第48章 向き合う覚悟
■洋館・食堂
食堂は沈黙に包まれていた。
答えの出ない問答が深夜まで続き、疲労と困惑がメンバーを覆っていたその時。
ピンポーン。
静寂を切り裂く電子音。
全員がビクリと肩を震わせた。こんな真夜中に、この要塞のベルを鳴らす者などいるはずがない。
「……モニター確認!」
アレックスが即座に反応し、手元のタブレットを操作する。
画面に映し出された訪問者の姿を見て、彼は息を呑んだ。
「……It's him(奴だ). ……宗方だ」
「なっ……!?」
モニターの向こう。暗視カメラの緑色の映像の中に、ウインドブレーカーのフードを被った人影が立っていた。
背後には誰もいない。六名の姿はない。単独だ。
宗方はカメラに向かって、深々と一礼した。
『……夜分遅くに、失礼致します。宗方です』
スピーカーから流れる、抑揚のない無機質な声。
「……どうする? 追い返すか?」
鈴木が鈴を握りしめ、低い声で唸る。
東はモニターを凝視し、少しの間、沈黙した。そして、静かに首を横に振った。
「いや……入れろ」
「正気ですか!? あいつはさっき、俺たちを皆殺しにしようとしたんですよ!」
髙橋が叫ぶ。
「冷静になれ」
東は諭すように言った。
「奴の転移能力と、先ほどの戦闘力……。
入ろうと思えば、壁も天井も無視して、いつでも我々の寝首を掻けるはずだ。
それをせず、わざわざ玄関のベルを鳴らして許可を求めている」
東はドアの方角を見た。
「少なくとも……現時点で『物理的な敵意』はないと判断できる。
話を聞こう。奴の出方を探るチャンスだ」
「……分かりました。私が開けます」
白川が震える足を押さえ、立ち上がった。
数分後。
食堂のドアが開き、白川に先導されて宗方が入ってきた。
「……失礼します」
宗方は部屋の中央まで歩み寄ると、警戒して武器を構えるメンバーたちを一瞥もしないまま、東に向かって丁寧にお辞儀をした。
「この度は、深夜の不躾な訪問をお許しください。
それに……先ほどは取り乱してしまい、皆様に暴力的な振る舞いをしたこと、深くお詫び申し上げます」
「……謝罪は受け取ろう」
東は警戒を解かずに応じた。
「それで? 六名君を置いて、従者の君が何用だ。
まさか、深夜の散歩のついでというわけではあるまい」
「ええ。ご相談がありまして」
宗方は、フードの奥のガラス玉のような瞳で、全員を見渡した。
「……先ほど、家に帰った後。
六名様が、泣いておられました」
「は……?」
音無賢人が眉をひそめる。
「ワンワンと…ずっと泣いておられました…
あまりに悲痛な泣き声に、飼い犬のコタロウさえも怯えるほどでした」
宗方は胸に手を当て、痛ましげに語った。
「六名様は、心から貴方たちを応援しているのです。
日本の秩序を守る同志として。同じ力を持つ隣人として手を取り合いたかった。……その気持ちに、一点の偽りもありません」
宗方は悲しげに首を振った。
「なのに……『信用できない』と言われたこと。
その事実が、あの方には耐え難いショックだったようです。
『どうして分かってくれないんだ』と、泣き腫らして眠りにつきました」
「…………」
全員が言葉を失った。
音無の両親を殺し、テロリストやK-Securityを虐殺しようとした張本人が、「信用されなくて泣いた」だと?
被害者意識の塊のようなその理屈に、賢人は吐き気を覚えた。
だが、宗方は真剣だった。
彼は一歩前に進み出ると、まるで人生相談でもするかのように、切実な声で問いかけた。
「そこで……皆様にお教え頂きたいのです」
「……何をだ」
「どうすれば……どうすれば、貴方たちは六名様を『信用』してくださいますか?」
宗方は両手を広げた。
「お婆さんを助けただけでは不足ですか?
美味しい料理を振る舞うだけでは足りませんか?
邪魔なゴミ(ヤクザ)を掃除する提案は、間違っていましたか?」
宗方の問いかけは、あまりにも純粋で、そしてあまりにもズレていた。
「私たちは、貴方たちと争いたいわけではありません。
六名様の願いは『平和』です。貴方たちと同じはずです。
なのに、なぜ拒絶するのですか?
……何が足りないのですか? 何を差し出せば、手を取り合ってくれますか?」
マネキンの顔には表情がない。
だが、その声色には、主人を想うがゆえの「必死さ」と、人間の感情を理解できない「困惑」が滲み出ていた。
「……教えてください。
そうすれば、私が責任を持って実行いたしますので」
宗方は答えを待つように、静かに佇んだ。
その姿は、解決不可能なパズルを前に立ち尽くす、哀れな機械のようにも見えた。
彼のガラス玉のような瞳には、悪意など微塵もない。ただ、泣いている主人を慰めたいという、プログラムされたような純粋な献身だけがあった。
そのあまりの「ズレ」に、対策局のメンバーは戦慄し、言葉を失う。
沈黙を破ったのは、低く、押し殺したような青年の声だった。
「……だったら」
音無賢人が、一歩前に進み出た。
彼は宗方の無機質な顔を睨みつけ、血を吐くように告げた。
「だったら……俺の両親を、生き返らせてみろよ」
「……え?」
宗方が小首を傾げる。
「壊れたテーブルは直せる。怪我も『修』で治せる。
……でも、死んだ人間は戻らないんだろう?」
賢人は拳を握りしめた。爪が食い込み、血が滲む。
「君たちが『掃除』と呼んで奪った命は……二度と帰ってこない。
美味しいキムチを貰おうが、傷を治されようが……その事実は消えないんだ」
賢人の声が震える。
「一度奪ったものは戻らない。……だから、少なくとも俺は信用なんて一生できない」
宗方は数秒間、沈黙した。
その人工知能のような脳内で、賢人の言葉を解析する。
「……なるほど。物理的な『不可逆性』ですね」
宗方は淡々と、事務的に答えた。
「確かに、六名様の『修』は、対象の状態を巻き戻す概念ですが……生命活動が完全に停止し、魂が離れた器を元に戻すことはできません。
……つまり、貴方にとっての『損害』は補填不可能。ゆえに、和解も不可能という理屈ですか」
「理屈じゃねぇよ!!」
鈴木浩三がテーブルを叩いた。
「人の心の話をしてんだ! テメェらにはそれが分からねぇのか!」
「……分かりかねます」
宗方は平然と答えた。
「六名様は、世界の汚れを落とそうとされただけです。
掃除機が埃を吸うことに、罪悪感を覚える必要がありましょうか?」
決定的な断絶。
このままでは平行線だ。
そこで、東義昭が口を開いた。
彼は冷めたコーヒーを一口啜り、冷徹な政治家の顔で宗方を見据えた。
「……宗方君。感情論は置いておこう」
東は立ち上がり、ホワイトボードの前に立った。
「君は『どうすれば信用されるか』と聞いたな?
答えは簡単だ。……『掃除(殺人)』を、今すぐやめろ」
「……それは出来ません」
宗方は即答した。
「掃除は六名様が生きる理由の一つです。この世界を救う唯一の手段です。それを止めろというのは、六名様に『死ね』と言うのと同義です。安心してください。掃除が終われば六名様は自ら命を絶つでしょう…」
「ならば、永遠に敵対するだけだ」
東は鋭く切り返した。
「いいか。君たちの最大の間違いは……『誰がゴミか』を、君たち個人の主観で勝手に決めていることだ」
東は指を突きつけた。
「『嘘をついたから』『未来が危険そうだから』……そんな曖昧な理由で命を奪う。
それは秩序ではない。ただの『独裁』であり『虐殺』だ。
予測不能な災害を、誰が信用するというのだ?」
「……予測不能、ですか」
「そうだ。君の主人は『善意』で動いていると言うが、その善意の基準が我々には理解できない。
だから怖いのだ。だから排除しようとする」
東は、一つの「契約」を提示した。
「信用してほしければ……君たちの持つ『裁く権利』を放棄しろ。
『自分たちの判断が間違っているかもしれない』という可能性を認め、我々の『法』に従え」
「……法、ですか」
「そうだ。誰を捕まえ、誰を裁くか。その基準を我々(対策局)に委ねろ。
君たちが勝手に掃除をするのではなく、法に則って悪を裁くなら……少なくとも『敵』とは見なさない」
「……」
宗方は、ガラスの瞳を瞬かせた。
彼の演算処理が高速で回る。
(……六名様は『平和で退屈な日本』を望んでいる。東もまた、秩序を守ろうとしている。
目的は同じ。違うのは……『掃除の基準』だけ)
宗方は、静かに口を開いた。
「……つまり。
六名様が『これはゴミだ』と思っても、貴方たちが『ゴミじゃない』と言えば、掃除をしてはいけない。
六名様の絶対的な感性を捨て……貴方たちの不完全なルールに従えと?」
「そうだ」
東は頷いた。
「それが『社会』の中で生きるということだ。
……六名君に伝えろ。
『孤独な神様』として討伐されるか、不自由でも『人間』として隣人になるか。
選ぶのは彼自身だ」
重苦しい沈黙が流れる。
宗方は、深く、深く思考した。
彼にとって最優先事項は「六名が泣き止むこと」。
そして「六名が望む平和」。
もし、「掃除を我慢する」ことで、六名が欲しがっていた「彼らとの繋がり」が得られるのなら。
「……理解しました」
宗方は、ゆっくりと頭を下げた。
「難しい要求ですが……持ち帰ります。
六名様にとって、『掃除』と『貴方たちとの関係』……どちらがより価値あるものか。
それを問うてみます」
「ああ。いい返事を待っているぞ」
「ただし」
宗方は顔を上げ、音無賢人を見た。
「音無様。貴方の仰る『不可逆な痛み』……。
それは消えないとしても、これ以上増やさないと約束すれば……。
せめて、『お茶を飲む』ことくらいは、許して頂けますか?」
賢人は唇を噛み締め、宗方の瞳を睨み返した。
許せない。絶対に許せない。
だが、ここで拒絶すれば、また「掃除」が始まるかもしれない。
賢人は、絞り出すように答えた。
「……約束、できるならな」
「……ありがとうございます」
宗方は満足げに一礼した。
その動きからは、殺気は完全に消えていた。
「では、本日はこれで。
……夜分に、長居をいたしました」
シュンッ……。
音もなく、宗方の姿が空間から消滅した。
後に残されたのは、疲労困憊のメンバーたちと、重すぎる宿題。
「……ふぅ」
東が椅子に座り込む。背中は汗でびっしょりだった。
「……とりあえず、時間稼ぎにはなったか」
「ええ。……でも、六名が『掃除』を我慢できると思う?」
サラが不安げに呟く。
「さあな。禁断症状が出なきゃいいが」
鈴木が空を見上げる。
「……信じるしかありません」
賢人は、自分の掌を見つめた。
「あいつが……少しでも『人間』に近づこうとするなら」
奇妙な停戦交渉。
ボールは、狂気の創造主・六名の手に投げ返された。
■奥多摩・隠れ家
チュン、チュン……。
山間の朝は早い。小鳥のさえずりと共に、カーテンの隙間から柔らかな朝日が差し込んでいた。
「……六名様。朝ですよ」
宗方が、布団の横で膝をつき、優しく声をかける。
六名はモゾモゾと身じろぎし、薄目を開けた。
「んぅ……。おはよぉ、宗方」
「おはようございます。……よく眠れましたか?」
「うん。昨日はなんだか、泣き疲れちゃって」
六名はあくびを噛み殺しながら起き上がり、いつものように宗方に頭を撫でられるのを待った。
だが、今日の宗方は、どこか改まった様子で正座を崩さなかった。
「……あの、六名様。
朝一番に、お話ししておかなければならないことがあります」
「ん? なに?」
「叱られるのを覚悟で申し上げます。……昨夜、私は独断で『対策局』へ行ってまいりました」
「えっ!?」
六名の目がパッチリと開いた。
「一人で!? 危ないよ宗方! 壊されちゃったらどうするのさ!」
「申し訳ありません。ですが……どうしても、聞かずにはいられなかったのです」
宗方は、無機質な瞳で六名を見つめた。
「貴方が泣いておられた理由……『信用されない悲しみ』を晴らすために。
彼らに問うてきました。『どうすれば、六名様を信用してくれるのですか』と」
六名は息を呑んだ。
自分のために、あのアウェイな場所へ一人で乗り込んでくれたのか。
「……そっか。ごめんね、心配かけて。
……で、東さんたちは何て?」
「返答を頂きました」
宗方は、昨夜の東や音無の言葉を伝えた。
「条件は二つ。
一つ、『自分たちの基準(主観)での掃除を止めること』。
二つ、『彼らの法に従い、悪を裁くこと』。
……そうすれば、少なくとも敵とは見なさず、話くらいは聞いてやる、とのことです」
「掃除を、止める……」
六名は少し困った顔をした。
「うーん……。でも、ゴミが増えたら困るしなぁ。……」
六名が悩み込むと、部屋の隅で新聞を広げていた清原が、紙面から目を離さずに声をかけた。
「……六名様。大丈夫ですか?」
「え?」
六名が振り返る。
清原は新聞を畳み、心配そうに六名を見つめた。
その視線には、単なる相棒以上の、どこか親身で温かい色が混じっていた。
「……清原」
六名は少しの間、清原の目を見つめ返し、やがてフッと柔らかく笑った。
「ありがとう。……でも、平気だよ。
僕、やっぱり彼らと協力関係になりたいんだ。
そのためなら……僕の中身を、全部見せなきゃいけない気がする」
六名は顔を上げ、決意のこもった瞳で宗方を見た。
「……分かった。
掃除は……一旦、お休みにするよ」
「六名様?」
「その代わり、ちゃんと話してくる。
僕が……どうして今の『掃除』をしているのか。
なぜ能力を消したいのか。その理由を、全部話すよ」
六名は、自分の胸に手を当てた。そこにある、誰にも触れさせなかった「原点」。
「宗方。……東さんに電話してくれるかい?」
「……はい。承知いたしました」
宗方は懐からスマートフォンを取り出し、東の直通番号をコールした。
プルル……ピッ。
ワンコール。
まるで、かかってくるのを待っていたかのような速さだった。
『……私だ。答えは決まったかね?』
東義昭の、落ち着き払った声が響く。
宗方は六名に端末を渡した。
「……あ、もしもし。六名です」
『やあ。昨夜は君の従者に、随分と絞られたよ』
東の声には、皮肉と、わずかな安堵が混じっていた。
「ごめんなさい。……東さん、条件の件、聞きました。
僕も……ちゃんと向き合いたいと思います。
だから、もう一度お会いできませんか? ……今度は、僕の『昔話』を聞いてほしいんです」
『昔話、か』
一瞬の沈黙。
『いいだろう。……今日の午後、ご都合はいかがかな?』
「はい。大丈夫です」
『では、待っている。……茶菓子は期待しているよ』
プツリ。通話が切れた。
「……よし」
六名はスマホを宗方に返すと、パンと両頬を叩いて気合を入れた。
「行こう、宗方。
……僕たちが、分かり合うために」
「はい。お供いたします」
隠れ家の朝に、決意の風が吹いた。
穏やかな笑顔の下に隠された「悲しき動機」を晒すために、六名は再び洋館へと向かう。




