第31章 悪魔的折衷案と清濁併せ呑む正義
■洋館・応接室
「……親分の名前は、勅使河原 州宏。
この辺りを仕切っている古参の組長ですが……実は、強力な『覚醒者』でもあります」
黒田義信の告白に、東義昭は眉一つ動かさずに耳を傾けていた。
背後に立つ音無賢人の威圧感もあり、黒田と横手は借りてきた猫のように縮こまっている。
「それだけじゃありません。……実は、ここにいる俺も、横手も。『覚醒者』なんです」
「……なるほど」
東は腕を組み、冷徹な計算機を回し始めた。
(覚醒者がいる暴力団。放置すれば治安上の最大のリスクだ。
だが、彼らの依頼を受けるということは、公的機関である我々が『反社会的勢力』と手を組むということ。
スキャンダルになれば、新法案どころか組織ごと吹き飛ぶ……リスクが高すぎるか?)
東が拒絶の言葉を口にしようとした、その時だった。
バンッ!!
応接室のドアが荒々しく開け放たれた。
飛び込んできたのは、別室でモニターを見ていた谷雄一と、その後ろに続く白川真純だ。
「おい東! 話を聞く必要はねぇ!!」
谷が黒田たちを指差して怒鳴った。
「こいつらはヤクザもんだぞ!? しかも覚醒者の集団だ!
そんな連中の依頼を受けるなんて……。元警察官として、いや公的機関として断じて認められん!」
白川も厳しい表情で続く。
「そうです。お引き取りください。
貴方たちが覚醒者である以上、本来ならその場で保護、あるいは監視対象にするところです。
捜索願なんて……虫が良すぎます」
突然の罵倒に、横手がキレた。
「あぁ!? なんだテメェら!」
横手は立ち上がり、谷に掴みかかろうとした。
「こっちは頭下げて頼んでんだよ! 公務員様が偉そうに説教垂れてんじゃねぇぞコラァ!」
「横手! やめろ!!」
黒田が横手の腕をガシッと掴み、力づくで座らせた。
「くっ……! でも黒田さん!」
「黙ってろ!」
一喝して横手を黙らせると、黒田は谷と白川に向き直り、深々と頭を下げた。
「……刑事さん方の仰ることは、もっともです。
俺たちが社会の鼻つまみ者だってことは、百も承知してます」
黒田は拳を膝の上で握りしめた。
「ですが……どうか、頼めないでしょうか」
「黒田さん……」
「親分は……勅使河原の親父は、俺たちみたいなハグレモノを拾って、育ててくれた恩人なんです。
組長以前に……俺たちの『親父』なんです」
黒田の声が震える。
「ヤクザの理屈が通じないのは分かってます。でも、家族がいなくなって心配するのは……ヤクザも堅気も同じでしょう?
どうか……力を貸してください」
その悲痛な訴えに、谷と白川は言葉を詰まらせた。
「ぐっ……。そ、それは……」
「家族、ですか……」
人情に厚い谷は、こういう浪花節に弱い。白川も、彼らが単なる悪党ではないことを感じ取り、視線を彷徨わせた。
重苦しい沈黙が部屋を支配する。
やがて、東が静かに口を開いた。
「……話は分かった」
東は組んでいた足を解き、黒田を真っ直ぐに見据えた。
「だが、この場での返答はできない」
「東先生……!」
「勘違いするな。断るとは言っていない」
東は冷静に告げた。
「君たちの事情は理解した。だが、我々も組織だ。リスクとリターン、そして法的な整合性を精査する必要がある。即決はできん」
東はテーブルの上のメモ用紙をちぎり、黒田に渡した。
「ここに連絡先を書け。
……後日、必ず連絡する。受けるにしろ、断るにしろな」
黒田はメモ用紙を受け取ると、希望を繋げた表情で素早く番号を書き込んだ。
「……ありがとうございます。ご検討、よろしくお願いします」
黒田はメモを置き、横手を連れて深々と一礼すると、部屋を後にした。
二人の背中が見えなくなるまで、音無は無言でその気配を追い続けていた。
ドアが閉まり、再び静寂が戻る。
東は黒田が残したメモを見つめ、小さく呟いた。
「……さて。どう料理したものかな」
ただの依頼ではない。
これは、裏社会をも巻き込んだ、大きな渦の始まりになるかもしれない。
東の瞳の奥で、冷たい計算の光が明滅していた。
■洋館・食堂(作戦会議)
黒田たちが去った後の食堂は、重苦しい沈黙ではなく、火花散るような議論の場と化していた。
「……ふざけるな! 絶対に反対だ!」
バンッ!
テーブルを拳で叩きつけたのは、谷雄一だ。普段の温厚な(少し抜けた)姿はどこにもない。そこには、現場で体を張ってきた刑事としての怒りが燃えていた。
「相手は暴力団だぞ!? しかも覚醒者集団だ!
そんな連中と手を組むなんて……『対策局』は公的機関だろ!?
暴排条例(暴力団排除条例)を無視してどうする! 俺たちが、一番守らなきゃいけないラインだろうが!」
「谷さんの言う通りです」
白川真純も、険しい表情で腕を組んでいた。彼女の瞳は、東を射抜くように見据えている。
「彼らの『親分を想う気持ち』には同情します。ですが、一線を超えてはいけません。
もしこの取引が明るみに出れば、組織は解体、私たちは社会的に抹殺されます。リスクが大きすぎます」
警察サイドの猛反発。法と倫理を重んじる彼らにとって、反社会的勢力への協力は、自身のアイデンティティを否定するに等しい行為だった。
それに対し、サラ・コッホが冷ややかな声で反論する。
「Short-sighted(近視眼的)ね、刑事さんたちは」
サラは足を組み、呆れたように髪をかき上げた。
「綺麗事だけで国が守れると思ってるの?
ヤクザの情報網を舐めない方がいいわよ。風俗、博打、薬物ルート……警察が踏み込めない裏社会のドブさらい。彼らは『裏の目』として最高の資産になるわ」
「ああ。毒には毒だ」
アレックス・ターナーも淡々と同意する。
「清廉潔白なホワイトな組織だけで、グレイのような怪物を倒せると思うか?
使える駒は何でも使う。彼らが裏切れば、その時切り捨てればいいだけの話だ」
「切り捨てるだと!? ふざけるな! ヤクザだろうが犯罪者だろうが、命の重さは同じだ! 俺たちが守るのは『人間』だろ!使い捨ての駒じゃねぇんだぞ!」
「甘いな。戦場じゃ常識だ」
怒号が飛び交う。
その殺伐とした様子を、キッチンに隠れた幸田美咲は、お盆を抱きしめてハラハラと見守っていた。
(ど、どうしよう……。みんなが喧嘩してる……)
せっかく昨日の夜、家族みたいになれたと思ったのに。
「正義」の形が違うだけで、こんなにも簡単に亀裂が入ってしまうのか。美咲は胃がキリキリと痛むのを感じた。
一般人枠の二人も、板挟みで困惑していた。
「ま、まぁ……谷さんと白川さんの言うことも分かるがよぉ」
鈴木浩三が頭をかきながら、ボソリと口を挟む。
「あの黒田って兄ちゃん……目はマジだったぞ。
親分を思う気持ちに嘘はねぇと思うが……困ってる奴を見捨てるのも、寝覚めが悪ぃ気がしてな。俺は嫌いじゃねぇよ、ああいう義理堅いのは」
「鈴木さん、それは人情論ですよ」
髙橋俊明が苦い顔で眼鏡を拭く。
「僕としては、白川さんに賛成かな……。
やっと家族に胸を張れる仕事になったのに、また『ヤクザとつるんでる』なんてバレたら、今度こそ妻に離婚されちゃいますよ。社会的信用が第一です」
意見は真っ二つに割れた。
カオスな状況の中、田治見薫だけが我関せずとビールを飲んでいた。
「ケッ、どーでもいいじゃんそんなの。
金払うなら客、払わねぇならゴミ。私としちゃそれだけだね。
……ま、アタシらだって世間から見りゃ、ちょっと前までは法を無視して暴れる『半グレ』みたいなモンだったろ? 目くそ鼻くそじゃねぇか」
「一緒にするな!」
谷が怒鳴り返す。
議論が平行線を辿り、空気が最悪になりかけた時。
「……俺は」
それまで黙って俯いていた音無賢人が、静かに口を開いた。
全員の視線が集まる。
「……俺は、接触するべきだと思います」
「音無君!?」
白川が驚く。
「君が、ヤクザ側に加担するの?」
「違います。人情とか、金とかじゃありません」
賢人は顔を上げ、その場にいる全員を冷徹に見渡した。
「『覚醒者の組長』が行方不明になっている……その事実が危険なんです。
もしその組長が暴走していたら? あるいは、金剛寺の残党や、別の敵に取り込まれて洗脳されていたら?」
賢人の脳裏に、金子や氷川の姿がよぎる。
「強力な能力者が、制御不能な状態で野放しになっている。……これを放置する方が、よほど俺たちにとって『脅威』になります。
敵か味方かを確認するためにも、俺たちが主導権を握って捜索するべきです」
「……っ」
谷と白川が言葉に詰まる。
感情論ではなく、「治安維持」という観点からの正論。それは警察官である彼らこそが一番理解できる理屈だった。
議論は出尽くした。
全員が、テーブルの上座に座る男——最終決定権を持つリーダーを見た。
東義昭は、ゆっくりとコーヒーカップを置いた。カチャリ、という音が響く。
「……議論は終わったか?」
東の声に、場が静まり返る。
彼は全員の顔を見渡し、重々しく告げた。
「結論を言う。……我々は、彼らの依頼は受けない」
谷と白川の顔がパッと明るくなり、サラが不満げに眉をひそめる。
「……だが、『捜査』は行う」
「え……?」
全員がキョトンとする。依頼は受けないが、捜査はする?
東は立ち上がり、ホワイトボードに向かった。
「いいか。言葉の定義を間違えるな。我々はヤクザを助けるのではない。
音無君が言った通り、**『行方不明となった危険な覚醒者(組長)』を確保し、管理下に置くための『捜査』**を行うのだ。
黒田たちは、そのための『有用な情報提供者』として扱う」
東は谷と白川を見た。
「これなら、公的機関としての名分は立つな?
犯罪組織への利益供与ではない。市民の安全を守るための、危険因子の排除だ」
「は、はぁ……。まあ、理屈としては……」
谷が渋々頷く。グレーだが、論理は通っている。
「そして」
東は黒い笑みを浮かべ、ボードに『組の解散』と書き殴った。
「親分を見つけ出し、もし無事であれば……彼らに突きつける条件は一つだ。
『組の解散』と、『民間警備会社への転身』だ」
「……転身?」
「そうだ。彼らには廃業届を出させ、カタギになってもらう。
その上で、我が対策局の下請け……非公認の『実働部隊』として再雇用する」
東は両手を広げ、演説するように語った。
「これならば、警察の顔も立つだろう?
ただ協力したのではない。厄介な暴力団を一つ解体させ、構成員を社会的に更生させたのだ。
それは不祥事ではなく、立派な警察の**『手柄』**になる」
「……!」
白川が息を呑む。
「なるほど……。『協力』ではなく『指導・更生』させたことにするんですね」
「そしてサラ君たちの言う通り、彼らの持つ裏社会のネットワークはそのまま我々の『耳』として利用できる。
鈴木君の言う『義理堅さ』も、髙橋君の言う『社会的信用』も、全てクリアできる」
東は椅子に座り直し、不敵に言い放った。
「清濁併せ呑むのが政治だ。
金は一円も受け取らん。だが、組織ごと我々の『手駒』にする。
……あの忠義に厚いヤクザたちだ。我々の犬にしてやれば、さぞ役に立つ番犬になると思わんか?」
その完璧な落とし所に、全員が唸った。
警察のメンツを守り、戦力を増強し、脅威を排除し、人情にも報いる。
誰も損をしない(黒田たちがヤクザを辞める以外は)悪魔的な折衷案。
「……参ったな」
谷が降参するように手を挙げた。
「そこまで言われちゃ、反対する理由はねぇよ。……悔しいが、アンタの勝ちだ、東」
「Very logical(合理的ね)。文句ないわ」
サラもニヤリと笑う。
「……決まりですね」
髙橋もホッとした顔をした。
キッチンで見守っていた美咲も、ようやく安堵のため息をついた。
(よかった……。またみんな、一つになれた)
「よし。方針は決まった」
東は音無に指示を出した。
「音無君。黒田に連絡を入れろ。
『条件付きで話に乗る。親分の情報を全て吐き出せ』とな」
「了解です」
新たな任務が動き出す。
それは、表の正義だけでなく、裏の泥道をも歩む覚悟を決めたチームの、本当の意味での「初仕事」だった。
■洋館・リビング
静まり返ったリビングで、音無賢人は受話器を握りしめていた。
周りには、固唾を呑んで見守る鈴木、髙橋、幸田、そして腕を組んで椅子に座る東の姿がある。
『……はい。黒田です』
電話の向こうから、重く沈んだ声が聞こえる。
賢人は深呼吸をして、東から託された言葉を、自分の声で紡いだ。
「……音無です。東からの伝言と、取引の最終条件をお伝えします」
賢人の声は、かつての怯えた青年のものではなく、組織の代表者としての落ち着きを帯びていた。
「我々は、行方不明となった勅使河原組長の捜査を行います。全力を挙げて」
『……恩に着ます』
「ただし」
賢人は言葉を区切った。ここからが本題だ。
「条件があります。
我々が親分さんを見つけ出し、その『無事を確認できた場合』……。
あなた方には即座に『組の解散』と、警察への『廃業届の提出』をしていただきます」
『……ッ!?』
受話器の向こうで、息を呑む気配がした。
組を畳む。それは極道にとって、命を捨てるに等しい決断だ。
「その後、あなた方の組織は民間警備会社として再編し、我々対策局の管理下に入ってもらいます。
……看板を捨て、我々の手足となって働く。それが、東の提示する条件です」
長い、長い沈黙が続いた。
電波越しに、黒田の葛藤と、横手の荒い息遣いが伝わってくるようだった。
やがて、絞り出すような声が返ってきた。
『……分かった』
「黒田さん……?」
『条件を、飲む』
黒田の声は震えていたが、そこには男の覚悟が宿っていた。
『親父が無事に帰ってくるなら……こんな看板、俺がこの手で叩き割ってやる。
組を守れねぇ看板なんざ、掲げてる意味はねぇからな』
「……賢明なご判断です」
『へっ。……頼んだぞ、パートナー。親父を、よろしく頼む』
ガチャリ。
通話が切れた。
賢人は受話器を置くと、ふぅーっ、と長く大きな息を吐き出した。
緊張で強張っていた肩の力が抜ける。
「……交渉、成立です」
賢人が振り返ると、東が満足げに口角を上げ、無言で頷いた。
その時。
横からぬっと伸びてきた大きな手が、賢人の頭をガシッと掴んだ。
「……わっ!?」
「へっ! やるじゃねぇか、音無!」
鈴木浩三だ。
彼は賢人の髪を、これでもかというほどわしゃわしゃと掻き回した。
「す、鈴木さん! やめてくださいよ、髪が!」
「うるせぇ! いやぁ大したもんだ。
お前、随分と大人っぽく喋れるようになったじゃねぇか?
最初の頃の、隅っこでウジウジしてたガキとは大違いだぞ?」
鈴木はニカニカと笑いながら、賢人の背中をバンバンと叩く。
「度胸がついたな! 立派な交渉人だ!」
「い、いや……。俺はただ、東さんに言われた通りに喋っただけで……」
賢人が顔を赤くして抗議する。
そこへ、お盆を持った幸田美咲が駆け寄ってきた。
彼女はキラキラした瞳で賢人を見上げ、手を合わせた。
「すごいです! 私も聞いてましたけど、音無さん、すっごくカッコよかったですよ!」
「えっ……」
美咲は興奮気味に続ける。
「こう、声が低くて落ち着いてて……まるでドラマに出てくる刑事さんみたいでした!
頼れる男の人って感じで、ドキドキしちゃいました!」
「か、カッコいいって……」
賢人の顔が、今度は耳まで真っ赤に染まる。
「そ、そんなことないよ。俺なんて……全然……」
賢人は視線を泳がせ、もごもごと口ごもる。
戦闘や潜入では冷静沈着な彼も、真っ直ぐな称賛と、異性からの「カッコいい」という言葉には全く耐性がなかった。
「あらあら、照れちゃって」
後ろで見ていたサラが冷やかす。
「Cute(可愛い)わねぇ。戦場の死神さんも、褒められると形無しね」
「うぅ……からかわないでください……」
賢人は居心地悪そうに身を縮め、鈴木の手から逃れるようにフードを被り直した。
だが、そのフードの下の表情は、満更でもなさそうに綻んでいた。
「……よし!」
東がパンと手を叩き、和やかな空気を引き締めた。
「遊ぶのはそこまでだ。
黒田からデータが送られてくるはずだ。
音無君、サラ君、谷君。……仕事にかかれ」
「「「了解!」」」
賢人は火照った頬を両手でパンと叩き、キリッとした表情に戻る。
だが、その背中は以前よりも少しだけ大きく、頼もしく見えた。
新たな任務が、今動き出した。




