そうそうの
一歩進む。
立ち止まる。
一歩進む。
立ち止まる。
小さな、もはや朽ちてしまった教会の中。聖クライス朝の片隅。吹いてくる風は冷たい。壊された偶像、かつての栄華……見果てぬ夢。だが、風には温かさもある。吹き曝しの部屋、告解の場所、吐露するは己の過去。温もりはどこからくるのか。ひと時の鬨、勝利の美酒、ひと時の夢、ゆめゆめ続くことなし。
膝をつく。両手を組む。目を瞑る。闇に運ばれる風。誰もなし、他になし、言葉なし、静かなる。響く音、蘇る記憶、闇は光。伸びた剣、見るは赤、倒れるすべて。
音、
音、
音。
音はなし。振り払い、目を開ける。偶像はなし。告解の場所、故に涙す。願わくは許し給え。震える手、震える体、揺れる視界。風は止まず。膝をつく、両手を組む、目を瞑る。己の呼吸の音の煩わし。
蘇る記憶、許したまえ。
「何をしているのですか?」
記憶に響く声、蘇る姿。
「今日という日を祈っているのです」
「このような場所で祈ることなどできません」
「ええ。ですが子供のころはよくここに連れてこられました」
「宴には参加なさらないのですか?」
「苦手ですので」
「きっと皆が待っておられますよ」
「いえ、俺にとって最大の親友はすでにありません」
「それでも待っておられますよ、皆が」
「そうでしょう。ですが、互いに喜び合える人がいなくて、何の宴でしょう」
少女は俯き、月影に暗く。膝をつき、両手を組み、目を瞑る。強い思い、願い、悲嘆。風は冷たし。
「何をしているのですか?」
少女に問う声、後悔の音。
「夫の帰りを思っているのです」
「今回の戦に?」
「はい。愛しています」
「名をうかがってよろしいですか?」
響く音。
音、
音、
音。
「サラエ・イディー」
重なる友の姿、伸びる剣、色は赤。倒れる兵、切れる息。伸びる槍。突き抜けた体。曲がった十字架。ひと時の鬨、勝利の美酒、友はなし。
告げる言葉、俯く少女、震える少女、消える少女。音はなし。
壊れた偶像、祈る言葉。闇からの風。
友の死と、友の言葉。帰る場所、ここになし。エディソン河畔の底に消ゆ。川は青なれ、されど赤。そして黒。人の血の、なんと汚れたることか。誰がための、勝利なるか。宴に意味なし。残るは虚しさあれ。
鈍い音(何の音?)。
漠然と不安(外へ向かう)。
月の影はほのか(であれ見える)。
教会の入り口(見たくない、思い出したくない)、少女の姿(倒れている、崩れている)、光に黒く(グロテスクで)、音は落下(尖塔からの)。
駆け寄るも、時の遅しは確かなり。
少女の(少女の?)骸を(塊?)抱き上げる。不思議と、軽い。
右足を前に出す。
左足をそろえる。
右足を前に出す。
左足をそろえる。
朽ち果てた教会の一室、聖クライス朝の片隅。壊れた偶像、吹き抜けの場所。冷たい風に温もりのまざる。かつての栄華、広がる廃墟。死を悼むものもなし。孤独の場所、孤独を感じる場所、孤独になれる場所。風が己を吹き抜ける。
膝をつく、両手を組む、目を瞑る。闇からの風、何もなし、光もなし、希望もなし。先も見えず、行く末もなし。闇は光、蘇る記憶、少女の姿、祈りのかたち、空に憧るる、飛びて消える。鈍い音。
音、
音、
音。
音はなし、振り払い、目を開ける。偶像はなし、告解の場所、故に涙す。願わくは許したまえ。手には汗、体には寒気、残るは狂気、抑えるも届かず。発狂の思い、闇を裂く音、鬨の声、目を瞑る、両手を組む、膝をつく。
「何をしているのですか?」
男の姿。同じ文句。
「祈っているのです」
「何を祈っているのですか?」
「友と、その妻の死を祈っているのです」
「どうしてこのような場所で?」
「ここで祈ることでしか、少女に届かないからです」
「ええ、私もそうです」
「俺のせいでしたから」
「いいえ、あなたのためではありません」
「なぜそんなことを!」
湧き上がる狂気。
「いいえ、あなたのためにではありません」
「俺がここにいなければ少女は死ななかった」
「……いつのことですか?」
男は言う、奇跡の言葉。
「去年の、エディソン河畔の戦いの後のことだ」
「ここで、亡くなったのですか?」
「そうだ。ここの尖塔から飛び降りて。俺が、少女の夫の死を告げてしまったから」
「老人の戯言と聞いてください」
語り出す男。祈りの姿。少女との時。祈る息子、祈る夫。戦争の宴、わずかなとき、されどある少女の姿。祈る姿、神との対話、空に憧るる。少女は飛び、亡骸はなし。月影の暗く、されど輝く、一枚の羽。
男は詠う(何を?)。
空に憧るる少女の(サラエの)。
声は低く響く(俺の心に)。
男は泣いた(俺も泣いた)。
男は信じている(それが男をつくっている)、少女の亡骸のなく(俺がエディソン河畔に流した)、夫と同じ世界へ行き(それは確かだ)、少女は救われたと(救われたのは俺だ)。
男の手には羽。外は闇、されど白く。闇は光。
「彼女の死を悼むものが、私以外にいたことが嬉しい」
男の目に涙。
「俺も、だ。ありがとう」
黙り、ただ頷く。
一歩進み。
立ち止まる。
右足を前に出し。
左足をそろえる。
単調なリズムのただ繰り返し。朝は光。風は温か。エディソン河畔の脇。俺と男。互いに黒い装束をまとい。
一歩進む、立ち止まる。手には羽。幾羽もの鳥の後ろに連なる。葬送の思い。右足を前に出す、左足をそろえる。
少女の羽。温かなる風。空気の流れる。一歩進む、立ち止まる。目の前に川。友の死地、亡骸の始まる場所。葬送の思い。
男の手の水面につく。離される羽、水面をさらう風。揺れ、揺れ、揺れ、下る。鳥たちは追う。俺と男は立ち止まる。
男に言葉なし。俺も語らず。されど伝わる。音は鮮やか。
「詠っていただけますか?」
羽は見えず。鳥もなし。エディソン河畔に残るは二人。
「そうそうの……」
低く響く。
そうそうの
早々と経たずして
空へと昇る鳥たちの
葬送の気持ちや
推し量るべし
怱々と時は経ちて
通ずるものと出会い
愴愴の思いに
言葉も出さず。
一歩進む。
立ち止まる。
一歩進む。
立ち止まる。
右足を前に出す。
左足をそろえる。
右足を前に出す。
左足をそろえる。
ともに祈るは大空に
ただ憧れた小さな少女の
深く愛する夫と共に
空に高く舞うことを
ひどく朽ちた教会。聖クライス朝の片隅。風は冷たく、音はなし。偶像もなし、告解もなし、何もなし。膝をつき、両手を組み、目を瞑る。
蘇る記憶。少女の顔、友の顔。空に、空に。
おしまい




