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巡り巡る 〜漢字の意味が世界を変える世界〜  作者: 暇な鍼灸師


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第49章 幸せの崩壊



■洋館・食堂(数分前)



朝食の時間は、かつてないほど重苦しい空気に支配されていた。


幸田美咲が腕を振るった美味しい味噌汁も、今日ばかりは砂の味がするようだった。


話題の中心は、六名と宗方。


あの理不尽なまでの暴力と、不可解な撤退。その意図を測りかねて、全員が疑心暗鬼に陥っていた。


その時、東義昭の携帯電話が震えた。


「……静かに」


東は全員を手で制すると、通話ボタンを押し、即座にスピーカーモードに切り替えた。録音ランプが赤く点灯する。


『……あ、もしもし。六名です』


スピーカーから流れる、相変わらず人懐っこい青年の声。


その無邪気な響きに、音無賢人は拳を握りしめた。


「やあ。昨夜は君の従者に、随分と絞られたよ」


東が皮肉で返す。


『ごめんなさい。……東さん、条件の件、聞きました。

僕も……ちゃんと向き合いたいと思います』


電話の向こうの六名は、真剣な声音で続けた。


『だから、もう一度お会いできませんか? ……今度は、僕の『昔話』を聞いてほしいんです。

僕がなぜ、今の掃除をしているのか……その理由を』


「昔話、か」


東は眉をひそめたが、情報は喉から手が出るほど欲しい。


「いいだろう。……今日の午後、ご都合はいかがかな?」


『はい。大丈夫です』


「では、待っている。……茶菓子は期待しているよ」


プツリ。通話が切れる。


「……そういうことだ」


東は携帯を置いた。


「自分の正義の『根拠』を語りに来るつもりだろう。……全員、配置につけ。戦闘にはならんと思うが、警戒は怠るな」


嵐の前の静けさの中、彼らは午後の来訪に備えた。



■洋館・玄関(午後)



ピンポーン。


約束の時間通り、インターホンが鳴った。


モニターには、大きな紙袋を抱えた六名と、後ろに控える宗方の姿。


「……どうぞ」


髙橋がドアを開ける。


「こんにちは! また来ちゃいました!」


六名は屈託のない笑顔で挨拶をした。宗方も深々と頭を下げる。


「たびたびお騒がせして申し訳ありません。本日は、お話を聞いて頂きありがとうございます」


「い、いえ……こちらへ」


一行は、緊張感と奇妙な和やかさが同居する空気の中、食堂へと案内された。



■洋館・食堂



「失礼します」


六名が部屋に入ると、そこには対策局のメンバーが全員揃っていた。


そして、テーブルの中央には——昨日、六名が置いていった「赤いキムチ」が、蓋も開けられずにポツンと置かれていた。


「あ……」


六名の足が止まる。


埃ひとつないテーブルの上で、その瓶だけが異物のように、誰にも触れられずに残っている。


それは、「信用されていない」という事実を、何よりも残酷に物語っていた。


「……そっか。やっぱり、怖いですよね」


六名は少し悲しげに眉を下げた。


「毒なんて、入れてないのになぁ……」


彼は気を取り直して席に着くと、おもむろにそのキムチの瓶を手に取り、蓋を開けた。


プシュッ、と発酵ガスが抜ける音が、静まり返った部屋に響く。


「失礼。……いただきます」


六名は備え付けの箸ではなく、持参した自分の箸でキムチを一口つまみ、ポリポリと食べた。


美味しそうに。そして、これが安全で、ただの食べ物であることを証明するように。


「……うん。やっぱり宗方のキムチは最高だ」


六名はニコリと笑って、瓶をテーブルに戻した。


その行動に、鈴木や音無は胸が締め付けられるような、居心地の悪さを感じた。


毒など入っていない。本当に、ただの善意だったのだ。それを「殺人鬼の罠」として拒絶した自分たちの常識が、ひどく冷酷なものに思えてくる。


「さて! 気を取り直して!」


六名は持ってきた大きな紙袋を開けた。


中から出てきたのは、重箱に入った黄金色の料理。


「今日は『厚焼き玉子』を持ってきました!

出汁たっぷりで、甘くて美味しいですよ! 宗方が朝から焼いてくれたんです!」


六名が言うと、宗方が一歩前に出た。


「——転移」


シュンッ!


一瞬にして、テーブルの上に全員分の小皿と箸が出現した。


その光景に髙橋だけが驚愕した


(今の転移…ぶ…物理型じゃない!?)


宗方は流れるような手つきで、昨日のキムチと、今の厚焼き玉子を人数分に取り分け、配り始めた。


「どうぞ。毒見は済みましたので」


宗方の皮肉めいた、しかし丁寧な言葉に、谷やサラはバツが悪そうに視線を逸らした。


目の前に置かれた、湯気を立てる卵焼きと、赤いキムチ。


この状況で食べるべきではないかもしれない。だが、拒絶し続けることこそが、対話を閉ざすことになる。


「……いただくよ」


鈴木が、意を決して箸を伸ばした。


まずは厚焼き玉子を口に運ぶ。


ジュワッ。


口の中に、濃厚な出汁と優しい甘みが広がる。


焦げ目一つない、完璧な火加減。料亭の板前でもここまでは作れないだろう。


「……っ」


鈴木の目が大きく見開かれた。


「……悔しいが、美味ぇ」


鈴木は素直に漏らした。


「出汁が効いていて、甘すぎず……絶妙だ。キムチも……辛味の中にコクがあって、酒が進みそうな味だ」


それを見て、サラもおそるおそるキムチをつまんだ。


「……Oh... Delicious...」


サラは複雑な顔で呟いた。


「悔しいけど、スーパーのなんかより数倍美味しいわ。……本当に、ただの手作り料理なのね」


「……美味しいです」


髙橋も先程の転移に恐怖を感じながらも卵焼きを食べて、ため息をついた。


「家庭の味というか……すごく、優しい味がします」


美味しい。


それが余計に恐ろしかった。


こんなに優しい味を作れる(作らせる)人間が、なぜ平然と「掃除」を行えるのか。


その「感覚の乖離」が、六名という存在の不気味さを際立たせていた。


「よかったぁ! 気に入ってもらえて嬉しいです!」


六名は、心底嬉しそうに手を叩いた。


全員に行き渡り、空気が少しだけ緩んだのを見計らって、東が口を開いた。


「……毎回、痛み入る」


東は箸を置いた。


「さて……六名君。

今回の『昔話』というのは、どういうものなのかな?」


東の問いかけに、場の空気が変わる。


食事会の雰囲気から、深淵を覗き込む場へ。


六名は、コップのお茶を一口飲むと、居住まいを正した。


その瞳から、無邪気な色が消え、深く暗い、遠い過去を見る色へと変わる。


「……はい」


六名は、静かに語り始めた。


「僕が……なぜ今の『掃除』をし始めたのか。

なぜ、この世界を『リセット』したいと願うようになったのか。

……その訳を、お話ししますね」


皆は聞く準備ができていた。


そして六名も、その原点を全て晒け出す準備ができていた。


「それは……僕がまだ、ただの中学生だった頃の話です。……どこにでもいる、ただの中学生でした。

父と母と、愛犬のコタロウ……。

毎日がキラキラしていて、明日が来るのが楽しみで仕方なかった。

……あの日までは」



■数年前・六名家(回想)



「駿太、夜食持ってきたわよ。根詰めすぎじゃない?」


ノックと共に部屋に入ってきたのは、優しげな笑顔の母だった。


手にはホットミルクとフルーツの乗ったトレイを持っている。


「あ、母さん。ありがとう」


駿太(当時の六名)は教科書から目を離し、伸びをした。


机の上には、勉強道具と一緒に、描きかけのデザイン画が散乱している。


「あら、また描いてるの? ……ふふ、上手ねぇ」


母がデザイン画を覗き込み、嬉しそうに微笑んだ。


「うん。……僕、やっぱり母さんと同じ道に進みたいんだ。

高校で服飾デザインを学んで、大学でもっと勉強して、将来は母さんの会社に入って……もっとすごい服を作りたい」


「まぁ、頼もしいこと。お父さんが聞いたら泣いて喜ぶわよ」


六名家は、誰もが羨むような円満な家庭だった。


父は大手広告代理店のビジネスマン。多忙で家を空けがちだったが、休日には必ず家族サービスをしてくれる、自慢の父親だった。

母はアパレル会社を経営していて実務は部下に任せ家にいる事が多かった。


家は郊外の豪奢な三階建て。庭には愛犬のコタロウが走り回っている。


「ワンッ! ワンッ!」


「こらコタロウ、静かに。兄ちゃんは勉強中だぞー」


駿太は窓から顔を出し、庭の犬に手を振った。


平和で、満ち足りた日々。この幸せがずっと続くと、疑いもしなかった。



■数日後・六名家 リビング



その日の夕食時。


駿太と母は、つけっぱなしのテレビを見ながら食事をしていた。


『——続いてのニュースです。

近年、各地で報告されている「人体発火」や「不可解な失踪」について、専門家は未知のウイルスの可能性を示唆しており……』


ニュースキャスターが深刻な顔で原稿を読んでいる。


画面には、街中で突如として超常現象を起こす人々の、荒い映像が流れていた。


「……へぇ。漫画みたいなこともあるんだね」


駿太はサラダを食べながら、他人事のように呟いた。


「『覚醒者』だっけ? 苗字の漢字が関係してるって、ネットで話題になってたよ」


「そうねぇ。不思議な話よね」


母もお茶を飲みながら、ニコニコと笑った。


「ねえ駿太。もし私たち『六名むつな』が覚醒したら、どんな能力かしら?

六つの名前……有名人になれる能力とか?」


「あはは! なにそれ、地味だなぁ母さん。

もっとこう、六回変身できるとかさ」


「あら、素敵じゃない。変身して、素敵なドレスをあっという間に作っちゃうの」


食卓には笑い声が溢れていた。


それは、遠い世界の出来事だと思っていたからだ。

自分たちの「名前」に、どれほど恐ろしい業が秘められているかも知らずに。


その時。


ガチャン……ドサッ。


玄関の方で、不自然に重い音がした。


父が帰ってくる時間だが、いつもの「ただいま」の声がない。


「……あなた?」



■六名家・玄関ホール



母が箸を置き、玄関へと向かう。駿太も続いた。


「父さん? おかえり……」


玄関のドアは開け放たれていた。


そして、そのかまちに——父が、座り込んでいた。


「っ……う、ぅ……」


「あなた!?」

「父さん!?」


二人は駆け寄った。


父のビジネススーツのズボンが、赤黒く染まっている。


右足のふくらはぎから下が、ざっくりと裂け、夥しい量の血がタイルの上に広がっていた。


「な、なにこれ……! 血が……!」


母が悲鳴を上げ、震える手で父を支える。


「しっかりして! 今、救急車呼ぶから! 駿太、タオル!」


「う、うん!」


駿太はパニックになりかけながらも、タオルを何枚も持ってきて傷口を押さえた。


「父さん! その傷どうしたの!? 事故!? 何が必要!?」


父は脂汗を流し、苦悶の表情で首を振った。


「……だ、大丈夫だ……。命に別状は……ない……」


「喋らなくていいから! すぐ病院に……」


「……違うんだ、駿太」


父は駿太の腕を強く掴んだ。その目は、恐怖で見開かれていた。


「今……そこの路地裏で……。

突然、男の子に声をかけられたんだ。『おじさん、駿太のお父さんだよね』って……」


「男の子……?」


「そうしたら……急に突風が吹いて……。

何も無いのに、足が……カマイタチみたいに、スパッと……!

イタタタ……ッ!!」


父が激痛に顔を歪める。


傷口は、鋭利な刃物で切られたように鋭く、深かった。


「……突風?カマイタチ?」


駿太の脳裏に、さっきまで見ていたニュース映像がフラッシュバックした。


『不思議な力』『覚醒者』『漢字』。


(……風? カマイタチ?まさか……)


駿太は背筋が凍るのを感じた。


こんな超常現象、そうそう起きるものじゃない。


「……今話題の、覚醒者の仕業なのか?」


平和だった我が家の玄関に、真っ赤な鮮血と共に、「非日常」が土足で踏み込んできた瞬間だった。


「あなた! しっかりして!」


母がタオルで父の足をきつく縛り上げる。白いタオルは瞬く間に赤く染まっていった。


父は顔面蒼白になりながらも、震える駿太と母を見て、強がって見せた。


「だ、大丈夫だ……。浅い傷だよ。

駿太、母さんを怖がらせるな。俺は平気だ……」


「父さん……」


その時。


背後で、ガチャリとドアノブが回る音がした。


「……え?」


駿太が振り返る。


父を運び込むことに必死で、鍵をかけ忘れていたのだ。


ゆっくりと開くドア。


そこには、点々と続く父の血痕を辿ってやってきた、一人の少年が立っていた。


「よぉ。……ここかぁ、六名の家」


見覚えのある顔。


小学校の頃、同じクラスだった風岡かざおかだ。


家に遊びに来て、一緒にゲームをしたこともある。


「……風岡、君? 何でここに?」


駿太が問いかけると、風岡はニヤニヤと笑いながら靴のまま上がり込んできた。


「六名ぁ、俺、すげぇ力が使えるようになったんだぜ?」


風岡は自分の手をひらひらとさせた。その周囲で、不自然な風が渦巻いている。


「小学校の運動会の時さ、お前の父ちゃんのこと覚えてたんだよ。

派手なスーツ着ててさ、金持ってそうだなぁって。

だから丁度いいやと思って、路地裏で足を『風』で切ったらさ……予想通り、ちゃんと巣(家)に帰ってくれたよ」


「な……」


父が呻く。


「わざと……泳がせたの……?」


「お前の家の場所は忘れてたけど、お前の父ちゃんのことは覚えてたんだよね。

クラスでも話題になってたんだぜ? 『六名の家が一番金持ちだ』ってさ」


風岡の目は、かつての同級生の目ではなかった。

力に酔い、他者をモノとしか見ていない、狂人の目。


「風岡……! 正気に戻ってよ!」


駿太が叫ぶ。


「そんなことして、タダで済むと思ってるのか!?」


「うるせぇな! 俺は正気だ!」


風岡が叫び返すと、玄関の花瓶が風圧で粉砕された。


「俺はこの力で、これから自由に生きるんだよ! 誰にも文句は言わせねぇ!」


風岡は手を突き出した。


「とりあえず、金ちょうだいよ。

あと、お前の部屋にあるゲームソフトも全部くれ。暇つぶしに丁度いい」


「……分かった、いいよ!」


駿太は財布を取り出した。


「僕のお小遣い、全部あげる! ゲームも全部持っていっていい!

だから……もう帰ってよ!」


風岡は駿太の財布を風で弾き飛ばし、鼻で笑った。


「ハハッ! バカにしてんのか?

お前の小遣いじゃねぇよ。……この家の金、全部だよ!」


「そ、そんな……」


その時、母が駿太を庇うように前に出た。


彼女は震えながらも、気丈に風岡を見据えた。


「……分かりました。お金は差し上げます」


母は静かに言った。


「ですが、条件があります。

もうこれ以上、私たち家族を傷つけないと約束してください。そうすれば……」


ヒュンッ。


空気を切り裂く、乾いた音がした。


「……え?」


駿太の目の前で、母の言葉が途切れた。


視界がスローモーションになる。


母の身体が崩れ落ちるのと同時に、宙を舞った「何か」が、ゴトリと重い音を立てて廊下に転がった。

それは、驚愕の表情を張り付かせた、母の首だった。


「…………」


駿太の全身に、生温かい液体が降り注ぐ。


母の首から噴き出した、鮮血のシャワー。


「……は?」


「何勘違いしてんの? オバサン」


風岡は、つまらなそうに首を振った。


「条件出せる状況だと思ってんのかよ?

さっさと持ってこねぇから、こうなるんだよ」


「あ……あ、あ……」


駿太は、真っ赤に染まった視界の中で、転がっている母の頭と、動かなくなった身体を交互に見た。


理解できない。理解したくない。


さっきまで笑っていた母が。夕飯の話をしていた母が。


ただの物体になっている。


「う……うぁ……」


「うあああああああああああああああああッ!!!!」


絶叫。


喉が裂けんばかりの慟哭が、血の海に響き渡る。


「母さん! 母さんんんん!!」


「あぁ〜、うるせぇな」


風岡は耳をほじった。


「さっさと持ってこないのが悪いんだろ?」


風岡は、へたり込んでいる父に指を向けた。


「おい駿太。

あと1分以内にこの家の金、全部持ってこい。

……じゃないと、お父さんもこうなっちゃうよ?」


「ヒッ……!」


駿太はガタガタと震えながら、父を見た。


父は、妻の生首を見つめたまま、魂が抜けたように口をパクパクさせていた。心神喪失状態だ。


「お、お父さん……!」


駿太は父の肩を揺さぶった。


「お願いだ……お金の場所、教えて……! 父さんまで死んじゃう!」


父の焦点が、わずかに駿太に向く。


「……しん、しつ……。……金庫……」


「寝室の、金庫……」


「よし、分かったな?」


風岡がカウントダウンを始める。


「よーい、ドン!」


駿太は立ち上がった。


足が震えて力が入らない。床は母の血で滑る。


それでも、走らなければならない。


(父さんだけは……父さんだけは守らなきゃ……!)


駿太は涙と血にまみれた顔で、転がるように階段を駆け上がり、両親の寝室へと向かった。


背後で響く風岡の笑い声が、悪魔の嘲笑のように耳にこびりついて離れなかった。

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