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巡り巡る 〜漢字の意味が世界を変える世界〜  作者: 暇な鍼灸師


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第57章 救われる命の話




■貸会議室・大ホール



「……覚悟を決めろ。ここから先は、金稼ぎじゃねぇ。『命のやり取り』の話をする」


勅使河原州宏の低い声が、マイクを通さずにホールの隅々まで染み渡った。


彼は演壇を降り、受話者たちの席の間をゆっくりと歩き始めた。


「お前らは『覚醒者』だ。自分には特別な力があると思ってる。

だがな……世の中には、想像もつかねぇ『理不尽』ってもんが存在する」


勅使河原は、ある若者の目の前で立ち止まった。


「おい、兄ちゃん。お前の能力はなんだ?」


「え、あ……能力を使えなくする程度です……」


「そうか。……なら、想像してみな」


勅使河原は、遠くを見る目をした。


「もし目の前に、ビルみてぇなデカさの土塊の化け物が現れ……しかもそいつはお前の能力の効きが悪い。…その状況でお前の家族を踏み潰そうとしたら、守れるか?」


「え……?」


「俺は見たぞ。

何日も何日も、不眠不休で戦っても傷一つ付かねぇ。

絶望ってのが歩いてくるような……そんな『災害』をな」


勅使河原は歩きながら続ける。


「俺たちが管理しようとしてる施設には、そういう『災害の種』が運び込まれる。

お前らがシフトの穴を開けたり、気を抜いたりした瞬間……結界が破れ、外の世界で誰かが死ぬ。

お前らが握ってるのは、給料袋じゃねぇ。市民の命だ」


会場の空気が重くなる。


「楽なバイト」という浮ついた空気は完全に消え失せていた。


「……だがな」


勅使河原の声色が、厳しさから、深い悲哀へと変わった。


「俺たちが閉じ込めるのは、ただの怪物じゃねぇ。

……『心』を持った人間だ」


勅使河原の脳裏に、六名の泣き顔が浮かぶ。


世界を滅ぼせるほどの力を持ちながら、誰よりも愛に飢え、誰よりも孤独だった少年。


「俺は出会ったよ。

強すぎる力と愛を持っちまったせいで、普通の幸せを望むことすら許されなかった奴を。

親を守りたくて、世界を良くしたくて……その純粋すぎる想いが暴走して、取り返しのつかない罪を犯しちまった『哀れな子供』をな」


勅使河原は、参加者たちを見渡して問いかけた。


「お前らは運が良かっただけだ。

力が弱かったから、制御できたから、こうして社会で生きていられる。

だが、一歩間違えば……あそこの檻の中にいたのは、お前らだったかもしれないんだぞ?」


会場のあちこちで、息を呑む音が聞こえた。


彼らもまた、覚醒者としての疎外感や不安を抱えて生きてきた者たちだ。


「檻の中の怪物」が、自分たちの成れの果てかもしれないという言葉は、深く彼らの心に刺さった。


「我々が作る施設……『パノプティコン』は、ただの監獄じゃねぇ」


勅使河原は拳を握りしめた。


「あいつらが、自分の力で誰かを傷つけずに済むための『避難所シェルター』だ。

そして、社会があいつらを殺さずに済むための『最後の砦』だ」


勅使河原は演壇に戻り、深々と頭を下げた。


「頼む。力を貸してくれ。

金のためでも、休みのためでも構わねぇ。

だが……その仕事の先に、『救われる命』と『守られる魂』があることだけは、ゆめゆめ忘れないでくれ」


元ヤクザの親分が、名もなき若者たちに向けて見せた、最大の敬意と懇願。


その姿に、嘘や虚飾は一切なかった。


静寂。


誰も言葉を発せない。


やがて、最前列にいた男性が、眼鏡を外して涙を拭った。


「……俺、自分が恥ずかしいです。

ただの小遣い稼ぎだと思ってました。でも……俺の力が、誰かの役に立つなら……!」


「私もです……! 怖がられるだけの能力だと思ってました。

でも、誰かを守るための『壁』になれるなら……!」


パチ、パチ、パチ……。


誰からともなく、拍手が始まった。


それは瞬く間に広がり、会場を揺るがすような大喝采となった。


「やります! やらせてください!」

「一生ついていきます!」

「俺たちが、最後の砦になります!」


涙を流しながら拍手をする者。拳を突き上げる者。

そこにはもう、烏合の衆はいなかった。


日本の治安を、そして同胞(覚醒者)たちの未来を背負う、誇り高き「看守ガーディアン」たちが誕生していた。


その光景を舞台袖で見ていた黒田義信は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を隠そうともしなかった。


「……うぅッ……! 親父……!

やっぱりアンタは……日本一の親分だ……!」


横手も鼻をすすりながら頷く。


「ああ……。この人の下なら、地獄の底まで行けるな」


拍手の中、勅使河原は照れくさそうに頭をかき、しかし満足げにニカっと笑った。


「……へっ。いい顔になりやがった。

これなら、東先生にもデカイ顔ができるな」


会場の熱気は最高潮に達していた。


彼らの心に火が灯った瞬間だった。これで、最強の監獄を運営するための「魂」が揃ったのだ。



■貸会議室・大ホール(講習会終了直後)



割れんばかりの拍手が鳴り止まない中、勅使河原州宏は、感極まっている黒田義信と横手を舞台袖に呼び寄せた。


「黒田、横手。……泣いてる場合じゃねぇぞ」


「う、ウスッ! すいません親父! 感動しちまって……」


「皆の目が……死んだ魚のような目から、狼の目に変わりましたね!」


「ああ。火はついた。だが、燃やし続けるには『薪』がいる」


勅使河原は、二人の肩をガシッと掴んだ。


「お前ら、出世だ。

黒田、お前が『特定覚醒者収容施設』の施設長をやれ。

横手、お前は副長だ」


「は……はい!? お、俺たちがですか!?」


黒田が目を丸くする。


「俺ら、警備会社の社長と専務じゃ……」


「兼任だ。現場を知ってるお前らが仕切るのが一番いい」


勅使河原は懐からメモ帳を取り出し、二人に押し付けた。


「宿題だ。

試しに運用するにあたり、さっきの102人の『休日・長期休暇の振り分け』と『24時間シフト表』を作れ。

それから、『施設職員向けの就業規則』と、収監された『覚醒者向けの管理規則』もだ」


「き、規則……?」


「シフト表……102人分の……?」


横手の顔色が青ざめる。


「ああ。とりあえず三日やる。

三日後に、運用に耐えうる『雛形ドラフト』を作って持って来い。

……出来るな?」


親父の命令は絶対だ。


二人は震えながら、直立不動で答えた。


「「や、やらせて頂きますッ!!」」


「よし。帰るぞ」


「お待たせしました」


待機していた宗方が現れる。


シュンッ!



■洋館・指令室



「……というわけで、彼らの士気は最高潮です」


帰還した勅使河原が報告すると、東義昭は満足げに頷いた。


「流石ですね、勅使河原さん。

金で集めた烏合の衆を、言葉一つで精鋭に変えるとは。感服しました」


「へへ、褒めても何も出ませんよ」


その裏で、黒田と横手の地獄が始まった。


日中はK-Securityとしての警備業務や、トラブル処理に追われる。


そして、業務の合間や深夜の時間を削り、慣れないパソコンと格闘する日々。


「おい横手! 斎藤さんの希望休が被ってんぞ! ここ誰か入れられねぇか!?」


「無理っす兄貴! ここ埋めると労働基準法とかいうのに引っかかるんすよ!」


「あぁん!? 根性でカバーさせろ!」


「規則の条文ってどう書くんだよ……『ナメた口きいたら埋める』じゃダメなのか?」


「ダメに決まってるでしょ! 公的機関っすよ!?」


血走った目で議論し、書き直し、また議論する。


そんな二人の背中を、勅使河原は遠くから日本酒を啜りながら、温かい目で見守っていた。


(……苦労しろ、若造ども。頭を使う苦しみを知って、初めて上に立てるんだ)



■三日後・洋館 応接室



「……完璧ですな」


勅使河原が唸った。


テーブルの上には、弁護士の高柳慎吾が作成した『覚醒者労働促進法』のロードマップと条文案が広げられている。


法的根拠、運用の詳細、そして予想される野党の反論への対策カウンターまで、隙がない。


「流石だな、高柳。これなら経済界も納得する」


東がページをめくりながら評価する。


長宗我部政宗も深く頷いた。


「今後の課題まで網羅されている。美しい仕事だ」


プロフェッショナルたちが、国の未来を設計する高度な会議。


そこへ、ノックの音が響いた。


コンコン。


「失礼しますッ!!」


ドアが開き、目の下に濃いクマを作った黒田と横手が入ってきた。


手には、よれよれになったクリアファイルを持っている。


「あ、あの……! お時間よろしいでしょうか!」


黒田が声を張り上げる。


「おい黒田。今は取り込み中だ、後にしろ」


勅使河原が制するが、東は興味深そうに顔を上げた。


「いや、構わんよ。……宿題が出来たのだろう? 見せてみろ」


「は、はい! 失礼します!」


黒田たちは緊張した面持ちで、自分たちが三日間、寝ずに作り上げた「シフト表」と「規則案」をテーブルに広げた。


「これが……俺たちの魂の結晶です!」


東、長宗我部、そして高柳が書類に目を落とす。

手書きの修正跡だらけのシフト表。熱意だけは伝わってくる規則書。


精一杯やった形跡は、痛いほど分かる。


だが。


「…………」


高柳が、眉間に深い皺を寄せた。


東も無言でページをめくる。


それは、法務のプロから見れば「穴だらけ」だった。


労働基準法を無視したシフト、人権侵害スレスレの罰則規定、計算間違いによる人員のダブり。


高柳の作った美しい書類と比べれば、それは子供の落書きと設計図ほどの差があった。


「……こりゃあ、酷ぇな」


勅使河原が頭を抱えた。


「すいません先生方、俺の指導不足で……」


黒田と横手が顔面蒼白になる。


「え、あ、あの……ダメですか……?」


「……ふむ」


東は書類を置いた。怒ってはいなかった。


むしろ、彼らの「熱意」という素材をどう料理するか考えている顔だ。


「黒田君、横手君。君たちの『現場への理解』と『責任感』は伝わった。

……だが、これを公的文書として出すには、いささか『法』が足りない」


東は高柳を見た。


「高柳。……どうだ? 彼らと組んでみては」


「え?」


高柳が顔を上げる。


「勅使河原さん。……彼らの教育、うちの高柳に任せてみてはどうでしょう?

現場の指揮は君たちが、法の枠組みは高柳が。

餅は餅屋だ。お互いに補い合うのが組織というものだろう」


「……いいんですかい?」


勅使河原が恐縮する。


「あいつらの教育は、俺が責任持ってやるつもりでしたが……」


「いや、合理的な判断だ」


長宗我部も口添えする。


「彼らのガッツに、高柳君の知性が加われば最強の管理体制になる」


「……恩に着ます」


勅使河原が頭を下げた。


高柳は、銀縁眼鏡を指で押し上げ、冷徹な目で黒田たちの書類を指差した。


「……いいでしょう。引き受けます。

ですが、修正箇所は山ほどありますよ?」


高柳は赤ペンを取り出した。


「まずここ。『無断欠勤は指詰め』……論外です。傷害罪の教唆になります」


「えっ」


「次にシフト表。この『斎藤』さん、36時間連続勤務になっていますが? 殺す気ですか?」


「あ、いや、根性でなんとかなるかと……」


「なりません。労基署が飛んできます」


高柳の辛辣かつ的確な指摘が、マシンガンのように浴びせられる。


自信満々だった黒田と横手の顔色が、土気色から灰色へと変わっていく。


「そ、そんな……俺たちは……」


「……ふぅ」


高柳はファイルを閉じて立ち上がった。


「ここでは時間が足りませんね。

……別室へ行きましょう。朝まで徹底的に『法』を叩き込みます」


その笑顔は、ヤクザの脅しよりも遥かに怖かった。


勅使河原は、哀れな部下たちを見て合掌した。


「……高柳さん。ご多忙だとは思いますが、うちのバカ息子たちを……よろしくお願い致します」


「畏まりました。……さあ、行きますよ」


「ひぃッ……! 親父ぃぃぃ!」


「助けてくれぇぇ!」


ドナドナのように連行されていく黒田と横手。


東はコーヒーを啜りながら、ニヤリと笑った。


「……これで、施設運営ハード規則ソフト、両方が揃うな」


最強の弁護士による「地獄の補習」が、今幕を開けた。

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