終わりに付す
三つ世に渡るトネリコの、枝葉広がるユグドラシルの、ヨトゥンヘイムの根元へと、広がる泉はミーミルの、凡て世の先司る、ノルニル長女は運命と、次に発生させる者、末は支払うべき者、三姉妹。
揺らめく炎は人の常、蝋燭に喩えし長さなら、それではあまりに短いと、運命なるウルズは涙して、発生させる者ヴェルザンディは嘆けども、支払うべき者スクルドの声や冷ややか。
泉に揺蕩うサフランの、姿や神代のクロクスの、岸辺に漂う赤いバラ、姿や神代のニンフのスミラクス、互いに寄り添いまた離れ、ノルンの束縛や知らずして、フローラの慈しみ大きくあり。
空に星を、地に花を、人に愛を、未来に希望を、ぜんまいに自由を、戦に勝利を、帰りに光を、始まりに終わりを、無限に枷を、歴史に奇跡を、王に神を、勇者に剣を、そして世界に平和を。
わたしは逝きて、いずれ帰る。ノルンに委ねしこの体、今日が返すとき、愛を返すとき。バラとサフランとに囲まれて、愛する孫に看取られて、わたしは逝きて、いずれ帰る。言葉が続く限りなら。
司祭が十字を切る。参列者の中には、かつて彼に呪いを解いて命を存えたファロウス、前リオン国王の姿もあった。アッサンドラと聖クライス朝の和平に活躍したキシスの姿もあった。また東国の役人の姿もあり、南国の黒い人もあった。
さらに、ここに参列したものの中で、彼(彼女)らの姿が見えないものもあったのだが、種々相の妖精や、あるいは精霊、せまい教会内に入ることができなかったが、龍や巨人、天使の姿もあったという。
遺言通り、バラとサフランの花に埋もれた棺のすぐ近くに立っているのは、彼の妻であるデイジー・ヒュームである。まだ五十路を越えたばかりの女性で、今は涙こそ流していないものの、凛とした表情は美しく、黒の喪服がまたよく似合っていた。彼女の隣に五人がやはり同じように立っていた。息子であるイルシラン・ヒューム、彼の妻であるイスカ・ヒューム、さらに孫のユージー、ファラ、ルーナ。ルーナはまだ乳飲み子、イスカの胸に抱かれてすやすやと眠っている。
司祭の柔らかな、けれど厳かな口上が続く中、参列者らはあるいはバラを、あるいはサフランを、一本、また一本とその棺に添えていく。
それのなんと長く続いたことか。ゆらゆらと漂う花が添えられようと、誰も驚くものはなく。彼の深い交友のたまものと、誰もただ涙を揺らす。
夜はやがて日をまたぎ、闇のときにはまた新たなる参列者の、あるいは死をもたらすバンジーの、あるいは下は蛇なるメジュリーヌの、やがて翌の日が昇り、デイジーに似つかわしい太陽が斜めにさすころ、ようやく教会は静かになった。
いまだ残っているのは親族と、獅子王と謳われたファロウスと、数えるばかり。孫たちは一度眠ったものの、再び戻ってきてデイジーに寄り添う。
「ねえ、じーじはどこへ行ったの?」
イルシランの長女ファラがデイジーを見上げるように顔を傾けた。
「今度はどこへかしら。東も西も、北も南も、あの人はいつも旅をしていましたから。きっとまだまだ旅をしたりないのね。今度は空にでも行くのかしら」
「帰ってきたら、またじーじのお話聞ける?」
「ええ、聞けるわ。でも、今度の旅はどれくらいかかるかしら」
「ファラが結婚するころには帰ってきてくれるかしら」
その言葉にウルシランが喉をならす。まあまあと、イスカはからからと微笑む。
「そうねぇ。その頃には帰り支度ができているかも。でも分からないわ」
「ばーば、すぐにばれてしまいますよ」
イルシランの長男ユージーが、彼はすでに体格は大人びていたが、このとき確か十六だったか、彼がファラの頭に手を置いて、デイジーに微笑んだ。
「あら嘘じゃないわ。彼が空に旅立ったのは本当だもの。ただ、彼の詩を二度と聞けないだけだから」
そう言うと、デイジーはただ一度ぽとりの涙を落とす。
「さあ、母さん、疲れたでしょう、そろそろ休みましょう」
イルシランがデイジーの背中を支える。それにイスカも合わせる。
「あなたたちは幸せね。たくさんの子どもに囲まれて。わたしも本当はもっと子どもを生みたかったわ」
「どうしたんだい、母さん」
「感傷よ。いいじゃない、最後くらい」
「わたしもあなたの子どもよ。それに孫はたくさんいますわ。じきにファラも結婚して、ひ孫にも囲まれますよ」
「そうね。それまで、わたしはもう少しかんばらなくちゃぁね」
「そうだよ、母さん」
その様子を見ていたファウロスが、背筋を一度伸ばすと彼らの前に膝を付いた。
「それでは、そろそろわたしも帰ろうと思います」
「リ、リオン国王様、恐れ多いことです。どうか顔をあげてください」
「もうわたしは国王ではありませんよ。彼と同じように世継ぎに譲りましたから。それに、これほどの葬儀はないでしょう。彼ほど交友に厚く、また広い人はありませんし、これからも現れないでしょう。わたしは彼の友であったことを誇りに思っています。一度は失われた信頼を、国民から再び得ることができたのは彼のおかげです。それに、聖クライス朝との和平にも、彼は協力的でした。いいえ、彼にとってわたしたちという存在は小さなものだったのでしょう。人間と妖精、あるいは精霊たちとの橋渡しを彼はしてくれました。これから先もこの関係が永く続くことを祈っております」
「ありがとうございます」
「それでは、失礼させていただきます」
もう一度深く礼をすると、ファロウスは立ち上がった。さっと教会から出ると、そこにはかつてのデューンの面影を強く残す、たてがみも立派な馬がいました。
「デューイ、さあ、帰ろうか」
ファウロスの言葉にデューイがいななく。軽くそれにまたがると、教会からゆっくり離れていく。途中、ファウロスは不思議な団体とすれ違った。東洋からだろうか、各地で公演をしているサァカスの一団に思えた。
ファロウスは肩をすくめる。本当に、交友の広い男だ、と、心底うらやましい。
教会の中の様子をゆっくりと眺め、妻たちの残されたものたちの姿を目にとどめ、それから司祭に一礼すると、彼はようやく空を上りだした。
「もうよいのですか?」
「ええ」
彼の迎えにはたくさんの姿があった。あるいは天使と称されるものから、神と一般に呼ぶものまで。そこに、彼自身が最後に残した歌にあった、運命の三女神もあった。その末の娘が彼の腕を引いている。
「あれでは、わたくしがなんだか悪者ですわ」
「ははは、しょうがないだろう、支払う者なのだから」
「姉たちは涙を流すのに、わたくしだけ冷めてるなんて。わたくし、これでも結構涙もろいのよ」
「知っていますよ。ですが瑣末なことでしょう」
「失礼な人。それにしてはうれしそうですね」
「悲しくはあるさ。けれど、わたしの旅はいつも先のためにあるのだからね。これからどのような世界が続いているのか、楽しみでならないよ」
「案外地獄に落とされるんじゃない?」
「どちらでも構わないさ、新しい世界なら」
「ほんとう、失礼な人」
けれども、彼女は彼の手を放さない。やがて存在しないものたちの中に、彼の姿は消えていく。空のかなた、あるいはもはや存在のしない世界へ、あるいは、再びこの地上に降り立ったのか、知る者はいない。
ただ司祭だけは、彼の姿が消えるまで空を見ていた。
後年、彼の旅の記録と多くの詩を残したのはメルクシスの学校で教壇に立っていたキシスである。キシスは、本人が意図したのかどうか不明だが、幼少の頃から深く彼と関わりがあった。彼と人魚の会話を聞いていたのもキシスであるし、また、ファロウスの呪いを解くための妖精の血のもととなったアラウルネのこともキシスは偶然知っていた。それがきっかけで、アッサンドラと聖クライス朝の和平にも貢献し、そこで彼との運命的な出会いをした。それから多くの旅の話を彼から聞いたキシスは、故郷のメルクシスに戻ると教師となり、学生に話して聞かせた。
それでも足りず、キシスは彼の死後、彼が話して聞かせてくれた物語を一冊の本にまとめた。暗い歴史の時代を経て、多くは失われてしまったが、それでも残されたものはある。そこにつづられた物語はあるいは伝説と思われるかもしれない。童話として伝えられるかもしれない。
けれど、かつて妖精たちとともに生きた時代があったのは事実なのだ。
彼の最後の詩のように。
言葉が続く限り、彼はいつでも帰ってくるだろう。
レウレラ=ヒューム・永遠の漂流者・終章より抜粋。
おしまい




