表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

文豪タイムスリップ

作者: 杜乃ナギサ
掲載日:2026/08/08

 文豪・谷崎潤一郎は、突如として眩しすぎる空間で目を覚ました。


「……む」


 まぶたを刺すのは、天井一面に埋め込まれた青白い光である。影という影が削ぎ落とされ、部屋の四隅まで冷酷なまでに露出している。


「これはいかん。まるで手術室か、取調室ではないか」


 谷崎は眉をひそめ、羽織の裾を直しながら立ち上がった。どうやらここは、令和と呼ばれる時代の「最新型スマート住宅」のモデルハウスらしい。手入れのしやすい白いビニールクロス、光沢のあるフローリング。どこを見渡しても、時が醸し出す「なれ」や「渋み」の入る隙など微塵もなかった。


「ふむ……西洋かぶれもここまで来ると、もはや正気を疑うな」


 喉の渇きを覚えた谷崎は、廊下へ出た。すると足元のLEDセンサーが反応し、ぽっと足元灯が点灯する。


「おののッ!? ……なんという余計なお世話だ。足元の暗がりを踏みしめて歩く愉しみを、この機械めは知らんのか」


 溜息をつきながら歩を進めると、廊下の奥に重厚なドアを見つけた。磨りガラスの向こうは、かすかに薄暗い。


「おお……これだ。これこそが便所だ」


 谷崎は『陰翳礼讃』でも熱弁をふるった通り、日本の家屋において便所こそが最も風流であり、精神を安んずる聖域であると信じて疑わない。閑寂な庭を眺め、ほの暗い空間で雨の音に耳を傾ける――それこそが至高の快楽なのだ。


 期待に胸を膨らませ、谷崎は滑らかなドアノブに手をかけた。


 スッと扉が開いた、その瞬間である。


 ウィーン――


 電子音とともに、便器の蓋が生き物のように跳ね上がった。


「うわあっ!?」


 谷崎は思わず二歩後退りした。

 驚く間もなく、天井のスポットライトがパッと点灯し、さらには便器の鉢内から妖しい青いLEDの光が照射された。清潔感をアピールするための最新機能である。


「な、なんだこの仕掛けは! 蓋が自分で起き上がり、しかも器の中が青く発光しているだと……!? 妖怪の類か!?」


 谷崎は冷や汗を流しながら、壁に備え付けられたリモコンパネルを凝視した。ボタンがずらりと並んでいる。「おしり」「ビデ」「パワー脱臭」「自動流し」。


「『おしり』……? なぜ機械が私の尻の心配をしているのだ。それにこの青い光は何だ。これでは風流どころか、宇宙船の操縦席ではないか! 尻を据える前に精神が狂ってしまうわ!」


 憤慨した谷崎は、一刻も早くこの不快な光を消そうと、手近なボタンを適当に押し込んだ。


「ピピッ」


 次の瞬間、便器の奥から水流の音が響き、あたたかい温水が勢いよく空中に向かって噴射された。


「ひやあッ!!」


 着物の袖を濡らしながら、谷崎は逃げ出すように廊下へ飛び出し、バタンとドアを閉めた。胸を上下させながら、彼は固い床にへたり込んだ。


「あかん……こんなところにおったら、人間がアホになってしまう……」


 そこへ、スマートスピーカー(AIアシスタント)の爽やかな声が部屋に響きわたった。


『ポーン♪ ご気分はいかがですか? 室内温度を24度に設定し、リフレッシュ効果のあるアロマディフューザーを起動しました』


 頭上から漂ってくる、人工的なミントの香り。谷崎は天井を見上げ、恨めしそうに呟いた。


「温度も、香りも、光も、すべて機械にお膳立てされるか。……影を恐れ、暗闇を駆逐し、便利さと清潔さに取り憑かれた現代人よ。お前たちは『風情』という名の贅沢を、自らドブに捨ててしまったのだな」


 谷崎は立ち上がり、着物の袖についた水を払うと、静かにモデルハウスの玄関へ向かった。


「……まあ、しかし」


 玄関の姿見に映る自分の濡れた袖を見つめながら、文豪はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「『ハイテク便所に襲われた文豪の恥辱』――ふむ、これはこれで、なかなか興奮する官能小説が一本書けそうではないか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ