第52章 未来への更新
■奥多摩・隠れ家(午前8:00)
トントントン、ジュウウ……。
軽快な包丁の音と、味噌汁の香りが漂う朝。
宗方はエプロン姿で、手際よく朝食の支度をしていた。
その時、ちゃぶ台の上に置いてあった六名のスマートフォンが震えた。
ブブブブ……。
「……おや?」
宗方は火を弱め、スマホを手に取った。
まだ六名は布団の中でスヤスヤと寝息を立てている。隣の部屋からは清原の豪快なイビキも聞こえる。
「誰でしょう……こんな朝早くに」
宗方が画面を見る。
そこには、ポップなフォント設定で、衝撃的な名前が表示されていた。
『着信:アズマックス!』
「……アズ、マックス……?」
宗方の処理回路が一瞬フリーズする。
誰だそれは。芸人か何かか?
しかし、六名の交友関係は極端に狭い。心当たりがない。
宗方は首を傾げながら、通話ボタンを押した。
「……もしもし?」
『……朝早くから失礼。東だ』
スピーカーから聞こえてきたのは、冷徹で威厳のある、あのおじさん(東義昭)の声だった。
「……ッ、プフッ」
宗方は、思わず吹き出しそうになった。
(アズマックス……東だから、アズマックス……!?
あの堅物の政治家を、そんなあだ名で……!?)
「……もしもし? 聞こえているかね?」
『は、はいっ……! ぷっ……き、聞こえております……』
宗方は必死に笑いを堪え、声を震わせながら応答した。
マネキンの顔は動かないが、その肩は小刻みに震えている。
『……? 何かおかしなことでも?』
「いえ! な、何でもありません! ……それで、ご用件は?」
東は訝しげな沈黙の後、本題を切り出した。
『……単刀直入に言おう。
一晩、全員で話し合った結果……六名君の問いに対する、我々なりの「いい案」が出た』
「……ほう」
『「リセット」でも「現状維持」でもない、第三の道だ。
君たちにも一度、聞いて判断してもらいたい。
……都合の良い時に、一度来てくれないか?』
宗方は調理の手を止め、真剣な声音(笑いは収まった)で答えた。
「分かりました。
六名様が起きた時に伝え、折り返しお電話致しますので……少々お待ち頂けますか?」
『構わん。ゆっくり寝かせてやりなさい』
プツリ。通話が切れる。
「……ふふ。アズマックス、ですか。意外と優しい方ですね」
宗方はスマホを置くと、再び味噌汁の鍋をかき混ぜた。
数十分後。
「……んあぁ〜。おはよぉ、宗方」
六名が目をこすりながら起きてきた。寝癖がぴょこんと立っている。
「おはようございます、六名様。
……先ほど、東さんからお電話がありましたよ」
「えっ、東さんから!?」
六名の目が覚める。
「なんて?」
「『いい案が出たから、話を聞きに来てほしい』とのことです」
「本当!? やったぁ!」
六名は子供のように飛び跳ねた。
「やっぱり東さんは凄いなぁ! 話せば分かるって信じてたよ!
じゃあ、すぐにお話し聞きに行こ!」
六名は着替えようとして、ふと手を止めた。
「あ、そうだ! 今度はさ、ハンバーグ持って行こうよ!
昨日のアレ、すっごく美味しかったから! 皆びっくりするよ!」
宗方は困ったように首を横に振った。
「申し訳ありません。急なことでしたので……あの方達全員分の材料はありません。
ハンバーグは、また今度の機会にしましょう」
「えぇ〜……そっかぁ」
六名は残念そうに唇を尖らせた。
「すごく美味しいから、食べて欲しかったんだよなぁ……。
仕方ない、今日はお茶菓子なしで行くかぁ」
「それがよろしいかと。……さあ、顔を洗ってきてください」
六名が洗面所へ行っている間に、宗方は東へ折り返しの電話を入れ、すぐに向かう旨を伝えた。
そこへ、隣室から清原が頭を掻きながら出てきた。
「ふわぁ……。なんか騒がしいな。朝飯か?」
「おはようございます、清原さん。グッドタイミングです」
宗方は手早く三人分の朝食——焼き魚と納豆、味噌汁——をちゃぶ台に並べた。
「いただきまーす!」
「頂きます!」
六名と清原が箸を進める。
宗方は給仕をしながら、清原に告げた。
「清原さん。食べ終わったら、私と六名様はまた対策局へ向かいます」
「またかよ? 精が出るねぇ」
「ええ。大事なお話がありますので。
……その間、留守番をお願いします」
宗方は流し台を指差した。
「あと、食器の洗い物と……コタロウの散歩も、お願いしますね?」
「へいへい、任せろって。
いってらっしゃい、気をつけてな」
食事が終わり、六名は身支度を整えた。
宗方と共に玄関へ向かう。
「いってきまーす! コタロウ、いい子にしててね!」
「ワォン!」
玄関を出たところで、宗方はふと、気になっていたことを口にした。
「……あの、六名様」
「ん?」
「先ほど、携帯の着信画面を見てしまったのですが……。
その……『アズマックス』というのは……」
「あ!!」
六名の顔が、みるみる真っ赤になった。
「か、勝手に見たなぁ! プライバシーの侵害だぞっ!」
「いえ、鳴っていたものでつい……。
ふふ、あだ名ですか?」
「だ、だってさぁ!」
六名はモジモジしながら、言い訳するように言った。
「東さん、眼鏡キリッとしてて、頭良くて、なんかカッコいいじゃん!
こう……『マックス(MAX)』って感じしない!?」
「……マックス、ですか」
「そうだよ! 最大級にカッコいい東さんだから、アズマックス!
……変かなぁ?」
六名が不安そうに上目遣いで見つめてくる。
宗方は、フードの奥で優しく目を細め、クスクスと笑った。
「いいえ。……とても、良いお名前だと思いますよ。
ご本人にも教えて差し上げたいくらいです」
「ダメだよ! 絶対内緒だからね!?」
「ふふ、善処します」
和やかな会話。
これから自分たちの運命が決まるかもしれない話し合いに向かうとは思えないほど、穏やかな空気。
「……では、行きますよ」
宗方が六名の肩に手を置く。
「うん。お願い」
シュンッ!
二人の姿が山奥から消え——。
次の瞬間、対策局(洋館)の重厚な玄関の前に、音もなく着地していた。
運命の対話が、再び幕を開ける。
■洋館・食堂(午前10:00)
決戦の朝。だが、洋館の空気は昨日までとは打って変わっていた。
殺気立ったバリケードは撤去され、テーブルには清潔なクロスが敷かれている。
「いいか、全員。今日の作戦は『対話』だ」
東義昭が、ネクタイを締め直しながら指示を飛ばす。
「武器を構えていては、言葉は届かん。
迎え入れるのは私達、提案をするのも私達だ。……失礼のないように、最高の『おもてなし』をするんだ」
「了解」
アレックス・ターナーは、いつものアサルトライフルを武器庫にしまい、ハンドガン一丁だけを懐に忍ばせた。
サラ・コッホも同様に、太もものホルスターに小型拳銃を隠すに留めている。
「OK。スナイパーライフルで狙われるより、お茶に誘われる方が話しやすいものね」
「へっ、俺もこれでいいか」
鈴木浩三は、ポケットの鈴を確認しつつも、いつものようにジャラジャラと鳴らすことはせず、リラックスした姿勢を取っていた。
「ま、向こうが暴れなきゃ、俺たちも暴れる必要はねぇしな」
キッチンでは、幸田美咲と白川真純が戦場のような忙しさで動いていた。
「あわわ、あと30分です! 白川さん、紅茶の茶葉は?」
「ここよ幸田さん。お湯の温度、完璧です」
「カステラ、綺麗に切れました! 人数分、足ります!」
甘い卵と砂糖の香りが、食堂を満たす。
それは、武器や能力よりも強く、人の心を解きほぐす香りだった。
■洋館・玄関(午前10:30)
ピンポーン。
正確無比に、チャイムが鳴った。
「……来ましたね」
髙橋俊明が立ち上がる。
以前のような、死刑台に向かうような緊張感はない。ネクタイを直し、普通の来客を迎えるようにドアノブを回した。
「いらっしゃいませ」
ドアが開く。
そこには、ラフな格好の六名と、その後ろに影のように控える宗方がいた。
「おはようございます、髙橋さん!」
六名は屈託のない笑顔でペコリと頭を下げた。
「お招きいただき、ありがとうございます」
「失礼致します」
宗方も恭しく一礼する。
「どうぞ、中へ。皆お待ちです」
■洋館・食堂
「失礼します」
二人が食堂に入ると、そこには温かい湯気と甘い香りが漂っていた。
テーブルには人数分のティーカップと、黄色く輝くカステラが上品に並べられている。
「わぁ……!」
六名の目が輝いた。
「すごい! お茶会だ! 美味しそう!」
六名は嬉しそうに席に着こうとする。
だがその時、宗方がスッと六名の前に腕を出し、制止した。
「——お待ちください、六名様」
「ん? どうしたの宗方?」
宗方のガラス玉のような瞳が、鋭くテーブルを見据えた。
そして、昨日六名が置いていった「手付かずのキムチ」のことを思い出すように、冷ややかに告げた。
「……警戒してください。
昨日、彼らは貴方の好意に手を付けず、放置していました。
それは即ち、六名様を『信用していない』という意思表示です」
宗方は、東たち対策局のメンバーを油断なく見回した。
「口では歓迎と言いつつ、このカステラに何が混入されているか分かりません。
……安易に口になさるのは危険です」
張り詰める空気。
鈴木やサラが、バツが悪そうに視線を逸らす。昨日の拒絶は事実だ。
だが、六名は宗方の腕を優しく押し下げた。
「いいんだよ、宗方」
「しかし……!」
「彼らが僕を信用していなくても……僕が、彼らを信用しているから、それでいいの」
六名は迷いなく席に着き、カステラを手に取った。
「いただきまーす!」
パクッ。
大きな一口。
「……んん〜ッ!!」
六名が目を見開き、頬を押さえた。
「美味しいぃぃ!!
ふわふわで、底の砂糖がジャリッとしてて……最高です!」
その無邪気な笑顔に、キッチンから顔を出していた美咲が、ホッと胸を撫で下ろして微笑んだ。
「……良かったです。お口に合って」
その光景を見て、鈴木浩三が頭をかきながら、のっそりと歩み寄った。
「……あのよ、六名」
「はい? あ、鈴木さん!」
「昨日のこと……悪かったな」
鈴木は不器用そうに視線を逸らしながら言った。
「せっかくのキムチ、すぐに食わなくてよ。……あとで皆で食ったが、あれは絶品だったぜ。酒が進んで困ったくらいだ」
「本当ですか!?」
六名は身を乗り出した。
「よかったぁ! 宗方も、聞いてた? 美味しかったって!」
「……はぁ。お人好しな方々ですね」
宗方は呆れたように、しかしどこか嬉しそうに肩の力を抜いた。
「良いんですよ、鈴木さん」
六名はニコニコと笑った。
「最初はいきなり殺し合いになりそうだったけど……。
こうして話し合いを繰り返して、少しずつ仲良くなってる実感があって、僕は嬉しいですよ」
敵意の不在。一方的な信頼。
それが逆に、東たちに「裏切れない」というプレッシャーと、奇妙な連帯感を与えていた。
場が温まったのを見計らい、上座の東義昭が、コホンと咳払いをした。
「……さて」
東は居住まいを正し、鋭く、しかし誠実な眼差しで六名を見据えた。
「美味しいカステラも食べたことだし……本題に入ろうか。
六名君。君が望む『平和』と、我々が目指す『未来』。
その両方を叶えるための……第三の案についてだ」
食卓の上が片付けられ、地図と資料が広げられる。
日本の、そして世界の理を変えるための、最後の交渉が始まった。
■洋館・食堂
甘いカステラの余韻が残る中、東義昭はホワイトボードの前に立ち、六名を真っ直ぐに見据えた。
「……六名君。
我々の案を話す前に、一つ確認させてくれ。
君の目的は『能力の消滅』そのものか?
それとも、それはあくまで『平和で退屈な日本』を取り戻すための『手段』に過ぎないのか?」
「……え?」
六名はきょとんとして、少し考え込んだ。
「うーん……。目的は、あくまで『平和な世界』ですね。
能力があると、どうしても争いが起きちゃうし、悲しい事故もなくならないから……だから、消すしかないと思ってます」
六名は困ったように笑った。
「現状、それしか打開策が見当たらないと思うんですけど……違いますか?」
「……やはりな」
東は確信を得て、力強く頷いた。
「ならば、聞け。
我々が出した結論は、リセットではない。『アップデート(更新)』だ」
東は、昨夜メンバー全員で練り上げた「三段階の改革案」を、熱を込めて語り始めた。
「第一段階、『特定覚醒者収容施設』の建設。
風間のような犯罪者を隔離し、社会から切り離す。
その際、鈴木君のような『無効化能力』を持つ人材を組織的に運用する」
東は資料を提示した。
「全国の戸籍データを洗い、苗字に『清』や『斎』を持つ覚醒者をリストアップし、スカウトする。
彼らの能力範囲と特性を徹底的に調べ上げ、施設内で24時間、切れ目なく能力封じの結界が張られるようシフトを組むのだ」
「……へぇ! 人海戦術による結界ですか!」
六名は目を丸くした。
「『清』かぁ……。なんだか、親近感が湧きますね」
(隣にいる宗方だけが、フードの下でピクリと反応した)
「次に、第二の『覚醒者労働法』だ」
東が続ける。
「能力を隠すのではなく、インフラや産業に活用し、正当な報酬を与える。
髙橋君の転移輸送や、鈴木君の農業支援などがそのモデルケースだ」
これには、六名は大賛成の反応を見せた。
「あ、それ凄くいいですね!」
六名は身を乗り出し、目を輝かせた。
「能力って、どうしても『武器』になっちゃうイメージでしたけど……人を幸せにするために使えるなら、それが一番です!
犯罪に使うより、いい事に使って褒められた方が嬉しいですもんね!」
「そうだ。そして第三の『アカデミー』。
未成年を保護し、倫理と制御を教える学校を作る」
「素晴らしいです!」
六名は拍手をした。
「僕も……もしそんな学校があったら、通ってみたかったなぁ。
そうすれば、風岡君も……あんなことにならなかったかもしれないし」
六名の表情は明るかった。
東の提案する未来図は、彼が孤独の中で描き続けた「掃除」という結論よりも、遥かに建設的で、温かいものに見えたからだ。
対策局のメンバーたちも、六名の好意的な反応を見て、胸を撫で下ろした。
(いける……! これなら、和解できるかもしれない!)
鈴木と髙橋が顔を見合わせ、安堵の笑みを浮かべる。
しかし。
「……うん。東さんの計画、とっても素敵だと思います」
六名はニコニコと笑いながら、残っていたカステラを口に放り込み、飲み込んだ。
そして、お茶を一口すする。
「でも……二つだけ、疑問があるんです」
「……言ってみたまえ」
六名は、無邪気な笑顔のまま、核心を突く質問を投げかけた。
「一つ目は……時間のことです」
六名は小首を傾げた。
「東さんの計画で……『覚醒者が出る前の世の中の犯罪率』まで下げるのに、いつ頃までに達成できそうですか?」
「……ッ」
東が言葉に詰まる。
「……制度が定着し、数字に表れるまでには、数年はかかるだろう」
「数年……。
その間にも、悲劇は起き続けますよね?
僕が『掃除』を我慢している間に……また誰かのご両親が殺されたら、どう責任を取ってくれるんですか?」
純粋ゆえの、残酷な指摘。
「過程の犠牲」を許容できない六名の潔癖さが、東の論理を揺さぶる。
そして、六名はもう一つの、さらに重く、悲しい問いを口にした。
「あと、もう一つ」
六名は、まるで「明日の天気」でも聞くような軽さで言った。
「もし、東さんの計画がうまくいって……犯罪率が減って、能力があっても誰も傷つかない、『綺麗な世界』になったとしたら」
六名は、音無賢人の方を見て、嬉しそうに微笑んだ。
「その時は……僕を、殺してくれますか?」
「…………は?」
食堂の空気が、凍りついた。
安堵のムードが一瞬で吹き飛び、真空のような静寂が訪れる。
「殺す……?」
賢人が絶句する。
「なんで……」
「だって、僕が生きていたら……お父さんが、戻って来られないと思うんです」
「……え?」
六名は自分の胸に手を当て、静かに語り始めた。
「僕の能力は『名付け』です。名前を与えることで、理を書き換える。
『根源』を破壊しないのであれば僕が生きている限り、その『名前』という呪縛は消えません」
六名は遠くを見る目をした。
「僕ね、お父さんを守るために……お父さんに『清原』って名前を付けて、別人になってもらったんです。
今の彼は、僕の父親じゃありません。ただの『清原』という協力者です。
僕の計画は……これ以上、不幸な人たちが出ない世界にすることです。
でも、それと同時に……」
六名の瞳が揺れた。
「綺麗になった世界で、お父さんに安心して過ごして欲しいんです」
六名は、懇願するように賢人を見た。
「僕が死ねば、僕の能力は解除されるはずです。
そうすれば、『清原』は『父』に戻れる。
僕という殺人鬼の記憶も、能力のことも忘れて……平和な世界で、幸せに生きていけるはずなんです」
六名は微笑んだ。それは、聖女のように美しく、そしてあまりにも残酷な笑顔だった。
「だから、音無さん。
世界が直ったら……僕を殺してください。
それが、僕の最後のお願いです」
対策局のメンバーは、誰一人として答えることができなかった。
父を愛するがゆえに、父を消し、そして自らの死をもって父を救おうとする。
この悲しすぎる願いを前に、正義も論理も、意味をなさなかった。




