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巡り巡る 〜漢字の意味が世界を変える世界〜  作者: 暇な鍼灸師


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第24章 酔いどれの魔女と禁断の治療術



■洋館・敷地内



米軍ヘリの爆音が遠ざかり、洋館に静寂が戻った。だが、それは安息の静けさではない。


死臭と血の匂い、そして負傷者の苦悶の息遣いが満ちる、緊迫の静寂だ。


東義昭は、去りゆく空を睨みつけたまま、矢継ぎ早に指示を飛ばした。


「白川君! 一階の客室を解放しろ! アルコールと清潔なシーツをありったけ集めて『臨時病室』を作るんだ! 急げ!」


「は、はい! すぐに!」


「鈴木君! 君はサラとアレックスをそこへ運べ! 揺らすなよ、慎重にな!」


「おう、任せろ!」


鈴木が瀕死のアレックスとまだ口が聞けるサラを抱え上げ、白川が先導して館内へと走り込む。


東は振り返り、髙橋俊明の腕を掴んだ。


「髙橋君、行くぞ」


「え? どこへですか?」


「病院だ。……私の知人に、口の堅い外科医がいる。仕事上がりの時間だ、駐車場で待ち伏せる」


東の目は血走っていた。


「診るだけでもいい。無理やりにでも連れてくる。……座標を送る、飛べ!」


「りょ、了解!」


シュンッ!


東と髙橋の姿が掻き消える。


残されたのは、谷雄一と音無賢人。


二人は目配せを交わし、即座に背中合わせに立った。


「……音無。俺たちは『外』だ」


「はい。……誰も近づけさせません」


谷と賢人は意識を集中させる。


『谷(反響)』×『音(増幅)』。


二人の能力がリンクし、洋館を中心とした半径数キロ圏内が、監視下に置かれた。



■洋館・臨時病室



「……うぅ……」


「大丈夫、もうすぐお医者様が来るからね……!」


白川真純は、ベッドに寝かせたサラとアレックスの止血に追われていた。


警察学校で習った救急救命の知識を総動員し、圧迫止血を試みる。だが、サラの足の傷は深く、アレックスの骨折は深刻だ。肋骨が皮膚を突き破り外に出ている。包帯はすぐに赤く染まっていく。


「……くそっ、血が止まらねぇ……」


部屋の隅では、鈴木浩三がオロオロとしていた。

彼の横には、幸田美咲が膝を抱えて座り込んでいる。


先ほどの爆撃と銃撃戦、そして目の前で人が焼かれたショックで、彼女はガタガタと震え、言葉を失っていた。


「あー……その、なんだ。嬢ちゃん」


鈴木は慣れない手つきで、美咲の肩に毛布をかけてやった。


「怖かったよな。……でももう大丈夫だ。俺たちがついてる」


「…………」


美咲は反応しない。鈴木は困ったように頭をかいた。


「……腹、減ってねぇか? 飴ちゃん食うか?」


不器用な慰め。だが、その大きな手の温もりだけは、美咲に伝わっていた。


その時、部屋の空気が揺らいだ。


シュンッ!


「急に景色が変わった!?こ、ここは何だね!? 誘拐だぞ!」


白衣姿の中年男性——佐山医師が、目を白黒させながら現れた。


その腕を、東がガッチリと掴んでいる。


「誘拐ではない、往診だ。……佐山先生、頼む。彼らを診てくれ」


東が頭を下げる。髙橋も息を切らして頭を下げた。


佐山は状況を飲み込めないまま周囲を見回し、血まみれの二人を見て医師の顔になった。


「……チッ。無茶苦茶しおって」


佐山は白川から場所を代わり、迅速に診察を始めた。


聴診器を当て、傷口を確認し、アレックスの腕に触れる。


数分後。


佐山は聴診器を外すと、苦渋の表情で首を横に振った。


「……東先生。はっきり申し上げます」


佐山は汗を拭いながら、冷酷な現実ファクトを突きつけた。


「この環境……機材もスタッフも足りないこの洋館で、彼らの治療を完遂するのは不可能です」


「なんだと?」


佐山は震える手でカルテ代わりのメモを示した。


「女性の方……サラ君の足ですが、氷による貫通創が深すぎる。筋肉の断裂に加え、汚水による感染症のリスクが極めて高い。壊死した組織を取り除き、血管を繋ぐマイクロサージェリーが必要です」


そして、アレックスを見た。


「彼に至っては論外だ。肋骨が開放骨折し、さらに肺を傷つけている恐れがある。両腕は恐らく粉砕骨折だ。全身麻酔と人工呼吸管理下での大手術が要る。

……ここにあるのは、気休めの包帯と痛み止めだけだ。私が神の手を持っていたとしても、道具がなければ救えない」


「……つまり、設備の整った大病院へ運べと言うのか?」


「そうです。今すぐにでも。……でなければ、命に関わるか、二度と使い物にならなくなります」


室内が絶望的な沈黙に包まれる。


髙橋が悔しそうに呟く。


「……対象を安静に正確な位置への転移は自信がないです…」


「……クソッ!」


鈴木が壁を殴った。


白川も唇を噛み締め、美咲は更に青ざめて震えている。


絶望的な空気が漂う中、佐山医師がポツリと漏らした。


「……医者として、こんなことを口にするのはプライドが許しませんが」


「ん?」


佐山は青ざめた顔で、まるで汚らわしいものを思い出すかのように口元を歪めた。


「現代医療の枠組みで無理なら……『あっち側』の住人に頼るしかありません」


「あっち側?」


「……以前、裏社会の人間を診た時に、一度だけ会ったことがあるんです。元医者で今は闇医者……無免許の治療屋に」


佐山は身震いをした。


「ですが……奴は、いや『彼女』は……」


「女なのか?」


「ええ。……ですが、とても人には勧められません。

法外な治療費をふっかけるだけならまだいい。彼女の治療法は……医学への冒涜だ」


佐山は吐き捨てるように言った。


「患者を『肉』か『粘土』のように扱い、嬉々として切り刻む……。

生理的にも、倫理的にも受け付けない。あんなものは医療じゃない。……魔術か、屠殺だ」


東の目が鋭く光った。


「……腕は?」


「……悔しいですが、彼女の腕は本物です。私が諦めた命を、何度も……」


東は懐から小切手帳を取り出し、サラサラと金額を書き込んで佐山の胸ポケットにねじ込んだ。


「……いくらだ? これで足りるか?」


「ひっ……!? い、いえ、金の問題では……」


「足りんと言うなら、君の病院への補助金を倍増させてやる。……情報を吐け。その『魔女』の名前は?」


佐山はゴクリと唾を飲み込み、観念したように口を開いた。


「……田治見たじみ

田治見たじみ かおるという女です」


「田治見……?」


「ええ。噂では、『テリトリー』の中で人体を『』通し、瞬時に『ちりょう』する能力を持つ……治癒特化の覚醒者だとか」


「……!!」


全員に電流が走った。


回復能力者ヒーラー。この過酷な戦いにおいて、最も渇望していたピースだ。


たとえそれが、生理的に受け付けない劇薬だとしても。


「……なるほど。覚醒者か」


東はニヤリと笑った。


「ならば話は早い。医学で治せぬなら、能力ルールで治すまでだ」


東は振り返り、ベッドの上のサラに声をかけた。


「おい、サラ。……起きろ」


「……うぅ……なに? ボス……」


サラは痛み止めで朦朧としながらも、瞼を開けた。


「仕事だ。パソコンの前に座れ」


「はぁ……? 私、重病人なんだけど……」


「足が動かなくても、指と脳は動くだろう?」


東は冷酷に、しかし信頼を込めて命じた。


「その『田治見 薫』という闇医者の居場所を特定しろ。

裏社会の掲示板、闇サイト、防犯カメラ……あらゆるネットワークを駆使してな。

……アレックスと自分の足を治したければ、今すぐ見つけ出すんだ」


サラはその言葉を聞くと、痛みをこらえて不敵に微笑んだ。


「……人使いが荒いんだから、もう」


「音無、手を貸して。……私をコンソールの前まで運んで」


「あ、はい!」


警備から戻った賢人がサラを抱き起こし、車椅子代わりのキャスター付きチェアに乗せる。


サラはキーボードの前に座ると、パチンと自分の頬を叩いた。


「OK……。やってやるわよ」


カタカタカタカタ……ッ!


目にも止まらぬ速さでタイピングが始まる。


モニターの光が、サラの鬼気迫る表情を照らし出す。


「田治見……田治見……。どこに隠れていようが、私の『眼』からは逃げられないわよ……!」


最強にして最悪のヒーラーを探すため、傷ついた情報屋による執念の検索サーチが始まった。



■繁華街・場末の居酒屋『赤提灯』



「ギャハハハハ! でさぁ! そのヤクザもんが泣きながら『姐さん、指詰めさせてください!』って小指だそうとしてきやがったんだよ!」


紫煙と安酒のツンとする臭い、そして男たちの脂ぎった熱気が充満する店内で、一人の女の下品な笑い声が響き渡っていた。


油で汚れたパイプ椅子に片足を乗せ、ジョッキを揺らしているのは、白衣ならぬヨレヨレのジャージを羽織った女——田治見 薫だ。


「だ・か・ら! アタシ言ってやったんだよ!

『バァカ! 指なんか詰めても金になんねぇだろ! 詰めるなら**カネ**詰めろ! さもなくばテメェの肝臓置いてけ!』ってな! ギャハハ!」


「最高だぜ姐さん! 男前すぎる!」


「一生ついていきます!」


周りを囲むガラの悪い男たちが、腹を抱えて爆笑する。


田治見は満足げにジョッキを煽り、空になったそれを高々と掲げた。


「おい大将! ビールおかわり! キンキンに冷えてるやつな! ぬるかったら承知しねぇぞ!」



■洋館・臨時指令室



「……見つけたわ。間違いようがない」


サラ・コッホがキーボードを叩く手を止め、メインモニターに一つの映像を映し出した。


それは、歌舞伎町の外れにある、防犯カメラが捉えた居酒屋の店内映像だ。


「場所は繁華街の掃き溜めみたいな店。……ターゲットはこの女性よ」


画面には、昼間から酒を浴びるように飲み、チンピラたちと馬鹿騒ぎをしている田治見の姿が映っている。


テーブルには空き瓶が林立し、彼女の目つきは完全に据わっている。


「……Serious?(本気?)」


サラは眉をひそめて、佐山医師を振り返った。


「佐山先生、再確認して。……これ、本当にあの『神の手』を持つ伝説のヒーラー? ただのアル中のチンピラにしか見えないんだけど」


東義昭も、汚らわしい害虫を見るような目で画面を睨んだ。


「まさかな……。人違いではないのか? 品性のかけらもない」


佐山はモニターを凝視し、苦虫を噛み潰したような顔で、重々しく頷いた。


「……残念ながら、間違いありません。この女です。田治見薫です」


佐山は吐き捨てるように付け加えた。


「腕は確かですが……人格は破綻しています。関われば火傷する」


「……フン。毒を以て毒を制す、か。最悪の人選だな」


東は舌打ちをすると、髙橋俊明に向き直った。


「髙橋君。サラにその店の近くの路地裏の座標を聞け。……飛ぶぞ」


「えっ…まさか彼女を僕に運ばせるとか…?」


「当たり前だ。あんな泥酔女、私一人で担げると思うか? 荷物(田治見)を運ぶのは君の役目だ」


サラが座標を転送する。


「Coordinate set(座標セット)。……気をつけてね、治安が悪そうよ」


「行くぞ」


東が髙橋の腕を掴む。その手には力がこもっていた。


シュンッ!



■居酒屋『赤提灯』



「うい〜、ヒック。……ん?」


田治見が赤ら顔でくだを巻いていると、店の入り口から、場違いなほど仕立ての良いスーツを着た男と、優しそうな顔をしているオフィスカジュアルの格好の男が音もなく現れた。


東と髙橋だ。


東は店内を見渡した瞬間、ハンカチで鼻と口を覆った。


床には吸い殻と痰、テーブルにはベタつく油汚れ。そして何より、品のない酔っ払いたちの怒号と笑い声。


潔癖な東にとって、そこは地獄に等しい空間だった。


「……髙橋君」


「は、はい」


「交渉してこい」


「へっ!?」


東は顔を背けたまま、冷たく言い放った。


「私はこのような不衛生かつ下劣な空間が生理的に無理だ。吐き気がする。……君が説得しろ。私はここで待つ」


「そ、そんなぁ……」


髙橋は泣きそうな顔になった。周りの客は明らかにカタギではない連中ばかりだ。


しかし、上司の命令には逆らえない。髙橋は覚悟を決め、恐る恐る田治見の席へと歩み寄った。


「あ、あの……失礼します」


「あぁん?」


田治見が気だるげに振り返る。焦点の合わない目が髙橋を捉えた瞬間、猫のように細められた。


「あらぁ……? 結構いいツラしてんじゃない!?」


「え?」


「どうしたのよ? サラリーマンがこんなとこで油売ってちゃダメよ? ……一緒に飲むぅ?」


田治見は酒臭い息を吐きながら立ち上がり、馴れ馴れしく髙橋の首に腕を巻き付けた。


アルコールと安物の香水の匂いが、髙橋の鼻を突く。


「うわっ、ちょ、ちょっと! 近いです!」


「固いこと言うなってぇ〜。ほら、座りなよ! 肌が綺麗だねぇアンタ!」


髙橋はガッチリとヘッドロックされながら、必死に声を張り上げた。


「ち、違います! 田治見さんですよね!? お願いがあるんです!

怪我人がいて……どうしても貴女の力が必要なんです!」


「あぁ?」


田治見の動きがピタリと止まった。


彼女はつまらなそうに髙橋を突き放し、椅子に座り直した。


「……なんだ、仕事の話かよ。シラケるなぁ」


田治見は大きなあくびをした。


「嫌よ。見てわかんない? アタシは今、酒飲んで超楽しいの。邪魔すんな」


「そこをなんとか! お願いします!」


髙橋が深々と頭を下げる。


「本当に、一刻を争うんです! 命がかかってるんです! 貴女しかいないんです!」


その必死な様子に、田治見の目が少しだけシラフに戻った。


濁った瞳の奥に、鋭い光が走る。


「……何? 大事な仲間なの?」


「はい! かけがえのない仲間です!」


「ふぅん……」


田治見はジロジロと髙橋を見回し、最後に店の入り口で腕を組んでいる東を見た。


「……ていうかさ。アンタたち、金あんの?」


「え?」


田治見は親指と人差指を擦り合わせた。


「アタシは高いよ? 命を買うんだ、それなりの覚悟カネがあんだろうなって聞いてんだよ」


その時、東がスタスタと歩み寄ってきた。


靴底が汚れるのも厭わず、田治見の目の前に立つ。


「金ならある」


東は即答した。


「言い値で払おう。だから今すぐ来い」


「……へぇ、景気がいいねぇ」


田治見はニヤリと笑い、テーブルの伝票を指先で弾いた。


「んじゃ……とりあえず、アタシが今日ここで飲んだ酒代と、今までのツケ分、全部肩代わりしてくれたら行ってやってもいいわよ?」


その言葉に、周りの男たちからブーイングが飛んだ。


「えー! 姐さん行っちゃうのかよー!」


「まだ飲みましょうよー!」


田治見は手を振って男たちを制した。


「わりぃねー、色男に誘われちまったからさ!

……ごめんねー! あと、コイツらの今日の奢り分もつけとくから、好きに飲んじゃっててよ!」


「うおおお! さすが姐さん!」


「太っ腹ァ! 愛してるぜぇ!」


店中が歓声に包まれる中、東は眉間に深いしわを寄せながら、カウンターの中の店主に声をかけた。


「……おい、店主」


「へ、へい!」


「今回のアイツらの酒代と、あの酔っ払い女のツケ……合計額を出せ」


店主は電卓を叩きながら、安堵と強欲が入り混じった表情を浮かべた。


(……こいつら金持ってそうだ。ようやくあの魔女のツケを回収できるぜ……!)


「……へい、お客さん。〆てこれになります」


店主が震える手で提示した伝票を見て、東は眼鏡の奥の目を疑った。


『合計:¥1,085,000-』


「…………」


(……コイツ、正気か?)


日付と詳細を見る。連日のドンペリ、高級ブランデー、破壊した備品の弁償代、そして他人への奢り。


たかが一介の場末の飲み屋のツケで、100万を超えている。この女の肝臓と金銭感覚はどうなっているんだ。


だが、東は表情を変えずに懐から分厚い封筒を取り出した。


「……釣りはいらん」


東はカウンターに、帯付きの札束と数枚の万札——およそ120万円ほど——を叩きつけた。


「余った分は口止め料だ。

今日ここに来た俺と、コイツ(髙橋)のことは忘れろ。誰にも言うな」


「へ、へい! 毎度ありぃぃぃ!」


店主は目の色を変えて金をかき集め、レジにしまい込んだ。


「ほら、払ったぞ」


東は田治見を振り返った。


「さっさと立て。仕事だ」


「ヒュ〜♪ さっすが社長さん、話が早くて助かるわぁ」


田治見はフラつきながら立ち上がり、飲みかけのビールを一気に干した。


「ぷはぁ! ……よし、行くか色男ども!

アタシの腕が必要なんだろ? たっぷり治してやるよ! ……もちろん、治療費は別料金だけどな!」


千鳥足の「魔女」と、顔をしかめる政治家、そして青ざめるサラリーマン。


奇妙な一行は、路地裏の闇へと消えていった。



■洋館・臨時病室



シュンッ!!


空間が歪み、大気が弾ける音と共に、髙橋俊明と東義昭、そして千鳥足の女——田治見薫が姿を現した。


「……うっっぷ。オェ……」


田治見は口元を押さえ、よろめきながら膝をついた。


「おい眼鏡ぇ……。急に景色変えんじゃねぇよ、酒が回るだろうが……」


「す、すみません……」


髙橋が背中をさするが、田治見は乱暴にそれを振り払った。


顔を上げると、そこは地獄だった。


鉄錆のような血の臭いと、ツンと鼻をつく消毒液の臭い。


ベッドには、見るも無惨な姿で横たわるサラとアレックス。そして、その周囲には不安と絶望に染まった顔をした幸田美咲や、苦渋に満ちた佐山医師たちが立ち尽くしている。


だが、田治見はその惨状を見ても眉一つ動かさず、むしろ獲物を見つけたハイエナのように、ニヤニヤと卑しい笑みを浮かべた。


「へぇ〜……。外見はボロ屋敷かと思ったが、中はすっげぇゴージャスじゃん」


彼女はペタペタと裸足に近いサンダルで床を歩き回り、東の肩をバンと叩いた。


「おい社長さんよぉ。この屋敷、アンタの持ち物か?

政治家ってのはやっぱ儲かるんだねぇ! やべぇ金持ってんじゃん!?」


田治見は東の顔を覗き込み、酒臭い息を吐きかけた。


「なぁ、アンタ特別にアタシと結婚してやろうか? 玉の輿ってやつ? アタシ、夜のテクニックも医術並みに自信あんだぜ?」


東は露骨に顔をしかめ、ハンカチで叩かれた肩を払いながら、氷点下の声で言い放った。


「……やめろ。気色悪い」


「ブッ!! ギャハハハハハ!」


田治見は腹を抱えて爆笑した。


「『気色悪い』はねぇだろ! 一刀両断かよ! 付け入る隙もねぇな、この堅物は!」


ひとしきり笑った後、田治見の視線が、部屋の隅に立つ白衣の男——佐山医師に向けられた。


その瞬間、彼女の目からふざけた色が消え、濁った刃物のような冷徹な光が宿る。


「……おぅ、いるじゃねぇか。エリート崩れのヘボ医者」


「た、田治見……!」


佐山が身構える。


「貴様、こんな神聖な場所に酒気を帯びて……!」


田治見はよろめきながら近づき、佐山の胸ぐらを人差し指で小突いた。


「おい、先生よぉ。アンタ今まで、助けられる患者を何人見殺しにしたよ?」


「なっ……」


「『手の施しようがありません』『残念ですが』……。もっともらしい顔をして切り捨てた中には、泣きながら『助けて欲しい』って縋ってきた奴もいたよなぁ? そいつらの顔、覚えてるか?」


田治見は佐山の顔に唾を吐くように言った。


「あのな、それは『寿命』じゃねぇんだよ。お前の知識不足、技術不足、勉強不足っていう『怠慢』で人が死んだんだよ!」


「き、貴様……!」


佐山は顔を真っ赤にして反論した。プライドを傷つけられた医師の怒りが爆発する。


「うるさい! 私だって、自分に出来ることは精一杯やっているつもりだ! 最善を尽くして倫理を守り……」


「ハァ? 甘ったれてんじゃねぇぞ!」


田治見は佐山の言葉を遮り、鼻で笑った。


「お前何歳だよ? 『最善を尽くすのは当たり前』だろ? ガキの使いじゃねぇんだよ。

結果が出せなきゃ意味がねぇ。死んだ患者の前で『精一杯やりました』って言い訳すんのか?

アタシは今、お前の努力じゃなくて『プロとしての覚悟の無さ』について話してんのがわかんねぇのか?」


「……ぐっ」


「治せねぇなら医者なんて名乗んな。ただ今回は私に助けを求めることが出来たから少しは成長したんじゃねぇのか?ようやくプライドよりも目の前の患者の命の方が大事って気付けたんだからよ……そこ退けよ、無能」


佐山は言葉を失い、屈辱に震えながら道を空けた。


反論できなかった。目の前の患者を救えない無力さは、彼自身が一番痛感していたからだ。


田治見はそのままベッドに近づこうとして——ふと足を止め、入り口近くで震えている幸田美咲を睨みつけた。


「……おい」


「ひっ……!」


美咲が怯えて後ずさる。


田治見は舌打ちをして、周囲の大人たち(東、髙橋、鈴木、白川)を怒鳴りつけた。


「テメェら、頭沸いてんのか!?」


ビリビリと空気が震えるほどの怒号。


「こんな可愛い未成年に、こんなグロテスクで重症な患者見せてんじゃねぇよ!」


「え……?」


「見ろよ、肉が抉れてんだぞ? 骨が突き出してんだぞ?

お前ら馬鹿の集まりか? こんなもん見せて、トラウマになったらどうすんだよ!

ガキのメンタルケアもできねぇクソ共が!」


田治見の剣幕に、全員がハッとした。


緊急事態とはいえ、18歳の少女に直視させていい光景ではない。彼女はただの「無神経な酔っ払い」ではなかった。


東義昭は、その様子をじっと観察していた。


(……なるほど)


東は心の中で、彼女への評価を修正した。


(口は悪く、態度は最悪、品性のかけらもない。だが……言っていることは全て『的を射ている』。

結果への執着。そして、弱者(子供)への最低限の倫理観と優しさ。

この女はただのクズではない。確固たる哲学を持った外道だ)


東は決断した。


プライドなど、部下の命に比べれば安いものだ。


(コイツの腕が確かであるならば……頭を下げる価値はある)


東は一歩前に進み出ると、プライドの高い政治家とは思えないほど深く、綺麗に腰を折った。


「……田治見先生」


東は頭を下げたまま、静かに、しかし切実に請うた。


「無礼は承知だ。……言い値で払う。治療費も、酒代も、今後の生活費も全てだ。

だから……彼らを診てやって欲しい。頼む」


「せ、先生!?」


髙橋と鈴木が驚愕する。あの冷徹な東が、こんな下品な女に深々とした礼をとっている。


佐山も信じられないものを見る目で凝視していた。


田治見は、頭を下げる東を見下ろし、口角をニヤリと吊り上げた。


「……へぇ。金だけじゃなくて、頭も差し出すか。

いいぜ、気に入った。アンタ、話が早くて潔いから好きだよ」


田治見はジャージの袖をまくり上げ、パンと手を叩いた。


「分かった分かった! 請け負ってやるよ!

ほらそこのねぇちゃん! まずはそこの可愛いお嬢ちゃんを別室に連れていきな! 」


「は、はい! 行きましょう、幸田さん!」


白川が我に返り、慌てて美咲の手を引いて部屋を出ていく。


「んで、佐山! お前は残れ!」


田治見は呆然としている佐山を指差した。


「お前はアタシの治療を特等席でしっかり見な!

現代医術の教科書には載ってねぇし、倫理委員会が見たら卒倒するような術式だろうけどな。

……悔しかったら成長しろ! それが『勉強』だろ!」


「……分かりました。見届けさせてもらいます」


佐山もまた、医師としての意地と、未知の技術への渇望でその場に残ることを選んだ。


部屋には、田治見と佐山、そして東たちが見守る中、瀕死のサラとアレックスだけが残された。


「さてと……始めようか」


田治見は部屋の隅にあった冷蔵庫から、勝手に缶ビールを取り出し、プシュッと開けた。


ゴクゴクと一気に半分ほど飲み干し、手の甲で口を拭う。


「——オペの時間だ」


アルコールの匂いと共に、常識を超えた「魔術」のような手術が幕を開けようとしていた。

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