第26章 新たな絆と再生する洋館の朝
■洋館・ダイニングルーム
「——乾杯!」
クリスタルのグラスと、缶ビールのアルミが触れ合う音が、洋館のダイニングに心地よく響いた。
テーブルの上はカオスだ。スーパーの惣菜、デリバリーのピザ、そして鈴木が持ち込んだ猪肉の燻製や、田治見が要求した高級ウイスキーのボトルが所狭しと並んでいる。
一通りの食事が進み、場が温まった頃、東義昭がグラス(中身はブラックコーヒー)を片手に静かに立ち上がった。
「……皆、聞いてくれ」
東の低い、しかしよく通る声に、談笑していたメンバーたちが静まり返る。
「まずは、瀕死の重傷だったサラ君とアレックス君の、奇跡的な回復に尽力してくれた田治見先生に感謝を。
……その治療法には、大いに議論の余地があるが、結果は完璧だ」
東は複雑そうな顔で礼を述べた後、全員の顔を一人ひとり見渡した。
「そして……今日という日を生き延びた全員に、心からの敬意を表したい。
金剛寺一派による波状攻撃、そして米軍介入までの『15分』という絶望的なタイムリミット……。
これらを凌ぎ切り、拠点を防衛できたのは、君たちの力があってこそだ。本当によくやった」
「へへっ、よせやい。先生に褒められると背中が痒くなるぜ」
鈴木が照れくさそうに鼻をこすり、焼酎をあおった。
しかし、その和やかな空気を、一人の泥酔者がぶち壊した。
「……あぁん?」
田治見薫が、チータラを齧りながら素っ頓狂な声を上げた。
ジャージ姿で胡座をかき、高級ウイスキーをラッパ飲みしているその姿は、この豪華な洋館において異物でしかない。
「おいおい社長さんよぉ。さっきから何言ってんだ?
『コンゴウジ』って誰だよ? それに『米軍』って……まさか、あのUSAか? 何の冗談だ?」
その発言に、事情を知らない谷や白川たちがキョトンとする。
「……あ」
東は片眉を上げた。
「そういえば、紹介がまだだったな」
東は田治見を手で示した。
「紹介しよう。彼女は田治見 薫。
元外科医にして、強力な治癒能力を持つ覚醒者だ。今日からこの施設で共に暮らすことになった」
「「えぇっ!?」」
まだ彼女と絡んでいなかったメンバー——谷、音無が、驚きの声を上げる。
「こ、この人がですか……?」
音無が、信じられないものを見る目で凝視する。目の前にいるのは、どう見てもアルコール依存症の不審者だ。医療従事者の清潔感など欠片もない。
「よろしくなぁ! ま、医者って言っても今はただのモグリだけどな! ギャハハ!」
田治見は豪快に笑い、空になったボトルを床に置いた。
「……で? その金剛寺とか米軍ってのは何なんだよ?
アタシゃ『金払うから死にかけの患者を治せ』と言われただけで、事情はさっぱりなんだわ」
田治見が問いかけると、音無賢人が静かに口を開いた。
「……金剛寺武は、俺、音無賢人を狙っている元政治家です」
「アンタを?」
「はい。俺の能力……『音』と『無』の力を利用して、政敵を暗殺しようとしていました。
俺はそれを拒否してここにいます。だから奴は、俺を捕まえるために、なりふり構わずここを襲撃してきたんです」
「なるほどねぇ。音無くんはモテモテってわけか」
「それだけじゃないわ」
サラ・コッホが横から補足する。彼女の表情は真剣だ。
「金剛寺のバックには、米軍……私の元上司であるグレイがいたの。
でも、金剛寺は切り捨てられた。だから奴は暴走してテロリストになり、グレイは『漁夫の利』で私たちごと消そうと軍を動かした。……ってわけ」
「うわぁ……」
田治見は心底ドン引きした顔をした。
一気に酔いが覚めたようだ。
「なんだそりゃ。腐敗政治家とテロリストと米軍かよ。……スケールが違いすぎて笑えねぇな」
最後に、東が重々しく締めくくった。
「つまり我々は今、国内の暴走した元政治家と、国外の軍事大国……その双方を敵に回している状態だ。
一歩間違えれば即座に消される。……それが、君が契約した職場の現状だ」
「……随分とぶっ飛んだ職場に来ちまったなぁ」
田治見は深いため息をつき、新しいハイボールを濃いめに作った。
「ま、衣食住と酒がタダなら文句は言わねぇけどよ。……命がいくつあっても足りなそうだ」
「理解が早くて助かる」
東は頷くと、懐から一枚のメモを取り出し、テーブルに広げた。
「さて。この絶望的な状況を打破し、我々が生き残るためには……**『法』**が必要だ」
東は指を四本立て、演説するように語り始めた。
「私は今後、四つの法案を強行採決で通すつもりだ。
一つ、『覚醒者特別犯罪対策局設置法』。今手続き中だがこの組織を正式な国家機関にし、予算と権限を確定させる。
二、『覚醒者能力行使特措法』。君たちが現場で能力を使っても罪に問われないようにする、最強の免罪符だ」
東は鈴木と髙橋を見た。
「三、『特定覚醒者収容施設設置法』。今日捕まえた風間のような、通常の牢獄では捕まえておけない犯罪者を収容する『パノプティコン』を作る」
そして、サラとアレックスを見る。
「四、『司法取引特例法』。サラ君たちのように、協力者を保護し、身分を保証するための制度だ」
東はテーブルを拳で叩いた。
「だが、これらを通すには説得力がいる。反対派の議員どもを黙らせるだけの、圧倒的な**『実績』**だ。
だから君たちには、これからも現場で成果を出し続けてもらう。……休んでいる暇はないぞ」
全員が真剣な表情で頷く。
自分たちが戦う理由、そのゴールが明確に示されたからだ。
「そして……」
東は田治見の方を向いた。その表情が、僅かに引きつる。
「過激な任務には怪我がつきものだ。だが、安心していい」
東は咳払いをし、田治見を紹介した。
「これからは、田治見先生が拠点に常駐してくれる。
具合が悪かったり、怪我をしたりしたら、すぐに彼女に言うように。……どんな重傷でも、確実に治してくれるはずだ」
その言葉に対する反応は、綺麗に真っ二つに分かれた。
【グループA:地獄(手術)を見た者たち】
(サラ、アレックス、鈴木、そして東自身)
「…………」
サラとアレックスは顔面蒼白になり、無言で視線を逸らした。冷や汗が流れている。
(……No. 絶対に、絶対に怪我だけはしない。風邪すら引かないようにしよう)
(あんな思いをするくらいなら、自然治癒にかける……! 内臓を弄くり回されるのは二度と御免だ!)
鈴木も震えながら首をブンブンと振った。
(腹の肉をえぐられて、他の場所に埋め込まれるなんて……想像しただけで吐きそうだ)
彼らの目には、「よっぽどの事……いや、死ぬ寸前以外は絶対に頼まない」という固い決意があった。
一方、
【グループB:何も知らない者たち】
(髙橋、谷、白川、音無、幸田)
彼らは、田治見の「神業」の過程(グロテスクな解体ショー)を知らない。
ただ「東先生が認めた凄いお医者さんが来てくれた」と純粋に喜んでいた。
「よろしくお願いします、田治見先生!」
白川が頭を下げる。
「心強いです! これで安心して現場に出られます!」
谷がガッツポーズをする。
「設備の不備などは言ってくださいね。転移で運びますから」
髙橋がにこやかに言う。
その無邪気な挨拶。
それを聞いた田治見は、ニカっと歯を見せて、肉食獣のように笑った。
「おぅ、任せろ!」
田治見はメスを握るような手つきで空を掴み、指をワキワキと動かした。
「手足の一本や二本、いつでも繋げてやるよ!
なんなら、内臓の配置換え(模様替え)もサービスしてやるからな!
遠慮すんなよ! アタシは切るのも繋ぐのも得意なんだ!」
「「「……?」」」
意味が分からずキョトンとする谷たちと、その横でガタガタと震えながら酒をあおるサラたち。
温度差のある歓迎会は、夜更けまで続くのだった。
■洋館・ダイニングルーム
「ギャハハハ! んで鈴木、お前そのデカさでLLのカーディガンは無理があるだろ! パッツパツじゃねぇか!4Lがあって良かったな!」
「うるせぇよ田治見! 普通の店じゃ売ってねぇんだから仕方ねぇだろ!」
宴もたけなわ。アルコールの量が増えるにつれて、食堂のボルテージは上がり続けていた。
そんな喧騒の中、テーブルの端で小さくなっている幸田美咲の横に、音無賢人がそっと椅子を寄せた。
「……幸田さん。大丈夫?」
賢人が小声で尋ねると、美咲はビクリとして顔を上げ、弱々しく微笑んだ。
「あ、音無さん……。うん、ありがとう。大丈夫です」
美咲は震える手で、空になった自分のグラスを握りしめた。
「さっき……金剛寺たちが攻めてきた時の爆音とか、あの氷川って人の氷を見た時……心臓が止まるかと思いました。
でも、今は皆さんがこんなに明るくいてくれるから……少しずつ、楽になってきました」
「そうか。ならよかった」
「でも……」
美咲は俯いた。
「私だけ、戦闘の時もただ守られてるだけで……。今だって、ちょっと手が震えてて、家事のお手伝いも出来なくて……申し訳ないです」
自分は役に立っていない。その罪悪感が、彼女を押しつぶそうとしていた。
賢人は静かに首を横に振った。
「気にするなよ。……今日は本当に、大変な一日だったんだ。震えて当たり前だ」
賢人は優しい声で諭した。
「無理に動かなくていい。落ち着いてから、自分の出来る範囲でやっていけばいいんだよ。誰も責めたりしない」
「音無さん……」
美咲の瞳が潤む。
「いつも、ありがとうございます……」
美咲は少し考えてから、申し訳なさそうに切り出した。
「あの……じゃあ、今日は早めに休ませてもらってもいいですか? ここにいると、暗い顔しちゃって皆さんに悪いですし……」
「ああ。それがいい」
美咲は立ち上がり、宴会で盛り上がっている鈴木や田治見たちに気づかれないよう、身を屈めながらそっと食堂の出口へと向かった。
賢人はそれを見届けると、スゥッと息を吸った。
(——『無』)
賢人の存在が希薄になる。
彼は誰にも気づかれることなく席を立ち、音もなく美咲の後を追った。
廊下に出た瞬間、美咲の横で賢人がふわりと気配を解放する。
「うわっ!?」
美咲が驚いて振り返る。
「お、音無さん!? いつの間に……」
「部屋まで送るよ。……廊下は暗いから」
「ふふ、過保護ですね。……でも、嬉しいです」
二人は静かな廊下を並んで歩いた。
一階の美咲の部屋の前。
「……今日は、本当にありがとうございました」
美咲はドアノブに手をかけ、振り返った。その顔には、先ほどよりも自然な笑顔が浮かんでいた。
「なんだか、少し元気が出てきました。……明日からは、また頑張りますね! 美味しい朝ごはん作ります!」
賢人はその笑顔を見て、胸の奥がホッとするのを感じた。
「ああ。……でも、無理しない範囲でね?」
「はい! おやすみなさい、音無さん」
「おやすみ」
パタン。ドアが閉まる。
賢人は鍵がかかる音を確認すると、再び「無」を発動させた。
(……さて、戻るか)
気配を消したまま食堂に戻り、自分の椅子に座ってから、ゆっくりと気配を戻す。
まるで最初からそこにいたかのように、賢人はテーブルの缶ビールを手に取った。
「……ん?」
隣の席の鈴木が、赤ら顔で首を傾げた。
「あれ? 幸田ちゃんいねぇな? トイレか?」
「いや、今日は早く休むって部屋に戻ったよ」
賢人が答えると、鈴木は「そうかぁ」としみじみ頷いた。
「ま、仕方ねぇよな。彼女、今日たくさん怖い思いしたもんなぁ……。両親のこともあったばかりだし、無理もねぇ」
向かいの席で飲んでいた谷が、ふと思い出したように、上座で大笑いしている田治見に声をかけた。
「なぁ先生。あんた医者なんだろ? ……こういう時、どうすりゃいいんですかね?」
谷は期待していなかった。
さっきまで「内臓の配置換え」だの「男の急所の蹴り方」だの、下品な話題で爆笑していた女だ。どうせ「酒飲ませりゃ治るよ!」とでも言うのだろうと思っていた。
しかし。
田治見は持っていたグラスをコトリと置くと、据わった目で谷を見た。
「……あぁ? 当たり前だろ。**『安全の保証』と『役割の付与』**だよ」
「へ?」
田治見は手元のピーナッツを摘みながら、淡々と、しかし流暢に語り始めた。
「未成年の急性ストレス障害(ASD)において重要なのは、まず物理的・心理的な安全基地の確保だ。
『ここは絶対に安全だ』と脳に認識させること。そのためには、大人が過剰なほどに『守る』という姿勢を見せ続ける必要がある」
田治見の口調から、酔いが消えているように見えた。
「だが、ただ守るだけじゃダメだ。過保護は無力感を助長する。
だから、本人が落ち着いてきたタイミングで、小さな『役割』を与えるんだ。掃除でも料理でもいい。
『自分は集団に貢献できている』という自己効力感を持たせることが、トラウマからの回復を早める最短ルートだ」
田治見は一息つくと、またグビリと酒を煽った。
「ま、焦らせたら逆効果だけどな。……薬物療法は最終手段だ。まずは環境療法ってやつだよ」
シーン……。
食堂が静まり返る。
全員が、ポカンと口を開けて田治見を見ていた。
「……お、おぉ〜……」
「すげぇ……」
「めちゃくちゃまともなこと言ってる……」
東が感心したように頷く。
「流石だな。腐っても元医者か」
「よせやい! 褒めても何も出ねぇぞ!」
田治見は照れ隠しのように手を振り、再び下品な笑い声を上げた。
「ギャハハ! ま、一番の薬はイイ男を見つけることだけどな!」
いつもの田治見に戻った。
だが、賢人は感嘆の眼差しで彼女を見ていた。
(……この人、ただのヤバい人じゃない。本物のプロだ)
賢人は、自分のノートに新たな項目を書き足そうと思った。
『幸田さんのケアについて』。
(……今度、田治見先生に個人的に聞きに行こう。幸田さんにどう接すればいいか、もっと詳しく)
賢人は少し温くなったビールを喉に流し込んだ。
身体がふわふわする。心地よい酔いと、頼もしい仲間たちの喧騒。
戦いの後の夜は、優しく更けていった。
■洋館・二階廊下〜食堂
チュン、チュン……。
小鳥のさえずりが、朝の訪れを告げていた。
幸田美咲は、目覚まし時計が鳴るよりも早く目を覚ました。
ベッドから起き上がり、自分の両手を見る。震えていない。
昨日のような、胸がザワつく不安感も消えている。
「……うん。大丈夫」
美咲は窓を開け、新鮮な朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
(良かった……。皆さんのおかげだ)
素早く着替えを済ませ、部屋を出る。
廊下は静まり返っている。東や鈴木、髙橋は昨夜のうちに帰宅したし、他のメンバーも部屋で休んでいるのだろう。
「よし。一番乗りで朝ごはんの準備をしなきゃ!」
美咲は意気揚々と食堂のドアを開けた。
「おはようございま……あ……」
美咲の言葉が凍りついた。
そこには、地獄絵図……ではないが、ある意味で凄惨な光景が広がっていたからだ。
テーブルの上には、無数の空き缶、空き瓶、惣菜のプラスチック容器、汚れた皿が散乱している。
そして、その残骸の中に——。
「ぐごぉぉ……むにゃ……」
テーブルに突っ伏して、豪快なイビキをかいている谷雄一。
さらにその奥では、椅子に深くふんぞり返り、白目を剥いて天井を見上げながら爆睡している田治見薫の姿があった。
「……うわぁ」
澱んだ酒の臭いと、散らかり放題の部屋。
朝の清々しい気持ちは一瞬で吹き飛び、美咲は深いため息をついた。
「はぁ……。昨日の宴会の跡地ですね……」
だが、美咲はすぐに自分の両頬をパン! と叩いた。
「ううん、ダメダメ! 落ち込んでる場合じゃない!」
美咲は腕まくりをして、汚れたテーブルを睨み据えた。
戦闘の時、自分は守られるだけで何も出来なかった。足手まといだった。
だからこそ。
「ここが……今の私の戦場なんだ!」
美咲は決意の炎を燃やし、ゴミ袋を片手に突撃を開始した。
「待っててください皆さん! 今すぐピカピカにして、最高に美味しい朝ごはんを作りますからね!」
■洋館・敷地内(外周)
同時刻。朝霧の中を、二つの影が疾走していた。
サラ・コッホとアレックス・ターナーだ。
「ハッ、ハッ、ハッ……! 調子はどうだ、サラ?」
「最高よ! 全力疾走しても痛みなし! 田治見の腕は本物ね!」
二人はランニングを兼ねて、昨日設置したセンサーやトラップの点検を行っていた。
「クリア。異常なし」
サラは木の幹に設置されたカメラを確認し、汗を拭った。
「身体が元に戻ったとはいえ、動かさなきゃ鈍る一方だものね。……でも」
サラは自分のふくらはぎをさすった。
「田治見には感謝しなくちゃね。……ま、もう二度と頼りたくないけど」
「そうか?俺はどんな手術をされたのか意識がなくて分からないが…サラがそう言うならそうなんだろうな」
アレックスが苦い顔をする。
「今度、母国の美味い酒でもご馳走してやって、機嫌を取っておくか?」
「良いね! あの人なら喜びそうだわ」
並走しながら、アレックスがふと思い出したように口を開いた。
「なぁサラ。……昨日の手術中のことなんだが」
「え? 何か覚えてるの?」
「ああ。……俺、今までどんな絶望的な戦況でも、拷問を受けても、『走馬灯』なんて見た事無かったんだ。でも昨日……見たんだよ」
「へぇ……そう」
サラは顔を引きつらせた。昨日の内臓パズルを思い出したくないからだ。
「で? どんな内容だったの?」
「花畑にいてな。昔のことが走馬灯のように流れて……。そしたら、目の前に大きな川があったんだ」
「川?」
「ああ。静かな川だ。渡ろうとしたら、向こう岸に子供の頃死んだ婆さんが出てきてさ。鬼みたいな顔で『こっちに来るな!』って石投げられて……。
あれは、何だったんだろうな?」
サラは走りながら、ニヤリと笑った。
「ああ、それね。多分、日本に伝わる**『三途の川』**ってやつだと思うわよ?」
「サンズ・リバー?」
「ええ。日本の伝承で、あの世とこの世の境界線よ。……その川を渡ると、死ぬらしいわ」
「……マジか」
アレックスの顔から血の気が引いた。
「婆ちゃん……止めてくれてありがとう」
「あはは! 親孝行しなさいよ、アレックス。渡らなくて本当によかったわね」
二人は笑い合いながら、朝日に照らされた洋館へと戻っていった。
■洋館・食堂
「ただいまー! シャワー浴びてきたわよー!」
サラとアレックスがさっぱりした顔で食堂に入ると、そこは既に「戦場」から「食卓」へと変わっていた。
「うぅ……頭いてぇ……水……」
「はい、お水です。しっかりしてください谷さん」
白川真純が、二日酔いで死にかけている谷の背中をさすりながら水を飲ませている。
そして、部屋の隅には——椅子ごとズルズルと移動させられた田治見が、まだ天井を向いて爆睡していた。
「……邪魔だったから移動させられたのね」
サラが苦笑する。
そして、キッチンからはトントンという軽快な音と、食欲をそそる出汁の香りが漂ってくる。
「おはようございます、サラさん、アレックスさん!」
エプロン姿の美咲が、輝くような笑顔で振り返った。
テーブルには、炊きたてのご飯、熱々の味噌汁、焼き魚に卵焼きが人数分、完璧にセットされている。
「Wow... Amazing!」
アレックスが感嘆の声を上げる。
「これ、全部君がやったのかい?」
「はい! 片付けも終わりました!」
「ありがとう美咲ちゃん! 最高の朝だわ!」
サラが感謝を伝えると、美咲は誇らしげに胸を張った。
「いえいえ! これが私の仕事ですから! どんどん食べてくださいね!」
その表情には、昨日の怯えや悲壮感は微塵もない。
自分の役割を見つけ、自信に満ちた顔つき。昨日の彼女とは別人だ。
(……よかった。完全に吹っ切れたみたいね)
サラはホッと胸を撫で下ろし、袖をまくった。
「よし! じゃあ配膳は手伝うわよ!」
「あ、ありがとうございます!」
キッチンで笑い合う女性陣。
その賑やかさに誘われるように、音無も目をこすりながら降りてきた。
「……おはようございます。いい匂いですね」
そして——。
シュンッ!
「おはよう! 遅くなったかな?」
「腹減ったぞー! 飯はまだかー!」
空間が歪み、通勤組の東、髙橋、鈴木が到着した。
「皆さん、おはようございます! ちょうど出来たところですよ!」
「おお! 素晴らしい!」
「いただきまーす!」
全員が席につき、湯気の立つ朝食を囲む。
「いただきます」の声が重なり、笑顔が広がる。
美咲は、その光景を見渡して、目頭が熱くなるのを感じた。
昨日は地獄だった。でも今は、こんなにも温かい場所にいる。
(……幸せだなぁ)
いつもの朝が、当たり前にやってくること。
そして、「美味しい」と言ってくれる人たちがいること。
その奇跡に、誰よりも深く感謝を捧げながら、美咲は自分の箸を手に取った。




