第62章 次元の違う暴力
■対策局・周辺の森(木陰)
「……クソがッ!!」
不死原慶次は、ゲートを外回りして反対側の森から対策局へ近づいていた。
ドスを握る手に血が滲むほど力を込める。
目の前では、轟や豊穣たちが暴徒と化した市民に飲み込まれ、悲鳴を上げている。
東義昭の描いた絵図面通り、自分たちの「負け」は確定していた。
「あいつさえ……あの東とかいうガキさえいなければ、こんなことにはならんかったんや!」
不死原の爬虫類のような目に、狂気の光が宿る。
政治も経済も終わった。だが、「暴力」だけはまだ残っている。
相手はバルコニーに立っている生身の人間だ。いくら頭が良かろうが、『死』の能力で触れれば死ぬ。
「お前ら、行くぞ!!
東の首さえ獲れば、盤面はひっくり返る!
全員殺して、死体の上で凱歌をあげたるわ!!」
「「オオオオッ!!」」
不死原と、彼が選抜した数名の精鋭たち――全員が『不死』の能力を付与された兵隊が、森の影から飛び出した。
「死ねぇぇぇ!! 東ぃぃぃ!!」
彼らは人混みをかき分け、東がいるバルコニーの下へと一直線に突っ込んだ。
警備のK-Securityが反応するよりも速い、捨て身の特攻。
不死原の手が、東の足元へと伸びる。
シュンッ!!
空間が歪んだ。
不死原の視界が、唐突に遮られる。
「……あ?」
東の前に、二つの影が立っていた。
一人は、どこにでもいそうな線の細い少年、六名駿太。
もう一人は、ウインドブレーカーのフードを深々と被った長身、宗方。
「……なんやガキ!! 邪魔するならお前からじゃあ!!」
不死原は止まらない。
目の前に現れたのが誰であろうと関係ない。彼の手には『死(即死)』の能力が発動している。触れれば終わるのだ。
「死に晒せ!!」
不死原の凶手が、六名の顔面へと迫る。
バシィッ!!
乾いた音が響いた。
不死原の手首が、宗方の手によって無造作に払われたのだ。
「あ……?」
次の瞬間。
ドォォォォンッ!!
宗方の長い脚が、旋風のような回し蹴りを放った。
その一撃は、不死原の腹部に深々とめり込み――そのまま貫通する勢いで、背後の精鋭たちごと吹き飛ばした。
「ぐべぇッ!!?」
「ぎゃあああッ!?」
ガシャガシャガシャンッ!!
まるでボーリングのピンのように、不死身のヤクザたちが宙を舞い、石畳の上を転がっていく。
人間が飛ばされる音ではない、交通事故のような衝撃音が響き渡った。
「……げほッ、がはッ……!」
数メートル吹き飛ばされた不死原は、すぐに立ち上がった。
『不死』の能力がなければ、内臓破裂で即死していただろう。
「な、なんや……今の蹴りは……」
不死原は脂汗を流しながら、宗方を睨みつけた。
あの一瞬の接触で、彼は確かに宗方の腕に触れたはずだ。『死』の能力を流し込んだはずだ。
「なんで……なんで死なへん!?
ワイの能力は『触れたら即死』やぞ! 生きとるわけないやろ!!」
不死原の叫びに、宗方は無表情のまま首を傾げた。
「死なない……?」
ギチ……ギチギチ……。
宗方の首が、不気味な音を立てて回った。
その整いすぎた顔には、生気がない。呼吸もしていない。
そう、彼は人間ではない。マネキン(非生物)だ。
『死』という概念が存在しない彼に、即死攻撃など通じるはずもなかった。
「貴方は……」
宗方の声色が、絶対零度まで下がった。
彼は、背後の六名を見た。
「六名様を……殺すつもりだったのですか?」
ギチチッ!!
宗方の拳が握りしめられ、プラスチックが軋むような音がした。
ただ立っているだけで、周囲の空気がビリビリと震えるほどの怒気。
「ひッ……」
不死原の精鋭たちが、本能的な恐怖で後ずさる。
六名は、そんな殺伐とした空気の中で、きょとんとした顔で東を振り返った。
「東さん」
「なんだい、六名」
「あの人たち……ゴミですか?」
純粋すぎる問いかけ。
そこに悪意はない。ただ、掃除をする必要があるかどうかの確認だ。
東はワイングラスを揺らし、冷酷に微笑んだ。
「ああ。正真正銘、リサイクルの余地もないゴミ(産業廃棄物)だ。
……好きにしていいぞ」
「分かりました」
六名はニコリと笑い、ゆっくりと不死原たちの方へ歩き出した。
宗方もまた、主の後ろに影のように従う。
「な、なめんじゃねぇぞガキどもが!!」
不死原が吠えた。
「ワイらは不死身や! 何回殺されても生き返る!
数で押し潰して……」
不死原はまだ分かっていない。
自分たちが敵に回したのが、「死なない程度の人間」ではなく、「『消』『修』『寺』『方』全てを操る少年」と「『宗』による洗脳と『方』による物理法則を無視する人形」だということを。
「掃除の時間です」
六名が右手をかざした瞬間。
最強の暴力団・不死原組の、本当の悪夢が始まろうとしていた。
■対策局・前庭
「オラァァァッ!! 囲んで叩け!!
ワイらは死なん! 痛みもない! 諦めるまで殴り続けろぉッ!!」
不死原慶次の号令と共に、精鋭たちが一斉に飛びかかった。
ドスが、拳銃が、そして触れれば即死する凶手が、六名と宗方に殺到する。
物理的には回避不可能な飽和攻撃。だが、宗方は一歩も動かなかった。
ただ、静かに右手をかざしただけだ。
「……『方』」
シュン!
見えない壁に弾かれたように、銃弾も、刃物も、そして飛びかかった構成員たちの体も、遙か上空にいた。
「うわあああッ!? な、なんやコレ!?」
「体が……落ちている!?」
「な…何メートル上空なんだぁ!?」
「邪魔です」
数秒後宙に浮いた数名のヤクザが、隕石のような速度で地面に叩きつけられた。
ズドォォォォンッ!!
石畳が粉砕され、クレーターができる。
普通の人間ならミンチになっている衝撃。だが、彼らは『不死』だ。グシャグシャになった手足が、ボコボコと音を立てて再生していく。
「へ、へへっ……! 言うたやろ! ワイらは死なん!
これくらいの痛み、屁でも……」
這い上がろうとする男たちの前に、六名駿太が歩み寄った。
彼は再生していく傷口を、興味深そうに覗き込んだ。
「すごいですね。壊れてもすぐ直るんだ」
六名はニコリと笑い、人差し指を立てた。
「でも……『無くなったら』直せませんよね?」
「あ?」
六名が指先を男たちの手足に向け、小さな声で呟いた。
「……『消』」
シュッ。
音が消えた。
そして、男たちの両腕と両足が――消滅した。
切断されたのではない。血も出ていない。
肩から先、股関節から先が、まるで最初から存在しなかったかのように、削り取られていた。
「え……?」
「あ、足が……ない? なんでや? 痛くない……感覚がない……?」
再生しようにも、再生すべき「断面」が存在しない。
『消』の能力は、対象の座標データを世界から削除する。彼らは「手足を失った」のではなく、「手足が存在しない生物」へと書き換えられたのだ。
「な、なんやオマエ……何をしたんや……!?」
不死原が後ずさる。
部下たちが芋虫のように地面を転がっている。死んではいない。だが、これでは戦えない。
「ひ、怯むな! ワイがやる! ワイの手さえ届けば……!」
不死原は雄叫びを上げ、六名の背後から死角を突いて飛びかかった。
宗方は別の敵を処理している。今なら届く。
その手が、六名の首筋に触れようとした――その瞬間。
ギチッ。
不死原の視界が反転した。
瞬足で転移した宗方が、不死原の手首を掴んでいたのだ。
マネキンの冷たい指が、不死原の骨をミシミシと締め上げる。
「触らせませんよ」
「は、離せぇ! この人形風情がぁ!」
不死原は掴まれた手で宗方に『死』を流し込む。
だが、宗方は涼しい顔で、あろうことか不死原の腕を「引き抜いた」
ブチィッ!!
「ぎゃああああッ!?」
「うるさいですね」
宗方は千切った不死原の腕をポイと捨て、地面に転がる不死原のその胸倉を掴み上げた。
「……『方』・地中」
対策局の庭から不死原がいなくなる。
宗方は地下3000mの岩と岩の僅かな隙間に不死原を転移させる。体に巨大な圧力と地中の熱が不死原を襲う。
「が、あ……っ!? ほ、骨が……!」
バキバキバキバキッ!!
全身の骨が砕ける音。肉の焼ける匂い。
不死原の体は見る見るうちに圧縮され、バスケットボールほどのサイズの肉塊へと変えられていく。
それでも『不死』を発動させている為に意識があるまま、自分の体がミンチにされていく地獄の苦しみ。
その後宗方は目の前に不死原を転移させる。
「く…そが…ぁ……」
「死なないのでしょう? 便利ですね」
宗方は冷淡に言い放ち、その肉塊(不死原)を地面に転がした。
「六名様。粗大ゴミの分別、完了しました」
「ありがとう、宗方」
六名は、手足を消されて転がる構成員たちと、ボール状に圧縮された不死原を見下ろした。
彼らはまだ生きている。モゴモゴと何かを訴えているが、もはや脅威ではない。
「……東さん。掃除終わりました」
六名は無邪気な笑顔でバルコニーに手を振った。
その所要時間、わずか30秒。
最強の暴力団は、一滴の血も流させることなく、生きたままのオブジェへと変えられた。
■対策局・食堂の窓辺
その一方的な蹂躙劇を、コーヒーを飲みながら眺めていた三人の男たちがいた。
鈴木浩三、髙橋俊明、そして音無賢人だ。
彼らもまた、人間離れした能力を持つ「怪物」の側である。
だが、窓の外で起きている現象は、彼らの常識すらも超えていた。
「……ははっ」
鈴木が、乾いた笑い声を漏らした。
「おいおい……マジかよ。
不死原組って言えば、俺たちでも真正面からやり合うのはキツイ相手だぞ?
それを……あんな、ゴミ拾いみたいに……」
鈴木は自分の手を震わせながら見た。
「……味方で良かったと、心底思うな」
「同感ですね……」
髙橋が引きつった顔で頷く。
「俺の転移も大概反則だと思ってましたけど……アレは次元が違いすぎますよ。
手足を『消す』とか、人間をボールにするとか……物理法則どこ行ったんです?」
髙橋は窓ガラスに手をついた。
「俺、もう二度と六名くんのプリン勝手に食べません。誓います」
そして音無は腕を組んで静かに溜息をついた。
「……自信をなくすな」
音無の言葉には、深い諦観が混じっていた。
「僕なら、あいつら(不死原組)を殺すのに一晩はかかる。
だが、六名と宗方は『死』という「手段」をとらなくてもそれ以外で相手を無効化する手段を数多く持っている…」
音無は、庭で無邪気に笑う六名を見た。
「……暗殺の仕事がなくなるわけだ。
あの二人がいれば、暗殺なんてコソコソした真似は必要ない」
三人は顔を見合わせ、力なく苦笑した。
「「「……ハハハ……」」」
それは、圧倒的な「格の差」を見せつけられた者たちだけが共有できる、諦めと安堵の混じった笑いだった。
彼らは知ったのだ。
東義昭が従えているのが、単なる兵器ではなく、この世の理そのものであることを。
庭では、ボールになった不死原が、六名に突っつかれて転がっていた。
日本の裏社会が終わった瞬間だった。
■対策局・前庭
「……うィ。……終わったか?」
静まり返った前庭に、気だるげな声が響いた。
ヨレヨレの白衣を羽織り、スキットルからウィスキーを煽りながら現れたのは、田治見薫だ。
彼女は、宗方によってボール状に圧縮された肉塊、不死原慶次の成れの果てを、うつろな目で見下ろした。
「ゲッ、えげつねぇ圧縮しやがって。ミンチじゃねぇか」
田治見は酒臭い息を吐きながら、しゃがみ込んで肉塊を指で突いた。
「……骨格粉砕。内臓もグシャグシャ。普通の生物なら即死だ。
なのに、細胞の一つ一つが『死んでねぇ』って悲鳴上げてやがる。
……傑作だな。こいつは良い酒のつまみになりそうだ」
田治見はニヤリと笑い、東義昭に振り返った。
「おい、東。
このゴミ……研究室に持ってくぞ。
『不死』の再生限界と、氷川第2号だ」
その言葉を聞いた瞬間、肉塊(不死原)がビクリと震えた。
(……あ、あかん……!)
不死原の意識は、まだ鮮明に残っていた。
このアル中女の目は……ヤクザの自分ですら失禁するほど「冷え切って」いる。
以前、裏社会で氷川たちが何をされたか、噂には聞いていた。
(コイツに拾われたら……死ぬよりも恐ろしい『地獄』が待っとる……!)
「構わんよ」
東はワイングラスを傾け、ゴミを捨てるような口調で言った。
「リサイクルできるなら本望だろう。好きに使え」
「へっ、話が早くて助かるぜ。おい、運搬車回せ!」
田治見が懐からタバコを取り出し、咥えようとした――その時だった。
「……ガ、……ァァ……」
肉塊から、空気が抜けるような音が漏れた。
不死原は、残された最後の力を振り絞った。
敵を葬ってきた最強の矛――『死(即死)』の能力。
それを、他でもない「自分自身」に向けたのだ。
(……殺せ。ワイの『死』で、ワイを殺すんや……!)
プライド高い極道の、最後の意地。
こんなイカれた闇医者の玩具にされるくらいなら、自ら虚無へ帰る。
「……不、死、原……オワ、リ……や……」
ジュワァァァ……。
肉塊が黒く変色し、炭化していく。
自らの即死能力が、細胞を自壊させていく。
「あん?」
田治見が眉間の皺を深くして、舌打ちした。
「オイ待て! 勝手に壊れてんじゃねぇよクソが!
まだ基礎データも取ってねぇんだぞッ!」
田治見は炭化していく肉塊を蹴り飛ばそうとして、止めた。もう遅い。
数秒後。
そこには、乾いた灰の塊だけが残されていた。
最強の暴力団組長は、マッドドクターへの恐怖と最後の矜持により、自らの手で幕を引いたのだ。
「……チッ。シケた野郎だ」
田治見は不機嫌そうにスキットルの中身を一気に飲み干した。
「メンタルが豆腐以下かよ。根性が足りねぇんだよ、最近の極道は。
……おい東、あっちに転がってるダルマ(手足を消された部下)は貰ってくぞ?
こっちはまだ鮮度が良さそうだからな」
「ああ。そっちは好きにしろ」
東は灰になった不死原を一瞥もしなかった。
彼の視線は、既に恐怖で凍りついている数万人の市民(デモ隊)に向けられていた。
「……見たかね、市民諸君」
東の声が響き渡る。
「暴力は暴力によって滅びた。
……さあ、食事に戻りたまえ。おかわりは十分にある」
市民たちは、もはや一言も発せなかった。
圧倒的な力と、冷徹な支配。
彼らは無言で頭を垂れ、大人しく列に戻った。
そこにはもう、暴徒の影はなく、統制された羊の群れだけがあった。




