第29章 嘲笑を畏怖に変える最強の特別授業
■某警察署・ロビー
シュンッ!
受付前の空間が揺らぎ、スーツ姿の髙橋俊明と、四人の男女が現れた。
「はい、到着です。……では皆さん、頑張ってくださいね」
「Thanks, Papa. 帰りもよろしく」
髙橋が手を振って消えると、残された四人——アレックス、白川、田治見、音無——は、署内の独特な空気に包まれた。
行き交う制服警官たちが、ギョッとした顔で彼らを見ている。特に、ヨレヨレのジャージにサンダル履きの田治見薫は、どう見ても不審者か連行されてきた被疑者だ。
「……なんだか、ソワソワしますね。視線が痛いです」
音無賢人が肩をすくめると、田治見はポケットに手を突っ込んだまま鼻で笑った。
「あぁ? ビビってんじゃねぇよ。堂々としてりゃいいんだよ、堂々とな」
田治見はメンチを切るように周囲を見回す。「何見てんだコラ」と言わんばかりの態度だ。
「気にするな音無」
アレックス・ターナーがポンと肩を叩く。
「指導のメインは俺が行う。お前は予定通り『犯人役』だ。……あと田治見、お前には『覚醒者による外傷の応急処置』の指導も頼むぞ」
「へいへい。ヘボ警官共に人体構造を教えてやりゃいいんだろ?」
「……言葉を選べよ?」
「善処するわ」
そこへ、手続きを終えた白川真純が戻ってきた。
「お待たせしました。道場の方へ案内してくれるそうです。……ふふ、この消毒液と革の匂い、懐かしいです」
白川は少し嬉しそうに先導した。
■警察署・柔道場
「——気をつけ! 礼!」
「「「よろしくお願いします!!」」」
広々とした道場には、選抜された若手の機動隊員や刑事たち三十名ほどが整列していた。
全員が活動服を着ており、気合の入った大声が響く。
アレックスと白川は、背筋を伸ばしてスマートに礼を返した。
「本日はよろしくお願いします」
対照的に、田治見はあくびを噛み殺しながら片手を上げた。
「うっすー」
音無は、威圧感に押されて小さくなりながらペコリと頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします……」
まずは、白川による座学から始まった。
「では最初に、現行法における覚醒者対応の限界と、リスク管理について確認します」
白川はホワイトボードの前に立ち、教鞭を執った。
「質問です。犯人が『炎』の能力者で、人質を取って立てこもっています。可燃性の建物内で、皆さんは発砲許可を得ました。……撃ちますか?」
最前列の警官が手を挙げる。
「撃ちます! 犯人の制圧が最優先です!」
「不正解です」
白川は優しく、しかし断固として否定した。
「可燃性の建物内で、炎の能力者が撃たれて制御を失えば、能力が暴走して爆発的な火災を引き起こす可能性があります。人質諸共、黒焦げです。
正解は……『放水を準備し、相手の視界を奪ってから、非致死性兵器で無力化する』です」
白川は次々と質問を投げかけ、正解者を褒め、間違いを論理的に訂正していく。その姿は、現場を知り尽くした「先生」そのものだった。
続いて、アレックスが前に出た。
「Good job, Shirakawa. ……次は実践的な戦術だ」
アレックスの鋭い眼光に、隊員たちが身を引き締める。
「現場での退路確保、能力の予備動作の見極め、そして最終的な確保へのプロセス……。これらを体に叩き込んでもらう」
アレックスは後ろに控えていた音無を指差した。
「今日は、実戦形式の訓練を行う。
彼らが今回の仮想敵……『犯人役』だ」
紹介されたのは、緊張で猫背気味になっている気弱そうな青年(音無)。
「…………」
隊員たちの頭の上に、一斉に「?」マークが浮かんだ。
彼らはてっきり、筋骨隆々とした元軍人のアレックスこそが犯人役で、彼を倒す訓練だと思っていたのだ。
「プッ……」
「おいおい、マジかよ……」
隊列の中から、失笑が漏れた。
「あんなヒョロガリが?」
「手加減しねぇと折れちまうぞ」
クスクスという笑い声が広がる。
音無は恥ずかしさに顔を赤くし、さらに背中を丸めた。
(……やっぱり、俺なんかじゃ迫力不足だよな)
だが、田治見の眉がピクリと跳ねた。
「あぁ? なんだテメェら。何ワロてんねん」
彼女はドスの利いた声でガンを飛ばし、隊員たちを睨みつけた。
アレックスは、あえて笑い声が広がるのを待ってから、大きく咳払いをした。
「ゴホンッ!!」
静まり返る道場。
アレックスは冷ややかな目で隊員たちを見渡し、静かに告げた。
「笑ったな? ……忠告しておこう。
戦闘能力において……俺よりも、彼の方が**遥かに格上**だぞ?」
「……は?」
「教官より、強い……?」
ざわめきが動揺へと変わる。
アレックスは音無に目配せをした。
「音無。……いいぞ、やってやれ」
「……はい」
音無は前に進み出た。
彼は隊員たちの正面、5メートルほどの距離に立つと、深呼吸をした。
「……では、始めます」
音無は、礼儀正しく深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「「「よ、よろしくお願いします!」」」
隊員たちも条件反射で、一斉に頭を下げる。
一秒後。
隊員たちが頭を上げた時。
「……え?」
目の前には、誰もいなかった。
広い道場の真ん中。隠れる場所などない空間から、音無賢人の姿が忽然と消え失せていた。
「な、いないぞ!? どこだ!?」
「消えたぞ!?」
パニックになる隊員たちを見ながら、アレックスは口の端を吊り上げ、意地悪く笑った。
「よそ見をしている暇はないぞ?
……訓練(殺し合い)は、もう始まっている」
アレックス・ターナーの低い声が、静まり返った道場に響く。
「音無は今、君たちの目の前にいるかもしれないし、天井に張り付いているかもしれない。
ルールはシンプルだ。彼を見つけ、確保できれば君たち警察の勝ち。
だが……彼にこの『赤マジック』で身体に線を引かれた者は、**即ち死体**だ。速やかに道場の端へ移動しろ」
アレックスはストップウォッチを掲げた。
「始め(Go)!」
「……総員、散開! 2マンセルで死角を消せ!」
「了解!」
号令と共に、三十人の精鋭たちが動き出す。
彼らは手探りで空間を払ったり、互いの背中を守りながら慎重に歩を進める。
「おい、そっち何かいたか?」
「いや、クリアだ! ……クソッ、気配がまるでねぇ」
隊員たちは声を掛け合い、恐怖を紛らわせながら包囲網を狭めていく。
だが、開始から数分後。
(……ん?)
隊列の中央にいた隊員が、違和感に気づいた。
隣の相棒が口を動かしているのに、声が聞こえない。
いや、自分の足音も、衣擦れの音さえも消えている。
「……おい、何か言ったか?」
隊員は大声を出したつもりだった。だが、自分の喉が震えるだけで、音波となって空気を伝わらない。
(……音が、ない!?)
パニックが伝染する。
隊員たちが口々に叫び、耳を叩き、狼狽え始める。
完全なる無音の世界。
連携が寸断され、孤立感が彼らを襲う。
その時だ。
隊列のド真ん中。一番安全だと思われていた場所にいた隊員の首筋に、冷たい何かが走った。
スッ……
「……ひっ!?」
隊員が腰を抜かして尻餅をつく。
彼の喉元には、赤いフェルトペンのインクで、横一文字の線が引かれていた。
音無賢人の「無」による接近と、「音」の遮断。
「——ストップ!」
アレックスの声だけが、道場に響き渡る(音無がアレックスの声だけ通るように調整したのだ)。
「そこ! 尻餅ついている君だ!」
アレックスが冷酷に告げる。
「頸動脈を切断された。即死だ。端に寄れ」
「あ……あぁ……」
隊員は震える手で首を触り、赤いインクを見て顔面蒼白になった。
「こ、これがナイフだったら……俺は……」
「そうだ。音もなく近づかれ、悲鳴を上げる間もなく殺される。それが『対・音無戦』のリアルだ」
アレックスは残りの隊員を睨みつけた。
「次! 続行!」
再び音が消える。
恐怖のかくれんぼが再開された。
(……どこだ!? どこにいる!?)
(後ろか!? 横か!?)
隊員たちが疑心暗鬼になり、無闇に警棒を振り回す。
だが、赤い線は嘲笑うかのように増えていく。
心臓の位置に、バツ印。
大腿動脈に、一本線。
背中から肺へ、突き刺すような点。
そのどれもが、解剖学的に正確な「急所」だった。
「……くそっ! またやられた!」
「俺もだ! いつの間に……!」
次々と「死体」となって端へ追いやられる警官たち。
彼らの顔には、もはや侮蔑の色はなく、得体の知れない怪物への畏怖だけが張り付いていた。
やがて、道場の真ん中に残ったのは、たったの三人。
彼らは背中を合わせ、パニック寸前で周囲を警戒していた。
(来るな……来るな……!)
(どこだ! 出てこいよぉ!)
三人が、それぞれの正面を凝視した、その瞬間。
シュッ、シュッ、シュッ。
風のような音がした気がした。
三人が同時に首筋に冷たさを感じ、崩れ落ちる。
全員の首に、赤い線が引かれていた。
「——終了!!」
アレックスが手を叩いた。
同時に、三人の中心——誰もいなかったはずの空間が揺らぎ、一人の青年が姿を現した。
「……お疲れ様でした」
音無賢人は、右手に赤マジックを持ち、左手で少し申し訳無さそうに頭をかいていた。
汗ひとつかいていない。息も切れていない。
まるで散歩でもしてきたかのような、優しそうな笑顔の青年。
「……ひ、ぃ……」
最後にやられた三人の警官は、腰が抜けて立ち上がれなかった。
この優しそうな青年が、自分たちの命をいつでも奪えたという事実。それが、どんな凶悪犯よりも恐ろしく感じられたのだ。
アレックスは、怯える警官たちの前に立った。
「……分かったか? これが『現実』だ」
アレックスはホワイトボードに向かい、ペンを走らせた。
「この場合、どうすれば良かったか。
音無のような『視認不可』かつ『音響制御』を持つ敵と遭遇した場合……個人の感覚に頼るな」
アレックスは熱弁を振るう。
「最優先すべきは**『広範囲の制圧』**だ。
一点を探すのではなく、消火器でも水でもいい、空間全体に『異物』をばら撒け。奴の『無』は強力だが、物理的な干渉を全て消せるわけじゃない。
水に濡れれば形が浮く。粉塵が舞えば空間が歪む。……そこを全員で撃て」
アレックスは震える隊員たちの目を見た。
「恐怖で固まるな。見えない敵を恐れるな。
『見えないなら、炙り出せ』。……それが、お前たちが生き残るための唯一の手段だ」
隊員たちは、食い入るようにアレックスの話を聞いていた。
ノートを取る手は震えていたが、その目は真剣そのものだった。
「……悔しいですが、完敗です」
「教官……! もう一度、対策をご教授ください!」
自分が呆気なく敗北した相手——音無賢人という底知れぬ青年の存在が、彼らの慢心を粉々に打ち砕き、本物の危機感(プロ意識)を芽生えさせていた。
音無賢人の衝撃的な実力行使により、道場内の空気は一変していた。
もはや誰も、彼らを「素人」などと侮る者はいない。
そこに、アレックスが声を張り上げた。
「よし。次は**『応急処置』**の講義だ。
覚醒者との戦闘において、負傷は避けられない。その時、どうやって命を繋ぐか……専門家に教えてもらう」
アレックスは、道場の隅であくびをしていたジャージの女を指差した。
「田治見先生。頼む」
「へいへい……。ったく、めんどくせぇなぁ」
田治見薫は、サンダルをペタペタと鳴らしながら隊員たちの前に進み出た。
片手には水筒(中身は酒)を持っている。
隊員たちはゴクリと喉を鳴らした。
さっきの音無が「見えない怪物」なら、この女は何だ? 雰囲気だけで言えば、繁華街でふらついている酔っ払いそのものだ。
「……おい。そこのガタイのいい兄ちゃん」
田治見は、最前列にいた柔道有段者らしき巨漢の隊員を指差した。
「お前だよ。さっき音無を見て『手加減しねぇと折れちまう』とか抜かしてた奴」
「ッ……! は、はい!」
隊員が直立不動になる。
「ちょっと来な。モデルになれ」
「は? モデル……ですか?」
隊員が訳も分からず前に出ると、田治見はニヤリと笑い、両手を広げた。
「——『田』」
ブォン。
目に見えない圧力が展開され、田治見と隊員を包み込む。
「……な、なんだこれ? 空気が……」
隊員が違和感に眉を寄せる。
田治見は隊員の胸板を指先でツツッとなぞった。
「——『見』」
田治見の瞳が妖しく光る。
彼女の視界では、隊員の皮膚が透け、筋肉、血管、内臓、骨格が精緻な3Dモデルのように浮かび上がっていた。
「へぇ……。いい体格してるけど、中身はボロボロじゃねぇか」
田治見は冷ややかに告げた。
「右膝の半月板、古傷が治りきってねぇな? 庇って歩く癖がついてる。
それに肝臓……脂肪肝気味だ。腸の中を見るに昨日も脂っこいラーメン食って、酒飲んだだろ?」
「なっ……!?」
隊員が驚愕に目を見開く。
「な、なぜそれを……! 昨日の夕食なんて誰にも……!」
「アタシの『眼』には全部お見通しなんだよ。
……いいか、テメェら。よーく聞け」
田治見は隊員から離れ、全員を見渡した。
「お前らが相手にする『覚醒者』ってのはな、こういう理不尽な連中だ。
隠れても無駄。鍛えても無駄。
皮膚一枚下にある動脈を、指一本触れずに引きちぎれる化物がゴロゴロいる」
田治見は自分の腕をまくって見せた。
「もし、現場で腕が切断されたらどうする? 止血帯? 圧迫止血?
……ハッ、甘ぇよ」
田治見は懐からサバイバルナイフを取り出し、自分の腕に軽く傷をつけた。
鮮血が滲む。
「うわっ!?」
隊員たちがどよめく。
「見てろ。……『治』」
田治見が傷口を指で撫でる。
すると、傷口の肉がまるで粘土のように蠢き、瞬時に癒着して塞がった。後には傷跡一つ残っていない。
「す、すげぇ……!」
「魔法か!?」
感嘆の声が上がるが、田治見は冷たく言い放った。
「魔法? 違うな。これは『無理やり細胞を繋げただけ』だ」
田治見は隊員たちに顔を近づけた。
「いいか? アタシら覚醒者の攻撃を受けた傷は、普通の傷じゃねぇ。
氷で壊死したり、熱で炭化したり、植物が寄生したりする。
そんなもん、包帯巻いたくらいで治るわけがねぇんだよ」
田治見の声がドスを帯びる。
「現場で重傷を負ったら、『その部位は諦めろ』」
「……え?」
「腕が凍ったら、溶けるのを待つな。壊死する前に切り落とせ。
腹をえぐられたら、内臓がこぼれないようにガムテープでも巻いて、這ってでも逃げろ。
『綺麗に治そう』なんて思うな。『死なない』ことだけ考えろ」
極論とも言える生存論。だが、その言葉には凄まじい説得力があった。
「もし、どうしても死にたくなくて、五体満足に戻りたかったら……」
田治見はニカっと笑った。
「金持ってアタシの所に来な。
泣き叫ぶくらい痛い思いをさせてやるが……地獄の淵から引きずり戻してやるよ」
シンと静まり返る道場。
隊員たちは、このだらしない格好の女が、人の命を握る「魔女」であることを本能で理解し、畏怖の念を抱いた。
「……以上だ。質問ある奴はいないな? 」
田治見は話を強引に切り上げ、水筒に入れた酒を煽って下がっていった。
その背中を見送り、最後に白川真純が前に進み出た。
「……皆さん。今の話を聞いて、どう思いましたか?」
白川は静かに語りかける。
「音無君の見えない恐怖。田治見さんの人知を超えた技術」
白川は全員の顔を見た。
「私も実は覚醒者です…私達は怪物かもしれません。ですが……『理性を持った人間』でもあります。
音無君は、マジックで済ませてくれました。田治見さんも、脅しはしましたが傷はつけていません。
恐れるのは当然です。ですが、ただ怖がって排除しようとしないでください。
彼らの力を正しく理解し、恐れ、そして……『連携』すること。
それが、これからの日本を守るために、私たち警察官に求められる新しい正義です」
白川が深々と頭を下げると、しばらくの沈黙の後、道場内に割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「……ありがとうございました!」
「勉強になりました!」
隊員たちの目から、嘲笑の色は完全に消えていた。
そこにあるのは、未知なる隣人への敬意と、プロとしての新たな覚悟だった。
講習会は終わった。
帰り際、音無は大きく息を吐いた。
「……疲れました」
「よくやったな、音無。お前のおかげで締まったぞ」
アレックスが肩を叩く。
「ケッ、肩凝ったわ。……おい白川ちゃん、報酬弾めよ?」
田治見が首を回す。
「はいはい。東先生に伝えておきますよ」
最強のチームは、警察という巨大組織に強烈な爪痕を残し、次なる戦いへと歩き出した。




