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0の刻印【第一部・すべての始り】  作者: やまかわ まよ
第2話【私以外に、誰が】
12/76

2-5

「ごほっ……みんな、無事か!!」


「う……な、なんとか…」


「だ、大丈夫です……」


「響、平気か……?」


「あ、ああ、悪い……」


生徒の声に、永谷はひとまずほっと表情を緩ませる。

琴子は瓦礫の中に座り込み、呆然と くうを見つめていた。


(なんで…? どうして…? 何が起きてるの…? あの黒い板からあいつが出てきて、それで…)


ぐちゃぐちゃに絡まる思考を整理しようと髪をつかむ琴子。

その頭皮の痛みが、彼女の脳裏にある顔を思い浮かばせた。



「……大和」


自分の弟が、階下にいる。

あの恐ろしい男のいるところに。

琴子ははじかれたように立ち上がり、瓦礫に足を取られながらも走り出した。


「白井! どこ行くんだっ! 戻れっ!!」


永谷の制止も、琴子の耳には届かない。

彼女の頭の中は弟の顔で占められていた。


(大和、大和、大和…!)


廊下で粉塵に足を滑らせ、したたかに膝を打ち付けるが、彼女は痛みを感じないかのように階下へと通じる階段へと向かう。


「やめろ!!!!!」


不意に背後で響いた聞き覚えのある声に、琴子は身を翻して廊下に設置された柵にかじりついた。

校庭に見える大和の姿は汚れてはいたが、大きな怪我はないようだった。

琴子はひとまず胸をなでおろす。

だが、おかれている状況は最悪だった。


「なんでこんなことすんだよ!」


大男に対峙し、食って掛かる大和。

その後ろでは幾人かの低学年の子供たちが固まって震えていた。


「いきなりきて学校壊してみんなを傷つけやがって! ふざけんなよっ!!」


目の前の男に比べると不憫になるほど小さな体で、大和は子供たちを守ろうと威嚇する。

大和を一瞥した男は大声で笑いだし、どす、と足を踏み出して近づいていった。


「ずいぶん正義感の強いガキだなあ!

ひとつ教えといてやるよ。俺は別にふざけてこんなことやってるわけじゃないぜ」


ぐい、と頭をもたげ、顔を大和に近づけた。

格好の獲物を見つけ、舌なめずりをするような下卑た顔だ。


「準備運動を真面目にやっちゃあ、悪いんか?」


男は丸太のような太さの右腕を大きく振りかぶった。

大和は背を向け、小さな身体で子供達を抱きしめる。

高くあげられた右手は大きな刃へと姿を変え、ぎらりと陽光を反射させた。


「ガキは嫌いなんだよ」




琴子は戦慄し、その一部始終を目に焼きつけていた。

全てがスローモーションのようにゆっくりと、細かく、脳に刻み込まれていく。


大和が殺される。

愛しい、かけがえのない弟が、自分の目の前で殺されようとしている。



(ふざけるな)



激情が唐突に彼女の身体を突き抜けた。その衝撃ともいえる感覚に頭部を大きく反らす。



――――――私以外に、誰が大和を守る。




琴子の大きな瞳は、不思議な、それでいてどこか美しい幻影のような光を宿し始めていた。


ふわりと琴子の身体は廊下の柵を飛び越え、すぐ下の校庭の隅へと降り立った。

6、7メートルの高さのある場所から飛び降りたはずなのに、彼女の足は全く衝撃を感じていなかった。

そのまま地面を思い切り蹴る。

顔で風を切ったその瞬間、琴子は大和とその場にいた子供達を両腕に抱え、男の振り下ろした刃を逃れていた。


「あ? なんだ?」


男が不審気に琴子達が逃れた方を見遣る。

息を弾ませながら、彼女は信じられない思いで20メートルほど離れた、先程まで自分のいた場所を見つめた。


「姉ちゃん……?」


側で聞こえた大和の声に、はっと我に帰る琴子。

大和の肩を掴み、どこか血の流れている場所はないか確認する。

その場にいた子供達も見たところ怪我はなく、琴子は微かに表情を和らげた。


「ガキの次は小娘か……お前、どっから飛んできたんだ?」


視界の端から聞こえた声に彼女は向き直る。

深く地面にめり込んだ右手をずぼりと引き抜き、男は巨体を揺らしながらゆっくりと歩いてきた。


間近で見せつけられたその体躯に、琴子は息をのんだ。

手も、足も、身体も、全てが巨大。身長はゆうに3メートルを超えている。

彼女の身体を片手で捻りつぶすなど、造作も無いことだろう。

太陽を背にして立った男は、琴子に大きな影を落とした。まるで、影に捕らえられてしまったかのように見えた。

琴子の背中を冷たい汗がつたう。喉は渇いて張り付き、声を出すこともできない。

恐怖に震える彼女を支えるのは、背中にかばう大切な弟の存在だった。


きっ、と顔をあげ、琴子は男の目を真っ向から睨みつける。


「おーおー、おっかない目ぇするねえ、お嬢ちゃん」


大袈裟に巨躯を仰け反らせ、嘲笑う男。


「じゃあお望み通り、レディーファーストといきますか」


右手が、今度は巨大な斧へと変化した。

再び振り上げた腕が更に長い影を落とす。


死ぬんだ、と琴子は思った。

自分が死ぬ恐怖よりも、弟を案じる想いが彼女の心をざわつかせた。


この間に、大和が逃げてくれれば。

大和さえ無事ならば死んでも………




(……違う)


出し抜けに沸き起こった強い想いと共に、ぱっと琴子の目の奥で光がちらついた。


「逃げてっ!!!!!」


考えるよりも先に体は動き出し、琴子は大和と子供達を刃の届かないところへ追いやる。


「……おらっ!!」


そして瞬時に斧を降り下ろさんとする男と向き合い、思い切り両手を前に突き出した。

掌に熱を感じ、それと同時に目の前の大気が不自然に揺れる様を、彼女は見た。

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