第32章 地下で吼える親分と揺れる事務所の謎
■都市部・地下深層(廃棄された地下鉄工事区画)
ドォォォォォォォン!!
暗闇と湿気が支配する地下空間に、重厚な衝撃音が轟いた。
舞い上がる粉塵。腐った地下水とコンクリートの臭い。
「……ハァ、ハァ、ハァ……! しつこい野郎だ……!」
瓦礫の山の上で、高級スーツを泥と汚水で台無しにした初老の男——勅使河原 州宏が、荒い息を吐きながら前を見据えていた。
彼の視線の先には、絶望的な質量を持った「化け物」が鎮座している。
「グオォォォォォン……」
それは、生物ではなかった。
かつてこの地上にあり、取り壊されたビルの基礎杭、折れ曲がった鉄筋、そして大量の粘土質の土塊。
それらが不格好に融合し、体長6メートルにも及ぶ巨人と化していた。
「また再生しやがったか……。誰が作ったか知らねぇが、悪趣味な工作だぜ」
勅使河原は血の混じった唾を吐き捨てると、右手を掲げた。
「——『河』! 逆巻け!」
ゴウッ!!
地下水路から汚水が龍のように舞い上がり、巨人に向かって殺到する。
水圧による物理攻撃。鉄板さえもひしゃげる威力だ。
だが、巨人は唸り声を上げると、自身の身体を構成する土を波打たせた。
「ガアアアアッ!」
ドスッ!
巨人の足元の地面が隆起し、分厚い「土の壁」となって水の龍を受け止める。
水と土が激突し、泥流となって周囲に飛び散った。
「チッ、守りが堅ぇな……! ならば!」
勅使河原は左手を振るった。
「——『使』! 我が兵となれ!」
周囲に散らばる鉄パイプやコンクリート片が、勅使河原の意志を受けてカタカタと震え出し、即席のゴーレム(使い魔)となって巨人に特攻をかける。
「行け! その土手っ腹に風穴を開けろ!」
使い魔たちが巨人に取り付き、鉄パイプを突き立てる。
しかし、巨人の身体はただの土とコンクリートだ。痛みを感じない。
巨人は巨大な腕を振り回し、使い魔たちをハエのように叩き落とした。
「……くそっ。ラチがあかねぇ」
勅使河原は歯噛みした。
数時間前から、休まず戦い続けている。
この化け物は、ここから地上へ出ようとしている。
もしこんな質量兵器が市街地で暴れれば、ビルの一つや二つは倒壊し、大勢の死人が出る。
(……俺のシマで、そんな真似はさせねぇ)
勅使河原は覚悟を決めた。
最大の切り札を切るしかない。
「……おい、デカブツ。あまり俺を怒らせるなよ?」
勅使河原の瞳に、王者の威圧感が宿る。
彼の最強の能力——『勅』。
対象の精神に直接干渉し、絶対服従を強いるマインドコントロール。
「——『勅』命だ!! その動きを止めろ!! 崩れ去れ!!」
見えない波動が土寺を襲う。
生物であれば即座に自我を失い、自害するほどの強制力。
無生物であっても、その「核」となる意志があれば干渉できるはずだ。
だが。
キィィィィィン……!!
「……なっ!?」
波動が弾かれた。
巨人の身体の表面に、薄い膜のような結界が浮かび上がる。
あらゆる外部からの能力干渉を拒絶する、聖なる守り。
「……弾かれた、だと? 俺の『勅』が通じねぇのか!?」
勅使河原は戦慄した。
土による物理攻撃と、なんらかの能力による能力無効化防御。
攻防一体の要塞。
「グルルルル……!!」
巨人が咆哮し、周囲の壁から無数の土の槍を生成する。
標的は、消耗しきった勅使河原。
「……上等だ。根比べといこうじゃねぇか」
勅使河原はフラつく足で踏ん張り、再び汚水を纏った。
帰りたい場所がある。待っている馬鹿な息子たち(黒田や横手)がいる。
「黒田……横手……。すまねぇな。親父はまだ、帰れそうにねぇ」
勅使河原はニヤリと笑い、迫りくる土の槍に向かって叫んだ。
「来やがれガラクタァ!! この勅使河原州宏が立っている限り、一歩も先へは通さんぞ!!」
地下の闇の中で、誰にも知られることのない死闘は、果てしなく続いていた。
■繁華街・黒田組事務所前
雑居ビルの古びた鉄扉の前で、白川真純は深く、重い溜息をついた。
「……はぁ。まさか、刑事である私が暴力団の事務所に足を踏み入れることになるなんて」
白川は胃のあたりを押さえた。
本来なら摘発に来るべき場所だ。それが「協力(捜査)」のために訪問するなど、警察官としてのプライドが悲鳴を上げている。
「……帰りたくなってきました」
「まあまあ、白川さん」
髙橋俊明が苦笑いしながら慰める。
「仕事ですから。それに、東先生も言ってましたよね? 『ヤクザは平気で嘘をつく。情報の正確性を担保するには、君の“目”が必要不可欠だ』って」
「ええ、分かってはいるんですけど……生理的に……」
「Don't worry(心配するな)。ボディガードなら俺がいる」
アレックス・ターナーがサングラスを直しながら、頼もしく背中を叩いた。
「何かあれば制圧する。3秒でな」
「……それはそれで問題になりますからやめてくださいね?」
先頭に立つ音無賢人が、インターホンを押した。
「……音無です。約束の時間です」
ガチャリ。
電子ロックが外れる音がして、鉄扉が重々しく開いた。
■黒田組事務所・応接スペース
中は予想に反して、綺麗に片付けられていた。
神棚があり、歴代の組長の写真が飾られている。
「……ようこそ。お待ちしてました」
黒田義信と横手が、緊張した面持ちで深々と頭を下げた。
彼らにとって、目の前の四人は「自分たちの組を潰しに来た死神」と「権力の犬」だ。下手な真似はできない。
「どうぞ、こちらへ」
通されたのは革張りのソファ。
向かい合わせに座り、簡単な挨拶を済ませると、音無がすぐに主導権を握った。
「……では、早速始めましょう」
音無はノートを取り出した。
「まずは情報共有から。黒田さんたちが今まで、親分……勅使河原さんを探すために、どのような調査を行ったのか教えてください」
「あ、ああ……」
黒田は手元の資料(手書きのメモや地図)を広げた。
「まず、親父の携帯のGPSだが、最後に反応があったのはこの事務所だ。それ以降はプツリと切れてる。
俺たちは手分けして、親父がよく行く店、愛人宅、競合する他の組のシマ……全部しらみつぶしに探した。だが、目撃情報一つねぇんだ」
「他の組とのトラブルは?」
アレックスが鋭く問う。
「小競り合いはあるが、親父をさらえるようなデカい揉め事はねぇ。それに、親父は強い。普通の人間なら束になっても勝てねぇよ」
白川は黒田の目をじっと見つめ、能力を発動させていた。
(……光らない。嘘はついていないわね)
白川は小さく頷き、音無に合図を送る。
「なるほど」
音無はペンを走らせる。
「では、物理的な捜索範囲を広げる必要がありますね。髙橋さん、市内全域の地下街や、人の立ち入らない廃墟などのリストアップは可能ですか?」
「ええ、前職の地質調査のデータがありますから。地下水路や防空壕跡など、怪しい場所の絞り込みはできますよ」
髙橋がタブレットを操作する。
「なら、俺はそのリストを元に、ドローンと衛星画像で上空から痕跡を探そう。車の移動履歴も洗い直す」
アレックスも提案する。
「私は、周辺の防犯カメラの映像をサラさんに送って解析してもらいます。黒田さん、親分さんの当日の服装と特徴を詳細に」
白川もテキパキと指示を出す。
捜索は順調だった。
感情論を排し、プロフェッショナルたちがそれぞれの視点で「失踪」という事実に切り込んでいく。
黒田と横手は、その手際の良さに圧倒されながらも、希望を見出していた。
(こいつらなら……本当に親父を見つけられるかもしれねぇ)
その時だった。
ズズズズズズズズ…………
「っ!?」
突然、建物全体が大きくきしむような、重い地鳴りが響いた。
テーブルの上の湯呑みがカタカタと震え、額縁が揺れる。
「……地震か!」
アレックスが天井を見上げる。
揺れは数秒間続き、ドスンという縦揺れのような衝撃を残して収まった。
震度3……いや、体感的には4に近いか。
「……ふぅ。収まったか」
横手が胸を撫で下ろす。
黒田は天井の埃を払いながら、忌々しげに吐き捨てた。
「チッ……。最近、多いよなぁ。デカい地震」
「ええ、マジで勘弁して欲しいっすよ。この前なんか、棚の酒が全部割れちまって……」
横手も同意する。
その会話を聞いて、音無の手が止まった。
「……え?」
音無は顔を上げ、黒田を見た。
「黒田さん。今、『最近多い』って言いました?」
「あ? ああ、言ったけど。……ここ数日、毎日こんな感じで揺れてるだろ?」
黒田は当たり前のように答えた。
しかし、音無は困惑した表情で髙橋や白川を見た。
「……髙橋さん。最近、地震なんてありましたっけ?」
「いえ……」
髙橋も首を傾げた。
「僕の家の方では、全く。昨日の夜も静かなもんでしたよ」
「私もです。対策局の地域でも地震の報告なんて聞いてません」
白川も否定する。
「はぁ?」
黒田が眉をひそめる。
「何言ってんだアンタら。俺らとアンタら、同じ市内に住んでんだろ?
ここんとこ毎日ズシンと揺れてるじゃねぇか」
「……毎日?」
アレックスが鋭い目つきになった。
「Wait(待て)。……自然の地震が、そんな限局的に起きるわけがない」
音無の脳裏に、ある推測が走る。
特定の場所(この周辺)だけで感じられ、他では観測されない揺れ。
そして、地面の下から響くような重低音。
「……黒田さん。この揺れ、いつからですか?」
「いつって……そうだな。親父がいなくなってから、二、三日後くらいか?」
ビンゴだ。
音無は確信し、立ち上がった。
「……これは地震じゃない」
音無は床——そのさらに下、地面の底を睨みつけた。
「地下で、何かが暴れている振動だ」
その言葉に、全員の顔色が変わった。
親分の失踪と、局地的な謎の地震。点と点が繋がろうとしていた。
■黒田組事務所・地下への階段
「……こっちです。普段は物置にしてるんですが、ここ数年は誰も降りてなくて」
黒田が重い鉄の扉の鍵を開ける。
扉が開いた瞬間、湿った空気と共に、生温かい土の臭いが鼻を突いた。
「うわっ、臭っ……」
横手が鼻をつまむ。
音無賢人を先頭に、一行は薄暗い階段を降りていった。
しかし、数段降りたところで、彼らの足が止まった。
「……な、なんだこりゃ!?」
黒田が叫ぶ。
階段の先、本来なら地下室のフロアが広がっているはずの場所が、一面の「土」で埋め尽くされていたのだ。
壁から天井まで、隙間なく土砂が詰まっている。まるで、地下全体が巨大な蟻塚にでもなったかのような光景だった。
「嘘だろ……。ここ、コンクリートの打ちっ放しだったはずだぞ? なんで土が……」
ズズズ……ン。
奥の方から、微かな振動と共に、土埃が舞い上がった。
何かが動いている。それも、かなり巨大な何かが。
「……音無」
アレックスがサングラスを外す。
「これはただ事じゃないぞ」
「はい」
賢人は土壁に手を触れ、振動を感じ取った。
(奥で戦闘が行われている。……この土壁、誰かが作ったバリケードか?)
賢人は即座に判断し、髙橋俊明を見た。
「髙橋さん! この土を転移で海に飛ばしてください! どんどん掘り進めて、奥への道を作ります!」
「了解! ……と言いたいところだけど、待って!」
髙橋は眼鏡を押し上げ、慎重に壁の構造をチェックした。
「この土……かなり圧縮されてる。もしかすると、この土自体が今の建物の『支え』になっている可能性があります」
「支え?」
「ええ。地下で何かが暴れて基礎が壊れかけているのを、この土が無理やり補強しているのかもしれない。
下手に土を抜いたら……このビルごと崩落する恐れがあります」
「なっ……!?」
黒田たちが青ざめる。
「……チッ。八方塞がりか」
賢人は舌打ちし、すぐに指示を切り替えた。
「アレックスさん!現状報告を! 東さんの判断を仰いでください!」
「OK!」
「白川さん! 建物の中にいる組員を全員、すぐに外へ避難させてください! 『ガス漏れの恐れあり』とでも言って!」
「分かりました! 黒田さん、横手さん、手伝って!」
「お、おう! おい総員退避だ! 急げ!」
怒号が飛び交い、ヤクザたちが慌ただしく事務所から飛び出していく。
■洋館・指令室
『——という状況です。地下へのルートは土砂で塞がれています。迂闊に手が出せません』
スピーカーから流れるアレックスの報告を聞き、東義昭は即断した。
「……崩落の危険性があるなら、負傷者が出る前提で動くべきだな」
東は受話器に向かって命じた。
「髙橋君に伝えろ。……田治見を連れて行け」
『田治見を?』
「ああ。中で何が起きているにせよ、生存者がいれば重傷の可能性が高い。現場に医療班が必要だ」
東はソファでウイスキーをあおっている田治見を一瞥した。
「……おい、田治見。出番だ」
「あぁ〜? なんだよぉ……今いいトコなんだよ……ヒック」
田治見は赤ら顔で、テレビのお笑い番組を見てケラケラ笑っている。
「……髙橋君。回収しろ」
■黒田組事務所・外
シュンッ!
事務所の裏手に、髙橋と、首根っこを掴まれた田治見が転移してきた。
「うげぇっ! ……オエッ。おいコラ眼鏡! 酒飲んでる時に飛ばすんじゃねぇよ!」
田治見が地面に手をつく。
「すみません! でも緊急事態なんです!」
髙橋は早口で事情を説明した。地下の土壁、振動、そして崩落のリスク。
田治見はふらつきながら立ち上がり、ため息をついた。
「はぁ〜……。人使い荒いよなぁ、ウチのボスは」
彼女はジャージのポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
「ま、いいや。……おい眼鏡、そこの空きスペースにブルーシート敷きな。
もし生き埋めが出たら、そこが野戦病院だ。準備しとくぞ」
「は、はい! 頼もしいです!」
「うるせぇ、特別手当よこせって東に言っとけ!」
田治見がテキパキと(酒臭い息で)準備を始める中、東は送られてきた映像を見ながら、思考を巡らせていた。
(……地下を埋め尽くす土。そして地震のような振動。
これは単なる覚醒者の暴走ではない。……『土』そのものが意志を持っているような……)
■地下深層・土の檻
ドゴォォォォォン!!
土壁のさらに奥。
誰の目にも触れない闇の中で、一人の男が膝をついていた。
「……ハァ、ハァ、ハァ……ッ!」
勅使河原州宏。
彼の高級スーツは泥と血で汚れ、見る影もない。
不眠不休で三日間。水の一滴も飲まず、彼は能力を行使し続けていた。
「グルルルル……!!」
目の前には、建物の基礎と土塊が融合した怪物——巨人が、再生を繰り返しながら迫ってくる。
「しつけぇ野郎だ……。何度砕いても、また組み上がりやがる……」
勅使河原の視界が霞む。
『河』で水を操る力も、底を尽きかけている。
『使』で操る瓦礫の兵隊も、巨人の圧倒的な質量の前には無力だ。
(……限界か。俺の命も、ここまでかよ)
勅使河原は、地上の方角を見上げた。
そこには、愛する“息子”たちがいるはずだ。
(黒田……横手……。
すまねぇな。親父は……この化け物をここで食い止めなきゃならねぇ)
もし自分が倒れれば、この土塊の怪物は地上へ這い出し、事務所を、街を飲み込むだろう。
「……させるかよ」
勅使河原は震える足で立ち上がった。
最後の力を振り絞り、両手を広げる。
「来やがれ、ガラクタァ!!
この命が尽きるまで……俺のシマは、一歩も跨がせねぇぞ!!」
親分の絶叫が、土の中で虚しく木霊した。




