第58章 聖域への宣戦布告
■衆議院議員会館・東義昭事務所
「……よし。これで『骨子』は固まったな」
東義昭は、デスクの上に積み上げられた三つの分厚いファイルを見下ろし、深く息を吐いた。
隣では、徹夜続きで目の下に隈を作った弁護士の高柳慎吾が、泥のようにコーヒーを啜っている。
「完璧です……。憲法との整合性、既存法との兼ね合い、予算措置……。
内閣法制局の審査官が泣いて逃げ出すレベルまで詰めました」
「ご苦労だった、高柳。
……だが、これはまだ『地図』を描いただけに過ぎない」
東はネクタイを締め直した。
「ここからが本番だ。この地図通りに道を敷くためには、そこに居座っている『地主』たちを退かさねばならん」
ソファで新聞を読んでいた長宗我部政宗が顔を上げる。
「根回し(仁義切り)か。
……党内の古狸共は私が抑えよう。『票』と『ポスト』をチラつかせれば、大抵は静かになる」
「頼む。……私は、最も厄介な『城』を攻め落としてくる」
東はファイルの一つ——『国立覚醒者アカデミー設置法案』を小脇に抱えた。
「文部科学省。……あそこの官僚どもは、金や暴力では動かんよ。
『メンツ』と『前例』という、厄介な宗教で動いているからな」
■霞が関・文部科学省 事務次官室
重厚なオーク材の扉。足音が吸い込まれるようなふかふかの絨毯。
ここは日本の教育行政の頂点、事務次官室。
その革張りの椅子に、一人の男が座っていた。
仕立ての良いチャコールグレーのスーツ。銀縁眼鏡の奥には、感情を一切映さない冷徹な瞳がある。
文科省事務次官、西園寺 鏡一。
「……内閣府の東です。お忙しい中、時間を割いていただき感謝します」
東が入室しても、西園寺は手元の決裁書類から目を離さなかった。
ペンを走らせながら、事務的に口を開く。
「単刀直入にお願いします、東先生。
私も暇ではない。……予算の陳情なら、主計局へ行っていただきたいのですが」
「予算の話ではありません。……未来の話をしに来ました」
東は『アカデミー法案』や『覚醒者労働促進法』のファイルを、西園寺のデスクに滑らせた。
「覚醒者の子供たちを保護し、教育する国立機関の設立。
その認可と、適正ある覚醒者の能力を使った労働を文科省との連携をお願いしたい」
西園寺の手が止まった。
彼はゆっくりと顔を上げ、氷のような視線で東を射抜いた。
そして、目の前のファイルを開きもせず、指先で弾いた。
「……お断りします」
「中身も見ずに、ですか?」
「見るまでもありません」
西園寺は眼鏡の位置を直した。
「東 義昭……。貴方のことは存じていますよ。連日テレビで拝見していますからね」
西園寺の声には、隠しきれない蔑みの色が混じっていた。
「K-Securityでしたか?
元ヤクザやならず者を集め、法外な値段で警備を請け負う民間軍事会社。
……確かに、治安維持の手腕は認めましょう。
貴方がドブさらいをしてくれるおかげで、我々が安心して眠れるのも事実だ」
「ならば——」
「だが、教育は違う」
西園寺が声を荒げたわけではない。しかし、室内の温度が数度下がったような圧力が放たれた。
「教育とは、国家百年の計。聖域です。
貴方のような、暴力を金に変える『政商』が、土足で踏み込んでいい領域ではない」
西園寺は立ち上がり、窓の外の国会議事堂を見下ろした。
「覚醒者の子供? 結構。
ですが、それは『教育』の対象ではない。危険な『検体』として管理すればいい。
学校など必要ないのです」
「……検体、だと?」
東の眉がピクリと動いた。
「ええ。我々文科省は、子供たちに『正解』を教える場所だ。
制御不能な力を持つイレギュラーになど、教えることは何もない」
西園寺は振り返り、冷酷に言い放った。
「お引き取りを。
二度と、この神聖な敷居を跨がないでいただきたい。
……血と金の臭いがする人間は、教育の場には相応しくない」
完全な拒絶。
官僚特有の「無謬性(我々は間違わない)」という傲慢さが、鉄壁となって立ちはだかる。
だが、東は怒鳴りもしなければ、狼狽もしなかった。
「……なるほど。よく分かりました」
東は背を向け、ドアノブに手をかけた。
「貴方が守りたいのは『教育』ではない。
文科省という『既得権益』と、ご自身の『プライド』だ」
「……何?」
「血と金の臭い、結構。
ならば私は、その血と金を使ってでも、子供たちの居場所を作る。
……後悔なさらぬよう」
「脅しですか?」
「いいえ。政治ですよ」
バタン。
重い扉が閉まる。
廊下に出た東の表情から、笑みは消えていた。
その瞳には、六名や音無のような「見捨てられた子供たち」の顔が焼き付いている。
「……上等だ、西園寺。
敷居を跨がせないと言うなら……壁ごとぶち壊して通るまでだ」
東は懐からスマートフォンを取り出し、サラに発信した。
「……交渉決裂だ。プランBに移行する。
文科省の予算、および西園寺個人のスキャンダルを洗え。
……徹底的に、だ」
霞が関に、冷たい風が吹き抜ける。
聖域を巡る戦争の火蓋が、静かに切って落とされた。
■文部科学省・特別応接室
「……紅茶でいいですか? 桂木委員長」
西園寺鏡一は、湯気の立つティーカップをテーブルに置いた。
その対面に座るのは、ヨレたスーツを着た白髪混じりの男、日本教育職員総連盟(日教連)委員長・桂木 学だ。
本来、管理教育の総本山である文科省と、反体制を掲げる日教連は、水と油の関係にある。
だが今日、西園寺はあえて彼をこの聖域に招き入れた。
「……何の真似だ、事務次官」
桂木は紅茶に手もつけず、警戒心を露わにして睨みつけた。
「我々に『日の丸・君が代』を強制する話なら帰らせてもらうぞ」
「まさか。今日はもっと建設的な話です」
西園寺は優雅に椅子に腰掛け、一冊の資料——東が持ち込んだファイルのコピーを提示した。
「内閣府の東という男が、覚醒者の子供たちを隔離し、軍事訓練を施す施設を作ろうとしています。
更に危険な覚醒者を使って『覚醒者労働促進法』という自分勝手なルールまで押し通そうとしている。
……『少年兵の育成』ですよ。貴方方としては、看過できないのでは?」
「なっ……!」
桂木が資料を引ったくるように読み、顔を真っ赤にした。
「なんだこれは! 『能力制御』だと!?
子供は兵器じゃない! 平等に、普通の学校で愛を持って育てるべきだ!それに既存の教師達がポッと出の覚醒者に職を奪われるなんて言語道断!
こんな差別的な隔離施設など、断固として阻止する!」
桂木の怒りは本物だった。彼の正義感は、狂信的ではあるが純粋だ。
西園寺は内心で(操りやすい男だ)と嘲笑いながら、深刻な顔を作ってみせた。
「ええ、同感です。
ですが、相手はあの東義昭。法律の網をくぐり抜ける術に長けている。
私が行政権限で認可を止めても、彼らは強引に建設を進めるでしょう」
西園寺は身を乗り出した。
「そこで、貴方の力が必要なのです」
「……私の力?」
「私は『法(認可権)』で止めます。
貴方は『世論』で止めていただきたい」
西園寺は囁くように続けた。
「全国の教職員、保護者、そしてマスコミを動員し、建設予定地を包囲してください。
『子供を戦場に送るな』というシュプレヒコールで、彼らを社会的に孤立させるのです。
……今回に限り、デモの許可申請や活動費については、私が目をつぶりましょう」
桂木はゴクリと唾を飲んだ。
文科省のトップ公認のデモ活動。これほど強力なバックアップはない。
「……ふん。官僚の手先になるつもりはないが……」
桂木は立ち上がり、拳を握りしめた。
「子供たちの未来を守るためだ。……やりましょう。
あの洋館を『人間の鎖』で封鎖し、資材搬入トラックの一台たりとも通さん!」
「期待していますよ」
桂木が去った後、西園寺は冷めた紅茶を一口飲み、冷徹に微笑んだ。
「……愚かな活動家だ。
精々、東の手足を縛る鎖になってくれたまえ。
私の手を汚さず、東が潰れればそれでいい」
■洋館・指令室
一方、対策局。
モニターの光だけが照らす薄暗い部屋で、東義昭はワイングラスを揺らしていた。
その視線の先には、サラ・コッホが表示した膨大なデータがある。
「……交渉決裂だ。プランBに移行する」
東の声に、長宗我部政宗、高柳慎吾、そしてサラが頷く。
「やはり、正面からの認可は降りませんか」
高柳が眼鏡を拭きながら言った。
「文科省は『審査中』という札を掲げたまま、永遠に我々を待たせる気でしょう。
校舎の耐震基準、カリキュラムの不備、教員免許の特例……難癖をつけるネタは無限にあります」
「ああ。西園寺という男は、自分の庭(教育)に異物が混ざるのを極端に嫌う潔癖症だ」
東はモニターに映る西園寺の写真を睨んだ。
「ならば、土俵を変えよう。
高柳、『フリースクール』としての準備はどうだ?」
「万全です」
高柳が即答する。
「学校教育法第一条の『学校』としての認可は諦めます。
あくまで『学習塾』あるいは『民間の支援施設』という名目で強行スタートさせます。これなら文科省の認可は不要。
大検(高卒認定試験)のサポート体制も整えました」
「よし。名前だが……」
東は少し考え、ニヤリと笑った。
「『国立』は名乗れん。奴らに喧嘩を売る意味も込めて……『国守』とする」
「『国守覚醒者アカデミー』……。
国を守る学び舎、ですか。いいですね」
長宗我部がニヤリと笑い、葉巻をくゆらせた。
「だが東よ、向こうも黙ってはいないぞ。
桂木の手勢……デモ隊が押し寄せてくる。工事車両を止められたら、開校が遅れる」
「それについては、鈴木君と幸田君に特別任務を与えてある」
東は不敵な笑みを浮かべた。
「暴力には暴力で返すが……『正義面した市民』には、別の武器が効く」
そして、東はサラに向き直った。
「サラ。……『弾』の装填状況は?」
「Perfect. いつでも撃てるわ」
サラがキーボードを叩くと、モニターに禍々しいデータが表示された。
【西園寺鏡一・裏口入学斡旋リスト】
【指定教科書会社からの不正献金・音声データ】
「……綺麗好きに見えて、中身は真っ黒ね。
私立医大への点数改ざん指示、天下り先への補助金還流……。
これが出れば、次官辞任どころか、東京地検特捜部が動くわ」
長宗我部が低い声で唸る。
「ククク……。子供の未来を食い物にして肥え太るとはな。
いつやる? 明日の朝刊か?」
「いや、まだだ」
東はモニターの中の西園寺と目が合うように見つめ、静かに、しかし絶対的な殺気を込めて告げた。
「まだ殺すな。
彼が桂木を使ってデモを成功させ、『私は教育の守護神だ』と叫び……世論が彼に味方した、その絶頂の瞬間に。
この爆弾を落とす」
東はワインを一気に飲み干した。
「教育者ごっこをしている官僚に、『本物の教育』をしてやる。
……地獄へ落ちろ、西園寺」
外堀は埋まった。
「正義のデモ」と「法外の学校」。そして「致命的なスキャンダル」。
三つの矢が交錯する時、教育界のドンが崩れ落ちる音が響くだろう。
■対策局・洋館正門前(午前10時)
「子供たちを戦場に送るなー!!」
「隔離政策反対! 人権を守れー!!」
数百人規模のデモ隊が、洋館の正門を取り囲んでいた。
日教連の動員によって集められた教師、保護者、そして活動家たちだ。彼らは「子供の未来を守る」という正義の旗の下、シュプレヒコールを上げていた。
先頭に立つ桂木学は、ハンドマイクを握りしめて叫んだ。
「出てこい東義昭! 我々の声を無視するな!
この『人間の鎖』がある限り、資材搬入トラックの一台たりとも通さんぞ!」
殺気立つ群衆。一触即発の空気。
その時、重厚な鉄の門が、ギギギ……と音を立ててゆっくり開いた。
「おおっ! 出てきたぞ!」
「ひるむな! 団結せよ!」
デモ隊が身構える。
武装したK-Securityが出てくるか、あるいは放水車か。
しかし、門の向こうから漂ってきたのは、殺気ではなく——極上の「出汁」の香りだった。
「……え?」
門が開くと、そこには長机が並べられ、巨大な寸胴鍋から湯気が立ち上っていた。
そして、割烹着姿の幸田美咲が、満面の笑みでお玉を構えていた。
「皆様! 寒い中、抗議活動お疲れ様です!
対策局特製、具だくさんの豚汁をご用意しました! 温まっていってください!」
「は……?」
桂木が呆気にとられる中、K-Securityの強面たちが——武器ではなくお盆を持って——整列していた。
「足元にお気をつけくださーい」
「熱いので順番にどうぞー」
かつての極道たちが、信じられないほど愛想よく誘導を始める。
「騙されるな! 毒が入っているかもしれんぞ!」
桂木が叫ぶが、その声は空腹を刺激する匂いの前に無力だった。
「ほら、お父さん。この大根、俺が育てたんだ」
鈴木浩三が、泥付きの立派な大根を見せながら、最前列の保護者に話しかける。
「俺が畑で、汗水垂らして作ったもんだ。……食ってみてくれや」
「あ、ありがとうございます……」
一人の男性が、誘惑に負けて豚汁を受け取る。
一口啜ると、その表情が一変した。
「……う、美味い……!」
「野菜が甘い……なんだこれ……」
緊張の糸が切れた。
一人、また一人と、デモ隊が豚汁の列に並び始める。
その横では、白川真純が保護者たちの輪に入り、親身になって話を聞いていた。
「ご不安ですよね。分かります。
ですが、私たちは子供たちを兵士にしたいわけじゃないんです。
……見てください、あの子たちを」
白川が指差す先には、庭で六名、アレックス、谷がコタロウと楽しそうにサッカーボールを追いかけるの姿があった。
そこには「強制収容所」の影など微塵もない。
「あんな風に笑える場所を、作りたいだけなんです」
「……そう、だったんですか」
「テレビで言ってることと違うわね……」
豚汁の温かさと、職員の誠実さ、そして六名や谷、アレックスの笑顔。
それらはデモ隊の敵意を溶かし、桂木が作った「怒りの包囲網」を内側から崩壊させた。
「や、やめろ! 食べるな! それは罠だ!」
桂木が絶叫するが、誰も彼を見ようとしない。
「くそっ……! なぜだ……なぜ戦わないんだ!」
東義昭は、それを洋館のバルコニーからワイン片手に見下ろしていた。
「……正義マンには『共感』と『飯』が効く。
チョロいものだ」
東は懐中時計を確認した。
「さて。……そろそろメインディッシュの時間だな」
■文部科学省・事務次官室(正午)
『速報です。東京地検特捜部は先ほど、文部科学省・西園寺事務次官の自宅および執務室への家宅捜索を開始しました……』
執務室の大型モニターに、ニュース速報のテロップが流れた。
デモ隊の敗北を知らず、勝利の美酒に酔おうとしていた西園寺鏡一は、グラスを取り落とした。
「……な、なんだこれは……」
画面には、西園寺が裏口入学を斡旋している音声データや、指定教科書会社からの不正献金の証拠書類が映し出されていた。
東が溜め込んでいた「爆弾」が、最も効果的なタイミングで炸裂したのだ。
「嘘だ……捏造だ……!
私は教育の守護神だぞ! この国の知性を守ってきた私が……あんな、ヤクザ上がりの政治家に……!」
電話が鳴り止まない。
部下たちが部屋に入ってくる気配はない。潮が引くように、権力と人が離れていく。
「……終わりだ。全て……」
西園寺は崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。
デモ隊は骨抜きにされ、自身の社会的地位も抹殺された。完敗だった。
ふと、彼の視線がデスクの隅にある名刺ホルダーに止まった。
それは以前、あるパーティで渡された黒い名刺。
『綺麗事じゃ片付かんゴミが出たら、いつでも電話してきや?』
西園寺の目に、理性の光が消え、どす黒い狂気が宿る。
「……許さん。東義昭……貴様だけは……!」
彼は震える指で、その番号——広域指定暴力団・不死原組へと発信した。
「……私だ。西園寺だ。
……頼みがある。金ならいくらでも用意する。
……あの男を、物理的に消してくれ」
■都内某所・地下駐車場
一方、完全に孤立した桂木学は、車の中でラジオを聞きながらガタガタと震えていた。
『西園寺次官の逮捕は免れない情勢で……』
『対策局前のデモ隊は、職員との対話により友好的に解散し……』
「……化け物だ」
桂木はハンドルを握りしめた。
「東義昭……あいつは、政治家じゃない。悪魔だ」
西園寺という後ろ盾を失い、現場の教員たちも対策局に取り込まれた。
このままでは、東の計画通り次は『覚醒者労働促進法』による覚醒者の産業革命が起きる。
教育現場だけでなく、日本の産業構造そのものが破壊される未来が見えた。
「……止めなければ。
私が……我々が動かなければ、日本中が東の奴隷になる」
桂木は震える手でスマートフォンを取り出した。
教育者としての良識は、恐怖によって麻痺していた。
(既存の産業を守るんだ…東による独裁をどうにか止めなければ…)
かける相手は、もっと巨大で、もっと実利的な力を持つ「王」たちだ。
「……もしもし。全日本物流連盟(全流連)の、轟会長の事務所でしょうか。
……はい。日教連の桂木です。以前の懇親会ではお世話になりました。
……緊急でお伝えしたいことがあります。東義昭という男が、貴方方の業界を根絶やしにする計画を進めています」
桂木は続けて、全国農林水産連合会(全農連)の豊穣篤子にも連絡を取った。
「……独りでは勝てない。
だが、この国の『陸の王』と『大地の母』が手を組めば……」
桂木はアクセルを踏み込んだ。
教育という砦は落ちた。だが、その敗残兵たちは、より巨大な「暴力」と「経済界の怪物たち」を目覚めさせる引き金となって、闇の中へと走り出した。
「打倒・東義昭」
その一点のみで、堕ちた官僚、狂信的な活動家、不死身の暴力団、そして経済界のフィクサーたちが、最悪の形で結びつこうとしていた。




