攻略対象外なオッサンに一目惚れしました
この世界に桜はないけれど四季はある。今は長かった冬が終わり、春に入ったばかりといった所だろうか。日に日に温かくなっている。
ぽかぽかと降り注ぐ日差しの中、東京ドーム三つ分はあるであろう広い庭園を散歩するのが私の日課になっていた。
いやだって勉強ばっかりで逃げ場がないんですよマジで。たまには散歩と銘打ってサボらなきゃ過労死するわ。
たった一年で町娘が貴族のお嬢様にならなきゃいけないという大変さを身を持って知った。
お爺様であるラッセル侯爵は厳しい方ではない。むしろ私の身を案じてくれる優しいお爺様だ。
問題は私の執事であり家庭教師でもあるリヴ・コートニー。攻略対象でもある彼はドS設定なので言葉がキツイ。私の事を想っての事だとわかっていてもドMじゃない私には彼の厳しさで「萌える~」とはならないのだ。
例え彼の頭上にあるハートマークが徐々に赤く色づいていくのが目に見えても、私はそっと目を背けて【にげる】のコマンドを選択する。
どうやら攻略対象キャラの上にはハートマークが表示されるらしい。今の所リヴにしかないそれは好感度が上がるごとに白から赤へと変わっていく。屋敷に来た当初真っ白だったリヴのハートが現在はほぼ赤だ。何にもしてないのにどういうことなの。リヴは私がステータスをあげていくごとに勝手に高感度をあげていった。
もうほぼMAXじゃないの? 攻略できてるよね? なのになぜ言葉が厳しいの?
そういえば前世でリヴを落とした時も「いつデレるんですか」と画面に向かって呟いたっけ。懐かしい。実際に体験してみると全くその通りで「お嬢様のためを想い厳しくしてるんですよ」と言われても「……ウィッス」としか答えられなかった。
リヴのお小言が脳内で再生され始めたので私はそれを払う様に頭を振ってから歩き出した。庭園には花壇ばかりではなく大きな木も所々に植えられている。木の周りにも花が所狭しと並んでいてとても綺麗だ。『絵本に出てくるような庭』と言えばいいのかな。いや『乙女ゲームに出てくるお屋敷のめっちゃ豪華な庭』でいっか。そのままだ。
ふんふんと鼻歌を歌いながら歩くと私が通った道の花壇の花達がパァッと咲いていく。
おいおいどこの森の神様だよ。
無意識のうちに天使の歌声スキルを使っているのだろうか。まぁ、いいけど。所詮この世界は乙女ゲームの世界であり魔王を倒しに行くとかそういうRPG要素はない。だからステータスにMPという文字はないし私がスキルを使ってもMPが減っているわけではないのだ。そもそも魔王が存在しない。魔法を使っての戦闘がないからスキル使いたい放題である。
色とりどりに咲き乱れる花達を眺めながら歩いて行くと突風に襲われた。ビュウウッと唸りを上げたその風に思わず目を閉じて頭を押さえる。
べ、別にヅラじゃないんだからね! 本能で頭を守ろうとしただけなんだから!
頭を押さえた際に髪を結んでいたリボンが外れ、風にさらわれて飛んでいった。ヤバい。何気なくつけてたけどあれはあれでそれなりのお値段がするリボンだ。元庶民の私からしたら「たかだかリボンの一本、悪戯な風に差し上げますわ」という訳にはいかない。何が何でも捕まえてやる。
後でリヴに「はしたないですよ!」とお説教をされるのを覚悟で私はドレスの裾を持ち上げて全速力でリボンを追った。リボンは風に乗ってどんどん流されていく。
私の息がぜえぜえと切れるころにようやく一本の木の枝に引っかかった。幸いなことに下の方に引っかかってくれたのでジャンプすれば届きそうだ。いくら田舎育ちの私でも木を登ることはできない。というか着ているドレスだってお高いのだ。リボンを取るためにドレスを汚しては本末転倒である。
私は頭上にひらめくリボンに狙いを定めて「とりゃー!」と勢いよくジャンプした。
……が、私の掌は空を切り何も掴んではいなかった。
「もう一度!」と先ほどより力を入れて跳んでみたけれど結果は同じ。
くっ、あと10㎝身長が高ければ……!
私は何度も何度もジャンプしたけれどこの手がリボンに触れることはなかった。傍から見たら木の下でピョンピョン跳ねている私は随分と滑稽に見えるだろう。けれど今はそんなことを気にしてはいられない! なんとしてでもあのリボンを取らなくては!
その時の私は気持ちばかり焦っていて【魔法を使う】という選択肢が思いつかなかった。簡単な風魔法なら使えたのに。
そろそろ足が跳ぶことを拒否し始めた頃、私は彼と出会った。
「これですか?お嬢様」と難なくリボンを枝から外して私に差し出したその人は確か新しい庭師だ。遠目に庭を手入れしているところを見たことがある。
日に焼けた肌と服の上からもわかるほどの逞しい体。特に腕はすごい。太い。身長も高く、私が見上げると「手助けするのが遅くなってしまい申し訳ございません。お嬢様が頑張っている姿が可愛らしかったのでつい」と笑った。
年齢は三十代後半だろうか。かっこいい大人というよりは頼れる兄貴といった感じの彼に私はお礼を言うのも忘れて見とれていた。
その内ぼんやりする私を不審に思ったのか「大丈夫ですか?お嬢様?」と彼が私の顔を覗き込んだ。突然距離が近くなった事に気が動転した私は思わず叫ぶ。
「リボンありがとうございます好きです!」
死にたい。
初対面の彼にいきなりすぎる告白をかます私。もう一度言う。死にたい。
侯爵の娘があきらかに身分が違う庭師にこんな風に想いを口にするのはいけないことだとわかっているのに口が勝手に動いてしまった。
だってまさかこんなところで一目惚れするなんて思いもよらなかったんだよ!
彼はきょとんとしてから「ああ、それだけこのリボンが大切だという事ですね」と解釈していた。違うけどね。でも今回はそういう事にしておこう。
一か月後には学園に入学して乙女ゲームスタートだというのに私は攻略対象外のこの庭師を好きになってしまったようだ。正直ドストライクです。ガッチリ系オッサン最高。しかもイケメン兄貴万歳。
残念なのは攻略対象外なので彼の頭上にハートが見えないという事。そして身分違いの恋をして駆け落ちをした母を持つ私がまた身分違いの恋をしてしまったらお爺様はどんなに悲しむだろうかという事。それ以前に私と彼では二十歳くらいの年の差がある。すでに妻子持ちの可能性もあるため初恋即失恋という可能性もあるのだ。精神年齢的には有りなんだけどなぁ。とりあえず彼の事を屋敷のお手伝いさん達に色々聞いてみよう。そして妻子持ちなら諦めよう。
私は彼に改めてお礼を告げるとお手伝いさん達に話を聞くべく足早にその場を去った。
だから残された彼が「元気なお嬢様だな」と笑っていたのを知らない。