2-5
「ごほっ……みんな、無事か!!」
「う……な、なんとか…」
「だ、大丈夫です……」
「響、平気か……?」
「あ、ああ、悪い……」
生徒の声に、永谷はひとまずほっと表情を緩ませる。
琴子は瓦礫の中に座り込み、呆然と 空を見つめていた。
(なんで…? どうして…? 何が起きてるの…? あの黒い板からあいつが出てきて、それで…)
ぐちゃぐちゃに絡まる思考を整理しようと髪をつかむ琴子。
その頭皮の痛みが、彼女の脳裏にある顔を思い浮かばせた。
「……大和」
自分の弟が、階下にいる。
あの恐ろしい男のいるところに。
琴子ははじかれたように立ち上がり、瓦礫に足を取られながらも走り出した。
「白井! どこ行くんだっ! 戻れっ!!」
永谷の制止も、琴子の耳には届かない。
彼女の頭の中は弟の顔で占められていた。
(大和、大和、大和…!)
廊下で粉塵に足を滑らせ、したたかに膝を打ち付けるが、彼女は痛みを感じないかのように階下へと通じる階段へと向かう。
「やめろ!!!!!」
不意に背後で響いた聞き覚えのある声に、琴子は身を翻して廊下に設置された柵にかじりついた。
校庭に見える大和の姿は汚れてはいたが、大きな怪我はないようだった。
琴子はひとまず胸をなでおろす。
だが、おかれている状況は最悪だった。
「なんでこんなことすんだよ!」
大男に対峙し、食って掛かる大和。
その後ろでは幾人かの低学年の子供たちが固まって震えていた。
「いきなりきて学校壊してみんなを傷つけやがって! ふざけんなよっ!!」
目の前の男に比べると不憫になるほど小さな体で、大和は子供たちを守ろうと威嚇する。
大和を一瞥した男は大声で笑いだし、どす、と足を踏み出して近づいていった。
「ずいぶん正義感の強いガキだなあ!
ひとつ教えといてやるよ。俺は別にふざけてこんなことやってるわけじゃないぜ」
ぐい、と頭をもたげ、顔を大和に近づけた。
格好の獲物を見つけ、舌なめずりをするような下卑た顔だ。
「準備運動を真面目にやっちゃあ、悪いんか?」
男は丸太のような太さの右腕を大きく振りかぶった。
大和は背を向け、小さな身体で子供達を抱きしめる。
高くあげられた右手は大きな刃へと姿を変え、ぎらりと陽光を反射させた。
「ガキは嫌いなんだよ」
琴子は戦慄し、その一部始終を目に焼きつけていた。
全てがスローモーションのようにゆっくりと、細かく、脳に刻み込まれていく。
大和が殺される。
愛しい、かけがえのない弟が、自分の目の前で殺されようとしている。
(ふざけるな)
激情が唐突に彼女の身体を突き抜けた。その衝撃ともいえる感覚に頭部を大きく反らす。
――――――私以外に、誰が大和を守る。
琴子の大きな瞳は、不思議な、それでいてどこか美しい幻影のような光を宿し始めていた。
ふわりと琴子の身体は廊下の柵を飛び越え、すぐ下の校庭の隅へと降り立った。
6、7メートルの高さのある場所から飛び降りたはずなのに、彼女の足は全く衝撃を感じていなかった。
そのまま地面を思い切り蹴る。
顔で風を切ったその瞬間、琴子は大和とその場にいた子供達を両腕に抱え、男の振り下ろした刃を逃れていた。
「あ? なんだ?」
男が不審気に琴子達が逃れた方を見遣る。
息を弾ませながら、彼女は信じられない思いで20メートルほど離れた、先程まで自分のいた場所を見つめた。
「姉ちゃん……?」
側で聞こえた大和の声に、はっと我に帰る琴子。
大和の肩を掴み、どこか血の流れている場所はないか確認する。
その場にいた子供達も見たところ怪我はなく、琴子は微かに表情を和らげた。
「ガキの次は小娘か……お前、どっから飛んできたんだ?」
視界の端から聞こえた声に彼女は向き直る。
深く地面にめり込んだ右手をずぼりと引き抜き、男は巨体を揺らしながらゆっくりと歩いてきた。
間近で見せつけられたその体躯に、琴子は息をのんだ。
手も、足も、身体も、全てが巨大。身長はゆうに3メートルを超えている。
彼女の身体を片手で捻りつぶすなど、造作も無いことだろう。
太陽を背にして立った男は、琴子に大きな影を落とした。まるで、影に捕らえられてしまったかのように見えた。
琴子の背中を冷たい汗がつたう。喉は渇いて張り付き、声を出すこともできない。
恐怖に震える彼女を支えるのは、背中にかばう大切な弟の存在だった。
きっ、と顔をあげ、琴子は男の目を真っ向から睨みつける。
「おーおー、おっかない目ぇするねえ、お嬢ちゃん」
大袈裟に巨躯を仰け反らせ、嘲笑う男。
「じゃあお望み通り、レディーファーストといきますか」
右手が、今度は巨大な斧へと変化した。
再び振り上げた腕が更に長い影を落とす。
死ぬんだ、と琴子は思った。
自分が死ぬ恐怖よりも、弟を案じる想いが彼女の心をざわつかせた。
この間に、大和が逃げてくれれば。
大和さえ無事ならば死んでも………
(……違う)
出し抜けに沸き起こった強い想いと共に、ぱっと琴子の目の奥で光がちらついた。
「逃げてっ!!!!!」
考えるよりも先に体は動き出し、琴子は大和と子供達を刃の届かないところへ追いやる。
「……おらっ!!」
そして瞬時に斧を降り下ろさんとする男と向き合い、思い切り両手を前に突き出した。
掌に熱を感じ、それと同時に目の前の大気が不自然に揺れる様を、彼女は見た。




