第41章 192名の墓標
■洋館・音無の個室
「……う、ぐ……」
音無賢人は、重い瞼を開けた。
首筋に鈍い痛みがある。アレックスに手刀を落とされた場所だ。
視界がぼやける。見慣れない天井。そして、鼻を突くアルコールと消毒液の混じった臭い。
「お、目覚めたか。眠り姫」
枕元から、しゃがれた声がした。
視線を横に向けると、パイプ椅子に足を組み、点滴のチューブを調整している田治見薫がいた。
その手には医療器具ではなく、いつもの缶チューハイが握られている。
「……田治見、先生……?」
賢人は跳ね起きようとした。
六名のこと、両親のこと、逃げた仇のこと……全ての記憶が濁流のように押し寄せたからだ。
「あいつは! ……六名はどこだ!」
「動くなバカ」
田治見は賢人の肩を片手で突き飛ばし、ベッドに縫い付けた。
女とは思えない力だ。いや、今の賢人が弱りきっているのだ。
「……離してください。俺は行かなきゃ……!」
「行ってどうする? 死にに行くのか?」
田治見は冷ややかな目で見下ろした。
「さっきのアンタの攻撃、見たぜ?
気配を消すのも忘れて、ただ正面から突っ込んで……。
あんなの、『殺してくれ』って言ってるようなモンだ」
「……ッ!」
「あの金髪が止めてなきゃ、アンタ今頃、あの優男(六名)に消されてたぜ?」
田治見は賢人の腕を掴み、乱暴に点滴の針を刺した。
「いっ……何をするんですか」
「栄養剤と、精神安定剤のスペシャルカクテルだ。黙って打たれとけ」
田治見は酒を一口あおり、タバコに火をつけフゥーッと煙を吐いた。
「いいか、小僧。医者として教えてやる。
今のテメェの脳内は、怒りとアドレナリンで焼き切れ寸前だ。
思考力は低下、視野は狭窄、筋肉は強張りっぱなし。……そんなボロ雑巾みたいな状態で、あんな『規格外』を殺せると思ってんのか?」
賢人は唇を噛み締めた。
悔しいが、図星だった。あの一瞬、自分は何も見えていなかった。
「……じゃあ、どうすればいいんですか。
あいつは……あいつは笑いながら、俺の両親を『掃除』したんですよ!?
許せるわけないだろ……!」
賢人の目から涙が溢れる。
田治見はそれを見て、ふん、と鼻を鳴らした。
「誰が許せって言ったよ」
田治見は顔を近づけ、ドスの利いた声で囁いた。
「殺せよ」
「え……?」
「親を殺されてヘラヘラしてられる奴なんざ、人間じゃねぇ。
復讐心? 結構なことじゃねぇか。
アタシだって、もし大事なモン奪われたら、相手の内臓引きずり出してホルマリン漬けにしてやるよ」
田治見はニヤリと、凶悪な笑みを浮かべた。
「だがな、やるなら『勝て』。
感情任せに突っ込んで犬死にするのは、ただのバカだ。
相手を確実に地獄に送るために、飯を食い、寝て、研ぎ澄ませ。
……復讐こそ、冷静に、精密にやるもんだ。手術と一緒だよ」
田治見は点滴の滴下速度を調整した。
薬液が体に入り、賢人の高ぶった神経が強制的に鎮められていく。泥のような眠気が襲ってくる。
「……今は寝ろ。
次に目が覚めた時、テメェがまだ泣き言を言ってるようなら……アタシが脳みそいじくって、感情を感じない廃人にしてやる」
「……はは。先生の言うことは……いつも過激ですね……」
賢人の瞼が重くなる。
だが、その胸の中の黒い炎は、消えることなく、静かに青く燃え始めていた。
「……頼みます。俺を……直してください。
あいつを……殺せるように……」
「あいよ。任せときな」
田治見は賢人が眠りに落ちたのを確認すると、空になった缶を握りつぶした。
「……ったく。難儀な患者ばっかりだ」
彼女は立ち上がり、部屋を出ようとして——ふと振り返り、眠る賢人にボソリと呟いた。
「死ぬんじゃねぇぞ、クソガキ。
……アンタが死んだら、あのお嬢ちゃん(幸田)が泣くぞ?」
バタン。
ドアが閉まる。
悪徳医師なりの「治療」を終え、彼女は再び酒を求めて廊下へと消えていった。
■洋館・食堂
ガチャリ。
重苦しい沈黙が支配する食堂のドアが開き、田治見薫が戻ってきた。
片手には新しい缶チューハイ、もう片方の手で肩を回している。
「……ふぅ。一丁上がりだ」
田治見は椅子にドカりと座ると、不安げな視線を向けるメンバーたちに向かって、あくび混じりに手を振った。
「心配すんな。栄養剤と、馬でも眠るレベルの鎮静剤をぶち込んでやった。
今は泥のように眠ってるよ。……目が覚めたら、少しは頭も冷えてるだろ」
「そうですか……。よかった」
幸田美咲が胸を撫で下ろす。鈴木や髙橋も、張り詰めていた肩の力を抜いた。
「感謝する、田治見先生」
東義昭が短く礼を言うと、すぐに表情を引き締め、場の空気を塗り替えた。
「さて……。感傷に浸っている時間はない」
東はテーブルの中央に残された、唯一の物理的な証拠——不気味な赤い瓶『手作りキムチ』を見据えた。
そして、先ほど自らの手で灰皿の中で燃やしたメモの灰を一瞥した。
「相手は、こちらのセキュリティを無効化し、神出鬼没に現れる規格外だ。
だが、実体を持って現れ、痕跡を残した以上……そこから手繰り寄せられる糸は必ずある」
東は立ち上がり、矢継ぎ早に、しかし重みのある指示を飛ばした。
「我々も、出来ることから始めるぞ。総員、配置につけ!」
「「「了解!」」」
「サラ君!」
「Yes, Boss.」
サラ・コッホが即座に端末を開く。
「あのメモは燃やしたが……住所と電話番号は記憶しているな?」
「当然よ。脳内のハードディスクに焼き付けてあるわ」
サラはこめかみをトントンと叩いた。
「よし。その住所を洗え。
登記情報、過去の住人、電気・水道の使用量……。
人が住んでいるなら必ずライフラインの痕跡がある。逆に『何もなければ』それもまた情報だ。
加えて、街頭の監視カメラ網をハッキングして過去の映像を遡れ。『六名』らしき人物がどこから来て、どこへ消えたか……その移動ルートを特定しろ」
「任せて。デジタルの足跡なら、幽霊だろうと見つけ出してみせるわ」
「アレックス君!」
「ああ」
「警備システムの再構築だ。
なぜ奴はセンサーに映らなかったのか? 熱源を消したのか、認識を阻害したのか、あるいは転移か。
……物理的な侵入を完全に防ぐのが不可能だとしても、せめて『侵入されたこと』を確実に検知できる、アナログも含めた泥臭いシステムを組み直せ」
「了解した。……プロのプライドにかけて、二度は入らせん」
アレックスがサングラスをかけ直し、闘志を燃やす。
「谷君、白川君!」
「はい!」
「君たちは過去の事件の洗い直しだ。
未解決の失踪事件、変死事件、あるいは事故死として処理された案件の中で……被害者の苗字に『神』『鬼』『魔』などの特殊な漢字が含まれているものをピックアップしろ」
東は目を細めた。
「六名は言っていた。『表札を見て回った』と。
音無君の両親以外にも、奴の歪んだ『掃除』の犠牲者が必ずいるはずだ。
犯行現場の分布図を作れば、奴の拠点あるいは行動範囲が絞り込めるかもしれん」
「分かりました! プロファイリングは任せてください!」
白川が力強く頷く。
「そして、髙橋君」
「は、はい!」
東はテーブルの上の『キムチ』を指差した。
「君はこれを……食品分析センター、あるいは科捜研へ持ち込め」
「えっ? キムチを、ですか?」
「そうだ。詳しい成分表を出させろ。
使われている野菜の品種、土壌の成分、そして何より『水質』だ。
『ウチで漬けた』と言うなら、そこには必ず、奴のアジト周辺の環境情報が含まれている」
東は冷徹に告げた。
「たとえデジタル上で住所を偽装していても、物理的な成分は嘘をつかん。
特定地域の地下水や、特殊な肥料の成分が出れば、そこが奴の本当の居場所だ」
「なるほど……! 了解です、行ってきます!」
髙橋は慎重にキムチの瓶を抱え、転移の準備に入った。
「鈴木君!」
「おう!」
「君はこの食堂で待機だ。
奴がいつ戻ってくるか分からん。あるいは、奴が言っていた『宗方』という別の能力者が来るかもしれん。
不測の事態が起きた時、即座に『鈴』を鳴らして場を制圧できるのは君だけだ」
「へっ、番犬代わりか。上等だ、任せとけ!」
鈴木はポケットの鈴を握りしめ、仁王立ちになった。
「幸田君!」
「は、はい!」
「君は全員分の食事を作ってくれ。
頭を使えば腹が減る。長期戦になるぞ。兵站(食事)はこのチームの要だ。
……それと、無理に明るく振る舞う必要はないが、君がここにいてくれるだけで、皆の救いになる」
「わ、分かりました! 栄養満点のご飯、作ります!」
美咲がエプロンの紐を締め直す。その顔に少しだけ生気が戻る。
「田治見先生は、引き続き音無君の回復を。
肉体的なケアだけでなく……精神的な変調がないか、目を光らせておいてくれ。
あいつが目覚めた時、復讐心に飲まれて壊れていないか、判断できるのはあんただけだ」
「へいへい。高い酒の分は働いてやるよ」
田治見は空き缶を握りつぶした。
東は全員を見渡し、力強く告げた。
「相手は未知数だ。だが、実体がある以上、必ず尻尾はある。
……狩り出すぞ。反撃開始だ」
「「「オウッ!!」」」
号令と共に、メンバーが一斉に動き出す。
キーボードを叩く音、資料をめくる音、包丁のリズム。
静まり返っていた洋館が、再び熱気を帯びて稼働し始めた。
最強のチームによる、正体不明の敵への追跡が始まった。
■洋館・リビング(数時間後)
日は完全に落ち、窓の外は漆黒の闇に包まれていた。
だが、洋館の中は熱気に満ちていた。
「——戻りました!」
シュンッ!
空間が歪み、髙橋俊明がリビングの中央に着地する。手には分析結果の入った封筒を握りしめている。
「ご苦労。どうだった?」
東義昭がコーヒーカップを置いて迎える。
「ビンゴです、先生!」
髙橋は興奮気味に書類を広げた。
「科捜研の知人に無理を言って、最優先で回してもらいました。
あのキムチ……野菜自体は市販の種ですが、漬け込むのに使われた『水』と、容器の底に付着していた微量の『土壌』。これが決定打になりました」
「ほう?」
「水は、硬度が極端に高い湧き水です。そして土壌からは、特定の火山灰層に含まれる成分が検出されました。
都内でこの条件が重なる場所は、一箇所しかありません」
髙橋は地図上の一点を指差した。
「奥多摩の山間部、旧・採石場跡地周辺です」
その報告を聞いて、パソコンに向かっていたサラ・コッホが弾かれたように顔を上げた。
「Bingo! 繋がったわ!」
サラはキーボードを叩き、メインモニターに地図とデータを投影した。
「私が追っていた『住所』のデータとも合致するわ。
六名が口頭で教えた住所……登記上は存在しない『幽霊番地』だったけど、GPS座標と照らし合わせると、まさにその採石場を指している」
サラはさらに別のウインドウを開く。
「街頭カメラの映像も洗ったわ。彼らしき人物が、そのエリアのバス停で降りて、山へ入っていく姿が数回確認されてる。……宗方の転移を使わず、あえて徒歩で移動している時もあったみたいね」
「物理的な拠点の位置は特定できたな」
東が頷く。
そこへ、大量の資料の山に埋もれていた谷雄一と白川真純が、疲労困憊ながらも確信に満ちた顔で顔を上げた。
「……東先生。こっちも出ましたよ」
谷がファイルを提示する。
「過去1年間の未解決失踪事件と不審死。
被害者の苗字を洗いましたが……吐き気がするほど一致してます。
風岡、神谷、破魔、鬼塚……。
名前に『人外』を連想させる漢字を持つ人間が、関東近郊だけで192名が突如行方不明になるか首を絞められて殺されています。その全てにおいて、犯行現場の痕跡が極端に少ない」
「……192人だと?」
鈴木浩三が絶句する。
「……『掃除』、か」
東が苦々しく呟く。
「奴は言っていたな。『平和で退屈な日本に戻したい』と。
そのために邪魔なものを掃除する……。一見、崇高な理想に聞こえるが、その基準はあまりに独善的だ」
東は冷徹に分析した。
「『思いやりや優しさがない人』『秩序を乱す人』。
六名にとって、それらは人間ではなく『ゴミ』だ。
もし放置すれば、奴の定義する『無秩序』の範囲は際限なく広がるだろう。
……最終的には、気に入らない人間を片っ端から消し去る、最悪の独裁者になりかねん」
「許せねぇな……」
鈴木が拳を鳴らす。
「そんな勝手な理屈で、音無の両親も……」
「Security check complete(警備チェック完了)」
窓の外から、アレックス・ターナーが戻ってきた。
「アナログな罠を二重三重に張った。これなら、熱源を消そうが透明になろうが、物理的に『そこに存在する』限りは感知できる」
アレックスは全員の報告を聞き、頷いた。
「場所は割れた。被害の実態も掴んだ。警備も固めた。
……あとは、どう動くかだ」
「皆様、お夜食が出来ましたよ」
幸田美咲が、おにぎりと豚汁を運んでくる。
「頭を使うとお腹が空きますから……。食べてください」
「おお、助かる! 腹ペコだ!」
鈴木が真っ先に手を伸ばす。
東はおにぎりを一つ手に取りながら、ふと田治見薫の方を向いた。
「……田治見先生。音無君の様子はどうだ?」
田治見は缶チューハイを煽り、ダルそうに答えた。
「あぁ? さっき様子見てきたけどよ。
薬も切れて、目は覚ましてるぜ。……ただ、暴れる様子はねぇな。ベッドの上で、坊主みたいに静かに座り込んでやがる」
「……そうか」
東は少し考え、指示を出した。
「連れてきてくれ。……話がある」
「へいへい。鍵開けてくらぁ」
田治見は立ち上がり、ポケットから鍵束を取り出して廊下へと消えていった。
数分後。
廊下のドアが静かに開いた。
「……ほら、入れよクソガキ」
田治見に背中を押され、音無賢人が入ってきた。
まだ顔色は少し青いが、足取りはしっかりしている。
彼は部屋に入ると、全員の視線を受け止めながら、東の前まで歩み寄った。
「先程はすみません……」
賢人の声は、驚くほど静かだった。
先ほどまでの激情の炎は鳴りを潜め、代わりに冷たく澄んだ水面のような静けさが漂っている。
「……頭は冷えたか?」
東が問う。
「はい。……ご迷惑をおかけしました」
賢人は深々と頭を下げた。
「怒りが消えたわけじゃありません。許すこともできません。
でも……感情に任せて突っ込んでも、あいつには届かないことも分かりました」
賢人は顔を上げ、真っ直ぐな瞳で東を見つめた。
「東さん。……お願いがあります」
「言ってみろ」
「今回の作戦……俺も、行かせてください」
賢人は拳を握りしめた。
「一人で行こうとは思いません。皆さんの足手まといになるような真似もしません。
ただ……俺も、チームの一員として戦いたいんです」
復讐のためだけではない。
六名の歪んだ「平和」を止めるため。そして、これ以上自分のような被害者を出さないため。
「あいつの『掃除』を終わらせるために……俺の力を使ってください」
東は賢人の目をじっと見つめ返し、やがてフッと笑った。
「……いい目になったな。
よろしい。許可する」
東は地図上の「奥多摩」の地点に、赤いピンを突き立てた。
「ターゲットは六名、および従者・宗方。
目的は……彼らの『リセット計画』の阻止、および組織の解体だ」
東は全員を見渡し、宣言した。
「総力戦になるぞ。……覚悟はいいな?」
「「「応ッ!!」」」
情報という武器を手に入れた対策局。
見えざる少年の住処へ、逆襲の狼煙が上がろうとしていた。
その熱気の冷めやらぬリビングの隅で、つけっぱなしになっていた大型テレビから、能天気なジングルが流れた。
『——さて、続いては都内で発生している、ちょっと不思議な現象についてです』
ニュースキャスターが、明るい声で切り出した。
画面には、快晴の渋谷や新宿の路上が映し出されている。だが、そのアスファルトはなぜか、雨上がりのように黒く濡れそぼっていた。
『ご覧ください。今日も都内は高気圧に覆われ、雲ひとつない快晴でした。
しかし……なぜか夕方ごろから、「雨も降っていないのに地面がびしょ濡れになっている」という報告が、港区や千代田区を中心に相次いでいるんです』
ワイプ画面の中で、コメンテーターのタレントが首を傾げる。
『へぇ〜? なんででしょうねぇ?
水道管の破裂にしては広範囲すぎますし……打ち水イベントでもあったんですか?』
『いえいえ、水道局も「異常なし」との発表です。
SNSでは「狐の嫁入りだ」なんて話題になっていますが……』
『ハハハ! いやぁ、これはあれですね。
最近景気が悪いから、日本列島が泣いてるんじゃないですか?』
『もう、また適当なことを(笑)。
まあ、湿度が上がって過ごしにくい夜になりそうですね。お洗濯物は部屋干しの方がいいかもしれません』
スタジオの笑い声が響く。
誰も気にしていない。ただの「変な天気」だと思っている。
だが、準備に走るメンバーの中で、東義昭だけがふと足を止め、そのニュース画面を横目で一瞥した。
「…………」
画面の中のアスファルト。
そこから滲み出している水は、ただの水たまりにしては、どこかみぞれのように光っていた。
東は奇妙な胸騒ぎを覚えたが、今は六名への対処が最優先だ。
彼は首を振り、その違和感を頭の隅に追いやって、皆が集まる作戦室へと向かった。
『明日の天気は……』
誰もいなくなったリビング。
テレビだけが、これから訪れる「世界の変質」を、楽しげに報道し続けていた。




