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巡り巡る 〜漢字の意味が世界を変える世界〜  作者: 暇な鍼灸師


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第9章 集結する異能

◾︎警察署 ロビー

地下への階段から、歪な金属の塊を蛇のように蠢かせながら、金子が姿を現した。その後ろには、両手をポケットに入れ、薄ら笑いを浮かべた氷川智宏が続く。

刑事の谷雄一は、隣に立つフードの男——音無賢人の肩を掴んだ。

「……音無君。君は逃げなさい」

「谷さん?」

「ここは警察署だ。テロリストの相手は我々警察の仕事です。君のような民間人が、これ以上巻き込まれる必要はない」

谷の声は震えていたが、その目は真剣だった。法を守る者として、被害者である彼を戦わせるわけにはいかない。

しかし、賢人は静かに首を振った。

「いいえ。俺にも、ここにいる理由があります」

賢人は、地下から迫り来る二人を見据えた。

「彼らの狙いは俺です。それに……俺はもう、皆さんをあいつらの手に渡すことができない。だから、戦いますよ」

「……っ」

谷は言葉に詰まった。警察の立場からすれば、能力を使う覚醒者の協力を公に得ることはできない。本来なら「ダメだ」と止めるべきだ。

谷は数秒の沈黙の後、視線を外して呟いた。

「……今のは、聞かなかったことにします」

「……え?」

「君が勝手に自衛行動を取るのを、我々は止められなかった。……そういうことです。ですから、無理だけはしないように」

賢人が微かに口元を緩めようとしたその時、背後から野太い声が掛かった。

「分かったぜ刑事さん。無理しなけりゃ良いんだな?」

「うおっ!?」

谷が飛び上がるほど驚いて振り返ると、そこにはいつの間にか鈴木浩三と髙橋俊明が立っていた。

「す、鈴木さん!? 髙橋さん!? いつの間に……」

「へへっ、俺たちも腹くくりましたからね。既に態勢は整えてますよ」

髙橋がネクタイを締め直しながら不敵に笑う。

谷は二人を見て、その覚悟の決まった目つきに圧倒された。

「……はぁ。もう好きにしてください。えぇ、無理はしないでくださいね!」

「おうよ! ……だがその前に、髙橋さん」

鈴木が髙橋の肩を叩いた。

「一度、家に帰らせてくれ」

「はい? 今このタイミングで?」

「この黒スーツじゃ動きにくいし、ヤクザと間違われるからな。……『仕事着』に着替えてくる」

髙橋は鈴木の意図を察し、ニヤリとした。

「ああ、なるほど。本気の装備ってわけですね」

髙橋は谷に向かって指を立てた。

「刑事さん、一瞬抜けます。すぐ戻りますんで!」

シュンッ!

空気が弾ける音と共に、鈴木と髙橋の姿がその場から掻き消えた。

「オラオラァ! 警察共! 道を開けろぉ!」

ロビー中央。金子が咆哮した。

彼が操る金属の塊が触手のように伸び、拳銃を構えようとした制服警官たちの手足に絡みつく。

「ぐわっ!?」

「足が……動かない!」

「ヒャハハハ! どうだ! 俺の拘束からは逃げらんねぇぞ!」

その様子を、後ろから氷川が手を叩いて褒め称える。

「いいねぇ金子ちゃん! その調子だ! バンバン無効化しちゃって!」

「ヘイ! アニキ! 任せてくださいよ!」

おだてられた金子は、さらに調子に乗って金属を広範囲に展開していく。

谷はその隙に、隣の白川に指示を飛ばした。

「白川! ここは俺たちが食い止める! お前は幸田さんの安全確保だ! 2階へ連れて行け!」

「了解です! ……幸田さん、走りますよ!」

白川が幸田美咲の手を引き、階段へと走る。

しかし、その動きを氷川は見逃さなかった。

「……幸田?もしかして…?」

氷川の視線が、逃げる美咲の背中を捉え、口角が三日月のように吊り上がった。

「……金子ちゃん、あそこの階段の女たちも捕まえちゃってよ。俺超ラッキーじゃん?」

「へい! お安い御用……で……」

金子が右手を階段の方へ向けようとした、その瞬間だった。

「……あ、れ……?」

金子の動きがピタリと止まった。

顔色が土色になり、焦点が合わなくなっていく。

「い、いや……きゅ、急に能力が……つかえな……」

ドサリ。

金子は最後まで言い切る前に、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。

その後ろには——透明な死神が立っていた。

音無賢人だ。

「無」の能力で気配を殺し、一瞬で距離を詰め、金子の意識を直接刈り取ったのだ。

(……まずは一人!)

だが、その行動こそが、氷川の待っていた瞬間だった。

「……チッ」

金子が倒れた瞬間、氷川の表情から笑みが消えた。

気配はない。音もない。

だが、「金子が倒れた」という事実が、そこに「何か」がいることを証明している。

「そこかよ!!」

ドガッ!!

氷川は躊躇なく、倒れた金子の体を思い切り蹴り飛ばした。

「ごふっ!?」

気絶した金子の体がボールのように壁に転がっていく。

(何もぶつからねぇ…金子の軌道上にはいねぇか!?)

直後、氷川は両手を地面に叩きつけた。

「——『氷』!!」

パキィィィィィィィン!!!

ロビー全体が、瞬きする間に極寒の地獄へと変貌した。

床、壁、カウンター、そして空気中の水分までもが凝結し、視界全てが鋭利な氷柱と霜で埋め尽くされる。

賢人は戦慄した。

(マズい……! このままじゃ俺も凍る!)

逃げ場はない。全方位からの瞬間凍結。

賢人は反射的に能力を全開にした。

(『無』!!)

自身の周囲の空間にある「氷の生成エネルギー」そのものを無効化し、消失させる。

ゴウッ……!

氷の波が賢人を飲み込もうとしたが、彼のいる半径一メートルの空間だけ、氷が生まれることなく霧散した。

「……はぁ、はぁ……!」

賢人は冷や汗を流しながら、なんとか無傷で立ち尽くしていた。

だが、顔を上げると——目の前で、氷川智宏がニチャリと笑っていた。

氷川は、ロビーを見渡した。

全てが白く凍りついた世界の中で、たった一箇所。

不自然に氷が存在しない、ぽっかりと空いた「空白の空間」があった。

そこに、透明な誰かがいる。

(……まずい、バレた!)

見えなくても、そこだけ「無い」ことが、居場所を雄弁に物語っていた。

氷川は、その空白の中心を見据え、嬉しそうに呟いた。

「……みぃつけた」

◾︎警察署 階段踊り場

「はぁ、はぁ……! 急いで、幸田さん!」

「う、うん……っ!」

白川真純は、震える幸田美咲の肩を抱くように支えながら、非常階段を一階から二階へと駆け上がっていた。

ゴオォォォッ……!

突如、背後の一階ロビーから猛烈な冷気が吹き上がってきた。

白川の頬を切り裂くような寒風が通り過ぎた瞬間、目の前の階段の手すりと段差が、バリバリと音を立てて一瞬で凍りついた。

「ひっ……!?」

美咲の足が止まる。

視界を覆う白い氷。肌を刺す冷気。

その光景が、昨日見たばかりの「地獄」を鮮明にフラッシュバックさせた。

(……お父さん……お母さん……)

(カチコチになって……動かなくて……)

「いや……いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

美咲は頭を抱え、その場にうずくまって絶叫した。

「来ないで! 殺さないでぇぇぇ!!」

「幸田さん! しっかりして! 大丈夫、大丈夫だよ!私が守るから!」

白川は必死に美咲を抱きしめ、その声をかき消そうとするかのように強く抱擁した。

その悲痛な叫び声は、静まり返ったロビーにもよく響いた。

◾︎警察署 ロビー

「……お?」

氷川智宏は、ロビーの中央でピクリと耳を動かした。

氷川はニヤリと笑おうとして、ふと真顔になり周囲を確認した。

熊井はいない。金子は気絶している。警察官たちは動けない。

(……ラッキー。誰も気づいてねぇな)

氷川は口元だけで嗜虐的な笑みを浮かべた。

(あの娘の『幸運』の能力……金剛寺や熊井なんかに渡してたまるかよ。あいつらは殺すか道具にするだけだ。……俺が個人的に飼って、ギャンブルや金儲けにたっぷり使わせてもらう)

「待ってな、幸運の女神ちゃん。仕事を片付けたら、こっそり迎えに行ってやるからさぁ〜!」

氷川は階段の方角へ視線を向け大声で幸田に聞こえるように言った。

氷川は意識を目の前の「仕事」——凍りついていない空白の空間へと戻した。

「さてと……。そこにいるんだろ? 音無賢人クン」

氷川は指先から氷のつぶてを生成しながら、諭すように語りかけた。

「いいか? 大人しく出てきなよ。俺もさぁ、君を殺すわけにはいかないんだよねぇ」

シュンッ! シュンッ!

放たれた氷は、鋭利な刃ではなく、相手を拘束するための「杭」のような形状をしていた。

「金剛寺の先生がさぁ、君を生きたまま連れてこいってうるさいんだよ。死体じゃ価値が下がるんだとさ」

(……生け捕り狙いか!)

賢人は歯を食いしばり、全神経を研ぎ澄ませていた。

相手が手加減しているとはいえ、その攻撃密度は凄まじい。

(『無』! 『無』! 『無』!!)

迫り来る氷の杭を、接触する寸前で能力によって消失させる。

だが、足場は最悪だ。周囲は完全に凍りついており、少しでも動けば滑って体勢を崩す。

「らぁっ!! 大人しく捕まっとけよ!」

氷川は苛立ち、音無の足を狙って無数の氷の刃を放つ。

「ぐっ……!?」

処理しきれなかった氷の破片が、賢人の太腿とふくらはぎを掠めた。

透明化していても、肉体はそこにある。

鮮血が舞い、後方の真っ白な氷の壁に、赤い飛沫がべっとりとへばりついた。

「……あーあ」

氷川はその「赤いシミ」を見て、安堵したように息を吐いた。

「やっぱそこにいたか。……足くらいならいいよな? 運んでやるから感謝しな」

氷川は両手を広げ、巨大な氷の棺桶のような塊を生成し始めた。

「さあ、その中でお休み。カチコチにパックして、先生の前に出荷してやるよ」

一方、ロビーの受付カウンター裏。

刑事の谷雄一は、脂汗を垂らしながら呻いていた。

「ぐ、ぅ……っ! 動け……!」

谷の右足は、床ごと分厚い氷に覆われ、完全に固定されていた。

氷川がロビー全体を凍らせる直前、咄嗟にカウンター裏に飛び込んだが、足先だけが逃げ遅れたのだ。

「クソッ……!」

谷は拳銃を構え、カウンターから身を乗り出して氷川を狙おうとした。

だが、氷の柱が視界を遮り、氷川の姿を確認できない。

無理に撃てば、跳弾が音無や一般人に当たる可能性がある。

「狙えねぇ……! 俺がもっと早く気づいていれば……音無君が連れて行かれる……!」

ガンッ!!

谷は悔しさのあまり、凍りついた床を拳で殴りつけた。

絶望的な状況。

氷川が音無を氷漬けにして捕獲しようと、腕を振り上げたその時だった。

ダンッ!! ダンッ!!

乾いた銃声が二発、ロビーに響き渡った。

「……あ、ぐっ!?」

氷川の動きが止まる。

両足のふくらはぎから、鮮血が噴き出した。

正確無比な射撃が、彼の足を貫いたのだ。

「が、ぁ……!? いってぇ……!」

氷川は苦痛に顔を歪め、ガクッと膝をついた。

生成しかけていた捕獲用の氷塊が崩れ落ちる。

「ど、どこだ……!?」

氷川が血走った目で銃声のした方向——ロビーの入り口付近の柱の陰を睨みつける。

そこには、両手でしっかりと拳銃を構えた女性記者——いや、アメリカ工作員、サラ・コッホが立っていた。

彼女の瞳に、もはや偽りの愛想笑いはない。冷徹なプロフェッショナルの光が宿っていた。

「——動かないで」

サラは銃口を氷川の眉間に向けたまま、低く鋭い声で告げた。

「次は頭を撃ち抜くわよ。……氷使いさん」

ロビーは張り詰めた緊張感に包まれていた。

膝をついた氷川智宏の目の前には、銃を構えるサラ・コッホ。その隣ではアレックスも同じく照準を定めている。

そして背後には、姿は見えないが確実にそこにいる「死神」音無賢人の気配。

(……やべぇな、こりゃ)

氷川は脂汗を流しながら思考を巡らせた。

(前には銃口。後ろには見えない暗殺者。……動けば撃たれるか、心臓を止められるか)

その時、空間が揺らいだ。

シュンッ!

ロビーの中央に、二人の男が突如として現れた。

一人は、ヨレヨレの作業着にタオルを巻いた大男——鈴木浩三。

もう一人は、ネクタイを締め直し、臨戦態勢で眼鏡を押し上げる男——髙橋俊明だ。

「……あ?」

氷川は目を丸くした。

(何処から湧いてきやがった!? 空間転移か? ……チッ、敵の増援かよ)

戻ってきた鈴木は、カチコチに凍りついたロビーと、銃を構える外国人たちを見て、目を白黒させた。

「おいおい、なんじゃこりゃ。俺たちが着替えてる間に冬が来たのか?」

「鈴木さん、冗談言ってる場合じゃないですよ。……状況は最悪だ」

髙橋が冷静に周囲を見渡す。

鈴木は、カウンターの裏で身動きが取れなくなっている谷刑事を見つけた。

「おぅ刑事さん! 無事か!?」

「す、鈴木さん!? 戻ってきたんですか!」

谷が氷漬けになった足を引きずろうとしながら叫ぶ。

「見ての通りです! あの派手なスーツの男……氷川が、署内を凍らせて音無君を炙り出そうとしています!」

「なるほどな」

鈴木は得心がいったように頷き、銃口を向けられている氷川を指差した。

「要は、あの転がってる野郎をとっ捕まえて、音無君を救えばいいんだな?」

鈴木は躊躇なく、氷川の方へと歩き出した。

ザッ、ザッ、と登山靴が氷を踏みしめる音が響く。

「待ってください鈴木さん! 危険すぎる!」

谷が悲鳴のような声を上げた。

「アイツの能力は『接触即死』レベルです! 近づけば一瞬で氷漬けにされますよ!」

「……ハンッ」

鈴木は鼻で笑い、歩みを止めない。

「気にすんな。……髙橋さん、後ろは頼むぞ」

「ええ。鈴木さんの背中は俺が守ります。……刑事さん、大丈夫ですよ。今は詳しく言えませんが、見ていてください」

追い詰められた氷川は、近づいてくる鈴木を見て口元を歪めた。

(……ナメやがって。どいつもこいつも)

氷川の目に、昏い決意の光が宿る。

(もう音無の生け捕りは諦めだ。……一度、全周囲を絶対零度で凍らせて、ここにいる全員殺す)

(そうすりゃ撤退も簡単だ。ついでにあの転がってる金子も回収しねぇとな。アイツ、警察の尋問や拷問に耐えられるタマじゃねぇし)

「……悪いね、おっさん。死んでくれ」

氷川は残った力を全て込め、両手を地面に叩きつけた。

「——『氷』!!!」

ロビーの空気が悲鳴を上げる。

全てを停止させる死の冷気が、爆発的に膨れ上がろうとした——その瞬間。

チリリリリリリ…………

澄んだ、どこか懐かしい鈴の音が、ロビー全体に響き渡った。

「……あ?」

氷川の手から、冷気が噴き出さない。

それどころか、ロビーを覆い尽くしていた分厚い氷が、まるで早回しの映像のように急速に溶け、水へと変わっていく。

「な、なんだ……!? 俺の能力が……消えた!?」

氷川は愕然と自分の手を見つめた。

ただの水浸しになったロビー。そして、鈴木の「鈴」の能力で覚醒者の能力である氷が消えたことで、『彼』の持つ『無』の能力も無効化される。

「……はぁ、はぁ……ッ」

空間の歪みが解け、音無賢人の姿がはっきりと浮かび上がる。

両足からは血を流し、肩で息をしている満身創痍の姿。能力を維持する限界だったのだろう。

「……そ、そういうことかよ」

氷川は、腰に古びた鈴をぶら下げた鈴木を見上げ、乾いた笑いを漏らした。

(あの鈴の音……能力の無効化か。……アンチ能力者。一番相手にしちゃいけない天敵じゃねぇか)

銃を向けるサラ。

空間を支配する髙橋。

能力を消す鈴木。

「……ハハッ。こりゃ詰みだな」

氷川が両手を挙げ、降参しようとした時だった。

ドォォォォォォン!!!!

警察署の正面玄関。

強化ガラスの扉が、外側から轟音と共に粉々に砕け散った。

「なっ!?」

「車!?」

一台の黒いバンが、ノーブレーキでロビーへと突っ込んできたのだ。

タイヤが焼ける音と、ガラス片が飛び散る音。

車はカウンターの手前で横滑りし、ドリフト状態で停車した。

ガチャリ。

運転席のドアが蹴り開けられる。

降りてきたのは、全身ずぶ濡れの状態で、鬼のような形相をした大男——熊井猛だった。

「オラァァァァァァ!! どいつだぁぁぁ! 俺を海に落としやがったのはぁぁぁ!!」

その凄まじい怒号と轟音で、瓦礫の下で気絶していた金子がビクリと目を覚ました。

「……ひぃっ!? な、なんだ!? 地震か!?」

役者は揃った。

いや、役者が多すぎて舞台が壊れかけていた。

カオスと化した警察署ロビーで、最終決戦のゴングが鳴らされた。

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