文豪タイムスリップ
文豪・谷崎潤一郎は、突如として眩しすぎる空間で目を覚ました。
「……む」
まぶたを刺すのは、天井一面に埋め込まれた青白い光である。影という影が削ぎ落とされ、部屋の四隅まで冷酷なまでに露出している。
「これはいかん。まるで手術室か、取調室ではないか」
谷崎は眉をひそめ、羽織の裾を直しながら立ち上がった。どうやらここは、令和と呼ばれる時代の「最新型スマート住宅」のモデルハウスらしい。手入れのしやすい白いビニールクロス、光沢のあるフローリング。どこを見渡しても、時が醸し出す「なれ」や「渋み」の入る隙など微塵もなかった。
「ふむ……西洋かぶれもここまで来ると、もはや正気を疑うな」
喉の渇きを覚えた谷崎は、廊下へ出た。すると足元のLEDセンサーが反応し、ぽっと足元灯が点灯する。
「おののッ!? ……なんという余計なお世話だ。足元の暗がりを踏みしめて歩く愉しみを、この機械めは知らんのか」
溜息をつきながら歩を進めると、廊下の奥に重厚なドアを見つけた。磨りガラスの向こうは、かすかに薄暗い。
「おお……これだ。これこそが便所だ」
谷崎は『陰翳礼讃』でも熱弁をふるった通り、日本の家屋において便所こそが最も風流であり、精神を安んずる聖域であると信じて疑わない。閑寂な庭を眺め、ほの暗い空間で雨の音に耳を傾ける――それこそが至高の快楽なのだ。
期待に胸を膨らませ、谷崎は滑らかなドアノブに手をかけた。
スッと扉が開いた、その瞬間である。
ウィーン――
電子音とともに、便器の蓋が生き物のように跳ね上がった。
「うわあっ!?」
谷崎は思わず二歩後退りした。
驚く間もなく、天井のスポットライトがパッと点灯し、さらには便器の鉢内から妖しい青いLEDの光が照射された。清潔感をアピールするための最新機能である。
「な、なんだこの仕掛けは! 蓋が自分で起き上がり、しかも器の中が青く発光しているだと……!? 妖怪の類か!?」
谷崎は冷や汗を流しながら、壁に備え付けられたリモコンパネルを凝視した。ボタンがずらりと並んでいる。「おしり」「ビデ」「パワー脱臭」「自動流し」。
「『おしり』……? なぜ機械が私の尻の心配をしているのだ。それにこの青い光は何だ。これでは風流どころか、宇宙船の操縦席ではないか! 尻を据える前に精神が狂ってしまうわ!」
憤慨した谷崎は、一刻も早くこの不快な光を消そうと、手近なボタンを適当に押し込んだ。
「ピピッ」
次の瞬間、便器の奥から水流の音が響き、あたたかい温水が勢いよく空中に向かって噴射された。
「ひやあッ!!」
着物の袖を濡らしながら、谷崎は逃げ出すように廊下へ飛び出し、バタンとドアを閉めた。胸を上下させながら、彼は固い床にへたり込んだ。
「あかん……こんなところにおったら、人間がアホになってしまう……」
そこへ、スマートスピーカー(AIアシスタント)の爽やかな声が部屋に響きわたった。
『ポーン♪ ご気分はいかがですか? 室内温度を24度に設定し、リフレッシュ効果のあるアロマディフューザーを起動しました』
頭上から漂ってくる、人工的なミントの香り。谷崎は天井を見上げ、恨めしそうに呟いた。
「温度も、香りも、光も、すべて機械にお膳立てされるか。……影を恐れ、暗闇を駆逐し、便利さと清潔さに取り憑かれた現代人よ。お前たちは『風情』という名の贅沢を、自らドブに捨ててしまったのだな」
谷崎は立ち上がり、着物の袖についた水を払うと、静かにモデルハウスの玄関へ向かった。
「……まあ、しかし」
玄関の姿見に映る自分の濡れた袖を見つめながら、文豪はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「『ハイテク便所に襲われた文豪の恥辱』――ふむ、これはこれで、なかなか興奮する官能小説が一本書けそうではないか」




