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思いは天馬に駆け巡りて

  されど君が思い

  遠く遠く離れようと

  変わらぬものにして

  届かぬことなし


  その君が思い

  強ければ強いほど

  どれほどの障害をも

  ものともせず


  いずれ帰るその場所に

  いつか帰るその時に

  違わぬ思いを

  違わぬ誓いを


  忘れることなき

  その姿をば思い

  忘れることなき

  その思いをば描き


  されど君が思いは

  天馬に駆け巡りて

  遠く遠く離れようとも

  届かぬことなし



 彼は遠く空を見つめたまま詠んだ。空は青く澄んでおり、今日は雲ひとつない快晴だ。

「聞いたことがあります。空が青いのは海が青いからだと」

 詩を詠んでいた時とは違い、声のトーンは低かったが、彼は隣に座っている男に話し掛けた。

「ありがとうございます」

 その男はそれだけ答えるのがやっとのようで、彼が詩を読んでいた間終始うつむいていた。今日の天気とは裏腹に、どこか寂しげな表情を浮かべている。

 ユーロジア西域にある大草原地帯。かつて多くの戦いがこの地で行われた。その傷跡が多く残るこの地に、都市は発展しなかった。水源が近くにないのもその原因だったのかもしれないが、よく考えれば水源なくしてこれほどの大草原が実るはずもない。それ以上に、この地は都市に向かない理由があったのだろう。それゆえ現在、この大草原地帯は西の海洋都市メルクシスと東の帝国アッサンドラとの緩衝地帯となっていた。その都市同士を結ぶ道から少しはなれたところに、砂漠にあるオアシスのような小さな湖がある。そのほとりに、男2人は座っていた。彼らの傍らには1頭の馬もいる。

 彼らの格好はひどく不釣合いで、一方、詩を詠んだ方は旅人らしくぼろになってしまったマントのようなものを羽織っているが、もう一方はこれからお茶会でもあるのではないか、と思わせるほどにきちんとした身なりをしている。

「どうして、わたしはこのような時に、このような場所に、このような身分として生まれてきてしまったのでしょう」

 男はうつむいたまま、悔しそうに話し出した。

「あなたがうらやましい。こうして自由に旅を出来るなんて、いつでも好きな場所にいける。それに比べてわたしは、この鍛錬が終わってしまえば、もう2度とこのような自由を味わえないでしょう。もう2度と、あそこから逃れられない。囚人と同じです。それもこの歳で、まだまだ自由でいたいのに。わたしには父が望んでいることが分かりません。国中の不審を買っている気がする」

「あなたは人がよすぎるのです」

 再びしばらく沈黙が走る。彼は隣に座っている男を見つめた。歳は、彼に比べてまだ若い。二十歳を迎えたかどうかというところだろう。まだあどけなさも顔に残っており、きっと同様に精神的にもまだ成熟していないのだろう。アッサンドラ国王ビストの息子ファロウス。わたしがこうして旅を始めるきっかけになったのは、アッサンドラで、クライス教を禁じ、ビスト教を信仰するように求められたからだ。そのおかげで、アッサンドラにいられなくなったわたしは、こうしてユーロジアを旅して回ることを決めたのだから。だが、その息子だと名乗った彼は、意外にも父とは違い心優しい青年だった。

「すいません。あなたにこのようなことを言ってしまって。もともとあなたがこうして旅をしていたのも、わたしの父のせいでしたからね」

 ファロウスはまだうつむいたまま、謝り続けた。

「すいません。すいませんでした。こんなにも苦しむのでしたら、鍛錬になんか出なければよかった」

「いえ、わたしに謝らなくてもいいですよ。教会師でもありませんし、告解されても、わたしはたいして何も出来ません」

「そんなことないです」

 初めてファロウスは顔を上げ、彼のほうを見た。確かにリオン王の面影もあるが、それ以上に黒い瞳は、澄んでおり強い力を感じる。

「今あなたが詠んでくれた詩。それで、すごく救われました」

「ありがとうございます。つたない詩でしたが、それでも感動してくれたならこうして旅をしてきた価値があるというものです。

 それで、聞きたいことがあるのですが」

「はい、何でしょうか?」

 ファロウスの瞳が輝く。何でも答えますという瞳だ。

「その、鍛錬って一体なんのために?」

「それは、もちろん国王となるためにです。父も経験したと言っておられました。一国の王となるものは、外の世界を生で知っておかなければならないし、一人でメルクシスまで旅することは、それ自体一人の人間としての成長になると、それでこうして旅をしているのです」

 急にファロウスの表情が曇る。

「その旅も終わりです。帰れば、余生王室で過ごすことになるでしょう」

「ビスト王には、確かもう一人息子がおられますよね?」

「はい。後継者の争いを恐れた父は、なるべく子供を残さないようにしたそうです。姉と妹もいますが、他には弟がわたしにはいます。ですが彼は、まだ幼いですし、この鍛錬も経験してませんから」

「ファロウス様、あなたが次期国王ということですね」

 ファロウスは悲しそうに、再びうつむいた。

「でしたら、あなたが国を変えればいいじゃないですか」

「はい、分かっています。もちろんそのつもりです。クライス教徒には迷惑かけましたし、その償いはわたしがしなければならないと分かっています。ですが、もう」

「確かに、このように旅に出ることできない」

 ファロウスの後を継ぐように彼が続けた。

「そうなれば、もう彼女にも逢えない」

「……でも、わたしの思いは真実です。かならず、彼女に届いているはずです」

 顔を上げてファロウスは前を見た。その表情を見て、彼も少し安心する。

 そのとき、突然馬がいなないた。

「どうした、デューン?」

 立ち上がりながら、ファロウスが馬に駆け寄った。だが、馬は、いななくのをやめようとしない。

「しっ」

 彼はファロウスの制すると、馬の目線をさがす。湖の方をみている。次第に、馬もいななくのを止めおとなしくなる。が、まだその視線は湖の方を向いている。

 遠くから、波紋が立つ。一歩一歩近づくように、その波紋の立つ場所が近づいてくる。だが、その上には何もない。ただ波紋だけが、ゆっくりと、近づいてくる。

「来るよ」

 やがて、その波紋は、彼らがいる目の前まで来た。まるでそこに何かが存在しているようだが、姿が見えない。

「何か呼んだか?」

 空間から声がした。ファロウスは驚いてしまって、座り込んでいる。

「姿を、見せてください」

 恐る恐る彼は話し掛けた。

「これはすまない、可視化するのを忘れていた」

 空間から、次第に形が現れてきた。馬のような形をしている。だが、違う点はその背中に大きな翼がついているところだ。

「天馬?」

「お前がそう呼ぶなら、そうなのだろう。それで、何の用があるんだ?」

「不思議な言い方をするのですね」

 今までも色々なものを見てきて話してきた彼であったが、これほど直接的に会話をしたことはなかった。

「願いを聞いてくれるってことですか」

「お前が望むならな」

「照れですね」

「ただし、出来ることと出来ないことがある」

「お願いです」

 それまで座っていたファロウスが立ち上がって、しゃべり出した。

「伝えたい思いがあるんです」

「気持ちを伝えることはできんよ。そんな抽象的なものを相手に贈りつけたってなんにもなりはせんし、苦手だ。お前も分かるだろうが、抽象的な気持ちは、隣の詩人が詠む詩のようなものでしか届きはせん。だったら、自分で行けばいいだろう」

「そう、です、ね」

「まあ、そういう言い方は、彼には酷ですよ、天馬さん」

「ペガサスという名がある」

「ペガサスさん。彼は、これからアッサンドラに戻って国王とならなければいけないのです。ですから、今彼が行くことができなんですよ」

「だったら、お前が代わりに行けばよいだろう」

「相手が、わたしを信じてくれるなら」

「よし、分かった。それを引き受けよう。相手にお前が来ると話しておく」

「ですが」

 ファロウスが口を挟もうとするのを止め、微笑みかける。

「わたしはレウレラ・ヒュームと言います。合図は、先ほどの詩のメロディーを笛でふきます」

「分かった。それで、相手は?」

 隣を向いて、ファロウスの背中をたたいてやる。

「『人魚の住む海のほとり』にいる、マーネイです」

 天馬は大きく一声なくと、その場で羽ばたき中空に舞った。すると、空中を駆け出し、西へ向けて一気に進み出した。地面についてるでもないのに、蹄の音が聞こえた気がした。

「ありがとうございます」

「いえいえ、おかげで旅の目的地が出来ました。それに」

 ファロウスを見て笑う。

「あんなシャイな天馬、初めて見ました」

「?」

「たぶん、昨日私たちがここで出会ってから話してたこと、全部聞いていたんですよ。それで、何か手助けしてあげたくてあげたくて、つい出てきてしまったって感じでした」

 それから、声に出して笑いだす。それにつられて、ファロウスも笑い出した。初めて見た彼の笑顔は、青年らしい屈託のない笑顔だった。

「いえ、それでも、ありがとうございます。そうだ、ぜひわたしの戴冠式にご出席ください。まだ、日時は決まっていませんが、ぜひあなたに詩を詠んでもらいたい」

 両手を握り締めて、彼の方を見つめる。

「あ、でも、父が」

「そうですね、たまには里帰りもしたいですし」

 相手の言葉にかぶせるように彼は話し始めた。

「メルクシスまで行ったら、一度アッサンドラに戻るとしましょう」

「ありがとうございます」

 そこで、会話がぷつりと途切れた。暑い夏の日差しが降り注いでくる。たとえ思いが届いたとしても、彼が王室に入れば、自由はなくなる。それは変わらない。たとえ国を変えたとしても、彼が国王であることに変わりない。

「そろそろ行こうと思います」

 長い沈黙を先に破ったのはファロウスだった。

「父も待ってますし、デューンも帰りたがっています」

 そう言い、馬の背中をなでる。

「いえ、わたしのほうが、帰りたがってるんですね、本当は」

「また逢いましょう」

「はい」

 ファロウスは馬にまたがった。それからもう一度彼のほうを見る。

「本当にありがとうございます。そうだ、これをお持ちください」

 懐から何かを取り出し、こちらに投げてよこす。どうやら櫛のようだ。

「それはわたしが子供のときから使っていたものです。それを持っていれば、安全に王室へ入れるようにしておきます」

 しばらく名残惜しそうに、しゃべっていたが、意を決したように馬を歩かせ始めた。櫛を見る。本当に子供の頃から使っていたようで、汚れてもいるし折れてるところもある。だけど、それをわたしに渡した彼は、どことなく大人になったようだ。きっと鍛錬は成功に終わったのだ。

 思いは天馬に駆け巡りて、わたしが必ずお届けします。



                            おしまい

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