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巡り巡る 〜漢字の意味が世界を変える世界〜  作者: 暇な鍼灸師


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第53章 希望



■洋館・食堂



「……僕が死ねば、お父さんは戻れるから」


六名ムツナの残酷な願いが、食堂の空気を凍りつかせていた。


父を愛するがゆえに父の人格を消し、父を救うために自ら死を選ぶ。


その自己完結した悲劇に、誰もが言葉を失う中、最初に口を開いたのは東義昭だった。


「……まずは、一つ目の質問に答えよう」


東は静かに、しかし力強く言った。


「犯罪率の低下にかかる『時間』についてだ。

君は『その間に起きる悲劇はどうするのか』と問うたな?」


「はい。僕が掃除をサボっている間にも、誰かが泣くかもしれません」


「その通りだ。だが……君の『掃除』でも、悲劇は止まらない」


ここでサラ・コッホが横から口を挟んだ。


「Statistics(統計)の話をしましょう。

あなたが『危険そうな人』を一人掃除するたびに、その家族や友人があなたを恨み、新たな復讐者が生まれる。

恐怖による支配は、必ず反動を生むわ。それは『平和』じゃなくて『抑圧』よ」


「……」


「対して、私たちのプランは『システム』よ」


アレックス・ターナーが続く。


「K-Securityを見てみろ。元犯罪者が、今は市民を守っている。

『敵を消す』のではなく『味方に変える』。この方式なら、治安の回復速度は君の想像よりも遥かに早いはずだ。

俺たちが泥を被ってでも、その過渡期の痛みは最小限に抑え込む」


東が頷く。


「完璧なゼロではないかもしれん。だが、君が一人で孤独に掃除を続けるより……国家規模で動く我々の方が、救える命の総数は確実に多い。断言しよう」


六名は少し考え込み、そして小さく頷いた。


「……そうですね。一人より、みんなで守るほうが強い。それは……認めます」


六名は、懇願するように音無賢人を見た。


「じゃあ……二つ目の答えをください。

世界が綺麗になったら……僕を、殺してくれますか?

お父さんを……清原を、返してあげたいんです」


賢人は、テーブルの下で拳を握りしめ、ギリギリと歯噛みしていた。


両親の仇。憎むべき相手。


だが、目の前にいるのは、ただ父親を愛しているだけの、道に迷った子供だ。


「……ふざけるな」


賢人の口から、絞り出すような声が漏れた。


「え?」


「ふざけるな!!」


ダンッ!!


賢人はテーブルを叩きつけ、立ち上がった。


「お前は……俺に業を背負わせて、自分だけ綺麗な思い出の中で死ぬ気か!?

そんなの……ただの『逃げ』だ!」


「に、逃げ……?」


六名が動揺する。


「ああ、逃げだ!

死んでチャラにしようなんて思わせない。

お前が死んだら……お父さんはどうなる? 記憶が戻った時、息子が自分のために死んだと知ったら……その後の人生、まともに生きられると思うか!?」


賢人は涙目で叫んだ。


「お父さんに、地獄を背負わせる気かよ!

それがお前の親孝行なのか!?」


「あ……」


六名の顔から血の気が引く。そこまでは考えていなかった、いや、考えないようにしていたのかもしれない。


「じゃあ……じゃあ、どうすればいいの!?」


六名は泣きそうな顔で叫び返した。


「僕が生きていたら、能力(名前)は消えない!

お父さんは一生、僕の操り人形のままだ!

死ぬしか……僕が消えるしか、お父さんを人間に戻す方法はないんだよ!」


「あるかもしれねぇぞ」


その時、気だるげな声が割り込んだ。


田治見薫だ。彼女は缶ビールを置き、ニヤリと不敵に笑った。


「……医者をナメんじゃねぇよ、小僧」


「田治見、さん……?」


「お前の能力は『名前を付けて性質を変える』ことだろ?

なら、その『名前』という腫瘍だけを切り取ればいい」


田治見は六名の目の前に立ち、指を突きつけた。


「アタシがお前の脳味噌…もしくは『能力を司る部位』を、外科的に切断・分離する」


「なっ……」


六名が絶句する。


「成功率は五分五分。失敗したら廃人だ。

……だが、成功すれば」


田治見はニカっと笑った。


「お前は死なずに、ただの人間(無能力者)に戻れる。

親父さんの記憶も多分戻るだろう。

……死んで詫びるより、生きて親父さんに土下座する方が、よっぽど筋が通ってると思わねぇか?」


「……!」


六名の瞳が揺れた。


『根源』を破壊しなければ死ぬしかないと思っていた。破壊したとしても死ぬしかないと……。それしか償う方法はないと思っていた。


だが、目の前の大人たちは、泥臭く、強引に、生きるルートをこじ開けようとしている。


「……六名」


賢人が、静かに告げた。


「死ぬなんて楽な道は選ばせない。

生きて……記憶が戻ったお父さんに謝れ。自分が何をしたか、全部話して、一生かけて償え。

そして、俺の両親の分も……生きて、罪を背負い続けろ」


賢人は真っ直ぐに六名を見据えた。


「それが……俺の『復讐』だ」


六名の目から、ボロボロと涙が溢れ出した。


それは悲しみの涙ではなく、初めて許された「生」への安堵の涙だった。


「……うん。……うん……!」


六名は袖で涙を拭い、くしゃくしゃの笑顔で頷いた。


「分かった……。信じるよ、君たちを。

僕も……生きて、父さんに謝りたい」


「交渉成立だな」


「では、条件だ。

我々の管理下に入れ」


東は六名を指差した。


「君の能力、そして『掃除』への情熱……。

それを我々の法の下で、正しく使ってもらう。

君が望む『犯罪のない世界』を、最短距離で作るために協力しろ」


「はい!」


六名は深く頭を下げた。


「喜んで……!

僕にできることなら、何でもやります!」


死への行進は止まった。


彼らが目指すのは、誰も死なず、誰もが罪と向き合い、そして「父が帰る場所」を作るための、新しい共闘だった。



■洋館・食堂



「うぅ……うあぁぁ……」


張り詰めた糸が切れたように、六名ムツナは子供のように泣きじゃくっていた。


その細い体を、宗方ムナカタが優しく抱きしめる。


硬質なマネキンの腕が、今は何よりも温かいゆりかごのように見えた。


「よしよし……。よかったですね、六名様。本当によかった……」


宗方は六名の頭を撫でながら、対策局のメンバーに向かって深々と頭を下げた。


「皆さん……本当に、ありがとうございます。

六名様の心を救ってくださり、感謝の言葉もありません。

……今後とも、六名様を宜しくお願い致します」


その光景に、鈴木や幸田ももらい泣きしそうになる。


だが、東義昭だけは冷静に、次のフェーズへと思考を進めていた。


「……涙は拭けたかな、六名君」


東はハンカチを差し出した。


「和解が成立した以上、君たちは我々の戦力だ。

……今後の運用のために、君たちの能力の詳細を教えてもらおうか」


六名は涙を拭い、鼻をすすると、少し決まり悪そうに言った。


「あ、はい。……でも東さん、ごめんなさい。

僕の本来の能力……『名付け』は、実はもう使えないんです」


「……なに?」


全員が耳を疑う。あれほどの怪物を生み出す力が消えたのか?


「僕、自分自身に新しい名前を付けちゃったので」


六名は指を四本立てた。


「今の僕の名前は……『寺・修・消・てら・しゅう・しょう・ほう』です」


「……四文字?」


六名は淡々と、そのデタラメな性能を解説し始めた。


「まず『寺』。これは自己強化型で、自分への能力干渉を無効化する聖域です。」


「次に『修』。これは物理型です。触れた対象を修復・復元します。先日家具や皆さんの傷を治したのはこれですね」


「そして『消』。これは思考型です」


六名はサラッと言った。


「僕が認識した対象や現象を、『消去』します」


「は……?」


音無賢人の顔色がサッと変わる。


「思考型……? 触れずに、見るだけで消せるってことか?」


「はい。最後は『方』。これも思考型です。

意識した対象を、好きな座標へ転移させます。僕自身も、他人も」


賢人と髙橋俊明は、顔を見合わせて絶句した。


「……宗方、君は?」


東が従者に問う。


「私は『宗・そう・ほう』です」


宗方が一歩前に出る。


「『宗』は物理型。触れた対象の精神に干渉し、マインドコントロールを行います。

『方』は六名様と同じ……思考型の空間転移です」


シーン……。


食堂に、先ほどまでとは違う種類の沈黙が落ちた。


それは、圧倒的な実力差を理解してしまった者たちの、戦慄の静寂だった。


「……ハハッ」


髙橋が乾いた笑いを漏らし、眼鏡を外した。


「敵に回さなくて、本当によかった……」


髙橋の手が震えている。


「僕の『橋』は物理型……対象に触れなきゃ転移させられない。

でも、彼らは『思考型』だ。……見ているだけで、あるいは頭に思い浮かべるだけで、僕をマグマの中にでも落とせるってことだろ?」


「……俺もだ」


賢人も冷や汗を拭った。


「俺の『無』も物理型だ。自分か、触れたものしか鑑賞できない。

だけど六名の『消』は……遠距離から、視線だけで相手を消滅させられる」


「レベルが違いすぎて、笑いが出てくるな……」


鈴木が呆然と呟く。


もし戦闘になっていれば、鈴木が鈴を鳴らす前に、髙橋が転移する前に、賢人が近づく前に——思考一つで全滅させられていただろう。


彼らは「人間」の枠組みで戦っていたが、相手は最初から「神」の領域にいたのだ。


東は、その絶望的なスペックを聞いても、顔色一つ変えなかった。


いや、むしろその瞳は「強力な武器」を手に入れた歓喜に輝いていた。


「……素晴らしい」


東は頷いた。


「その力、これから我々の作戦に組み込むこともあるだろう。

……協力してくれるね?」


「はい! 喜んで!」


六名はパァッと笑顔で即答した。


「宜しくお願い致します」


宗方も恭しく頭を下げる。


「よし。……ならば」


東は、さらりと提案した。


「君たちも、ここで住むといい」


「えぇッ!?」

「ちょ、東さん!?」


サラや鈴木が驚愕の声を上げる。


あの平屋があるのに、なぜわざわざこの拠点に?


だが、六名は目を丸くして喜んだ。


「えっ、いいの!?

わぁ、嬉しい! みんなと一緒に住めるんだ!

コタロウも連れてきてよろしいですか?」


「構わん。庭で飼えばいい」


ワイワイと盛り上がる六名たちを見て、鈴木は東に詰め寄った。


「おい東! 本気かよ!?

味方になったとはいえ、あんな爆弾を寝所に置くのか!?」


「……鈴木君」


東は声を潜め、冷徹に告げた。


「冷静に考えろ。

彼らには『方(転移)』があるんだぞ?」


「あ……」


「ここに住もうが、山奥に住もうが……奴らは思考一つで、いつでもこのリビングに現れることができる。

物理的な壁や距離など、彼らの前では無意味だ」


東はコーヒーを啜った。


「ならば、手元に置いて監視し、信頼関係を築く方が遥かに安全で合理的だ。

……『毒』は、瓶に入れて蓋をしておくものだよ」


その言葉に、賢人とサラはハッとして、苦笑いを浮かべた。


「……確かに。締め出しても無駄ですね」


「Hah, you are right.(その通りね)

どうせ入ってくるなら、部屋を用意してあげた方が管理しやすいわ」


「……しゃあねぇな。歓迎会、延長戦といくか!」


鈴木も腹を括ったように笑った。


こうして、最強にして最凶の「居候」が加わり、対策局の戦力は桁違いに跳ね上がった。


一つ屋根の下、人間と怪物、そして少年と人形の、奇妙な共同生活が幕を開ける。



■洋館・食堂



「——じゃあ、引っ越しするね! すぐ戻るよ!」


六名は無邪気に手を振ると、宗方と共に瞬きする間に掻き消えた。


残されたのは、呆気にとられる対策局のメンバーたち。


静寂が戻った食堂で、東義昭の顔色がサッと変わった。


「……待て」


東が戦慄したように呟く。


「奴らの能力は『思考型』だと言ったな?

……つまり、荷物をまとめる時間さえあれば、移動時間はゼロということか?」


その事実に、全員が凍りついた。


「……マズい!!」


東が叫ぶ。


「髙橋君! 鈴木君! アレックス君!

大急ぎで二階の空き部屋を一つ、いや三つ空けろ! 物置になってる部屋だ!

家具を運び出し、居住スペースを確保するんだ!」


「えぇっ!? 今からですか!?」


髙橋が悲鳴を上げる。


「当たり前だ! 奴らの『すぐ』は、文字通り『直後』だぞ!

向こうが荷物を持って戻ってきた時に、部屋が用意できていなかったらどうする!

『歓迎する』と言っておいて部屋もないのでは、へそを曲げられるぞ!」


東はキッチンへ振り向く。


「幸田君! 白川君!

君たちは掃除だ! 部屋の埃を掃き出し、窓を開け、布団を用意しろ!

……時間は恐らく、10分もないぞ!!」


「じゅ、10分!?」


鈴木が目をむく。


「無理だろ!」


「動け!! 客人を待たせるな!!」


「イエッサー! 急げGuys!」


アレックスが走り出す。


「うわぁぁん! 引っ越し業者の次はルームクリーニングですかぁ!?」


髙橋が泣きながら転移で家具を運び出す。


「急ぎましょう幸田さん! 雑巾とバケツ!」


「は、はいっ!」


最強のチームが、かつてないほどの慌ただしさで廊下を駆け回る。


世界の命運を握る「おもてなし」が始まった。



■奥多摩・隠れ家



シュンッ!


「たっだいまー!」


六名が元気よく帰宅すると、留守番をしていた清原が文庫本を閉じて出迎えた。


「おっ、お帰りなさい六名様。宗方さんも。

……その顔、うまくいったみたいですね?」


「うん! バッチリだよ清原!」


六名は靴を脱ぎ捨てて居間に上がり込む。


「東さんたちと仲直りできたし、なんと……今日からあのお屋敷に住めることになったんだ!」


「へぇ! そいつは良かったですねぇ!」


清原が目を細める。


「こんなボロ家より、ずっと快適でしょう」


しかし、清原はふと真剣な顔になり、後ろに控える宗方に小声で尋ねた。


「……宗方さん。本当に大丈夫なんですか?

あそこは虎の穴だ。六名様を人質に取られる危険性は?」


「問題ありません」


宗方は即答した。揺るぎない自信。


「物理的な罠も、能力による干渉も、全て私が排除します。

……少なくとも、私が横にいる時点で、六名様の安全は100%保証されています」


「……ははっ、違いねぇな」


清原は笑った。


「アンタがいりゃ無敵か」


その時、六名がハッとして手を叩いた。


「あ!! いけない!」


「どうされました?」


「宗方! 引っ越し蕎麦!」


六名は真剣な顔で訴えた。


「引っ越しの挨拶といえば、お蕎麦だよ!

せっかく住まわせてもらうんだから、礼儀として持っていかないと!」


「……なるほど。日本の伝統ですね」


宗方は頷き、腕まくりをした。


「こうしてはいられませんね!

向こうで茹でていては麺が伸びてしまいます。

引っ越しの準備をしながら、生麺から打ちましょう」


「えぇ!? 打つの!?」


清原が驚く。


「当然です。市販の麺では失礼にあたりますから。

……ほら清原さん、貴方もボーッとしていないで荷物をまとめてください!」


宗方はキッチンへ走りながら指示を飛ばす。


箪笥たんすや布団はそのまま私が転移させますので、小物類をダンボールへ!

私が座標指定しやすいように、部屋の中央に固めて置いてください!」


「へ、へいへい! 人使いが荒いねぇ!」


清原が慌てて服や本をまとめ始める。


キッチンからは、早くも粉を練る音が響き始めた。


ダダダダダダッ!!(超高速の麺打ち音)


「わぁ〜い! お蕎麦だお蕎麦だ!」


六名はコタロウを抱き上げ、無邪気にはしゃいでいる。


「コタロウも一緒に行くからね! 向こうの庭は広いよ〜!」


「ワォン!」


常識外れのスピードで進む、常識外れの家族の引っ越し。


美味しい蕎麦と、世界を揺るがす荷物が、まもなく洋館へ届けられようとしていた。

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