっ……! まもり、たかったのにっ……!なに、……できなくてっ……!」
しゃくりあげながら言う大和の頭を引き寄せ、琴子は優しく彼の背中をさする。
大和がもっと小さかった頃、よくしていたように。
「大丈夫…………お姉ちゃんはここにいるよ……。怖かったよね、よく頑張ったね……」
鼻の奥がつんとした。
琴子はそれを抑えるように深く息を吸い込む。
乾いた、埃っぽい空気。
だがそのいつもの空気に、彼女の心は静かに宥められた。
ようやく大和が落ち着き、鼻をすすりつつ琴子からそっと身体を離した。だがその右手は未だしっかりと彼女の洋服を握り締めている。
2人から距離を取り、じっと待っていた永谷がそっと声をかけた。
「白井、平気か?怪我は」
「大丈夫です。少し疲れちゃっただけで」
疲労を隠し微笑む琴子の顔を見て、永谷は沈痛な面持ちでかすかに下唇を噛んだ。
「みんなは学校の外に避難させた。幸いなことに大きな怪我をした生徒もいないよ。
とりあえず体育館に向かおう。あそこは比較的損壊が少ないし、ずっと外にいるのも辛いからな。白井、立てるか?」
「はい、たぶん…」
「無理はするな、俺が連れていくよ。
大和、頼みがあるんだが、聞いてくれるか?」
永谷が大和の肩をそっと叩いた。
まだ僅かに濡れた、姉によく似た瞳を彼に向ける大和。
「不審者は逃げたから、もう安全になったってことをみんなに知らせて欲しいんだ。それで、体育館まで連れてきてくれ。
みんなきっと、怖い思いをしているだろうからな」
「……でも…………」
大和は迷いに目を泳がせ、琴子の服をつかむ右手をさらに握りしめる。
その様子に永谷はふっと顔を和らげ、大和の頭をくしゃっと撫でた。
「大丈夫だ。お前の姉ちゃんは俺が責任を持って連れていく。心配するな。
それに、お前に白井の体重がかかったら潰れちゃうぞ?」
心外だと言わんばかりに担任を睨む琴子。
大和はそれを見て、漸くにやっと頬を緩めた。
立ち上がってズボンについた砂を払い、こくんと首を縦に振って走っていく。
その背中を見送り、琴子は自分も立ち上がろうと脚に力を入れた。しかし筋肉は言うことを聞かず、とす、と砂地にお尻をつける。
「ごめんなさい、まだ力入らなくて……」
申し訳なさそうに言う琴子を見て、永谷は少し考える素振りを見せた後一つ頷いた。
「よしわかった。まってろよ……」
琴子はてっきり彼が手を引いて起こしてくれるものと思い、右腕を伸ばした。
しかし永谷は彼女の左側へ移動し、彼女の左腕を自分の首に回してから脚と背中の下に腕を入れてよいしょ、と抱え上げる。
所謂、お姫様抱っこであった。




