雪の夜話
クリスマスの夜のことです。
天使の羽根のような柔らかい雪がちらほらと舞い、冷たい空気はガラスのように澄んで景色を固めていました。静かな夜の街にうっすらと積もった雪が、すべての音を吸い込んでしまうようでした。
人通りも絶えた道端に立つ、街灯のくすんだ白っぽい光に照らしだされた所に、ゴミ捨て場がありました。粗大ゴミが中心でしたが、本棚の影に隠れるようにして、ひとつ、お人形が置かれていました。
赤い綺麗なドレスを着たこのお人形は、もともとある夫婦のもとで子供のように可愛がられていたのです。しかし、夫婦に本当の子供ができたため、あっさりお払い箱にされてしまったのです。
「寒いわ、お腹もすいた。どうして私はこんなところにいるのかしら」
人形は真っ暗な布を敷き詰めたような夜空に尋ねました。人形の呟きは空気に白い粒子を作ることもなく、雪のちらつくお空へ落ちただけでした。
と、人形の前をひらひらと踊っていた雪の一片が、まるで小さな子犬が身震いするようにくるりと円を描いたかと思うと、あっという間に真っ白い女の子に姿を変えました。女の子が雪の積もった地面に降り立つと、サクッとかたくり粉を踏んだような音がしました。
「こんばんは人形さん。私は雪のひとひらよ」
「まあ、あなたは雪の妖精さんなの?」
「そう言えなくもないけれど、私は文字通り雪のひとひらなの。その証拠に今、世界中の千四百十二ヶ所で雪が降っているけれど、私はそのすべての場に同時に存在しているのよ」
お人形はわけがわからず目をぱちくりしました。まぶたがないのにぱちくりするのだから、なかなか結構難しいんですよ?
「よく分からないけれど、あなたはここへ何のために来たの?」
「千四百十二ヶ所の中で、ここから一番悲しそうな泣き声が聞こえたからよ。あなたの泣き声ね。何があったのか、私に話してごらんなさい」
そこで人形が身の上話をすると、彼女の目線に合わせて膝を抱えながら耳を傾けていた雪のひとひらが重々しく頷きました。
「それはつらかったわね」
「でも、私の持ち主は本当に自分勝手だったわ」
お人形は最初、悲しい気持ちで語っていましたが、話していくうちにだんだん身勝手な持ち主達に腹が立ってきました。
「いいわいいわ、私にだって自分の行く所を選ぶ権利があるんだから。私はまだ新品同然なのよ、そんじょそこらで売られてる世間知らずなんかよりよっぽど立派なんだから」
過激なお人形の言葉を、ひとひらは神妙に聞き入っていましたが、本当は言っていることの半分も理解できませんでした。
「じゃあどうしたいの?」
「お願いを聞いてくれるの?」
「もちろんよ、そのために来たんだから」
「だったら、私を慰めてくれる人のところに連れてって!」
ひとひらはしかつめらしく頷きました。
「わかったわ、貴女が慰めてあげられる人のところね」
あれ、少し違う。そう異議を唱える前に、お人形の体は天高く舞い上げられました。
からりと晴れ上がった青空が広がる、明け方のことです。前の晩に降り積もった雪が、太陽によって早くもその輪郭を崩し始めていました。
一件の貧しい部屋の扉から、一人の娘が肩を落として外へ出てきました。部屋の中には、年の離れた小さな妹が眠っています。
姉妹は元々は裕福な家庭の生まれでしたが、父親を戦争に取られて失い、家は没落し、母親も何処かへ行ってしまったため、残された姉は赤貧のなか必死に妹を養ってきました。妹もそんな姉を健気に支え、我が儘一つ言わずに生活していました。
そんな二人は昨夜、ささやかな新年の祝いをしましたが、食事の席で妹がおずおずと訊ねてきました。
「お姉ちゃん、私、贈り物もらえるかな。今までずっといい子にしてきたもの」
「もちろんよ、いい子には必ず贈り物が届けられるわ」
幼さの中に控えめな期待を込めた妹の瞳を曇らせたくなくて、咄嗟に嘘をついてしまいました。贈り物を買う余裕など、彼女にはありません。
結局、妹の涙を先伸ばしにしただけだったと、真っ暗な気持ちで階段を降りた時、視界の隅に赤いものがちらつきました。
「あら、これは…」
見ると、そこには美しい真紅のドレスを纏ったアンティークドールが置いてありました。驚いて辺りを見渡しましたが、持ち主らしき人影はおろか、野良猫一匹見当たりません。
「昨日の夜見た時には、こんなもの無かったのに…」
少女ははっとしました。
「まさか、そんな、でも、きっと神さまだわ、神さまがあの子に贈って下さったんだわ!」
痩せて青ざめていた少女の頬が薔薇色に染まりました。これ以上無い程丁寧な手つきで人形を抱き上げると、胸の前で手を合わせて感謝の祈りを捧げました。
「神さま、ありがとうございます!本当にありがとうございます、これであの子を悲しませずにすみました。ありがとうございます」
姉は踵を返すと、踊るように軽やかな足取りで家の中へと戻っていきました。まだ夢の中にいる妹の枕元に、この素晴らしいプレゼントを添えるために。
屋根の上からこぼれた、シャーベットのような雪が囁きました。
(どう、貴女の願い通りの相手でしょう?)
(まあ、悪くはなさそうだわ)
扉をくぐる刹那、人形は礼を言う代わりに高慢な態度で鼻を鳴らしました。
そんな反応は別に、ひとひらは気にしませんでしたが。
―――それにしても、どうして私のやったことは、みーんな神さまの手柄にされてしまうのかしら?