戴冠の宴
アッサンドラにおいて、国王ビストから息子のファロウスへと王権が移され、ファロウスがリオン国王へと即位したとき、国民の多くが来る時代を明るいものになるだろうと考えていた。なぜなら、ビスト国王はその権力をもってして国教をクライス教からビスト教へとあらためるべく改宗法を定め、従わぬ国民に対しては多大な処罰を与えていたからだ。もともとのクライス教徒は東に位置する聖クライス朝へと移るしかなかったのだが、もしそれが見つかったとしたならば、その同胞親族すべてが厳罰に処されることとなっていた。だがファロウスのその優しさはアッサンドラでは知られたものであった。口に出して言うものは少なかったが、ビストの息子とは思われぬほどの心の広さと、貧しいものへの気配りとを兼ね揃えた人間であった。それゆえ、国民が明るい未来を描くのも仕方のないことであった。
だが、残されている数少ない歴史書には、そのような明るい未来のことなどほとんど書かれていない。リオン国王即位の翌年歴史に名高い「羽を持った小さき人間に関する20の規約」と呼ばれる悪法を施行し、対外政策はこれまで以上に推し進め、わずか10年にして国土を倍の広さにまで押し広げることとなった。いや、それ自体はアッサンドラの国王として正しかったのかもしれない。だが、ファロウスとリオンとの間になんらかの差異を思い描くものも少なくはない。近年の研究により、ファロウスとリオンは全く別の人物なのではないか、という説さえも学会に発表されているほどなのだ。もちろんそれは「逃げ」でしかない。ファロウスとリオンが同一人物であることは疑いようもない事実なのだ。むしろ、ファロウスの心の底にしまわれていた嗜虐性が国王となることによって顕現化されたと考えた方が、事実に即したものであろう。では、なぜこのようなことが起きたのであろうか、それを考えるすべはビスト王にも通じるところがある。なぜなら、ビストもまた幼少の頃はそれほど残酷ではなかったと記されているのだ。ビストの息子がゆえの当然の結果なのかもしれない。
「急がれたがよい」
グレイトブリッジからメルクシスへと再び戻り、私は次の行き先を考えていた。東と西へはおよそ旅を終えた。次は南へ向かおうかと思い、その道程を尋ねようと占星術師のもとへ赴いた。占星術師は、私が尋ねるよりも先に突然に言い放った。
「戻られよ。星が告げておる。星は落ち、新たなる星が輝く。だが、それは同じ色の星にして、白が染められた色じゃ」
しわがれていたが、その声には強い力があった。
「なぜですか?」
「故郷へ向かえ。それが道じゃ、南ではない、東じゃ。南へ向かうのはそれからでも遅くあるまい、まずは東、故郷じゃ」
「私のことをご存知なのですか?」
「知らぬ。星が告げておる。お導きじゃ、だが小さなことではない。ここまでも明確な星回りは近年見ておらぬ」
「私の故郷はアッサンドラです。アッサンドラへ帰れということですか?」
「そうじゃ」
「私が帰れば、星回りは変わるのですか?」
「……変わらぬ。じゃが……戻られよ」
私は占星術師に一礼をした。信じる、信じないではない。それでも私はその占星術師の言に従うことにした。一度アッサンドラに帰るのも悪くない。それに、旧友にも会えるかもしれない。胸の内に手をさし伸べて、私は櫛を取り出した。メルクシスまで来たら、一度アッサンドラに帰るつもりでいた。元々はそう思っていたが、性分からか海を渡ってしまった。やはり一度アッサンドラに帰ろう、私はもう一度そう思った。
夕刻、馬車に乗り込むと、私はアッサンドラへと向かい旅立った。本来ならば歩いて戻るところであるが、急がれよ、と念を押されたため、こうして帰ることにしたのだ。馬車の中には他に2人の客がいた。恋人だろうか、互いに寄り添いながら座っている。アッサンドラまで10日ほどかかるだろうか、ずっと3人だと居心地の悪さを覚えるだろう、私は後部のスペースから御者の隣りへ移動した。
「どうしました?」
「話し相手にでもなってください」
「ええ、いいですよ……まあ10日もありやすからね、すぐに慣れまやよ」
「この仕事は長いでのですか?」
「ああ、長いよ。アッサンドラとメルクシスのルートならあっしは最高の御者っすよ、なんたって、一月で一往復っすから、マスターもするってもんでさ」
「アッサンドラは元気ですか」
「お前さんもその口かい?」
「何のことですか?」
「知らないのかい?」
「何のことですか?」
「ああ、先日までね、引っ張りだこだったわけよ、なんてったって一大イベントだからね、確か……8日後か、ついにご隠居というわけさ」
「よく分からないのですが」
「あああ、本当に知らないのかい。メルクシスでもその話題はひっきりなしだったはずだぜ」
「グレイトブリッジから戻ったところでして、あちらで少し生活をしておりましたから」
「ならしょうがねえ、教えてやるぜ。あっしら御者ってのは情報も一緒に運んでるんでね、これは確かな情報さ。8日後に、ついにビスト王が国権を息子に譲ることになったんだ、偉大なるファロウス王子にね。だからね、先月からあっしら大忙しだったってわけでさぁ。アッサンドラ行きは常に満員御礼だったわけで、まあ、今回はちと、間に合わないんでね、きっと後ろのお二人さんは、それが狙いだったと思うんだが」
最後は耳元に囁くように言った。
「まあ、あっしらはそんなことには興味ないんでね、好きにしたらええってことでさぁ」
「8日後ですか、間に合わないんですか?」
「間に合わないよ、2日は大きいよ、ここいらには何もねぇ、馬を休ませねえと一生アッサンドラにはつけなくなっちまうからね」
4日後、御者とその馬が休憩しようとその準備を進めていたとき、アッサンドラへと続く道の先から一頭の馬がまっすぐ走ってきた。私はその馬を知っていた。以前とある湖のほとりでファロウスと語らったとき、彼が連れていた馬だ。
「何でしょうねぇ、野馬? だとしたら危ないっすよ」
「いや、あの胸に抱いている紋章はよく馴らされている証拠ですよ、王家の馬です」
そう説明している間に、馬は私たちの馬車のすぐ近くまで来た。そうして立ち止まり、一声甲高くいなないた。
「王家の馬?」
「ええそうです。ファロウス様の愛馬デューンです」
私が手を差し伸べると、デューンは頭を下げて首筋を手にあてた。
「すいません、私だけ先に行ってもよろしいですか?」
「ああ?」
「失礼します」
馬の鬣を握り締めると、私は一気にデューンの背に飛び乗った。
「ああ、構わない。間に合うといいな」
一声挨拶を交わすと、私はデューンに身を任せた。デューンはすぐさまきびすを返すと、まっすぐアッサンドラへの道を駆け出した。
「デューンどうしたのですか?」
急いで焦っているのが分かる。だが残念ながら私は馬の言葉はほとんど理解できない。戴冠式まであと4日しかない。休みなく走れば当然間に合うだろうが、恐らくデューンは休んでいまい。下手をすればデューンが倒れてしまう。
「デューン、大丈夫です。ここからならこれほど急がなくても間に合います。きちんと休みましょう」
そうデューンの耳元で囁くが、聞き入れてもらえそうになかった。
それでも途中何度か休憩を入れて、4日目の昼にアッサンドラにたどり着いた。デューンはすでに疲れ切っており、走る気力もなさそうだ。それでもデューンは私を降ろそうとせず、背に乗せたままアッサンドラの街中を歩き進み、王城へと向かった。
戴冠式の当日ということもあり、警備のものも多数いるが王城は開かれていた。デューンの馬は知られているらしく、警備のものも率先するように道を開けてくれ、戴冠式の会場まですぐにたどり着くことができた。
会場は異様な熱気に包まれていた。奥まったところに壇があり、そこにある荘厳な椅子にファロウスが座っていた。そしてファロウスの前には裸の男が二人、互いに剣をぶつけながら争っていた。
「これは何事ですか?」
脇にいた警備の兵士に私は尋ねた。
「リオン新国王が戴冠後さっそく一つの催しを企画いたしまして、ただいま剣に自信のある武人らを戦わせているのです。優勝者に富を約束するということで、会場は盛り上がっております」
「真剣に見えるが」
「ええ、決勝戦です。彼らのうちどちらかが今回の覇者となるでしょう」
「愚かな」
すでに戴冠式は終わっているようだった。私はデューンに掴まり、会場を一歩ずつ奥へ進んでいった。異様な熱気はアルコールと血とでつくられた興奮の塊のようだった。私が奥へたどり着く前に、一方が他方を切り捨てていた。鮮血が飛び散り、会場は大きな歓声に包まれた。敗者を兵士が連れ出し、ファロウスは勝者を褒め称えた。そして彼を壇の下に降ろすと、ファロウスはようやく私とデューンに気が付いた。
「はて、しばらく見かけぬと思っていたら、とんだ客をお連れしたようだな」
「間に合わなかったようで、願うことならその瞬間を見届けたいと思っておりました」
私はデューンから飛び降りると、ファロウスの前に片膝をついた。
「デューンから切れ切れでございますが、お話を伺いました。間に合わなかったことを何とお詫びしてよいか」
「過ぎたこと。むしろ余は今を愉しんでおる。ようやく若い力を手に入れたと」
「それを被ることをファロウス様は恐れていた。ファロウス様は知っていたのです。王冠にこそすべてがあるのだと」
「その通り、ファロウスは気が付いていた。だが、余はリオンだ。これからはリオンと呼べ」
「ではリオン新国王、あなたの呪いがいつか解けることを祈っております」
「ふっふっふ。余を恐れぬ詩人よの。だからと言って、お前には何の力もない。宮廷に使えるでもない自由気ままな男よ。ファロウスが憧れるのも分かるぞ」
「羽切りをされた小鳥は鳥かごから飛びたてません」
「詩人ならば今余のために詠え」
私は立ち上がると会場に向かって詠いはじめた。
いと白きその御心の
染まりやすしは避けられず
かつて過去より受け継ぎし
その王冠を天に抱く
いと白きその御心の
染まりやすしは避けられず
先の代より授かりし
黒き心を地に広む
まだきも白は黒くなり
かつての御心失われ
新たなる野心の燃えたぎり
願うは世界の掌握と
さらに願うは届かざる
かつての思いを黒くして
人に似たるものの掌握と
そして望むは赤なる血
いと白きその御心の
染まりやすしは避けられず
王の冠に伝えらる
これぞ相伝わりし呪いなり
私は一礼すると再びデューンの背にまたがった。そして首筋を軽く撫でる。
「誠余を恐れぬものよ」
「次に出会ったときはファロウスとなっていることを祈ります」
リオンは笑っていた。私は唇を噛みしめると、自分の無力さを痛感する。星回りは変わらない、占星術師も言っていたことだ。
私は会場を後にした。王冠に込められた呪いを解く術がどこかにあるはずだと言い聞かせて、せめてもの償いとして、その呪いを解いて見せようと心に誓って。
おしまい




