第42章 歪んだ純粋すぎる少年
■前夜・深夜の東京23区
丑三つ時。静まり返った東京のオフィス街を、異様な集団が歩いていた。
先頭を歩くのは、軍服姿の男——グレイ。
その後ろには、手枷足枷をつけられ、虚ろな目でふらつく囚人服の男——氷川智宏。
そして、彼らを監視するラフな格好の男——清原と、完全武装した護衛兵数名。
「……ここだ。やれ」
交差点のど真ん中で、グレイが短く命じた。
氷川は抵抗する気力もなく、ただ機械のように前に出た。
「……『氷』……」
氷川がアスファルトに手をかざす。
ヒュオッ……!
地面から鋭利な氷の柱が、槍のように夜空へ突き上げられた。
街灯よりも高く、ビルの3階部分に届くほどの巨大な氷柱。
「観測しろ」
「イエッサー。……レーザー計測、完了」
護衛の一人が手元の端末を読み上げる。
「高さ、39メートル。……記録更新です」
「よし」
グレイが満足げに頷く。
沖縄では10メートル程度だった能力が、東京の中心部では約4倍に跳ね上がっている。
「清原君」
「はいはい」
清原が面倒くさそうに手を振る。
「——『清』」
バシャァッ!
巨大な氷柱が一瞬にして融解し、大量の水となってアスファルトにぶちまけられた。
水は側溝に流れ込み、一部は路面に残って黒く濡れそぼる。
「次だ。ポイントを変える」
一行は移動し、また別の場所で同じことを繰り返す。
皇居周辺、渋谷、新宿……。
「……高さ35メートル」
「……高さ41メートル! ここが最大値です」
「……高さ38メートル」
氷川は限界を超えて酷使され、鼻血を出しながら氷を生成し続けた。
そしてその度に清原が水に戻す。
「ハァ……ハァ……。も、もう……無理だ……」
氷川がその場に崩れ落ちる。
空が白み始め、遠くで早朝の清掃車の音が聞こえてきた。
「……撤収だ」
グレイはデータを保存し、踵を返した。
「人目につく前に離脱する。氷川を運べ」
■早朝・某所のヘリポート
人里離れた河川敷。待機していた黒いヘリに、泥のように眠る氷川が担ぎ込まれる。
ローターが回り始め、機体が浮上した。
機内で、清原がコーヒーを飲みながらグレイに話しかけた。
「……お疲れ様です、司令。
データ、揃いましたね」
「ああ」
グレイはタブレットの地図上に、能力の強度データをマッピングしていた。
東京を中心とした同心円状に、数値が高くなっている。そして、その中心点(特異点)が絞り込まれつつあった。
「もう少しで……『核心』に届きそうですね」
清原が地図を覗き込む。
「そうだな。
能力の源泉……あるいは『特異点』の正体。それが分かれば、あの方もきっと…」
(私は何を…あの方とは…誰だ…?)
その時、ヘリの通信士がヘッドセットを押さえ、緊張した面持ちで振り返った。
「し、司令! 本国より緊急入電です!」
「なんだ」
「『直ちに作戦行動を中止し、帰還せよ』との命令です。
これ以上の独断専行は認められない、と……」
グレイの手が止まる。
本国は、同盟国である日本での無許可な軍事行動を問題視し始めたのだ。
通常であれば、軍法会議ものの命令違反だ。即座に従うのが軍人の鉄則。
だが、グレイは顔色一つ変えずに言った。
「無視しろ」
「は……?」
通信士が耳を疑う。
「で、ですが! 軍の帰還命令に背くと、反逆罪に問われる可能性が……!」
「聞こえなかったのか?」
グレイは、氷点下の視線を通信士に向けた。
その瞳には、軍人としての忠誠心など微塵もなく、ただ己の目的のためだけに動く狂気だけが宿っていた。
「無視しろと言ったんだ。
……電波障害で聞こえなかったことにしておけ」
「ひッ……!」
通信士が震え上がり、言葉を失う。
見かねた清原が、肩をすくめて助け舟を出した。
「まぁまぁ。グレイさんがそう仰ってるんですから……ね?」
清原は人の良さそうな、しかし目が笑っていない笑顔を向けた。
「逆らう方が、今の君にとっては『危険』だよ?」
「……は、はいっ! 了解しました! 通信途絶を装います!」
通信士は慌てて無線機のスイッチを切った。
グレイは窓の外、眼下に広がる東京の街並みを見下ろした。
朝日に照らされた街のあちこちに、昨夜の実験で残された「濡れた路面」が点在している。
グレイは独りごちた。
「もう少しだ。…神の正体を暴くまでは……神?」
国家すら敵に回した様子がおかしい司令官を乗せて、ヘリは東京の空へと消えていった。
■奥多摩・旧採石場近くの一軒家
夕闇が迫る山道。
人里離れた採石場の奥、地図にも載っていない古びた平屋の前に、空間が揺らぎ、六名が姿を現した。
「……ふぅ。着いた」
六名が伸びをすると、玄関脇にある犬小屋から、一匹の雑種犬が元気に飛び出してきた。
「ワォン! ワォン!」
「あはは、ただいまコタロウ! いい子にしてた?」
六名はしゃがみ込み、尻尾をちぎれんばかりに振るコタロウの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
温かい毛並み。湿った鼻先。
六名にとって、この温もりだけが、自分がまだ「こちらの世界」にいることを実感させてくれる数少ない感触だった。
「よしよし。……お腹空いたろ? 今、宗方を呼ぶからね」
六名はコタロウに手を振ると、ガララ……と引き戸を開けた。
「たっだいまー!」
奥の土間から、パタパタと小走りでやってくる人影があった。
ウインドブレーカーの上から、フリル付きのエプロンをした宗方だ。
「お帰りなさいませ、六名様。……お怪我はありませんか?」
「うん、全然大丈夫! 誰も手出ししてこなかったよ」
六名は靴を脱ぎながら、ふぅと息を吐いた。
「でもさぁ……やっぱり皆に怒られちゃったよ。
『ふざけるな!』って。『寺土はやり過ぎだ』『危険すぎる』って散々言われちゃった」
六名が頬を膨らませると、宗方は優しく頷いた。
「……でしょうね。そう仰ると思いました。
あのような怪物が街中で暴れれば、掃除どころか破壊になってしまいますから」
「だよねぇ。僕も反省したよ」
六名は居間へと上がり込む。
「だからね、提案してきたんだ。
『怪獣を使うのはやめて、僕が直接、元勅使河原組の皆さんを掃除(殺)していいですか?』って」
「ほう。直接交渉ですか」
「うん! 東さんは賢い人だから、即決は出来ないって言ってたけど……連絡先を置いてきたよ。
多分、近いうちに『お願いします』って連絡が来ると思うから、それまで待っててよ?」
「それは良いですね」
宗方は満足げに頷いた。
「東さんのような聡明で合理的な方でしたら、きっと正しい判断……『掃除』の許可を下してくれることと思いますよ」
宗方は六名のそばに歩み寄ると、その髪を愛おしそうに撫でた。
「……よく頑張りましたね、六名様」
「えへへ……」
ギチッ……ギチチッ……
宗方の手が触れるたび、六名の首や肩の関節が、生物とは違う硬質な音を立てた。
だが、六名は痛みを感じるどころか、蕩けるような至福の笑顔で、その感触を満喫していた。
「あ、そうだ宗方! 僕、お腹すいた!」
六名は唐突に顔を上げた。
「今日はお婆ちゃんちでお茶請け食べただけだから、ペコペコだよ!」
「ふふ。そう仰ると思って、もう用意してありますよ?」
「わぁ! さすが宗方!」
六名は奥の居間へと走った。
ちゃぶ台の上には、一人分の夕食が丁寧に並べられていた。
炊きたての白飯、湯気を立てる豆腐の味噌汁、焼き魚、甘い卵焼き。そして、真っ赤なキムチ。
「やったぁ! 僕の好きなものばっかりだ!」
六名は目を輝かせ、ちゃぶ台の前にドスンと座り——勢いよく手を合わせようとした。
「——六名様?」
背後から、宗方の静かな、しかし厳しい声が飛んだ。
「……あ」
六名が固まる。
「手洗い、うがいは済ませましたか?」
「……あー」
「外の菌を持ち込んではいけませんと、いつも言っていますよね?」
「そ、そうだった忘れてた! へへへ、ごめんなさい!」
六名は頭をかきながら立ち上がり、脱衣所兼洗面所へと駆け込んだ。
「……もう。世話の焼ける創造主様ですね」
宗方はやれやれと首を振ると、土間に置いてあったドッグフードの袋を手に取った。
「……さて。六名様が手を洗っている間に」
宗方は玄関を開け、外で待つコタロウの元へ向かった。
「お待たせしました、コタロウさん。ご飯ですよ」
「ワンッ!」
ザラララ……。
宗方が器に餌を入れると、コタロウは嬉しそうにガツガツと食べ始めた。
宗方はその様子を、無機質な瞳でじっと見つめ、そっと頭を撫でた。
「……たくさんお食べなさい。六名様を守る、番犬なのですから」
ギチッ。
宗方の指関節が鳴る。コタロウは気にせず餌を食べ続ける。
数分後。
「手、洗ったよー!」
濡れた手を服で拭きながら、六名が戻ってきた。宗方もタイミングよく戻り、手を拭いている。
六名は改めてちゃぶ台の前に正座し、手を合わせた。
「それじゃあ……頂きます!」
六名は箸を取り、焼き魚を口に運ぶ。
「ん〜! 美味しい! 焼き加減最高!」
「はぁ〜、味噌汁が染みるぅ……」
パクパクと、幸せそうにご飯を頬張る少年。
その向かい側に、宗方は正座して座っていた。
だが、宗方の前には食事はない。箸もない。
宗方はただ、静かに六名の食事風景を見つめていた。
その顔は、あまりにも整いすぎていた。
毛穴の一つもない陶器のような肌。ガラス玉の瞳。
関節の継ぎ目が見える指先。
宗方は人間ではない。六名の能力によって命を与えられた、精巧なマネキンだった。
彼は食事を必要としない。味も分からない。
だが、六名が「美味しい」と笑うたび、その無機質な顔には、人間以上の慈愛と喜びが滲み出ているように見えた。
「……宗方も食べる?」
六名が卵焼きを差し出す。
「いえ。私は六名様が美味しそうに食べてくださるだけで、お腹がいっぱいですから」
「そっか。……じゃあ、僕が宗方の分まで味わってあげるね!」
「はい。……たくさんお食べください」
外では犬が鳴き、家の中では箸の音が響く。
ちゃぶ台を囲む、一人と一体。そして一匹。
外の世界では「狂気」と呼ばれる彼らの生活は、ここではどこまでも温かく、そして悲しいほどに平穏だった。
■洋館・食堂
日夜続く対策局の会議は、最終的な、そして最も重い結論に達しようとしていた。
議題はシンプルだ。「六名をどうするか」。
「……議論の余地はないな」
東義昭が冷徹に切り出した。
「奴の思想は『独自の価値観による殺人』だ。説得も交渉も不可能。放置すれば、音無君や君たちだけでなく、日本中の覚醒者が『掃除』される。……結論を出そう」
その言葉を皮切りに、メンバーたちが口々に意見を述べ始めた。
「元警察官としては……逮捕して法の裁きを受けさせるべきだと言いたいところだが」
谷雄一が苦渋の表情でタバコを揉み消した。
「奴には従者の宗方がいる。どれだけ厳重な独房に入れようが、転移で逃げられちまう。……拘束し続けるのは物理的に不可能だ」
「同感です」
白川真純も硬い表情で続く。
「彼の精神鑑定をするまでもありません。彼の倫理観は根底からズレています。『善意で殺す』人間を更生させるプログラムなど、現代の司法には存在しません。……野放しにすれば、被害は幾何級数的に増えます」
「軍事的な観点からも、奴は『歩く大量破壊兵器』だ」
アレックス・ターナーが腕を組む。
「寺土クラスの怪物を複数出せるなら、それはもう軍隊だ。交渉のテーブルに着く相手じゃない。……脅威は、排除するしかない」
「僕も……賛成です」
髙橋俊明が眼鏡を直す手が震えている。
「正直、怖いです。あんなのが娘の住む街を歩いていると思うと……。
自分の家族を守るためなら、僕は……人殺しの片棒を担ぐ覚悟もあります」
「俺もだ」
鈴木浩三が吐き捨てるように言った。
「あいつは災害だ。台風や地震と同じで、話し合いなんか通じねぇ。被害が出る前に止めるには、息の根を止めるしかねぇだろ」
警察、軍人、一般市民。立場は違えど、全員が「共存不可能」という結論に達していた。
最後に、音無賢人が静かに口を開いた。
「……異論はありません。奴は、俺の両親を『掃除』した殺人鬼です。
これ以上、あいつの自分勝手な『正義』で、誰かが泣くのは見たくありません」
全員の視線が交錯する。
方針は決まった。「六名の抹殺」だ。
ただ一人、幸田美咲だけが悲しげに俯いていた。
「……でも、殺すなんて……」
美咲の声が震える。
「あんなに普通に喋って、笑っていた人なのに……。お茶が美味しいって言える人なのに。
本当に、殺さなきゃダメなんですか? 他に止める方法は……」
殺人への忌避感。それは人間として正常な感覚だ。
だが、今の状況ではその優しさが全滅を招く。
「おい、お嬢ちゃん」
田治見薫が、けだるげに口を開いた。
「医者として教えてやるよ。あいつはな、人間じゃねぇ。『悪性腫瘍』だ」
「ガン……?」
「ああ。正常な細胞(社会)を食い荒らして、増殖して、最後は宿主を殺す。
ガン細胞に『お願いだから止まって』って言って通じるか? 無理だろ」
田治見は美咲の目を真っ直ぐに見据えた。
「手術と一緒だ。患者(世界)を生かすためには、患部を切り取って捨てるしかねぇんだよ。
……それが、生き残るってことだ。泥を被る覚悟を決めな」
「…………」
美咲は唇を噛み締め、しばらく沈黙した後、小さく頷いた。
「……分かりました。完全に同意はできませんけど……皆さんがそう言うなら、納得します」
これで全員の意思が統一された。
「次は『どう殺すか』だ」
アレックスが地図を広げる。
「接近戦はリスクが高い。音無のステルスでも、奴には勘づかれていた可能性がある。一撃で仕留め損なえば、宗方の転移で逃げられるか、反撃で全滅だ」
「なら、私たちが目になるわ」
サラが提案する。
「まずは髙橋さんの転移を使って、私とアレックスが六名の住処(採石場)の近くに潜伏する。
そこでカメラやセンサーを設置して、奴らの生活パターンと防衛能力を丸裸にするわ」
「そして、攻撃手段ですが……」
髙橋が手を挙げた。
「アウトレンジ(射程外)攻撃はどうでしょう?
生活パターンを見極めたら……奴が家で寝ている時に、上空から数トンの巨大な岩を転移させて、家ごと押し潰すんです」
「岩石落としか。原始的だが確実だな」
鈴木が頷く。
「採用しよう」
東が顎を撫でる。
「だが、念には念を入れる必要がある。奴らは能力者だ。ただの岩では防がれるかもしれん。
……サラ君、アレックス君。カメラを仕掛ける際、周囲の木々に『鈴』も設置してこい」
「鈴、ですか?」
「ああ。鈴木君の能力のトリガーだ。
もし仕留め損なった時、あるいは宗方に転移で逃げられそうになった時……風で揺れるだけでも、『鈴の音』が鈴木君の能力範囲内なら奴らの能力を阻害できるかもしれん」
「なるほどな!」
鈴木が膝を打った。
「俺がその近くにいれば鈴さえありゃあ牽制にはなるってか!
さすが頭がキレる人は違うなぁ!」
「フン。褒めても何も出んぞ」
東は素っ気なく返したが、作戦は固まった。
「監視・岩石爆撃・鈴による封殺」の三重の罠だ。
話し合いがひと段落し、休憩の空気が流れる。
鈴木はふと、テーブルの隅に置かれたままになっていた「赤い瓶」に目を止めた。
六名が置いていった、手作りキムチだ。
「……なぁ髙橋さん」
鈴木が瓶を指差す。
「これの分析結果、毒は無かったんだよな?」
「ええ」
髙橋は分析書類を見ながら首を振った。
「科捜研のデータによれば、毒物反応は一切なし。
それどころか、保存料すら使っていない完全無添加。市販の唐辛子と、現地の湧き水を使った自然食品だそうです」
「へぇ……」
鈴木はゴクリと喉を鳴らした。
「なら、食っても平気ってことだよな?」
「ちょ、鈴木さん!?」
白川が悲鳴を上げる。
「正気ですか!? 殺人鬼が置いていった物ですよ!?」
「毒がねぇなら、ただの漬物だろ。腹減ったしよぉ」
鈴木は躊躇なく瓶の蓋を開けた。
プシュッという音と共に、ツンとした辛味と、食欲をそそる芳醇な酸味のある香りが広がる。
鈴木は箸でひと摘みし、口に放り込んだ。
ボリッ、ボリボリ。
全員が固唾を呑んで見守る中、鈴木の目がカッと見開かれた。
「……う、美味いぞコレ!」
「えぇ……?」
サラがドン引きする。
「嘘でしょ?」
「マジだって! 辛さの中に深い甘みがあって、コクがすげぇ!
おい田治見、お前も食ってみろ! 酒が進む味だぞ!」
「あぁ? ……毒見済みなら貰うか」
田治見も箸を伸ばし、パクリと食べた。
「……ん! ほんとだ、良いねぇ!
市販のより全然美味いじゃねぇか。ビール持ってこい!」
「お、俺も一口……あ、本当だ」
「ご飯が欲しくなりますね……」
恐る恐る食べた谷や音無も、その味を認めざるを得なかった。
プロ級どころではない。料亭で出されてもおかしくない、手間暇かけられた極上の味。
「…………」
東も一口食べ、無言で箸を置いた。
美味しい。悔しいほどに、優しい味がする。
「……本当にお裾分けだったんだな」
鈴木がポツリと呟いた。
毒も、罠も、悪意すら入っていない。
ただ純粋に、「美味しいから食べてほしい」という善意だけで作られた料理。
「殺しの宣言をしに来て、これかよ……」
美味であればあるほど、彼らの胸には「理解できない存在」への恐怖と、割り切れない不思議な気持ちだけが残った。
舌に残るピリリとした辛さが、これからの戦いの苛烈さを予感させていた。




