第66章 仇を生かすため
■対策局・食堂
食堂の空気が、ピーンと張り詰めていた。
田治見が提示した唯一の生存ルート――『一度心臓を止めて能力を強制解除し、直後に蘇生させる』
「……心臓を、止める」
その単語が出た瞬間、示し合わせたかのように、全員の視線が一人の男に集中した。
音無賢人だ。
彼の能力『音・無』は、対象に認識されることなく心臓に直接干渉し、停止させることができる。
最も苦痛なく、最も確実に、その瞬間を作り出せるのは彼しかいない。
重苦しい沈黙の中、音無がゆっくりと手を挙げた。
「……俺が、やります」
「音無くん……」
白川が不安そうに彼を見る。
「大丈夫、なの……?
だって、相手は……」
「ああ。親の仇だ」
音無は隠すことなく言い切った。
「みんなには『もう家族だ』と言った。それは嘘じゃない。
……だが、それでも。俺の心の奥底、ドス黒い部分には、まだあいつを『仇』として憎んでいる自分がいるのも事実だ」
音無は自分の掌を見つめ、静かに拳を握りしめた。
「正直に言うと、ふとした瞬間に思うことがあるんだ。
『こいつさえいなければ』ってな。
……そんな中途半端な気持ちのままじゃ、あいつを本当の意味で家族として迎えることはできない」
音無は顔を上げ、全員を見渡した。
その瞳には、暗殺者の冷徹さと、家族を守ろうとする熱意が同居していた。
「だから、俺にやらせてくれ。
俺の手で一度、あいつを殺す。
……俺の中の『復讐心』ごと、過去の六名駿太を葬り去る」
音無は東と田治見に向き直った。
「そして、蘇生した後……。
罪も、能力も、因縁も消え失せた『ただの六名』を、俺が一番最初に抱き起こしてやる。
『おはよう、家族』ってな。
……これは、俺が前に進むための儀式でもあるんです」
その壮絶な覚悟に、誰も言葉を発せなかった。
親を殺した相手を、生かすために一度殺す。
それは音無にしか許されない、あまりにも重い聖域だった。
カツ、カツ、カツ。
硬質な足音が響き、音無の前に宗方が進み出た。
「……宗方さん」
宗方は無言だった。
彼はゆっくりと両腕を広げると、音無の体を抱きしめた。
硬いプラスチックの感触。体温はない。
だが、その体はカタカタと小刻みに震えていた。
「……六名様を」
宗方の声が、軋むように響いた。
「六名様を……よろしくお願い致します。
貴方になら……あの方の命を、預けられます」
涙の流れない人形が、全身全霊で示した信頼と感謝。
音無は、震える宗方の背中に手を回し、強く叩いた。
「……任せろ。
必ず、あんたの主を連れ戻す」
二人の男の、種族を超えた契約が交わされた。
「……よし。役者は決まったな」
東義昭が、静かにワイングラスを置いた。
「だが、問題はどうやって六名にこの『手術』を受けさせるかだ」
東は眉間を揉んだ。
「彼は今、この計画を白川君一人にしか話していないつもりでいる。
それはつまり、『誰にも知られず、静かに消えたい』と願っているからだ」
「……確かに」
田治見がウィスキーを呷りながら唸る。
「もし我々がゾロゾロと部屋に押しかけて、『お前を殺して蘇生させる!』なんて言ってみろ。
あいつはパニックになって、心停止じゃなく『存在消滅』を選んじまうかもしれねぇ。
肉体ごと消えられたら、私の腕でも蘇生は不可能だ」
「つまり……六名を刺激せず、確実に『心臓を止める』状況へ誘導しなければならない」
東は白川真純を見た。
「鍵は君だ、白川君。
彼が唯一心を許し、計画を打ち明けた君だけが、彼をこの『手術台』に乗せることができる」
「わ、私……ですか?」
白川がゴクリと唾を飲む。
「ああ。君と音無君の演技力
……そして何より、全員の『愛』で、あの少年を騙し討ちにするんだ」
作戦の全容が見え始めた。
それは、六名の孤独な死を阻止するための、対策局全員による一世一代の神と六名に対する「ドッキリ作戦」だった。
◾︎六名達の部屋の前
白川真純は、震えそうになる指先をもう片方の手で押さえ、深呼吸をしてから六名の部屋をノックした。
コン、コン。
「……はーい」
中から穏やかな声が返ってくる。
白川は頬をパンと叩いて笑顔を作り、ドアを開けた。
「おはよう、六名くん。調子はどう?」
「あ、白川さん。おはようございます」
ベッドで本を読んでいた六名が、いつも通りの無邪気な笑顔で振り向いた。
白川は部屋の中をさりげなく見渡す。
窓際の椅子も、サイドテーブルの横も空っぽだ。いつも影のように付き従っている宗方も、穏やかにお茶を飲んでいる清原もいない。
「あれ、清原さんと宗方さんは?」
「清原は朝の散歩。宗方さんはその付き添いだよ。
……僕がついていくと、清原が『仕事に行かなくていいのかい?』って心配するから」
六名は苦笑いをして本を閉じた。
好機だ。白川は心臓の鼓動を悟られないように、慎重に言葉を選んだ。
「そっか。……ねぇ、六名くん」
「ん?」
「前に……君が言ってたことなんだけど」
白川は一歩近づいた。
「全ての掃除が終わって、能力の根源を破壊した後……君、『音無くんに殺されたい』って言ってたじゃない?」
六名の目が、僅かに丸くなった。
そして、どこか懐かしむように遠くを見た。
「……そうだね。言ったよ」
六名は静かに頷いた。
「僕が危ない苗字の人を、他にもたくさんの人を掃除した。
音無さんはその被害者の代表だから……彼に終わらせてもらうのが、一番のケジメかなって」
「うん。……だったらさ」
白川は、祈るような気持ちで提案した。
「最後……音無くんに旅立たせてもらうのは、どうかな?」
「……え?」
「君が一人でひっそり消えるよりも、彼に引導を渡してもらう方が……君の言う『ケジメ』になるんじゃないかなって」
六名はしばらく黙り込み、自分の手のひらを見つめていた。
やがて、憑き物が落ちたようなスッキリとした顔で顔を上げた。
「……そうだね。白川さんの言う通りかも」
六名はベッドから降りた。
「僕が勝手に消えるより、音無さんに終わらせてもらう方が……彼にとっても納得がいくよね」
「う、うん……きっとそうだよ」
「ありがとう、白川さん。僕、音無さんに相談してみるよ!」
六名はパッと明るい笑顔を見せると、スリッパの音を響かせて廊下へと駆け出していった。
「あ……」
その小さな背中が見えなくなると同時に、白川はその場にへたり込んだ。
冷や汗が背中を伝う。
「……よかった……うまくいった…のかな?…」
第一段階、クリア。
白川は震える手で胸を撫で下ろした。あとは、音無に託すしかない。
■対策局・食堂
「あ、音無さん」
朝食のコーヒーを飲んでいた音無賢人に、六名が声をかけた。
「……六名か。おはよう」
音無はカップを置き、努めて平静を装った。白川からの合図はまだだが、このタイミングで来たということは、誘導に乗ったということだ。
「おはようございます。……あの、音無さん。ちょっとだけ時間いいですか?」
「ああ。構わないが」
「ここだと人が多いから……外に行きましょう」
六名は音無の袖を掴むと、小さく呟いた。
「……『方』」
景色が歪み、一瞬で裏庭のベンチへと転移した。
朝の冷たい空気が二人の間を流れる。
六名はベンチに腰掛け、足をぶらぶらさせながら口を開いた。
「懐かしいですね、音無さん」
「……何がだ?」
「最初に出会った時のこと。
音無さん凄く怒ってて、でもそれは当然で…だって僕音無さんのご両親を苗字の危険性だけで殺したから…
でも、まさかこうやって隣に座れる日が来るなんて思わなかったな」
「……そうだな。俺も、お前を殺すことしか考えていなかった」
音無は相槌を打ちながら、六名の横顔を盗み見た。
殺意も敵意もない。ただ、古い友人と話すような穏やかさだ。
「色々ありましたけど……世界は平和になりましたね」
六名は空を見上げた。
「東さんの国作りはすごい。もう、僕が掃除をしなくても根源を破壊しなくても誰も不幸にならない。
……だから、僕は清原を、お父さんを解放したいんです。なので…最後は僕の命を音無さんに終わらせて欲しくって…」
六名は自分の意思を音無に伝えた。
「……解放、か」
音無は核心に触れた。
「なあ六名。……お前は、お父さんに会いたくないのか?
元の記憶に戻った父親と、これから一緒に暮らしたいとは思わないのか?」
「…………」
六名の足が止まった。
彼は俯き、寂しそうに笑った。
「……会いたいですよ。会いたいさ」
「だったら……」
「だけど」
六名は音無の言葉を遮った。
「……僕、聞いちゃったんです」
「え?」
「東さんと田治見先生が、こっそり話しているのを」
六名は膝の上で拳を握りしめた。
「氷川さん……
彼に施した手術の後、能力は使えなくなったけど……その後、意識不明になったって」
「……ッ」
音無は息を呑んだ。
(知っていたのか……。東さんたちの会話を、どこかで……!)
「…氷川さんの脳を弄ったから、人為的な能力の消去という神への冒涜をしたからバグが起きたんだと思う。
……だから、その手術は僕にしてもきっと失敗する」
六名の論理は、残酷なほど冷静だった。
「…だから僕という『原因』そのものを消去するしか……お父さんを助ける方法はないんです」
音無は、六名の聡明さと、それゆえの絶望に胸が締め付けられた。
もう隠しても無駄だ。音無は覚悟を決めた。
「……そうか。知っていたのか」
音無は重い口調で告げた。
「なら、これも伝えておく。
……実は昨日、氷川が息を引き取ったらしい」
六名の肩が、ビクリと跳ねた。
「……そっか。やっぱり、死んじゃったんだ」
六名は乾いた笑い声を漏らした。
「あはは……。やっぱり、ダメなんだ。
きっと神様は……こんな悪い事をした僕には、生きていて欲しくないんだよ。
『お前みたいなゴミは、さっさと消えろ』って言ってるんだ」
自分を責め、世界を諦めた少年の独白。
音無は、湧き上がる「ふざけるな」という叫びを喉の奥で押し殺し、冷徹な仮面を被った。
「……ああ。神はそう言っているかもしれないな」
「え……?」
六名が驚いた顔で音無を見る。否定してくれると思っていたのかもしれない。
音無は立ち上がり、六名を見下ろした。
「だが、俺は神じゃない。
……六名。分かった。俺がお前を旅立たせてやる」
「……ほ、本当ですか?」
「ああ。お前の望み通り、俺の手で終わらせてやる。
……だが、条件がある。俺の条件も聞け」
「何?」
六名は身を乗り出した。
「場所はここじゃない」
音無は食堂の方角を指差した。
「明日、食堂の横にある部屋……あそこに、お前を旅立たせるための『特別な部屋』を用意する。
俺なりの儀式だ。
そのベッドの上で……俺の手にかかって死ね」
そこは、田治見が準備している緊急手術室だ。
六名は、少しキョトンとした後、パァァっと顔を輝かせた。
「……うん! 分かった!
音無さんが用意してくれる場所なら、僕はどこでもいいよ」
六名はベンチから飛び降り、深々と頭を下げた。
「音無さん。
僕を殺してくれる約束をしてくれて……ありがとう」
純粋な感謝の言葉が、音無の胸に杭のように突き刺さる。
「……ああ」
音無は短く答え、六名に背を向けた。
これ以上、あいつの笑顔を見ていられなかった。
背を向けたまま、音無は歩き出す。
(……馬鹿野郎が)
音無は、六名には聞こえない微かな声で、しかし確かな呪詛を吐いた。
「……そして、お前は生き返れ。
生き返って……置いていこうとしたお父さんに、土下座して謝れ」
音無は拳を強く握りしめ、田治見たちの待つ作戦本部へと向かった。
契約は成立した。
あとは、神を騙して少年を救い出す、一世一代の大芝居を残すのみだ。
■対策局・食堂(午後8時)
「ん~っ! 今日のシチューも絶品だな幸田!」
谷がおかわりをよそいながら満面の笑みを浮かべる。
「ふふ、ありがとう谷さん。今日は六名くんのリクエストで、ホワイトシチューにしたのよ」
幸田美咲が優しく微笑み、隣の席の六名を見た。
「うん! すっごく美味しいです!」
六名駿太はスプーンを口に運び、目を細めた。
「……幸せだなぁ。みんなとこうやってご飯を食べて、笑い合って。
外は平和で、誰も争ってない。……本当に、最高の夜だね」
六名の言葉に、一瞬だけ全員の箸が止まりそうになるが、すぐに笑顔で覆い隠す。
アレックスが六名の背中をバンと叩いた。
「Hahaha! まだまだ食えるだろ六名! 俺に勝つにはフィジカルが足りないぞ!」
「もう、アレックスさん叩きすぎだよ~」
他愛のない会話。冗談と笑い声。
六名はその時間を噛み締めるように楽しみ、やがて時計を見た。
「……さて。じゃあ、僕はそろそろ部屋に戻るね」
六名は名残惜しそうに席を立った。
「明日は……ちょっと大事な日だから、早めに寝て心の準備をしなきゃ」
「……そうか。お休み、六名」
鈴木浩三が、震えそうになる声を抑えて手を振る。
「お休みなさい、六名くん」
「いい夢を」
みんなに見送られ、六名は食堂を出て行った。
パタン、と扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
その音が完全に消えた瞬間。
食堂の空気が、真冬のように凍りついた。
「……ふぅ」
音無賢人が指を鳴らした。
「……『音・断絶』」
不可視の壁が食堂を包み込む。
音無は全員に向き直り、静かに告げた。
「……とりあえずは、うまくいった。
明日の昼飯前、11時だ。
食堂の隣にある特別室で……あいつは俺に殺されるためにやって来る」
「第一関門突破、ですね」
白川真純が、張り詰めていた糸が切れたように椅子に沈み込んだ。
「疑われてない……よね?」
「ああ。あいつは完全に、自分一人で逝くつもりでいる」
音無は拳を握った。
「……騙し討ちだ。だが、これしかあいつを救う道はない」
「……だったら、ウジウジしてる暇はねぇな」
田治見薫が、腕まくりをして立ち上がった。
その目には、マッドドクターとしての鋭い光が宿っている。
「蘇生用の機材、薬剤、それと予備の電源……。
私が描いた『蘇生プラン』を完璧に実行するには、今の設備じゃ足りねぇ」
田治見は、隣に座っていた髙橋俊明の首根っこを掴んだ。
「おいタクシー。付き合いな。
佐山の病院と、ウチの秘密倉庫から必要なモン全部かき集めてくるぞ」
「は、はいはい! 分かってますよ!」
髙橋は覚悟を決めた顔で立ち上がった。
「日本の医療機器、全部ここに持ってくる勢いで転移させますから!」
シュンッ。
田治見と髙橋が消えた。
残されたメンバーも、じっとしてはいられなかった。
「俺たちはどうする? 何かできることはないか?」
アレックスが問うと、鈴木が立ち上がった。
「田治見先生のサポートだ!
機材が届いたらすぐにセッティングできるように場所を空けるぞ!
それと、万が一あいつが暴れた時のために、黒田たちと警備配置を確認だ!」
「はいっ!」
「若様を……絶対に死なせねぇぞ!」
食堂は、明日への決戦に向けた作戦本部へと変わった。
全員が、たった一人の少年を「生かす」ために動き出した。
■六名達の部屋(午後9時)
一方、六名は静かな部屋に戻っていた。
そこには、清原と宗方が待っていた。
「……ただいま、清原。宗方さん」
「おかえり、六名様。楽しかったかい?」
清原が穏やかな笑顔で迎える。
「うん。とっても」
六名はベッドに腰掛け、二人を見つめた。
「あのね……清原。
明日のお昼、音無さんが僕のこと……殺してくれるって」
「!」
あまりにも衝撃的な報告。
だが、六名の当初の計画を知っている清原は、それを「祝福すべきこと」として受け取った。
「……そうか。それは良かったねぇ」
清原は、心から嬉しそうに頷いた。
「ずっと、それが六名様の願いでしたもんね。
苦しい役目から解放されて……やっと自由になれるんですね」
「うん。……ありがとう、清原」
六名はその言葉に救われたように微笑んだ。
そして、部屋の隅に控えていた宗方を見た。
「……宗方」
カツ、カツ。
宗方が静かに歩み寄り、六名の横に立った。
そして、何も言わずに――そっと、六名を抱きしめた。
「……!」
硬いプラスチックの腕。体温のない抱擁。
だが、その体は小刻みに、カタカタと震えていた。
「……宗方? どうしたの?」
六名が驚いて見上げると、宗方は震える声で、しかしはっきりと告げた。
「……六名様がお亡くなりになると言う事は、私もただのマネキンに戻るということ。
……『死』そのものに、恐怖はありません。私は貴方様の影ですから」
宗方の腕に、力がこもる。
「ですが、私としては……。
私という個がある限り……いつまでも、いつまでも六名様のお側にお仕えしたかったです。
……貴方様が大人になり、皺が増え、おじいちゃんになるその日まで……ずっと」
それは、従者が初めて口にした「我儘」だった。
「……宗方」
六名の目から、大粒の涙が溢れ出した。
「……ごめんね。ごめんね、宗方」
六名は泣きじゃくりながら、宗方の背中に手を回した。
「いつもありがとう。
僕なんか……本当に助けられてばかりのダメな主人だったけど……。
いつも宗方がいてくれたから、今日まで頑張ってこれたんだ」
「……勿体ないお言葉です」
「ありがとう……大好きだよ、宗方」
六名は声を上げて泣いた。
宗方もまた、涙を流せない身体を震わせながら、主人の温もりをプラスチックの胸に刻み込んでいた。
その光景を、清原はソファーに座り、ニコニコと眺めていた。
「良かったですね六名様。
宗方がそんなに想ってくれて……」
狂気と純粋な愛が混ざり合う部屋。
六名にとっての最後の夜は、温かく、そして残酷に更けていった。




