「死人にしか好かれない女」とは婚約破棄ですか?では、歴代英雄の皆さんと王国を見捨てます。
「リコリス・フォン・グレイヴェル。私は今日、この場をもってお前との婚約を破棄する」
王立学園の卒業祝賀会で、第三王子レオニス・アルディシアは高らかに宣言した。
楽団の演奏が止まり、集まった貴族たちの視線が一斉にリコリスへ向く。黒い髪に深紅の瞳を持つリコリスは、喪服にも見える墓守の正装で、騒ぐことなくレオニスを見返した。
レオニスの隣には、金髪の小柄な令嬢が寄り添っている。未来を見る力を持つと評判の男爵令嬢、カサンドラ・ローゼだった。
「理由を伺ってもよろしいでしょうか」
「分かりきったことを聞くな。お前は墓守だ。毎日死人と話し、墓石を磨き、過去にしがみついている。そんな陰気な女が王家に嫁ぐなど縁起が悪い」
会場のあちこちから失笑が漏れた。
リコリスの生家であるグレイヴェル伯爵家は、王国最大の国営墓地を代々管理している。そこには建国以来の王族、騎士、魔導師、聖職者たちが眠っていた。
グレイヴェル家の血族には霊を見る力がある。リコリスも幼い頃から英霊たちの姿を見て、声を聞き、彼らの願いを王国へ伝えてきた。
だが、王都の貴族たちにとって、墓守は不気味な職業でしかなかった。
「墓守は王国に必要な務めです」
「死人の世話がか?」
レオニスは鼻で笑った。
「死んだ者など、もう存在しないのと同じだ。初代国王だろうが、伝説の騎士だろうが、過去の人間にいつまでも頭を下げる必要はない。過去を美化し、伝統に縛られるから、この国は前に進めないのだ」
「殿下は、英霊の方々をそのようにお考えなのですね」
「英霊などという呼び方も気に入らん。死者を飾り立てているだけだろう。これからの王国を作るのは、生きている私たちだ」
レオニスは得意げに胸を張った。
功績のない自分が、何百年も前の英雄より軽く扱われることを、彼は昔から嫌っていた。歴史の授業では過去の王を馬鹿にし、慰霊祭では退屈そうに欠伸をする。墓地には一度も足を踏み入れようとしなかった。
そんな彼が、未来を見るカサンドラへ夢中になったのは当然だった。
「カサンドラは未来を見通せる。過去に執着するお前とは正反対の、王国に必要な女性だ」
カサンドラはレオニスの腕に身を寄せ、怯えたようにリコリスを見た。
「申し訳ありません、リコリス様。わたくし、本当はお伝えするべきではないと思っていたのです。でも、恐ろしい未来を見てしまって⋯⋯」
「どのような未来でしょうか」
「王国が滅びる未来です」
会場がざわめいた。
カサンドラは潤んだ紫の瞳を伏せる。
「燃える王宮。倒れる騎士たち。逃げ惑う民。そして、その中心にリコリス様が立っていました。ですから、わたくし⋯⋯リコリス様が王家に入れば、王国は滅びるのだと思います」
未来視そのものは本物なのだろう。
ただし、カサンドラに見えるのは未来の一場面だけだ。原因も、そこへ至る道筋も見えない。それでも彼女は、自分に都合のよい解釈をレオニスへ吹き込んだ。
「未来を見たカサンドラが言うのだ。間違いはない」
「私と婚姻すれば、王国が滅びると?」
「そうだ。これは王家のための決断だ」
リコリスは会場を見回した。
国王も、王妃も、この婚約破棄を止めようとしない。むしろ安堵しているように見えた。
現在、王国は東の敵国と戦争中だった。西にある別の隣国との関係も悪化している。
その西の隣国と戦った英雄たちが多数眠る国営墓地を管理するグレイヴェル家と王家が結びつけば、外交上の刺激になる。王家は以前から、それを理由に婚約を解消したがっていた。
カサンドラの予言は、ちょうどよい口実だったのだ。
「王家としても、レオニスの判断を支持する」
国王が口を開いた。
「グレイヴェル伯爵家には、今後も墓地の管理を命じる。婚約は破棄するが、これまで通り王国へ尽くせ」
婚約者としては不要だが、墓守として働き続けろ。
あまりに都合のよい命令だった。
「承知いたしました」
リコリスが頭を下げると、レオニスは勝ち誇ったように笑った。
「聞き分けだけはよいな。お前はこれまで通り、墓でも磨いていればいい。どうせ死人にしか好かれない女だ」
「最後に、一つ確認させてください」
「何だ」
「王家は、英霊の方々を必要としていないのですね」
レオニスは呆れたように肩をすくめた。
「まだ死人の話をするのか。必要ない。これからは私とカサンドラが、未来を見て国を導く」
「分かりました」
リコリスは踵を返した。
追いすがる者はいなかった。
その日の夜、リコリスは王立英霊墓地へ戻った。
王都の北に広がる墓地は、城下の一地区に匹敵するほど広い。整然と並ぶ墓石の間を歩きながら、リコリスはいつものように落ち葉を拾い、花が倒れていれば直した。
『聞いたぞ、嬢ちゃん』
低く太い声がした。
大きな墓碑の前に、白髪交じりの長髪を持つ男の霊が立っている。王衣をまとい、大剣を携えたその男こそ、アルディシア王国を建国した初代国王アルトリウスだった。
彼の背後にも、大勢の英霊が集まっている。剣聖、大賢者、聖女、大将軍。王国史に名を残す者たちが、揃って険しい顔をしていた。
『あの小僧、余を死人扱いしたそうではないか』
「間違ってはいません。皆さんは亡くなっていますから」
『そういう話ではない』
アルトリウスは不機嫌そうに腕を組んだ。
『お前を死人にしか好かれぬ女とも言ったらしいな』
「聞いていたのですか」
『墓守との契約を通じて、王宮の様子くらい分かる。あの小僧は昔から気に入らなかった。慰霊祭で余の像に鳥の糞が落ちておるのを見て笑いおった』
『私の墓前で欠伸もしていましたよ』
聖女が頬を膨らませた。
『俺の戦いを、昔の武勇伝など役に立たんと言いやがった』
大将軍も腹を立てている。
リコリスは幼い頃から、この賑やかな英霊たちと過ごしてきた。彼らの好物を覚え、好きだった花を供え、命日には一人ずつ話を聞いた。
英霊たちは墓地に縛られているわけではない。
リコリスを通じて王国へ力を貸していた。
騎士の剣が折れにくいのも、魔導師の術が安定するのも、国境の砦が敵の奇襲に気づけるのも、英霊たちの加護があるからだ。
王家は、その事実を忘れていた。
「皆さんにお願いがあります」
『言ってみよ』
「もう、王国を守らなくて構いません」
墓地が静まり返った。
アルトリウスが、リコリスをじっと見つめる。
『本当に良いのだな』
「はい。王家は皆さんを必要としていません。私にも、これまで通り働けと命じただけでした」
『では、民はどうする』
「民を見捨てたいわけではありません。ただ、自分たちを侮辱する者へ、力を与え続けてほしくないのです」
アルトリウスはしばらく黙り、やがて大剣の柄へ手を置いた。
『分かった。余らの加護は、今夜をもって王家と軍から引き上げる』
『異議なし』
英霊たちの声が重なった。
リコリスは静かに頭を下げた。
「長い間、お疲れさまでした」
翌朝から、王国軍で異変が続いた。
敵の矢を弾いていた防護魔法が発動しない。補修したばかりの剣が折れる。索敵魔法は敵の伏兵を見逃し、騎兵隊は霧の中で進路を失った。
数日で前線は崩壊した。
敵軍は砦を突破し、王都へ向けて進軍を始める。
王宮では、レオニスが怒鳴り散らしていた。
「なぜだ!!なぜ急に負け始めた!カサンドラ、未来を見ろ!」
「み、見ていますわ。でも、何度見ても王宮が燃えて⋯⋯」
「どう防げばよいのかを見ろ!」
「結果しか見えないのです!」
「役立たずめ!」
この間まで未来の聖女と持ち上げていた女へ、レオニスは平然と罵声を浴びせた。
カサンドラの見た未来は正しかった。
ただし、王国を滅ぼす原因はリコリスではない。リコリスを追い出し、英霊を侮辱したレオニス自身だったのだ。
王都へ敵軍が迫る中、リコリスは一人の男を墓地へ招いていた。
銀髪に青灰色の瞳を持つ、王立魔導研究所の主任魔導師アルベイン・アークライト。霊体魔法を研究する変わり者として、貴族社会から遠巻きにされている人物だ。
東の隣国から攻められている危機的状況を打破すべく、リコリスが招いたのである。
「こちらに、初代国王アルトリウス陛下がおられます」
リコリスが紹介すると、アルベインは何もない空間を見つめた。
「僕には見えません。ですが、確かに魔力の揺らぎがあります。すごい。本当に魂が存在している」
『こやつ、余を前にして跪きもせぬのか』
「アルベインさんには見えていませんからね」
「?すみませんリコリス様。陛下が何か仰っているのでしょうか?」
「ああ——跪かないのか、と」
アルベインは慌てて片膝をついた。
「失礼しました。初めまして、陛下。霊体や魔法を研究している魔導師、アルベイン・アークライトと申します。早速で申し訳ありませんが————陛下の魂を一時的に受肉させたいのですが、協力していただけますか」
『初対面で頼むことか?』
「時間がありませんので」
アルベインは霊を恐れなかった。
利用して権力を得ようとも考えていない。ただ、存在を知り、会話し、研究したいという純粋な興味を持っている。
リコリスが初めて彼に出会った時も、墓守だと告げると目を輝かせた。
「素晴らしい仕事ですね。忘れられた魂を、今も一人の人間として扱っている」
気味が悪いとも、不吉だとも言わなかった。
その言葉が、リコリスには嬉しかった。
「受肉には、私の視覚と墓守の契約を術式へ接続する必要があります」
「危険は?」
「成功すれば疲労程度です。失敗すれば⋯⋯まぁ、僕の視覚が焼き切れてしまうくらいでしょうか」
「命は?」
「大丈夫です」
「では、協力します」
「ありがとうございます!」
『視覚が無くなるかもしれんと言うのに、どちらも対応が軽いな⋯⋯。お前たち、相性が良いのではないか』
「陛下は黙っていてください」
リコリスが珍しく頬を赤くすると、アルベインは理由が分からず首を傾げた。
二人の術式は、その日のうちに完成した。
敵軍が王都の門へ到達した時、アルベインは英霊墓地の中央で巨大な魔法陣を起動した。リコリスが両手を重ね、目の前に立つアルトリウスへ呼びかける。
「アルトリウス陛下。私の魔力をお使いください」
『任せよ』
墓地を覆うほどの光が広がった。
最初に現れたのは、大剣を担いだ白髪の王だった。
続いて、歴代の騎士、魔導師、聖職者、将軍たちが、半透明ではない肉体を得て次々と立ち上がる。
英霊軍が、数百年ぶりに地上へ顕現した。
「行くぞ」
アルトリウスが剣を掲げる。
「我らの国を、無礼な子孫ごと敵へ渡すわけにはいかぬ!」
英霊軍は王都へ向かった。
戦いは長く続かなかった。
生前に一国を築き、何度も侵略を退けた英雄たちである。敵軍は抵抗する間もなく押し返され、王都から国境まで追い払われた。
一方、王宮には英霊の一人も向かわなかった。
敵兵が突入した時、国王も王妃も、レオニスもカサンドラも、守ってくれる者を失っていた。
「なぜだ!私は王族だぞ!」
レオニスは最後まで叫んだという。
「初代国王の子孫である私を守れ!」
だが、自分が存在しないも同じだと切り捨てた先祖から、返事が届くことはなかった。
この日、王宮に居た人間——全ての王族、カサンドラも全員——が死亡した。
戦いが終わり、アルトリウスは王都の広場に立った。
集まった民衆の前で、初代国王はリコリスを隣へ呼ぶ。
「アルディシア王家は滅びた。だが、国まで滅んではならない。余が愛し、余が建国した民を苦しめたくないのだ」
民衆が息を呑む。
「その為に、余は新たな王を定める!それは——」
「陛下。私は墓守です」
リコリスは嫌な予感を覚え、ボソッとアルトリウスに提言した。しかし、アルトリウスは止まらない。
「だからこそだ、リコリスよ」
アルトリウスは堂々と言い切った。
「この娘は、名も顔も知らぬ死者にさえ敬意を払い続けた。力を持つ者だけでなく、忘れられた者の声も聞く。王に必要なのは、未来を見る力ではない。過去から学び、今を生きる者を守る力だ」
英霊たちが武器を掲げた。
「初代国王であるアルトリウス・アルディシアの名のもとに宣言する!我ら英霊は、リコリス・フォン・グレイヴェルを、新たな王として認め、新たな王の元に生きる民たちへ、英霊の加護を与えることを約束しよう!!」
『異議なし!』
英霊たちの声と、民衆の歓声が広場を満たした。
リコリスはしばらく呆然としていたが、隣に立つアルベインが小さく笑う。
「墓守から国王ですか。大出世じゃないですか」
「他人事のように言わないでください」
「もちろん、お手伝いします。英霊の受肉研究も、国の再建も」
「なぜ、そこまで?」
アルベインは少し考え、初めて研究以外のことを話す時のように、ゆっくりと言葉を選んだ。
「あなたといる未来に、興味があるからです」
未来を見る力はない。
それでも、リコリスはその言葉を信じられた。
「では、これからもよろしくお願いいたします」
「はい、陛下」
「リコリスで結構です」
「⋯⋯婿にするなら早めに決めろよ」
アルトリウスの余計な一言に、アルベインは顔を赤くし、リコリスはため息をついた。
こうして、墓守令嬢リコリスは英霊たちに認められ、新たな王となった。
後世の人々は彼女を、死者と生者の双方に愛された最初の女王——英霊王と呼んだ。
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