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巡り巡る 〜漢字の意味が世界を変える世界〜  作者: 暇な鍼灸師


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第30章 冷徹な交渉とゼロ距離の監視者



■洋館・指令室リビング



「Target confirmed(ターゲット確認)。……B-4エリア、路地裏よ」


サラ・コッホは、デスクに並んだ三台のモニターを高速で切り替えながら、インカムに指示を飛ばした。


画面には、誰かを探しながらウロウロしている男。その周りの壁や電柱から無数の「人間の手」が生えている。周りにはパニックを起こしている市民の姿が映っている。


『了解。……うわっ、気持ち悪ぃなこりゃ』


無線から鈴木浩三の声が響く。


『接触します! 鈴木さん、お願いします!』


『おうよ!』


画面の中で、髙橋俊明が転移で鈴木と谷雄一を送り込む。


鈴木が鈴を鳴らした瞬間、壁から生えていた無数の腕がボトボトと泥のように崩れ落ちた。ウロウロしていた男は鈴木を見て少し表情を緩めた。そこを谷が確保する。


「Mission complete(任務完了)。……ふぅ」


サラはヘッドセットを少しずらし、手元のマグカップを煽った。


空だ。


(コーヒーのお代わり、いれなきゃ……)


サラが立ち上がろうとした瞬間、鼻先でいい香りがした。


「サラさん、どうぞ。淹れたてです」


「Wow... Thanks, Misaki.」


見ると、いつの間にか幸田美咲が新しいポットを持って立っていた。


「東さんからも催促があったので……。あ、お砂糖ミルクは?」


「ブラックでいいわ。ありがとう」


「はーい。ただいまお持ちします!」


美咲はパタパタとキッチンへ吸い込まれていく。


奥のソファで書類仕事をしていた東義昭も、カップを掲げて無言で礼を示した。


サラは熱いコーヒーを啜り、モニターを見つめ直した。


(音無やアレックスがいなくても、なんとか回ってるわね。……よかった)


画面の中では、鈴木たちが確保した犯人を拘束し、警察への引き渡し準備をしていた。


安堵の息を吐いた、その時だった。


「……Wait(待って)。何あれ?」


モニターの端。


鈴木たちの背後の空間が、不自然に歪んでいた。


最初はノイズかと思ったが、違う。どす黒い「黒いモヤ」のようなものが、アスファルトから湧き出し、鎌首をもたげるように広がっている。


だが、現場の三人は犯人の拘束に気を取られ、背後の異変に気づいていない。


「No...!! 全員、後ろよ!! 逃げて!!」


サラの絶叫が無線に響いた。


『え?』


髙橋が振り返ろうとした瞬間、モヤが一気に膨張した。


『髙橋!! 跳べ!!』


サラの声に、髙橋が反射的に反応した。


犯人を掴もうとしていた手を離し、鈴木と谷の腕を掴む。


シュンッ!


三人の姿が掻き消える。


そのコンマ一秒後、黒いモヤは彼らが立っていた空間を、波が飲み込むように覆い尽くした。


「……っ!」


サラは息を呑んで画面を凝視した。


モヤは数秒間その場に留まり、やがて霧散するように消え失せた。


いつもの平和な路地裏の風景が戻る。


だが、一つだけ違っていた。


地面に転がしていたはずの男の姿が、跡形もなく消えていたのだ。


『……お、おい。何だ今のは……?』


少し離れた屋上に転移した鈴木の、震える声が聞こえた。



■洋館・食堂



「——で? なんで後方に気づかないのよ!?」


バンッ!


サラがテーブルを叩き、仁王立ちで怒鳴りつけた。


その前では、鈴木、髙橋、谷の三人の大人が、神妙な顔で正座をさせられていた。


「……面目ねぇ」

「申し訳ありません……」


「警戒心が緩んでるんじゃない!?

カメラにはハッキリ映ってたわよ! 真っ黒いモヤが、あなた達を飲み込もうとしてたの!」


サラは腕を組んで早口でまくし立てた。


「もし髙橋さんの反応が遅れてたら、あなた達もあの犯人みたいに消えてたかもしれないのよ!?

それに、今は田治見がいないのよ!? 怪我したらどうするつもり!?

アレックスみたいな猟奇的な手術、受けたいわけ!?」


「うっ……」

「それは……肝に銘じます」


内臓パズルを思い出して、三人は青ざめて首を垂れた。


谷が言い訳がましく口を開く。


「いや、でもよサラちゃん。あの後が大変だったんだぞ?

警察が来ちまって、『犯人は?』って聞かれて……。『黒い煙に食われました』なんて言っても信じちゃくれねぇし」


髙橋も深いため息をついた。


「結局、これまでの実績のおかげで『逃走された』ということでお咎め無しになりましたけど……。こちらの信用に関わります」


「はぁ〜……」


サラは頭を抱え、盛大にため息をついた。


「まあ、無事だっただけ良しとするわ。……本当、気をつけてね?」


「「「はい」」」


説教が終わり、三人はしびれた足でよろよろと立ち上がった。


「いてて……。とりあえず座ろうぜ……」


鈴木が食堂の椅子に座ろうとした、その時。


「——待って!」


サラの目が鋭く光った。


「鈴木。……動かないで」


「あ? なんだよ、また説教か?」


「違う。……襟の裏」


サラは鈴木に近づき、作業着の襟をめくった。


そこには、生地に同化したような、小さなボタンのような盛り上がりがあった。


「……やっぱり。発信機バグよ」


「なっ……!?」


鈴木が絶句する。


「い、いつの間に!? 飯食う前には無かったぞ!」


「あの『黒いモヤ』と接触しかけた時か……あるいは、確保した犯人が囮だったか」


サラは表情を凍らせ、慎重に発信機を取り外すと、すぐに電波遮断ポーチへと放り込んだ。


「東! 大変よ!」


サラは奥のソファにいる東に駆け寄った。


「鈴木に発信機が仕掛けられていたわ。……敵に、ここの場所が特定された可能性がある」


東は読んでいた新聞を畳み、静かに鈴木たちを見た。


その目は冷徹だったが、最初に口にしたのは意外な言葉だった。


「……皆、無事なんだな?」


「え?」


「怪我人はいないか、と聞いている」


「あ、ああ。俺たちはピンピンしてるが……」


鈴木が答える。


「ならいい」


東は短く答え、顎に手を当てて思考モードに入った。


「犯人を連れ去り、代わりに発信機を残していった『黒いモヤ』……か。

金剛寺の手の者か、それとも第三勢力か。

……いずれにせよ、のんびりしている時間はなさそうだ」


東の瞳が怪しく光る。


「迎撃の準備だ。……客人が来るぞ」


一難去ってまた一難。


音無たちが不在の中、洋館に再び緊張が走り始めた。



■洋館・食堂・夕刻



東義昭の招集により、洋館の食堂には重苦しい空気が漂っていた。


「……髙橋君。彼らを連れてきてくれ」


「はい、すぐに行ってきます」


シュンッ!


髙橋俊明が姿を消し、数分後には警察署から戻った音無賢人、アレックス・ターナー、田治見薫、そして白川真純が次々と転移してきた。


全員が揃うと、幸田美咲が人数分のお茶とお茶菓子を配り始めた。


カチャ、カチャ……。


ソーサーを置く手が震えている。彼女もまた、先ほどの「発信機騒動」を聞いて不安を感じているのだ。


「全員、座ってくれ」


東は上座に立ち、まずは労いの言葉をかけた。


「警察署での指導、ご苦労だった。向こうでの評判も上々のようだ。……だが、我々が留守にしている間に、こちらの状況は動いた」


東は顎で合図を送る。


サラ・コッホと髙橋が前に出た。


「単刀直入に言うわ。……今日、市街地で『正体不明の男』と遭遇したの」


サラの報告に、アレックスの表情が険しくなる。


「金剛寺の残党か?」


「分からない。……『黒いモヤ』と『無数の手』よ」


髙橋が補足する。


「確保したはずの犯人が、そのモヤに飲み込まれて消えました。そして、その代わりに……鈴木さんの襟元に発信機が残されていたんです」


「黒いモヤ……? 転移とも違うのか?」


音無が尋ねるが、鈴木が首を横に振った。


「分からねぇ。ただ、気味が悪かった。生き物みたいに動いてやがった」


一同に衝撃が走る。


リストにもない、正体不明の能力者。しかも、こちらの拠点を特定する知能犯だ。


「……防衛体制を見直す」


東は即座に切り替えた。


「サラ君、アレックス君。基地周辺のセンサーとカメラの首尾はどうだ?」


「No problem(問題ないわ)」


サラが即答する。


「毎朝のランニングついでに死角をチェックしてるし、感度も最高レベルに設定済みよ。ネズミ一匹通さないわ」


「よし。……だが、慢心は死を招く」


東はホワイトボードに配置図を描き込んだ。


「今日から、正式に夜間警備シフトを敷く。

最新機器のモニターチェックは、サラ君とアレックス君が一日交代。

敷地内の巡回は、谷君と白川君で一日交代だ」


「了解。……やっと俺の出番だな」


谷が拳を鳴らす。


「音無君。君はフリーだ。だが、何かあれば即座に駆けつけられるよう、遊撃隊として待機しておけ」


「はい。いつでも動けます」


配置が決まったところで、東はサラに向き直った。


「……ところでサラ君。鈴木君につけられていた発信機だが……あれは軍用か?」


「いいえ」


サラは首を振った。


「構造を解析したけど、電化製品屋でも買えるような民生品の改造よ。でも、性能は悪くないわ。……少なくとも、素人の仕事じゃない」


「そうか……」


東は腕を組み、深い思考に沈んだ。


(グレイではない。金剛寺のような力押しでもない。……だとすれば、誰だ? 犯罪結社か? それとも……)


その時だった。


ビーッ! ビーッ! ビーッ!


サラのノートパソコンから、甲高いアラーム音が鳴り響いた。


「ッ!?」


全員が反射的に立ち上がり、戦闘態勢をとる。


サラは弾かれたようにパソコンの前へ飛びつき、キーボードを叩いた。


「センサー反応あり! 森の中を通ってきてるわ!」


「敵襲か!?」


鈴木が椅子を蹴倒す。


「……Wait(待って)」


サラはモニターを凝視し、困惑した声を上げた。


「……映像出します」


メインモニターに、正門前の監視カメラ映像が映し出される。


そこに映っていたのは、武装した兵士でも、異形の怪物でもなかった。


「……スーツの男?」


黒塗りの高級車などはなく、徒歩でやってきたと思われる二人の男。


仕立ての良いダークスーツを着こなし、革靴を履いている。


そしてその手には、武器ではなく——。


「……紙袋?」


白川が呟く。


「武器の所持は確認できないわ。……まるで、営業のサラリーマンみたい」


サラの報告に、全員が顔を見合わせる。


「カチコチ(襲撃)か?」


「いや、偵察かもしれん」


「宅配便を装った爆弾魔とか?」


メンバーたちが最悪の事態を想定して殺気立つ中、モニターを見つめる東の目だけが、別の色を帯びていた。


(スーツ……徒歩……そして手土産か)


東は、かつての政治家としての勘が、ある可能性を囁いているのを感じた。


(……そう言うことなのか?)


東は手を挙げ、逸るメンバーたちを制した。


「……全員、待て。攻撃はするな」


「えっ? でも東さん!」


音無が振り返る。


「一応、警戒だけはしておけ。……だが、手出しは無用だ」


東はネクタイを締め直し、玄関の方角を睨んだ。


「……どうやら、ただの殺し合いではなさそうだ。

音無君以外は彼らの到着を待つぞ。……客人を迎え入れようじゃないか」


謎の来訪者。


それが敵か味方か、あるいはそのどちらでもない「取引」の使者なのか。


洋館に、戦いとは違う種類の緊張が走り抜けた。



■洋館へ続く山道



砂利を踏みしめる音が、静寂な森に響く。


仕立ての良いダークスーツを着た二人の男が、洋館を目指して歩いていた。


「……ハァ、ハァ。結構な山道っすねぇ」


後ろを歩く若い男——横手よこてが、額の汗を拭いながら、抱えている高級和菓子の紙袋を持ち直した。


その表情は、疲労よりも不安で曇っている。


「あの、黒田さん。……マジで大丈夫っすかね?

相手はあの金剛寺一派を壊滅させて、米軍まで追い返した連中ですよ? 『よくも発信機なんかつけやがったな、死ねー!』って門くぐった瞬間に、ドカンと殺されたりしないですかね?」


前を歩く男——**黒田くろだ 義信よしのぶ**は、歩調を崩さずに答えた。


「いきなり殺されることはないだろ。……多分な」


「た、多分って……勘弁してくださいよぉ」


「ビビるな横手。こっちは丸腰、しかも手土産付きだ。

向こうにも『トップ(東)』がいるなら、話くらいは聞くはずだ」


黒田は冷静を装っていたが、その目は油断なく周囲の森を観察していた。


(……監視カメラにセンサー。隙がねぇな。相当な手練れが警備を組んでる)


やがて、木々の隙間から古びた洋館が姿を現した。



■洋館・正門前



黒田は正門のインターホンの前に立つと、迷わずボタンを押した。


ピンポーン。


『……はい』


スピーカーから、女性(白川)の落ち着いた声が返ってくる。


黒田は監視カメラに向かって一礼し、落ち着いた声で告げた。


「突然の訪問、失礼致します。

……先日、そちらの方(鈴木)に発信機を付けさせて頂いた者です」


『…………』


沈黙。警戒の色が伝わってくる。


「我々は敵対するつもりはありません。あなた方に、直接ご相談したい事案があり参りました。

どうか、中に入れてもらえませんか?」


数秒の静寂の後、門の電子錠が解錠される音が響きゆっくりと開く。


『……どうぞ。玄関までお越しください』


「失礼します」


門を通り二人が玄関の前に立つと、重厚なドアがゆっくりと開いた。


出迎えたのは、凛とした表情の女性——白川真純と、その背後に控える巨漢の外国人——アレックス・ターナーだった。


アレックスは武器こそ持っていないが、その立ち姿からは「妙な動きをすれば即座に制圧する」という無言の圧力が放たれていた。


「……ようこそ。中へどうぞ」


白川が手招きする。


「ありがとうございます」


黒田と横手は靴を脱ぎ、案内されるままに廊下を進んだ。


「失礼しまーす……」


横手はキョロキョロと辺りを見回した。


磨き上げられた大理石の床、豪華なシャンデリア、手入れの行き届いた調度品。


「うわぁ……。すげぇなこりゃ。金ってある所にはあるんですねぇ」


「……おい、やめろ」


黒田が小声で嗜める。


「キョロキョロするな。どうせ何処かから見られてる」


「へ? 見られてるって……誰もいないっすよ?」


「気配の話だ。……舐められるなよ」


二人は二階へと上がり、重厚な扉の応接室へと通された。


「こちらで少々お待ちください。代表が参ります」


白川とアレックスはそう告げると、部屋を出ていった。


ドアが閉まり、密室になる。


横手はふぅ、と息を吐いてソファに腰掛けようとしたが、黒田は立ったまま待機した。


「……座らないんすか?」


「相手が来るまではな」


数分後。


ガチャリとドアが開き、一人の男が入ってきた。

鋭い眼光と、冷徹な知性を感じさせる眼鏡の男——東義昭だ。


「お待たせした」


黒田と横手は姿勢を正し、深々と頭を下げた。


「突然の訪問、失礼致します」


「……座りたまえ」


東は上座のソファに腰を下ろし、足を組んだ。


「私がここの責任者、東だ。……して、本日は何用で?」


黒田は横手から紙袋を受け取り、テーブルの上に差し出した。


「まずは、こちらを。つまらない物ですが」


「……菓子か?」


「ええ。……下の段には、『あん』も詰まっております」


東が紙袋の隙間から中を覗くと、老舗の羊羹の箱の下に、帯封のついた万札の束——およそ200万円ほど——が見えた。


「……ほう」


東は表情を変えずに黒田を見た。


「話を聞こう」


黒田は居住まいを正し、真剣な眼差しで切り出した。


「単刀直入に言います。……『人探し』を手伝って頂きたい」


「人探し?」


「はい。……我々は、表沙汰にできない組織ヤクザの者でして。警察には相談できず、町の探偵にも依頼しましたが、全く手掛かりが掴めないのです」


黒田は拳を握りしめた。


「行方不明になったのは、我々の『親分』です。

突然姿を消し、連絡も取れない。……組織をまとめるためにも、一刻も早く親分に帰ってきて欲しいのです」


「……なるほど。警察に頼れない事情を持つ者の捜索、か」


東は顎に手を当て、少し考え込むふりをした。


そして、ふっと視線を黒田たちの背後に向けた。


「……そうか。事情は分かった」


東は唐突に、誰もいない空間に向かって話しかけた。


「——もう良いぞ?」


「え?」


横手がきょとんとする。


「……はい」


突如、黒田と横手の真後ろ——耳元と言ってもいい距離から、若い男の声がした。


「うわっ!?」


「ッ!?」


二人が弾かれたように振り返ると、そこにはフードを被った青年——音無賢人が、無表情で立っていた。


音無は二人の驚愕をよそに、足音もなく移動し、東の背後に控えるように立った。


「……な、んだ……?」


横手は腰を抜かしそうになりながら、音無を指差した。


「い、いつから……いつから後ろに!?」


黒田も顔色を失い、額に脂汗を浮かべていた。


(気配がなかった。ドアが開いた音もしなかった。……まさか、ずっと居たのか?)


音無は淡々と答えた。


「あなたがたが山道を登っている時から、ずっと背後についていました」


「なっ……!?」


黒田と横手は絶句し、青ざめた顔で音無を見た。


この青年は、自分たちが森に入った瞬間から背後に張り付き、誰にも気づかれることなくここまで同行し、密室の中にまで侵入していたのだ。


「……これが、我々のセキュリティだ」


東は冷ややかに笑い、札束の入った菓子折りを開けた。


「さて。……親分探しの件、詳しく聞かせてもらおうか」


圧倒的な「格」の違いを見せつけられ、ヤクザたちの喉がゴクリと鳴った。

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